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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第1部 黎明
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五の一 弾劾――武興の企み

五、弾劾


 翌日、県府は何か慌しかった。日頃見かけぬ将軍やら武官やらが、ひんぱんに出入りしていた。朱貴しゅきはぶらりと気の進まぬ足取りで、『救民課』と札の下がっている訳のわからぬ閑職の部屋に向かった。


 名前の通りの係りなら、いくらでも仕事がありそうなものなのだが、実質として朱貴の所には何の仕事も入ってこない。

こっちであれやこれや手を出そうとすると、それは何処そこの係りだからと、見つけた仕事を取り上げていく。下手に口出しすると、上役の権限を居丈高に振りかざして押さえ込む。


 それでも、玲爽れいそうの言うままに我慢しているのは、いつか連中をぎゅうの音も出ないくらいに懲らしめてやると思えばこそ。

だが、その玲爽が裏切っているとしたら……。何の為に、こんな無駄な暇潰しをしている必要があるだろう。


 部屋に入ると、女給官が県主様がお呼びですと、隅のほうから恐々と言って来た。彼女は八人目だ。みんな、朱貴が気味悪くて怖いと言って辞めてしまう。

 朱貴に言わせれば、びくびく脅えている女給官なんか、気が滅入るばかりで要らないと思うのだが、これも決まりだとかで、凝りもせずまた何処からか連れてくるのだ。



 県主の執務室に行くと、龍蘭りゅうらんが先に来ていて、間もなく、虎勇こゆう趙翼ちょうよくもやってきた。

武興ぶこうは彼らの顔を尊大に見回すと、機嫌の良い声で言ってきた。


「官吏の仕事はどうかね? 勝手が違って、何かと戸惑うことも多いだろう。しかし、貴殿達にいよいよ働いてもらう時がきた。わしは諸君達を信頼している。きっと、素晴らしい功績をあげてくれることだろう」


 武興は満足そうに、手入れの良いピンと張った口髭の先を指で摘んだ。『朝』から派遣されて久しく任じている彼は、背も高く肩も張って、なかなかに見栄えが良かった。

 だが、同時に民人から容赦なく搾取する強欲な男でもあった。それが、心憂いているように眉を曇らる。


「南西の琢県たくけん。そこの県主が、悪辣あくらつにも我ら俳県はいけんに侵攻を企てている。県境の村々を軍が襲い、家に火をつけ、暴行を働いている。そこに拠点を布いて、此処に攻め入ってくるつもりなのだ。そうなったら、わが国土と民人はどうなってしまうだろう」


 武興は思い入れ宜しく、一息ついた。


「そこで、貴殿達に頼みたい。諸君達には、一軍を率いて先手を掛け、琢県の首都明楼しゅとめいろうへと、一気に進んでもらいたいのだ。なに、本当に都を落とすにはあたらない。名にしおう朱貴殿の軍が攻めてきたと聞けば、敵軍も慌てふためいて乱れ崩れる。そこをこっちの軍が押し寄せて行けば、琢県も諦めて手を引くだろう」


 盛んに徴兵しているという噂はこの為だったのかと、朱貴達はうなずいた。どんな理由であれ、軍力で攻め入り、庶民を戦火で苦しめるのは許せない。


「そういうことでしたら、私達はいくらでも骨身を惜しみません。お任せください。きっと、大任を果たしましょう」


 やっと果たすべき仕事ができ、朱貴達は勇んだ。


「簿官の玲爽も、我々と行動を共にするのですね?」


 ここを引いたら、さっそく軍師を交えて作戦会議だ。


「いや、彼には重要な仕事があって手が放せない。今回は県府に残ってもらう」


 そう言われてしまうと、朱貴もそれでもとは強く出られない。

 『救民課』に戻りながら、血の気の多い虎勇がうきうきと、


「なあに、玲爽先生がいなくたって、俺達だけでやっつけられるぜ」


 と、はしゃぐ。久々に大暴れできそうで、嬉しくてならないのだ。それは、龍蘭も朱貴も同様だった。彼らは何といっても、もともと豪勇自慢の無頼者なのだ。


 ただ一人、趙翼が首を傾げた。


「変だな。俺が琢県に行った時は、そんな気配はなかった。高善こうぜん殿も好んで戦を仕掛けるような人柄には見えなかったが」

「お前は騙されていたんだよ。顔で笑って、腹の中で舌をだしていたんだ」と、龍蘭。

「じゃあ、俺が届けた玲爽殿の書簡は?」


 龍蘭達は互いに顔を見合わせた。虎勇がわめく。


「奴は琢県と通じていたんだ。スパイなんだ。俺達は、最初っから、奴にだまされていたんだ」

「でも、お前の危機を救ってくれたじゃないか」と、朱貴が思い出させる。

「これも作戦なのさ。おかげで、奴は疑われることなく、県府に入り込めたじゃないか。俺達の仲間になったのも、俳県に来たのだって、あいつの計略だったんだ」

「しかし、信じられん。斐神仙ひしんせんの愛弟子である玲爽殿がそんな企みをするだろうか」


 最初から玲爽には並々ならぬ敬意を示している趙翼が、納得のいかない顔で言った。


「賢者だって人間さ。きっと、俳県が手に入ったあかつきには、大臣かなんか役職が待ってるんだろうさ。やっぱり、栄達がいいんだよ。しょせん、文人なんだ。俺達とは違うんだよ」


 玲爽の鋭利な頭脳がなんとなく煙たかった虎勇は、口調に毒がある。

 義兄の朱貴が新参者の少年に、先生、先生と骨抜きになっているのも面白くなかったのだ。

 彼の美貌に惑わされているんじゃないかと、勘ぐっている。

 年若いくせに、自分達より偉そうに見えるのも、しゃくの種だった。

 だから、ここぞとばかりにこき下ろす。


「ま、とにかく、今回は、彼抜きでやるんだから。玲爽殿が本当に、琢県の回し者だったら、その時に追求すればいい。俺達は俺達のやるべきことを果たそうぜ」


 龍蘭が、猛る虎勇を押しとどめて、集中すべき問題に一同の関心を向けた。

 朱貴は、それにうなずきながら、内心複雑だった。

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