第4話 バッドエンドは終わらない
アアー……もう無理ぃ……死ぬぅ……
俺はその日、魂が半分抜け落ちたみたいな状態で学園生活を送っていた。授業は右から左へ素通りし、黒板の文字はただの模様にしか見えず、教師の声も水中で聞いているみたいに遠い。
視界の端には、あの“白鳳の天使”――天宮愛芽莉が、何事も無かったかのように、いつも通りの清楚で静謐とした雰囲気で座っていた。
あの日記帳を開いてしまったこと。そしてそこに綴られていた彼女の“秘密”。それを覗いた罪は重すぎる。盗み見るなんて図太いことは二度とできる筈も無い。見てるのバレてるし、怒らせて傷つけたし。
とはいえ、男の悲しい性というのはどうにもならない。朝のぽいんと胸元を揺らしながら手を振り駆け寄って来た絶景が、脳内でリピート再生されてしまっている。
ああ、もう俺は何て罪深い生き物なんだ。ミジンコに転生して池の底でひっそり暮らすべきと本気で思う。
もっともっと存在を消して、路傍の石として余生を送ろう……早く帰ってエリシアたんに癒されたい……。
そして放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に、俺は反射的に立ち上がった。教科書を鞄へ突っ込み、椅子を戻し、脱兎のごとく教室を出ようとした、その瞬間だった。
制服の裾が、きゅっと控えめに引っ張られる。
「えっ……?」
「あ、あのぉ、雪城くん……」
振り返ると、そこには頬を朱に染めた天使が立っていた。大きなヘーゼルの瞳はうるんでいて、何かを決心したようにこちらを見上げている。摘ままれた制服越しに彼女の指先の震えまで伝わってきて、俺の心拍数が一気に跳ね上がった。
――アカン、制服摘ままんといて!惚れてまうやろ!!
「こ、これから少し、時間もらえないかな?ちょっと……話したくて」
もじもじと視線を泳がせながら、それでも勇気を振り絞るように告げてくるその姿があまりにも尊すぎて俺は一瞬、朝の修羅場の記憶を忘れかけた。教室のあちこちから「えっ」「マジで?」という小声の悲鳴が上がり、クラスメイトたちの視線が突き刺さる。
……いやいや待て!これ俺の断罪イベントの続きだよな?まだバッドエンド終わってないの!?
顔はデレデレに緩んでいるのに、体は生まれたての子鹿みたいにガクガク震えるという器用な状態のまま、俺は頷くしかなかった。
俺たちは学園から少し離れたコーヒーショップに入った。放課後ということもあって客は多かったが、幸いにも同じ学校の生徒らしき姿は見当たらない。少し落ち着いた雰囲気の店内で、俺はブレンドコーヒー、天宮さんはキャラメルマキアートを注文した。
「やっぱり甘いの好きなんだね」
イメージ通りだと何気なく言ったつもりだったのに、彼女は途端に顔を真っ赤にして、「もう、からかわないでよぉ……」と唇を尖らせる。なっ、なあに!そのリアクション!その仕草が幼くて可愛くて、俺の心臓は致命傷を負った。
長い沈黙が続く中で、天宮さんをちらりと見る。彼女もまたちらっと俺を見て、目が合うと慌てて逸らす。ちらちら視線を交しながら、カップを持つ指先が触れそうになるだけでドキッとする。まるでデートみたいな空気が場を満たし始め、俺はかなり戸惑いはじめた。
なにぃ?なんなのぉ!?この恋人同士のようなカンジ……!
いやこの場は、俺を断罪する場だからな!調理されるまな板の魚ァ!
やがて、彼女が小さく息を整えてから切り出した。
「……日記帳、届けてくれてありがとう」
「えっ?」
予想外の言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。怒られる覚悟はしていたが、感謝されるとは思っていなかった。
「でっ、でもね!な、中身を見るなんて、サイテー……!」
「あ、天宮さんに興味津々で、抑えきれなくて……!本当にごめんなさい!」
しかし次の瞬間、頬を膨らませて睨まれた。俺は反射的に立ち上がって九十度の謝罪をかました。興味を抑えきれなかったこと、軽率だったこと、何度も何度も頭を下げる。
ちらりと顔を上げると、彼女は「きょうみ……しんしん……」と小さく呟きながら妙に嬉しそうな顔をしていて、俺の脳が一瞬フリーズした。
「絶対に、日記帳のことは誰にも言わないで……!」
「うん、言わない!ほんとにごめん!忘れるから!」
我に返った彼女は慌てて咳払いし、再三の念を俺に押した。その声音には本気の不安が滲んでいて、俺も真剣に頷いた。
でも、絶対に忘れらんねぇわ!誰にも言わず墓まで持って行くが!一生忘れらんねぇわ!
心の中で叫んでいると、彼女はさらに顔を赤くして体をもじらせながら言った。
「あ、あのね……秘密が知られちゃって、恥ずかしくて死にそうなの……」
「う、うん……」
「あまりにも恥ずかしいこと、誰かに言われそうで、不安で不安で仕方ないの……」
「絶対言わないから!死んでも誰にも言いません!」
恥ずかしそうに体を捩る彼女がエロ……、いや尊すぎて俺の胸が暴れ回る。心臓が外に飛び出そう。
「だ、だからねっ!」
意を決したかのように、彼女は言葉を紡いだ。
「……だから、その……、雪城くんの一番恥ずかしい秘密を……私にも教えてほしいの!」
何言ってんの?
「雪城くんの性癖を……教えて?」
こんな天使な容姿して!何言ってんですかァ!?
