俺とアリッティー工房
俺とアキトは工房が立ち並ぶ街中の細い路地をゆっくり進んだ。
何件か工房に立ち寄り、金と受け取りを渡していく。注文書や親方宛の手紙もあった。
地方にある宝石の小売店では、複雑な宝飾品の加工はしていないのだ。
ペンダントのチェーンが切れた程の修理なら卸先でも対応できるが、もっと酷い物は製造元へ返される。
銘が打ってある製造元が分かっている最近の宝飾品はいいのだが、何代にも渡って受け継がれている物は組合の修理工房へ持っていく。
俺はアキトを入り口で待たせて、用事を済ませていった。
「アキト、次の工房は一緒に中に入らせてもらおう」
(主殿はどうして人のように働くのだ? )
「どうしてって。生きていくために、働いて金を稼ぐためだ。竜は国で保護されているらしいけど俺は働けるんだから自分で稼いでるんだ。ちょっと甘えている所はあるけど・・・竜園に居たら煩わしい事が多いんだ」
(我輩も何か手伝える事があるだろうか)
「ん? まぁその内にな。次はここだ、アリッティー三兄弟宝飾工房。ちょっとだけ外で待っていてくれ」
俺は入り組んだ路地の片隅にある普通の家に入った。
扉には来客を告げる小さなベルが付いていて、カランカランとあまり大きくない控えめな音がした。
「あぁ!! ラギさんじゃないか。いつ帰って来たんだい、さぁ奥へ入ってくれ」
入り口入って直ぐの部屋に眼にルーペを付けた三人の男性が、窓際の壁に机を付けて、細かい作業をしていた。鏡の反射を利用して手元を明るくした職人机の上は、何かのパーツが並べられている。
「お久し振りです、東の小売を回ってきたんでね。こちらの売り上げも、かなり溜っていましたよ。確認して貰えますか」
「いやぁ!! そりゃ有難い。東に品物を卸しても金の回収ができなくて、もう三年近く滞っていたからな」
アリッティー工房の親方長兄のポムさん、次男のヒュオさん、三男のキイノさんが部屋の中央にある大きな机に、仕事の手を休めて集まってきた。
ここの工房は結婚式で使う装飾品を得意としている、需要が高く小売からは引っ張りだこだ。
俺は金貨が三十枚近く入った皮の袋と、受け取りをキイノさんに渡した。
事務仕事はこの人が主にやっている。
三人ともひょろりとしたよく似ている五十代の親父で、この工房兼住居の主はポムさんだがあとの二人はここに通いで来ているようだ。
「凄いな、ラギさん。あっちの町を全部周って来てくれたのか。おい兄貴、全回収してあるぞ。うちの工房一年分くらいの売り上げだ」
キイノさんが奥で俺に渡すギルドの伝票の準備をしているポムさんに声を掛けた。
俺はここで作成された伝票を持って、ギルドで俺の運び賃に換えてもらうのだ。
まだここでは金は貰わない。
うはぁ!! と後頭部の毛が薄くなりつつあるポムさんが嬉しげな声を上げ、少し髪が長く後ろで一本に括ったやさしげな親父の次男ヒュオさんが、伝票を確認しながらニコニコして何度も頷いている。
「アリッティー工房の品物は評判がいいよ。何処へ行っても次はいつ入荷するんだって言われる」
「うーむ、予約の品が多くてな。しばらく東へは無理だなぁ・・・結婚式には新しい物を準備するのが最近の流れとは言え、三人じゃ造る数は知れている」
ここの様に、身内だけでこじんまりやっている所もあれば。職人やら弟子やら二、三十人抱えている工房もある。そういう所は職業訓練所も兼ねていたりして、独立を夢見ている若い職人が多い。
「そうか・・・ちょっと頼みたい物があったんだけど、忙しいなら無理だな」
静かに伝票を眺めていたヒュオさんが、んっ? と顔を上げて俺を見つめた。
「ラ・・・ラギさん、けっ結婚するのかい?」
ヒュオさんが少しどもりながら俺に問いかけた。この人はこういう喋り方なのだ。
「違うよ、俺の相棒が外で待ってるんだ、ここに入れていいかな。犬なんだけど」
「おお、賢い子ならかまわんよ。ウチにも今散歩に行って居ないが、猫が居るから動物は気にせん。そう言えばいつもの相棒、リイラひめちゃんはどうしたんだい」
