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第一章

――用水路の近くに、河童が出るらしい


あの夏、そんな噂でもちきりだった。


暑い夏。

私が最後に過ごした、暑い夏の日。



――お日様の下で駆け回って過ごした、最後の夏。





「…うそ」

ランドセルを背負ったまま、息を弾ませて玄関に駆け込んできた従兄弟が興奮気味に語る『噂話』を、私は思わず一刀両断した。

小さな従兄弟のこめかみを、汗が伝っていた。…外は、すごく暑いみたい。

「…っでも、でもみんな言ってるがよ。見たって…」

従兄弟は一瞬ぽかんと私の顔を見て口をつぐんだけど、すぐに反論を始めた。

…いけない。咄嗟に否定しちゃった。

いっちゃんは、夏休みの登校日に思いがけず拾ったヒミツの情報を、家にも帰らずまっすぐに私のところに届けてくれたのに。

ちょっとすねたように頬を膨らませて、冷えた麦茶が注がれたコップの水滴を落としている彼を覗き込んで、にっこり笑った。

「そうなの。私、河童見たことないの。見てみたいわ」

「じゃったら行くが!ぼく、自由研究、『河童の観察日記』にするがよ!!」



河童の…観察日記。



小3というこの子の年齢と、『河童の観察日記』という地雷原を頭の中でつきあわせる。…それを提出しても洒落で済むかな。止めてあげたほうがいいのかな…

「河童の…伝承を調べる研究にしたら?ここらへんには多いよ」

「えーっ、やだそんな地味なの。河童捕まえたいよぅ!」

…なんでこの炎天下に、いるかどうか分からない…というか十中八九いない珍獣を探して用水路の周りをうろうろしたいのか。男の子の考えることは分からない。とりあえずこのままだと、私も珍獣狩りに付き合わされる…それはイヤ。

「で、でも見つからないかもしれないでしょ?それに河童って強いんだよ?」

「大丈夫が!流迦ちゃん、大人じゃけん」

…私が戦うのか?河童と?

「大人が数人がかりで勝てないほど強いのっ!」

「なにそれ?どれくらい?サンダースより強い?」

サンダース…なにそれ。よく道頓堀に投げ込まれる唐揚げ屋のおじさんかな。

「うーん…5人がかりでようやく…かな」

「まじでまじで?ライチュウなら何人がかり?」

くっ、まぎらわしい。ポケモン関連か。きっと河童が水属性だから、雷属性のポケモンで攻撃しようとしてるんだ、この子。

…ごめんね、超どうでもいい。

「お姉ちゃん、分からないなー。ポケモン詳しくないから。…あっ、いけない。もうこんな時間!ごめんね、お姉ちゃん図書館行ってくる」

「図書館!僕も行くが!」

「ごめんね、今日はお友達と行くの。いっちゃんと行くのは、また明日ね」

にっこり笑って、彼の頭にぽんと手を置いて家を飛び出した。




挿絵(By みてみん)


――いっちゃん、口をへの字にして、あごを梅干みたいにしてたなぁ。


こめかみを、すっと汗が伝うのがわかる。玄関で見た、汗まみれのいっちゃんを思い出して、一瞬胸がちくっとした。…いっちゃん、泣きたいの我慢してる顔だった。


ごめんね、いっちゃん。河童熱が治まったら、もっと遊んであげるからね。


生暖かいけど強い風が頬をないだ。耳が痛くなるような蝉の声、それに肌を刺すような強い日差し。…なんだか空が、近く感じる。日焼け止めは塗ったけど、本当に効いてるのか不安になる。お母さんの日傘、持って出ればよかったなぁ…

「あつい…」

むわっとする。…空気が湿ってる。

明日辺り、大雨が降るって天気予報で言ってたっけ。

こんな日に河童に夢中の従兄弟に用水路近辺を引き回されて、近所の人に『あらー流迦ちゃん、こげん暑か日になんしよんね』とか言われてるところを想像して、げんなりした。いっちゃんのことだから…『ぼくら河童探してるがよ!おばちゃん河童どこにおやるか知らんけ?』とか、天真爛漫に言い放つんだろうな…。あぁ…逃げてきて正解。

「河童いないねー」

「やっぱガセじゃん?」

「でもみんな言ってるよ?今回のセンは堅いがよ」

「あっ、いま鹿児島弁でたー。罰金!」

…そうそう、あの頭弱そうな女学生みたいに、用水路に縄でくくったきゅうり浮かべて河童が引っかかるのを待たされたり…

「あっ、流迦じゃん!おーい、流迦―」


……えっ?


