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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第2部 山賊討伐
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七の一 『朝』の画策――碩鳳登場

七、『朝』の画策


 朝都では、俳県はいけんの県主ほか官職の大々的な人事交代の報告を受けた。本来なら、『朝』では、年々の税がきちんと納められてさえいれば、各県の内情などにはあまり関心を示さないのであるが、武興ぶこうの身内の役人がこれに腹をたてた。一方的に武興の罪ばかりを責め、彼を殺害した――報告では、自害となっている――謀反者が、のうのうとその後釜にすわっているとはけしからん、と騒いだのである。


 『朝』が発って500年余りの歳月が過ぎた。多種様々な種族が住むこの世界は衝突も多く常に争いが絶えなかった。500余年前、勢力を伸ばした種族の代表が政権を担う執政府制度が発足した。当時としては画期的な制度で、多くの種族や住人が喜び称えた。これによって国土が荒れるような大きな戦争は避けられるようになり、平和が訪れたと誰も安堵した。

 だが、時の流れとともに、当初の崇高な矜持は形骸化し、権力者のみの政府へと変容していく。

 中央集権化した権力の担い手は一部の特権階級から選出される執政官という名の権力者となり、『朝』は朝都の壮麗な宮城から各国、県に命令を発し、財を搾取する独裁政治となっていた。

 そして、今日、執政府は8人の執政官がいた。執政官を統べる総統は長らく空席となっている。長い歴史を見ても、総統が立ったのは初代から2代で途切れ、その後100年ごろに一人出ただけであった。執政官達は誰もが自分こそはと望み、互いに蹴落とし合い策を巡らし会う中で、それでも抜きんでて統べる胆力と覇気を持つ人物が出なかったということである。

 彼らの仕事は『朝』の安寧ではなく、自分と一族の繁栄の維持と競争者の排除、いかに利益を貪るかにあった。賄賂・汚職・権力の乱用と横暴はむしろ当然な体制であった。


 政権要職を占めるカルタス族もソル族も、俳県県主交代理由が汚職の粛清であることに注目した。俳県を起点に新たな動きが生じてくるかもしれない。ここから反体制運動が広がることも有りえる。このまま黙認しておくべきではないと危惧した。


 だが、収まってしまった事態を、今更それはいかんとひっくり返すわけにもいかず、朝都の佞臣達は、頭を寄せ合って知恵を絞った。普段、すっかり太平な安楽の上に胡坐をかいていた彼らは、良い知恵も浮かばず、会議は混迷化し、泥沼状態になってもはや抜け出す浅瀬も見えなくなる。


 この時、「おのおの方」と、声を張り上げたのは、まだ眉も青々とした若き獅子、碩鳳せきほうであった。三十歳。朝都の執政官の一人、冷酷な青い肌禿頭のカルタス族碩章(せきしょう)の息子で、秀才の誉れ高く、早くから政界入りしていた。


「そんなに思いわずらうことなどありませんよ」


 彼はにやりと笑った。酷薄な重役達でさえ、ぞっとするような冷たい笑みである。めくれ上がった口の端に、二本の牙。人らしからぬ銀の目、三日月の瞳孔。腕に鱗は無かったけれど、額にある一対の触角を見れば、彼も竜人の血を引いていると知れた。カルタス族にしては、ソル族に近い端麗な容貌を持つ。


 斉県さいけんから朝都へ賄賂の貢物として差し出された女を、碩章が寵愛し生まれたのが、碩鳳であった。彼の母親は出産時に死んでいる。だが、父親の碩章は彼をうとまず、いつか名をせるたいした人物になるだろうと目を掛けていた。

 歴代の執政官吏達が密かに望んできたように、彼もまた、碩一族が『朝』政府を牛耳り、全ての権力と富を握りたいという野心を持っていた。ひょっとするとその長年の夢を、この息子が叶えてくれるのではないかと彼は心密かに期待しているのである。

 碩鳳はお歴々を前に、臆することもなく意見を述べた。


「名目を設けて、彼らを始末させれば良いだけです。俳県は山賊が多い土地柄。確か、桂獰けいどうという山賊が大きな勢力を張っているはず。彼らに桂獰討伐の勅を出すと良いでしょう。『朝』の命なれば、彼らも従わねばなりません。断ってきたら、謀反者として捕縛する口実になります。一方、桂獰へは此方から密かに、朱貴らを始末できたら、『朝』の官吏として厚遇してやると伝えるのです。さすれば、桂獰は付近の山賊とも呼応し合って、朱貴らに必勝の構えをとるでしょう。我らの手を汚さなくても、山賊等が始末をつけてくれます」