親方のポムさんが、俺の足元をキョロキョロ見回した。
「ひめはお泊りで、俺の兄弟の所に遊びに行ってるんですよ。─── ほらアキト、入っておいで」
アキトが恐る恐る部屋の中に入っていくと、アリッティーの三兄弟は一瞬目を見張り。
こりゃあ立派だ。と三人とも近寄りアキトを撫でくり回し始めた。
「綺麗な犬じゃないか、少し狼の血も混じっているのかも知れないが。うん、賢そうだ。名前は付けたのかい? お前、何て言うんだい」
三男のキイノさんが物凄い笑顔でアキトに問いかけたが、アキトに答えられるはずが無くキューンと小さく鳴いて俺の方を見た。
「アキトです。田舎に居たんですけど、街で飼う事になったんで首輪が欲しいんです。このままだと憲兵の野良犬狩りに遭いますからね。あの、こんな感じの物が欲しいんですけどやっぱり南にある製皮工房を訪ねた方がいいかな」
俺はカバンからメモ用紙と鉛筆を取り出して、簡単に犬の絵を描き、首のところに向こうの世界でもお馴染みの犬の首輪を描いた。
「後、首輪の真ん中辺りに石を付けたいんです」
「ラギさん、前から思ってたんだけど絵、上手いじゃないか。この絵欲しいくらいだよ。ヒュオ兄、趣味で作っていた皮の装飾品用のなめし皮まだ残っているか? 犬の首輪作る位残ってたんじゃないか」
「あ・・・あるよ。これ、これくらいならすぐ出来る。うん、すぐ出来る。石、石つけるなんてお前はおしゃれさんだな。ラギさん、半時程待ってくれ、石はどうする? 」
「あ、これを」
俺はベルトに付けた小さなポーチから少し大きめの水晶を取り出した。
「黄水晶じゃないか!! 久し振りに見たなぁ。これは南大陸の人間が魔除けに持っているやつだ」
キイノさんが興味深げに覗きこんできた。
「えっ・・・。そうなんですか、いやぁ普通の水晶よりは力があるから壊れにくそうだなぁとは思っていたけど。へぇ、魔除け」
ヒュオさんに黄水晶を渡すと、彼はアキトの首周りを少し計って笑顔で何度か頷くと、すぐに皮を取り出して首輪を作り始めた。
俺は玄関近くに置いてある寝椅子に腰掛けるように言われ。家の奥で洗濯をしていて気が付かなかったと言いながら、手を拭きながら出てきたポムさんのふくよかな奥さんにお茶を入れてもらって暫く待った。
「ラギさん、石の力が判るのかい。─── いや、都合が悪けりゃ答えなくていいんだ。これは親父の独り言だ気にしないでくれよ」
ポムさんが作業をしながら、呟くように言った。
「俺がうんと小さい頃にな、綺麗な空色の竜様が先帝の姉君とここに来られた事があったのよ。三つか四つ位の頃だから、記憶もあやふやでもうあれは夢だったんじゃないかって今では思うんだが。その竜様が心に響く声で仰ったんだ。(石の硬度より、その石に力が無いと竜石には使えません)って。背が高くてスラリとしていて、軍服を着ていらしたから男の竜様かなって思ったんだけど。俺は幼かったもんだから怖いもの知らずでなぁ、飛びついて抱きついたら胸が何だか柔らかくって良い匂いがして・・・フヒヒ。まぁ女竜様だったワケだ。それから直ぐに、大きな戦争があって竜様も亡くなって先帝の姉君様も西の方で行方不明になって逢ったのは一度きりだったんだが・・・うん、まぁ親父の独り言だ」
「フヒヒって、アンタは昔っからスケベだったんだね」
奥さんにからかわれながら、ポムさんはちょっと頭を掻いて苦笑した。
「俺は別にラギさんが何でもかまわないんだ、うん。でも何だかリイラちゃんと来てくれると、ふとな、あの時の竜様を思い出すんだ。気配と言うか雰囲気がな・・・。いつもラギさんが扉を開ける度に、ちょっとドキリとするんだ」
カチャカチャ、キン、キン、と作業をする音が響く。
「こんな親父の戯言で気を悪くしないでくれよ、こんな事でラギさんやリイラちゃんに嫌われて会えなくなったら、俺やり切れないからな」