「流迦―、流迦―、流迦ってばー」

…用水路にきゅうり浮かべて河童を待ってる頭弱そうな女学生は…

「…沙耶…なにしてんの」


…私の、友達だった。


「見て分からない?」

「分かったけど理解できない」

沙耶は一瞬、ちょっと目を見開き、その後にやりと笑った。

「あ、いまイントネーションがちょっと鹿児島弁。罰金―」

「この際そんなこといいから。…用水路にきゅうり浮かべて、なにしてんの」

「なによー、自分で始めたくせに」

「用水路に括ったきゅうり浮かべる奇行を?」

「鹿児島弁使ったら罰金のほう!」

「そうだよ!流迦、記念すべき初罰金―」

罰金累計額2000円を超えている琴美が、手を叩いて用水路の斜面を駆け上ってきた。きゅうりは用水路脇の杭にくくられて、ぷかぷか浮き沈みしている。


―――私たちは、『高校出たら都会に出る』誓いをたてている。


外から来たひとは『のどかでいい場所』っていうけど、それは帰るところがあるから言えること。こんなくそ田舎で結婚して子供産んで一生を終えるなんてまっぴらだよねー、と、クラスの女子はみんなそう言ってる。

でもみんながみんな、ここから出られるわけじゃないみたい。去年高校を卒業した近所のお姉さんは、いま地元の短大に通っている。…在学中から、お見合いの話も沢山来ているみたい。先手打たれちゃったよ。逃げられないなぁ…って、苦笑いしてた。

大人は私たちを手元に置きたがってる。そのためには、どんなことだってする。


とくに、私のお父さんはね。正直、何をするか分からない。


だから本気で上京したいなら、生半可な覚悟じゃダメだ。そのさきがけとして私たちは、まずは鹿児島弁を完璧に払拭して、東京の人に『こいつら田舎者』って思われないようにすることにした。


そこで始まったのが、鹿児島弁使ったら罰金ルールだった。


一回使うごとに50円の罰金。一学期の終わりから始めて、私は一度も罰金を払ったことがなかった。…今日までは。

「じゃ、新学期に清算ねー。…んっふっふ、この分だと『白熊』までの道のりは近いねー」

罰金は現金徴収じゃ生々しいから、沙耶がみんなの残高を計算しておいて、ある程度貯まったら『おごり』の形で徴収する決まり。白熊は一杯800円だから、えーと…

「…白熊、もう食べられるね。沙耶の罰金も合わせたら」

練乳がたっぷりかかったカキ氷に、黒ヒゲ危機一髪か!ってくらい刺さりまくる大ぶりな西瓜やメロン。その上に甘~いあずきあんがふわり、ふわり…さらにその上に、なめらかな練乳がとろ~んと…頭の中を駆け巡る、キンッキンに冷たい白熊。天文館通の名物スイーツ。定番にして最強。

んー、もう完全に白熊気分になってきた。

「今日なんか、冷た~い白熊おいしいだろうね…」

「あぁ…いいねぇそれ…」

沙耶が早くもなびき始めた。

「え~!…ちょ、ちょっとやめて!!夏休み中はいろいろ出費が多いんだから!!9月入ってからにしようよ、ね?ね?」

琴美が拝むような手つきで迫ってくる。

「ならんならん!カンッカンに暑い日に喰らわんで、何の白熊ぞ!!そして今日は最高のタイミングとみた!!」

沙耶が袖を振り払い、蹴りつける仕草をした。あ~れ~と甲高い声で叫びながら、琴美がくるくる回ってへたりと座る。金色夜叉のイメージらしい。2人は、この冗談を何度もやる。

