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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第1部 黎明
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六の三 新県主 朱貴――その翌日*

BL描写があります。苦手な方はご注意ください。

 朝儀ちょうぎは正面階段を上がった一番大きな広間で行う。最上段奥正面に県主の座、一段下がって重職の席が左右に、次の段に文武の役職が並び、下段の広間に一般官吏が整列した。人事はまだ為されていないので、席に空席が目立つ。


 龍蘭達は重職の空席に座っていたが、玲爽れいそうは目だたないように一般官吏の間に立った。衛兵が扉を開け、朱貴が悠然と進んできた。居並ぶ全員が頭を下げる。

 玲爽も一緒に拝礼しながら、なんだかとても面映い。

 まだ、夢のような気がする。

 朱貴が高座に座り、皆が顔を上げても、玲爽は朱貴の顔が見られなかった。朱貴はそんな玲爽に視線を投げ、朝儀の進行に移った。とはいえ、まだ新政権は発足していないので、審議する議題もなくすぐに朝儀は終わる。


 その間、とうとう玲爽は顔を上げなかった。人々がざわざわと退席するざわめきの中で、早々と退出しようとする玲爽を、朱貴が呼び止めた。


「執務室に参れ」


 と、命じると先を歩き出す。玲爽は急いでその後を追った。

 執務室に入ると朱貴は秘書官を、「呼ぶまで、誰も入れるな」と、追い出した。


 二人きりになってどぎまぎとしている玲爽の側に、朱貴が近寄ってきた。

 玲爽は思わず、さっと後退る。

 朱貴は傷ついた表情を浮かべた。


「先生、怒っているのか? 昨日、何か、気に障ることをしてしまったのだろうか? あの事なのか? もっと優しくするつもりだったんだ。俺は、その、経験があんまりなくて……、だから、その……あんまり良くって、我を忘れてしまって……その、本当にすまなかった。もうしないから。だから、俺を嫌ったりしないでくれ」


 朱貴は一生懸命に訴えた。


***


 夜半過ぎ、ぐっすり眠っていた朱貴は、玲爽の使用人の老婦人に揺り動かされた。寝ぼけ眼で起きると、


「夜が明けないうちに、お帰りください」


 と、言われる。びっくりして隣をみると、そこに寝ていたはずの玲爽の姿がない。

「先生は? 」と、訊いても婦人は答えず、さあさあと急かされて、わけもわからないまま服を着込み官舎を後にした。


 外は二つの月が煌々と青白い光を投げかけ、虹色のベールを霞ませていた。この世界には、星はない。複数の恒星が互いに干渉し合って、恒星間物質を永遠の時間の中で、互いに綱引きのように奪い合っている、閉ざされた世界であった。だが、そこに住む人々はそれすらも知り得なかった。


 夜はめっきり冷えてきて、ぶるっと震えた。しょうがなく屋敷に帰ったが、いったいどういうことなのかさっぱりわからない。

 どうして朝まで寝かせてくれなかったのだろう。なぜ、玲爽はいなかったのだろう? ひょっとしたら、玲爽は自分に腹を立てているのでは、と思い至ってどきりとした。


 自分がどう玲爽を抱いたのか、正直あまり覚えていない。無我夢中になってしまったのだ。我に返った時には、玲爽は気を失っていた。

 きっと、力任せにひどくしてしまったのに違いない。あれでは暴力と変わらない。それで、愛想をつかされてしまったのだろうか? そう考えると、居ても立ってもいられなくなった。

 まんじりともしないで朝を向かえ、朱貴はびくびくと県府に上がった。とにかく詫びて、玲爽の気持ちを取り戻したい。


「すまなかった。許してくれ! 怒らないでくれ!」


 朱貴はがばっと床にひざまずいて深々と頭を下げた。玲爽はびっくりして彼をみつめた。


「どうか立ってください。私は怒ってなんかいません」

「だが、先生は、俺を夜中に追いたてたじゃないか。先生の姿もなかったし」


 なおも朱貴が言い募ると、玲爽はぽっと頬を染めた。


「私は、ただ、恥ずかしかったのです」


 かっかと頬が熱くなって、玲爽は慌てて両手を頬に当てた。


「早くお帰ししたのは、朝、私の官舎から朱貴様が出るのを見られては、と人目を憚ったからです。それと、朱貴様に、顔を見られるのが恥ずかしくて。私は作夜、ずいぶんはしたない真似を……。朱貴様も呆れ返っておいでではありませんか?」


 玲爽は心配そうに朱貴の顔を遠慮がちに見た。勢いとは恐ろしいものだと、しみじみ思う。朱貴は嬉しくて、玲爽の身体を捕らえると、力いっぱい抱きしめた。


「良かった。貴方に嫌われたかと、心配してしまった。俺は、貴方が好きだ。愛している。ずっと、愛していたんだと、解ったんだ。本当にいいのか? 本当に、俺を好きでいてくれるのか?」

「愛しています。朱貴様。誰よりも」


 玲爽は夢心地で、朱貴の胸の中で誓った。朱貴が口付けしようと顔を寄せる。うっとりとそれを受けようとして、玲爽は慌てて身を引いた。ここが何処なのか、遅ればせながら思い出したのだ。


「そうそう、朱貴様、これを」


 玲爽は懐から、しわくちゃになった封書を引っ張り出した。朱貴が手にとって見ると、先の人事勧告書である。握り締めたまま玲爽の官舎に乗り込み、それっきり忘れていたものだ。朱貴もそもそものいきさつの原因を思い出した。


「そうだ! 先生、これには貴方の名がないが、新しい県府に、貴方も参加してくれるのだろう?」


 朱貴は再び心配になった。玲爽の役職をきちんと確かめておかないと、安心できない。

 朱貴の問いに、玲爽はさらに分厚い書の束を取り出した。もう甘さなど何処にも無い、厳しい軍師の顔になっている。


「これは、貴方が目を通しておかねばならない県主の心得です。正しい政治を行うためには、是非とも必要なもの」


 書簡を執務机の上に置く。

 ずいぶんたくさんあるなあといささかうんざりして、朱貴は机の向こうに腰を下ろした。作夜、まだ書きかけの途中であったものを、あれから書き上げてしまったのだ。あまりの嬉しさに、気分が高揚して眠れなかったので。


「で、先生は? 先生は、一緒に政策を執ってくれんのか?」


 玲爽はにっこりと笑った。


「私は、宰相になります」


 朱貴はぽかんと顔を見る。


「確かに、私は若すぎるでしょう。しかし、貴方と私の考える民人の為の政治を施行するためには、私は宰相にならねばなりません」


 玲爽は、自信たっぷりに言い切った。

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