「ポム兄、─── 色々と墓穴掘ってねぇか? 仕事請けてもらえなくなったらどうすんだ。こんな優秀な運び屋、帝都中どこ探したって居ないぞ」
何だかなぁ・・・。
ポムさんは気が付いたのかも知れないな、俺が何なのか。
水晶の力、云々だけで分かったワケでは無い様だが、独り言にしたのはこの関係を崩したくないというポムさんの気持ちもあるし、こちらが竜である事を隠している事情を察しているのだろう。
俺もこの関係を崩すつもりは無い。
「ポムさん、どんな石にでも力はある。ただ・・・願いや想いに耐えられるかどうか、なんだ。人が願ってもちゃんと想いは篭る、と思う。何代も受け継がれている物なんかは特に」
「そうかい、じゃあこの宝飾品も。持った人が幸せになって欲しいとか、俺がうんと心を込めて造ったら願いが叶うだろうかなぁ」
ポムさんが手元で磨いていた指輪に目を落としながら、呟いた。
「あぁ、きっと叶うよ。俺が想うよりずっと」
「ありがとう、ラギさん。ありがとう」
「嫌だねぇ!! 何でアンタ泣いてるのよ、ごめんねぇラギさん」
「嬉しいんだよ! 俺のやっている事が誰かの役に立っているかも知れなくて」
奥さんが親方の背中をバシンと音が響くほど叩き、しっかりしなさいよと笑った。
ポムさんがグスグスと鼻を手元の手拭いでぬぐって、照れくさそう俺を見てはっと目を見張った。
俺は奥さんがポムさんを叩いた勢いで、手に持っていた指輪が飛んでコロコロと足元に転げてきて、椅子に座ったままそれを拾い上げた。
拾う時俯いた拍子に、竜力を開放した俺の髪の毛がハラリと顔の前に落ちたので、顔を上げる時に耳の横に髪を掛けた。
「あぁ・・・うわ・・ああぁ・・・」
次男のヒュオさんが俺を指差して、声にならないうめき声みたいなのを上げている。
俺は立ち上がってポムさんの所まで行き、そっと指輪を返してまた寝椅子に座り一口茶を飲んだ。
この反応にも最近すっかり慣れてしまったなぁ。フフッ・・・。
ちょっと釘を刺して置くか。
「本当は、この方が楽なんですよ。この工房の中だけの話にして貰えると、助かります・・・」
キイノさんが俺に近づいて跪いた。
「黒竜様なんすね、ラギさん。あぁどうしたらいいんだよう、こりゃあ男前の立派な竜様だ。俺感動しちまってうまい言葉出てこないや」
「今まで通りでいいです。俺のことが大っぴらにならない限りこのまま仕事も続けるし、別に何も変わりはしません。俺、竜園じゃなくて街で暮らしていきたいんです。秘密にしておいて貰えますか? 」
俺はキイノさんの手を取って立って貰った。
「おぉ!! この工房総力を挙げてラギさんの秘密は守るぞ!! なぁ! 」
「お前、総力ったってオヤジとオバサンの四人しか居ないじゃないかよ。ただ黙ってりゃいいだけだ。難しい事じゃない、ラギさん済まなかったな・・・。小さい頃の出来事が夢のままで終わらせておけなかったんだ。無理だと分かっていても、ずっとあの竜様にもう一度逢いたかった。暴くような事して申し訳ない。うん、でもスッキリした。ずっと頭の中にあった霧が晴れたみたいだぁ」
「どうやら竜力を抑えていても何となく分かる人には分かるらしいです。お年寄りなんか特にね、気にしないで下さい」
お年寄りには、竜力を抑えていても何故か囲まれて一緒に茶を飲まされている事がある。みんな何も言わないが何かを感じているのかも知れない。
俺も別に年寄り嫌いじゃないし、リイラと一緒にここら辺で定番の煎餅みたいな茶菓子を食うだけ食って、へぇーほぉーと適当に相槌を打って世間話をする。そのお陰でこの世界や帝都の一般的な生活や世の中の仕組みなんか分かったし、煩わしい事ばかりでは無い。
「俺も今年六十だからなぁ、年寄りっちゃ年寄りだハハハッ。しかしラギさん、組合じゃまったく秘密にしておくのは無理だぁ。他にこの事は何方が知ってなさる」
「組合の上層部がね、それは俺も仕方ないと思っていたので構わないんです。この仕事に就くために色々便宜を図ってもらったので。秘密にはしてもらってますよ」