「ほ、ほら、河童探し終わってないじゃん!今日は河童を探そうよ!」

琴美は話を河童探しに逸らしてきた。…ちっ。そうきたか。負けないわ、いいタイミングで蒸し返して何が何でも天文館通に連行してやるんだから。

「…で、なんで急に河童探しなの」

一応、話を振ってやる。

「そうそう!バレー部の先輩がね、朝錬の走りこみのときに、河童見たって!」

「……先輩が?」

…意表を突かれた。小学生の噂レベルだと思ったのに、私よりも年上の証言が来ちゃったよ。へたに否定したら、私の立場が悪くなるじゃん。迷惑な不思議先輩め。

「部活棟じゃ、この噂でもちきりだよ?用水路脇の畑からのっそり顔をだして、きゅうりを2~3本もぎって食べてたってさ。で、横に植わってたトマトに手を伸ばそうとした瞬間、先輩が悲鳴あげたら食べかけのきゅうり放り出して用水路に飛び込んで逃げたって」

「それ、ただの不審者じゃ…」

「甲羅背負ってたんだって。…不審者だとしても、ちょっと見たいじゃん?」

「で、きゅうりを浮かべて待っている、と」

「さっきまでは、他のグループもいたんだけどね…」

誰もいない用水路を見渡して、沙耶が団扇をあおいだ。それは無意味に、湿気た空気をかき回すだけなのに…。

「本格的に暑くなったら、帰っちゃった」

「そのグループも、用水路にきゅうりを?」

「畑に潜伏してた。目撃証言に倣って」

ばかじゃないかしら。…その言葉を、ぐっと飲み込んだ。今私がすべきことは、とにかくこの2人を白熊に誘うことなんだから。

「だったら私たちも帰ろうよ。この暑いのに河童なんて」


がさ。


きゅうり畑のあたりに、『なにかの気配』が。私はあえてそっちを見ないようにして、ついでに2人にも見えないように、僅かに動く。

「…出てこないよ。ね?暑かったでしょ?天文館行こう。で白熊たべようよ」


がさっがさっ


「…ねぇ流迦…」琴美の挙動が不審になってきた。

「なにか、その…畑のほうから」沙耶の視線が、畑のほうをさまよってる。

「えー、なになに?聞こえないし分からない♪さっ、不審者に絡まれる前に白熊食べに行っちゃおう♪」

「…いる…いるってば!」

「流迦っ…後ろっ…後ろっ…」


挿絵(By みてみん)


がさ…がさがさ…ぽり。


…ぽり?


な…なんか、食べてる…

「…地元の子供か?」



―――喋った!!



悲鳴をあげる形で開いた琴美の唇が、ふっと緩んだ。

「……あ」

「……あれ?」

きゅうり畑から半分身を乗り出して、『それ』は立っていた。きゅうりをぽりぽり齧りながら、左手にはきゅうりとトマトをいっぱいに抱えて。

さぁ…と、一陣の南風が吹きぬけた。生暖かい、湿気た風。耳が痛くなるような、蝉の合唱。そんな見慣れた真夏の風景に灼きついたみたいに、それは居た…たしかに。

…それは、口の中のきゅうりをごくりと飲み下したあと、大きく息を吐いて言った。

「この辺で、宿、貸してくれそうなひと、知らないか?」




―――あの暑い日、私は…河童に出遭った。







「…で、君らなんだあれは。土着の性的なまじない?」

用水路にぷかぷか浮き沈みするきゅうりを指差して、彼はからかうような半笑いで言った。

「ち、ちがいます!あれは、その…」

…河童を捕まえる罠です、とは死んでも言えない。

「そ、草食の魚がいるんです!」

「へぇー、ずいぶんな巨大魚じゃん。…ピラルク?」

なおもニヤニヤしながら私を見下ろしている。…理不尽だ。なんで私がこの子たちの奇行に巻き込まれてるんだろう。言い訳までして、これじゃ私が首謀者みたいじゃない。

河童!?と見紛えたモノが、人間だと気づくのに、大して時間はかからなかった。浅黒く日焼けした肌とみすぼらしい身なりのせいで、ぱっと見妖怪っぽいけど、瞳はむしろ深くて、理知的な感じがする。

