16 ≫銃声≪
「茂……」
治は立ち尽くした。
茂へ伸ばした手は何も掴むことはできず、何も止めることはできなかった。何も届かなかった。
動かなくなった身体の傍に膝をつき、茂の涙を拭う。彼が泣いたのを見たのは久しぶりだった。それも、幼少時代を最後に、彼は泣かなくなったからだ。
あの時は家庭内の事情のことで泣いていた。今は、何に対して涙を流したのだろうか。
死ぬのが怖かったのか、やっと、全てから解放された喜びからなのか、全くわからない。
もしかすると、後者の考えが一番近い答えかもしれない。彼は常に、他人を巻き込んだことに悔いて、閑を止められない自分を苦しめ、どうにもならない現実を恨んでいた。
今となっては何もわからない。
「しげっち……僕、どうしたらいい? この先僕は、いったいどうすれば……」
問いかけても、返事はない。
久しぶりに、あだ名で呼んでやったというのに。
やるべきことはある。彼の愛した人を助けること、狂った組織を壊滅させること。
だが、今の自分には、荷が重い。
「とにかく、進まないと……」
ふと我に帰り、美那を抱きかかえ、歩み始める。
昔、彼が言っていた気がする。「お前は賢い分、なんでも頭で考えようとする。だからこんがらがる。そういうときは、迷わず、とにかく、進め」と。今になって思い出すとは。
込み上げる想いを押し殺し、車の助手席に美那を乗せ、安全な場所へ行くため、アクセルを思いっきり踏み込んだ。
たどり着いたのは市民会館。そこに清太がいるからだ。
車を止め、清太を呼ぶ。すると、すぐに彼は忙しそうに走ってやってきた。
「おい! 治、今までどこに……!?」
清太は口を閉ざした。というよりも、驚いているようだった。
清太の目は、助手席で眠っている美那を捉えていた。
「なんで、美那が……!?」
「事情は後で説明するよ。とりあえず今は美那を安全な場所へ移動させてくれないか」
美那を抱き、状況が読み込めず、慌てている清太に押し付ける。
「お、おい……お前は、どうすんだよ?」
「僕は他にやることがあるから……もう行くよ。美那を頼んだよ」
「あ、おい!」
清太のことを無視して、またもアクセルを思いっきり踏む。次は夜月と月夜だ。どこにいるかはんからない。手当たり次第、動き回るしかない。
美那はひとまず安心だ。清太は頼りになるから、きっと、安心な場所へ移動させてくれるはずだ。
×
カチカチと秒針が鳴り響く。
事務所で留守番中の徹は、心配でならなかった。
今、治はどうしているのだろうか。夜月や月夜は無事なのだろうか。気になって、全く落ち着かない。
時計を見やる。あれから四十分は経った。
「よ、よし……こうなったら……」
徹は意外と猪突猛進で、じっとしていられる性格ではない。震える身体に鞭を打ち、足を動かし始める。
ポケットにはスタンガン。ギャクのポケットには使わないことを願って、ナイフをいれる。
ジャンパーを着て、扉に手をかけた。
「……よし!」
静かに、覚悟を決め、事務所を飛び出して行った。
×
唸る轟音、飛び散る火花と、血。
そんななかを、夜月と月夜は走っていた。
銃声を浴びながらも、ただ必死に逃げた。だが、そろそろ限界が近づいてきている。テロの謎はただのカムフラージュに過ぎなかったのは、よくわかった。蘇生薬の謎だけはいまいちピンときていない。
この際、その謎ごと、全て消し去ってしまおう。
そして、月夜だけはなんとしてでも……。そう、心に決める。
「兄さん! このあとどうする? それにっ、茂さんは?」
このあとのことは今考えている最中だ。茂については、もう手遅れだろう。薄々気づいていた。茂の想いに。だから今ごろ、閑を殺し、自分も……。
夜月は言葉に詰まり、嘘を吐く。
「茂さんなら、大丈夫だろう。助けたい気持ちは山々だが、今から戻るのも辛い。だから、逃げることに専念しよう」
「うん……」
月夜は不安そうな表情を浮かべた。その瞳は、酷く怯えているようだった。
夜月は月夜の様子を確認して、路地の角を曲がった瞬間、一つの銃声が鳴り響く。凄く近くで。
「なんだ!?」
「兄さん、大丈夫!?」
「あ、ああ……なんとか。月夜は?」
「僕は大丈夫だよ」
幸い、二人とも怪我はしていないようだった。となると、威嚇射撃だろうか。前方を睨むと、そこには一人の男がいた。真っ黒なスーツを身に纏っている。閑の従者の、確か名前はーー
「……笹川……? なぜお前がここに?」
後ろで月夜が警戒しているのがわかった。
夜月の腕にしがみついている。
「貴方たちは閑様に関わりすぎました。蘇生薬についても……。それに、他に知っていることもあるでしょうし」
「何が言いたい」
「つまり私は、情報漏洩を防ぐため、消しに来たのです」
「知っていることなんてないぞ」
少しずつ、後ろへ下がる。いや、前からの殺気におののき、後ろへ退く。
「何もない? 冗談を。数々の薬の調合法、顧客の情報、それに……被験体の居場所」
「そんなの知らないなーー」
夜月は手榴弾を放り投げた。たちまち鋭い爆音が辺りを包み込む。そのすきに夜月たちは逃げる。
「月夜! 大丈夫か!?」
「うん! 今はとにかく、逃げよう!」
休む暇はない。今もなお、銃弾の雨が降り注いでいる。
「ーーあっ……」
すぐに後ろを振り返った。月夜と繋いでいた手が離れる。
月夜が転んだのだ。
「おい! 早く立て!」
「う、うん……」
月夜は急いで立ち上がろうと、上体を起こす。だが、煙にまみれた前方から、月夜を捉えた銃口だけが確認できた。
「月夜、後ろ!」
夜月は咄嗟に手を引いた。
乾いた音が、空気を切り裂いた。