キイノさんが腕を組んで、鼻息を荒くしながら言った。
「そりゃそうだ。竜は王族諸侯の独占で雲の上の存在だったが、こうやって市井に降りて来ている。竜の力は<女神の奇跡>と言われているし。商工組合の古狸や女狐は命懸けで口を閉ざすだろう」
「こら、お前何て口利きだ」
不思議な事なんだが、俺みたいに街で暮らそうとした竜が今まで居なかったらしい。
喋れないというのもその原因かも知れないが、竜が王族にこだわる原因がいまいち俺にはまだ分からない。これは俺の勝手な考えだが、竜が呪いを使って王族の庇護を利用しているのではないだろうか。
大昔はどうだったか分からないが、今はとにかく数が少ないので、竜を駆逐しようと思えば多少の被害は出るだろうが殲滅できる。
そして、俺がこの先。王族や諸侯にこだわらないのかと言うと、呪いが有る無しに関わらず彼等の事が嫌ではないし格別好きでも無い。
薄ら寒い、何か得体の知れない力と言うのは。王族からの信頼も愛情も総て嘘っぽく見えて深く関わろうという気持ちになれないのだ。
まぁ元々、冷めた性格だと言われていたし自分でもそう思う。
諦めるのも早いし面倒事や人と深く関わるのも苦手だ。
だから・・・、王族諸侯の一方的な好意を素直には受け取れない。
王族が近づいた時の手の痺れや多少の圧迫感は、この人の好意は本物じゃないよ気を付けなさいと何かが教えてくれているようで・・・。
(─── 別に俺たちゃお前たちが好きなの、呪いだなんて思っちゃいねぇよ)
本当にそうかな? オウル。
王族は、もし呪いが消えたとしてもアルファーやシオーネを変わらず愛してくれるのか?
命尽きるまで、ちゃんと抱きしめてくれるのか?
「ラギさん、首輪、で、出来たよ。アキトさぁこっちおいで」
ヒュオさんがアキトの前に座って、首輪のベルトを調整しつつ付けてくれた。
「ヒュオさんありがとう、お代はいくらです? 助かりました」
そう言うとヒュオさんは顔をブンブンと横に振って、いらないよと小さく言った。
「ラギさん、それはヒュオが趣味でこさえている皮細工なんだ。売り物じゃないし受け取ってやってくれ」
ポムさんが言葉数の少ないヒュオさんに助け舟を出した。
「こ、この石止めは反対側から強く押すと石が取れる。壊れたら他の石も付けられるよ」
アキトが立ち上がり嬉しそうにクルクル回って、尻尾をふった。
気に入ったようだ。苦しがるかと思ったがそうでも無い様でよかった。
「本当にありがとう、でも何かお礼を・・・」
「いいって、でもまぁそうだなぁ。次はリイラちゃんを連れてきてくれよ。俺はあの子がお菓子食べている姿見ると幸せになるんだよ」
キイノさんが俺にギルドへ持っていく伝票を渡しながら言った。
それを確認して俺の職名を右下の方へ書き込む。
今日はここの工房で最後で、今回の東への運び賃を計算すると金貨十枚位になる。
組合で土地家屋購入予定の積み立てをして・・・。色々と使う水晶なんかを購入しても二、三ヶ月生活に余裕が出来そうだ。
南大陸へ行ってみる計画をそろそろ本格的に練ってみようか。
「分かりました、次はリイラと来ますよ。実はアリッティーのおじちゃん達に逢いたいと言っていたんですけど置いてきちゃったもんで。ちょっと拗ねてるかも知れない」
俺はアキトの首輪の石に竜力を入れた。
前足と後ろ足にも少しきつく握って竜力を入れる。
そして、ここへ来た時と変わり無い平凡な容姿に抑えた。
(主殿! 体が軽い、我輩はどうなってしまったのだ!! )
アキトが前足、後ろ足を交互にぴょんぴょんと飛び跳ねて見せた。ヤギが跳ねているみたいだ。
脚力を強化したのが判ったのだろう。
「後で俺と一緒に走ってみよう、お気に入りの散歩コースがあるんだ。それじゃあ、また組合経由で俺に依頼して下さい。宜しくお願いします」
ポムさんが作業の手を止めて、あぁまた宜しくといつもの調子で言ってくれた。




