第七話◆序曲◆
月夜に現れたのは、夢にまで見た愛しい人の姿だった。ジキルは、彼女をその腕に力一杯抱きしめるが、次第に違和感を感じて……?
抱きしめた彼女からは、甘い匂いがする……
眩暈がしそうだ。
だが、
何かが一瞬引っ掛かった。
(待てよ、この香り何処かで……)
「――――て」
何かを思い出そうとしたが、そこで思念は遮られた。
それは
腕の中から小さく聞こえる――蚊の鳴くような聞き取れない声。
ジキルは堅く閉じていた目を開いた。
『……姫?』
「…………」
だが、
再度訪れる沈黙。
冷静に考えてみれば……この展開はどう考えても理解に苦しむ。
(それに……この感覚)
流石にジキルは違和感を覚え始めていた。
何かが、おかしい。
何かが……ひっかかる
それに、何だ?この……
「一月後、城に来て」
ジキルは思わず言葉を飲んだ。
突拍子の無いその言葉が、たった今抱いた違和感を膨脹させる。
慌てて小さな肩を引き離し、顔を覗くが、彼女は下を向いたまま。
不意に窓から流れ込む風で、美しい髪が靡き、甘い香りが鼻をつく。
いつの間にか届かなくなった月は、彼女の表情を隠してしまった。
(あれ……??)
ジキルは思わず目を擦った。
(気のせいか?)
先程から、やけに視界がぼやけるのだ。
何だか声も遠くに感じて……その感覚は、どんどん短くなっていく。
部屋が大きくなったり小さくなったりしながら、目に飛び込んでくる。
何だかぼーっとして……眠いような。
(何だ……こ…れ)
――ドサッ。
(ウイユ…ヴェ…ール…)
・・・・・・・・。
そこで、ジキルの意識は途切れた。
ジキルの意識が戻ったのは、翌朝の事だった。
『……ん』
鳥のさえずりが、頭の奥に聞こえてくる。
剥き出しの窓から射す光が眩しく、ジキルはうっすらと目を開けた。
『っ、痛てて……』
起き上がろうとして、
直ぐに感じたのは体中の痛みだった。
硬い床に倒れたまま、何時間も気を失っていたからだろうか……
体中が痛い。
(夢……?)
彼はハッとした。
慌てて部屋を見回すも、彼女の姿は無かった。
落胆し、両手を見つめる。
あれは幻?
逢いたいと思う気持ちが見せた影か……?
だが…………
(甘い……)
ジキルの両手には昨日の残り香。
それは、彼女が自分に会いにきた確かな証……
不意に表情が和らぐ。
そこには、
昨日感じた違和感も、疑問さえも伺えない。
【ぎゅるる〜】
『!!!!』
安堵した途端に、腹の虫が暴れ出す。
そう言えば、ここ何日もろくに食事をしていなかった。
(飯でも食お)
ジキルは、腹部に手を当てながら、ヨロヨロとした足取りで部屋を後にした。
――コトッ。
『……??』
階段を降りていたジキルは、小さな物音が聞こえた気がして振り向いたが
(……ま、いっか)
そう思い、そのまま階段を降りた。
彼が去った後――
部屋の扉はゆっくり閉じた。
ここから彼は
運命の歯車の1つとなっていく。
少しづつ、少しづつ、それは進む。
決して
逃れられない悪夢へと。
〜* 序曲 *〜