第12話:官僚言葉と「魔女」の翻訳
自転車で「もやし10円セール」から帰還すると、古泉荘の玄関に、スーツを着込んだ早春の姿があった。「パストラミ丼」から数日しか経っていないが、どこか草臥れた哀愁を漂わせている。
居間へ通されるなり、彼はタブレットを取り出して朗々と「演説」を始めた。(※今回に限り、早春の台詞は読まずにスクロールを推奨します。)
「久世君。行政機能の信頼性確保に係る制度的硬直性と、関係主体間の利害調整不全が重なり、“対応遅延”が顕在化している。民間委託領域の運用逸脱も、権限分掌の曖昧性から是正措置が困難だ。現行プロトコルでは、機動的介入の制度的整合性が確保できない」
熱意は伝わるものの、情報が右から左へ流れていく。
「……はぁ。ジヴ、日本語訳してくれ。中学生にも理解できる言葉で」
『了解。彼は「天下りの上司が不祥事を隠蔽してて公式に動けないから、代わりにケツを拭いてくれ。証拠は残したくない」って言ってるよ』
これを早春はテーブルを叩きそうな勢いで抗議する。
「不適切な表現は控えてほしい。民間事業者の運営するダンジョンで、管理パラメータの逸脱が確認され、運用基準との整合性が崩れている。だが、法体系に基づく立入手続は多層的合意が不可避で、リソース配分の非対称性も顕在化している。結果として、制度的整合性と即時性の間で調整困難が生じている」
「早春さん、こっちは極めて一般的な庶民なんですよ」
俺と早春の間には、ジェネレーションギャップ以上の隔たりが存在しているようだ。その只中に、コーヒーを持った玲那さんが現れ、口を挟む。
「あら、敬介くん。要するに、こういうことかしら?」
魔女のような微笑を湛え、サハルが持ち込んだタブレット画面に細い指先を滑らせる。
「『安全』を売りにしたい企業は、株主のためにもミスを公表したくない。役所は天下り先の役員を守るために、報告書を書き換える時間を稼ぎたい。でも、放置してる間に被害が出れば、責任問題は避けられない」
玲那さんは優雅な手付きでコーヒーを飲み、一息入れると、カップをソーサーに戻した。
一般的な軽食と同じコストの一杯。昨今、本物のコーヒーは富の象徴。そうでなければ、浪費家と揶揄される代物だ。芳醇な香りが容赦なく鼻腔をくすぐる。
「実績のある『プロ探索者』に頼めば、メディアが動いて記録も残るから、知人の『アマチュア掃除屋』に依頼して内密に処理させたい。報酬は、企業側が用意した『機密費』から支給される。……私の認識に齟齬はないかしら?」
早春は顔を真っ赤にして反論しかけたが、玲那さんの視線を受けて躊躇い、最後には観念したように沈黙を選んだ。
「成功報酬は一括で支払われる。企業側も、政府側も、『解決した事実』のみを必要としている」
「どうする? 企業ダンジョンのゴミ拾い。ワークマンの新作を買い揃えられるくらいの稼ぎには、なると思うけれど」
「いくら報酬が良くても、古泉荘の穴以外は潜ったことないんスよ。リスクが計り知れません」
「それもそうね。うちの管理人に何かあれば、私が困るわ」
玲那さんは、廊下を通り過ぎようとする巨躯へ視線を向けた。
「シュウくん。護衛を頼めるかしら? 夜勤までの『空き時間』、ちょっとした有酸素運動になるし、学費の足しにもなるわよ」
医大生は立ち止まり、ゆっくりと俺と早春を見やった。
次回:信頼の置ける仲間と共に、いざ新天地へ。
投稿時間は、明日6時50分です。