 会議場にどよめきが起こった。しかし、父親の碩章が危ぶんで言った。


「だが、朱貴らを倒した山賊どもはどうするのだ? 約束通り、官吏に上げるのか?」

「まさか。彼らには、朝都にて褒賞を授けると言い渡し、此方に向かう途中で始末してしまえば良いのです。難所はいくらでもありますし、道中は長い。軍を伏せる場所には、事欠きますまい」

「なるほど。しかし、万が一、朱貴らが賊を討伐してしまったら?」

「案じますな。山賊を平らげてくれれば、『朝』の繁栄。憂える事はありますまい。過度の褒美でも与えて、彼らを有頂天にでもすればよろしい。おごりきった虎は、猫にも劣るもの。彼らの増長心を突いて、策はいくらでも立てられるというものです」


 碩鳳は冷酷な笑いを浮かべながら、事もなげに言い捨てた。お歴々達は感嘆して唸り、碩章は我が子ながら、背筋の寒くなるものを感じていた。


 会議が引けて、碩鳳は朱塗りの柱に金箔の壁、豪華絢爛ごうかけんらんな回廊を曲がって、宮内庁の自室へと向かった。蒟醤彫きんまほりの施された欄干にもたれて、彼の側近の秋楊しゅうようが待っていた。鋭利な目つきの剃刀のように頭の切れるソル族の青年である。


「いかがでしたか?」


 欄干から身を離した秋楊が、端整な顔に皮肉げな笑みをにやっと受けべて訊いた。


「くだらん些事さじだ。朱貴などという名もない無頼者に大騒ぎする連中の気が知れぬ。連中の頭の中は自分の安楽な暮らしのことしかない。情けなくて、相手にもできんよ」


 碩鳳は面白くなさそうに吐き捨てた。


「世は詰まらんなあ。一つ、大きな戦争でも起こして、世界を滅茶苦茶にしてやろうか。そうすれば、少しはまともな世になるんじゃないか? でなければ、わしも生まれてきた甲斐がない」


 物騒な事を平然と放つ。竜人の血が平安に飽いていた。


「また、おたわむれを。今夜は私の屋敷においでください。妹も待っております」


 秋楊は苦笑して言った。碩鳳のこの気紛れがいつでも本気に変わり得る事をよく知っている。彼は人中の獅子であった。しかも、最高級に物騒な猛獅子であった。


「そうだな。久し振りに寄るか」

秋蓮しゅうれんも喜ぶでしょう。美味な銘酒も手に入っておりますれば」


 『朝』内外から日々徴税物資や貢物が集積される宮内は贅沢と飽食に驕っていた。

 その宮内区画の中にある秋楊の屋敷の客間に、碩鳳が自分の家のような顔で寛いでいるところへ、優雅な仕草で秋蓮が入ってきた。秋楊に瓜二つの美貌である。秋蓮と秋楊は双子であった。身分はあまり高くはなかったが、碩鳳が秋楊の才を買って、『朝』府に取り立てたのである。秋楊は碩鳳に自分の妹を差し出した。秋蓮は美しいばかりではなく、才知も優れ、冷酷な事、兄以上とさえ言われていた。


「どうぞ、ごゆっくりと」


 秋楊はさっさと部屋に引き下がる。それを見送って、秋蓮に酒を注がせながら訊いた。


「相変わらず、淡白なことだ。秋楊は嫉妬しないのか?」


 この双子の兄妹はただの仲ではなかった。それをいさめた実の父親を、この二人は殺している。それを知っていて通う碩鳳も並の神経ではない。


「ほほほ」と秋蓮は艶やかに笑った。

「そのようなこと気にもなさらないくせに。兄と私の睦事むつごとは、よそ様には真似ができませぬ。例え、碩鳳様、貴方でございましょうとも。兄と私は一つの身を分け合った者。心と身体がつながれております。その交歓がどのようなものになるか、碩鳳様、ご想像おできになれますかしら? ですから、兄は決して、嫉妬など致しませぬ」

「わしの前で、ぬけぬけと良く言うわ。だからこそ、そなた達が好きだ」


 碩鳳は秋蓮を抱き寄せて口付けた。秋蓮もいそいそと抱きすがっていく。碩鳳はふと気づいて訊いた。


「ならば、秋楊はこれも感じるのか?」

「いいえ、普段は、感性の繋がりは絶っておりますれば。ですが、その気になれば、私がこの身に感じる事を、兄も同じように感じる事ができましょう」

「ふむ。面白い。秋楊にお前と一心になれと、伝えい。お前とむつみながら、秋楊をも悶えさせてやろう」


 碩鳳に抱かれて寝室に運ばれる秋蓮は、既に欲情にこってりと熱くたぎり、妖しく見上げながら淫らな笑みを浮かべていた。

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