「はっ、はいいぃ!?なんでっ!」
「お互いの秘密の共有が出来ると、安心できるから……!」
はあぁ!?お互いの秘密を握り合って、抑制し合うってことか!?
なるほど、と一応は納得したものの。俺、特に人に言えない恥ずかしい性癖とか秘密、無くね?
ネトゲをしていることも、漫画やアニメにどっぷりなことも、別に隠しているわけじゃない。ただ話す相手がいなかっただけで、聞かれれば普通に言える。性癖と言える最推しエリシアたんのことも。
ネット小説を読んでいることだって同じけど「君が書いたえっちな小説を読んでます、ファンです」とか言うと、天宮さん苦しむよな?
「俺、特に秘密なんて無いよ?」
「う、嘘よっ!あんなにじっくりと舐めるように私を見てたもん!欲に塗れた雄の目だった!」
「うええぇ!?ちょ、何言ってんのぉ!」
「あんなに、あんなに、見てたもん……」
おぉい!大声で完璧美少女が言うもんだからお客さん皆見てるぞ!!俺、悪人のように見られてるわ!!!
「はぁ…はぁ…はぁ…」と切なそうに息を乱す天使。その光景に熱が昂ぶり脳が破壊されれそうだ。このこアカン!えっちやわ!!筋金入りやわ!!!
「あ、あなたの、性癖を……教えて下さい……!」
ヘーゼルの瞳が真っ直ぐこちらを射抜いていた。恥ずかしさと不安と、それでも逃げないという意志が入り混じった視線で……彼女は真剣だった。
「分かった、じゃあ俺の全てを話すよ」
「えっ?」
俺は覚悟を決めた。性癖だけじゃない、自分の生活も価値観も、全部晒け出す。それが俺の償いだ。
「俺さ、オタクでボッチのネットゲーマーなんだ」
その一言から、俺の話は止まらなくなった。
友達はいなくてボッチなこと。片親で家でもボッチなこと。そんな家ではマンガやアニメやゲームに囲まれて過ごしているオタクであること。ネットが友達なこと。世間一般から見れば軽蔑されても仕方ない、自由で堕落した生活。それが俺の全てなんだと、飾らずに話した。
我ながら語れる話の無さに唖然としたが、目の前の天使はまるで宝物でも見つけたかのように目をきらっきらに輝かせ、「ふんふん」と何度も頷きながら聞いてくれた。その無垢な反応に、胸の奥がじんわり温かくなる。
やがて話題は、俺の聖域とも言えるネトゲ『アストラル・ファンタジー』――通称アスファンへと移った。ボス戦の緊張感や、仲間と連携して勝ったときの達成感、壮大なストーリーの魅力を語っているうちに、俺自身どんどんテンションが上がっていく。
彼女は時折「すごい……楽しそう……!」と目を輝かせ、まるで冒険譚を聞く子供みたいにワクワクした表情をしていた。
ああ、なんかすごくいい雰囲気……!もしかすると、俺許されるかも……!?
その反応が嬉しくて、俺はさらに饒舌になる。気づけば、俺の性癖――最推しヒロインのエリシアたんの話へと自然に流れていた。
超可愛くて、胸が大きくてスタイル抜群な美少女、しっかりしているのに天然でちょっとドジなところ、イベントで見せる照れ顔とか、夏の水着イベントの破壊力とか……オタクモードで我ながら気持ち悪いレベルで熱弁してしまった。
エリシアたんの話を始めてからは、彼女は下を向いて俯きながら静かに俺の話を聞いていた。時折ブツブツと呟いていて、彼女の雰囲気の変化に俺は小さく震えた。
だが秘密を共有するなら、全て隠すわけにはいかない。だからこそ――
最後にぽろっと言った。
「天宮さん、そんなエリシアたんにすごく似てるんだ。だから……つい見ちゃってたんだ。ほんとに、ごめんね」
彼女の肩がピクっと震える。
その瞬間、店内の空気が凍った気がした。さっきまで柔らかかった空気が、氷水を浴びせられたみたいに冷え込む。彼女は俯いたまま動かない。テーブル越しなのに距離が急に遠く感じた。
「あ、あの……天宮さん?」
恐る恐る声をかけると、低く押し殺した声が返ってきた。
「……ふざけないで」
背筋が凍った。
「……だれよ……だれよ……」
ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳の輝きは、さっきまでの甘い色を完全に失い、ハイライトが消えていた。
「だれよ、だれよ……だれよ、その女あぁーーー!」
「うっ、うええぇ!?」
完璧美少女が上げる大声に、店内の客から視線が何事かと突き刺さる。
「ちょ、ちょっとぉ!?」
「そんなの、許さない、絶対に許されないわ……!雪城くんの視線は、私のモノよ……!」
「ゴゴゴゴゴゴッ」と擬音がしそうな憤怒の天使の圧力に、全身びっしょり汗をかきガチガチと震える俺。
なっ、何なのこの子!本当に一体何なの!?
「雪城くんの連絡先、教えなさい」
狂気の天使の怪しく光る瞳に捕捉され、有無を言わせない圧力と声色に、俺は震える手でスマホを差し出した。交換が終わると、彼女は小さく「絶対許さない……」と呟きぷんぷんと怒りながら店を出て行った。
ドラマのようなワンシーンに、残された俺と、静まり返った店内。
地獄の修羅場の後みたいな空気が漂い、全ての人の視線に晒されている。
……あ、あの子、何かやべえわ、本物やわ……!
俺はカチカチと歯を鳴らし冷めたコーヒーを口に運び震えながら、ただ一つの事を確信していた。
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