「こんな片田舎に、宿なんてないです。市内に出て探したらどうですか?では」

…でも今優先すべきは白熊!宿無し河童には気の毒だけど、あなたとの関わりはここまでよ。あー暑い。白熊、白熊。

「そんな金があるように見えるか」

「…宿探してるって言ったくせに」

「すまん、語弊があった。…ロハで泊めてくれる民家を探している」

「こんな怪しい風体のひとを泊めてくれる酔狂なおうちはありません。何かあっても交番が遠い、鳥も通わぬ片田舎ですから」

上半身裸に蓬髪をなびかせ、下はぼろぼろのバミューダ。背中には車輪みたいなのを二つ背負っている。バレー部の先輩は、これを甲羅と間違えたんだと思う。そんな風体の男が、あからさまにそこの畑でもいできたきゅうりを齧りながら、女子中学生にセクハラ発言…私が警官だったら職質なしで牢屋に放り込む。

「…意外とはっきり言うなぁ、お嬢ちゃん」

「どうも。行こ、みんな」

2人を促して、用水路を背にする。2人は何か言いたげに、何度も振り返る。背後で、河童の大きなため息が聞こえた。

「はぁ…南のひとは冷たいな。新宿からやっとの思いで辿り着いたというのに」


―――新宿?


ぐび、と喉が鳴った。2人の足も、ぴたりと止まった。

きっとみんな、同じことを考えている。


―――新宿って、あの新宿…?


「…アルタ前とか、コマ劇場とかの、あの新宿!?」

沙耶が、ばっと振り返った。

「え…俺の実家は下落合だけど…まぁ、そのへん」

2人の瞳に、ぎらりと炎が点った。河童の彼は、意外な食いつきっぷりにちょっと戸惑ったようで、もごもごと口に何かを含んでいるみたいな口調で答えた。

「ね、ねえ流迦。このまま放り出しちゃうの、ちょっと可哀想じゃない?」

――沙耶が東京者に寝返った!!

「そうだよ、そうだよ!白熊なんていっでん食わるっとよ!!」

――琴美が白熊延期の口実を見つけた!!…でも罰金追加。

東京の情報は気になるけど…でもさっき決めたんだもん、今日は絶っっっ対に白熊が食べたいの!

「でもどうするの?うち、泊まりとかムリだよ」

「…うちも、だめかも」

「んー…引き受けてくれそうなひとの心当たり、ないかなぁ…」

私もちょっと沈痛な顔を作って頷く。

「あ、私、心当たりある。期間限定だけど」


――なに!?


沙耶がぽん、と私の肩に手を置いた。

「流~迦」

「なによ。ダメっていったじゃん。うちのお父さん、そういうのうるさいんだから。知ってるでしょ」

「だ・か・ら、期間限定♪」

「……う」


――話すんじゃなかったなぁ。


うちの両親は、先日から選挙準備だとかで、福岡のほうに車で出張している。詳しくは聞いてないけど…多分、一週間くらい帰ってこない。

それなら、明日から皆でうちにお泊りしよう♪って話になっていたのに。


父さんが…。


「…ダメ。臨時でお手伝いさん、雇われちゃったもん。多分、誰も泊まりに来てないか報告されちゃうよ」

「うわ、束縛徹底してるね、父さん」

琴美が軽く肩をすくめた。…こんな失礼なことをされても、2人とも私のことを嫌わないでいてくれる。ほんとうはそれがとっても嬉しくて、たまに泣きたくなるけど、今更そんなこと言ったら笑われるんだろうなぁ…。

「でもそのお手伝いさん、敷地の見回りまで任されてるわけじゃないんでしょ?」

沙耶が、にやりと笑った。

「……え?」

「お父さん、車でお出かけでしょ?…ガレージがあるじゃん。車が入ってない、空っぽのガレージがさ!」

―――えぇー!?

「おぉ、そりゃ助かる!困ってたんだよ、ほら、そいつが」

彼が顎でしゃくってみせた草むらに、鉄くずの塊が積み上げられていた。

「…不法投棄?」

「じゃねぇよ、自転車だ。…ま、こんな状態になっちゃうと、どう見てもジャンクだけどな。要は自転車が大破して、身動き取れなくなってたんだよ。ガレージが使えるなら願ったり叶ったりだ。自転車は直せるし、雨露もしのげる。…それにお手伝いさんって、四六時中居るわけじゃないだろ?…シャワーも貸してくれよ。隙をみて」

そう言って、白い歯を見せて笑った。



――私は、断ることが出来なかった。


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