見舞いという名の訪問 前編
翌朝、レルヒ子爵邸は、いつになく落ち着かない空気に包まれていた。
玄関前に停められた馬車は、装飾を抑えた実用的なものだ。
しかし、その紋章が示す家名は、この屋敷にとって決して軽いものではない。
ベルンシュタイン伯爵家。
しかも訪れたのは、当主でも長男でもない。
王国騎士として名高い、次男――
テオドール・アケライ・ベルンシュタイン、その人だった。
「……わたくしに、ですか?」
侍女の報告に、メルセデスは一瞬だけ言葉を失った。
昨夜の出来事が、脳裏をよぎる。
控えの間の静けさ。
理由の分からない安らぎ。
そして、彼の低い声。
「お見舞い、とのことですが……もうお一方、ご同行の方が――」
侍女が戸惑ったように言葉を切り、わずかに首を傾ける。
「宮廷魔術師のアマデウス殿です」
その名に、メルセデスは小さく目を瞬かせた。
◆
応接間に通されるより早く、場の空気を変える声が響いた。
「いやあ、失礼失礼。騒がしくてごめんね。
朝から押しかけるのは趣味じゃないんだけどさ。
昨日の夜会、あれはさすがに放っておけなくてね」
軽やかで、どこか芝居がかった口調。
年若い男の声だが、言葉の端々には揺るぎない自信が滲んでいる。
銀の髪は陽光を弾くように淡く輝き、無造作に後ろで束ねられていた。
整っているはずの顔立ちは、どこか掴みどころがなく、笑えば年若く見え、真顔になれば底知れない。
とりわけ印象的なのは、その眸だった。
宝石の翡翠を思わせる澄んだ緑は、人の内側を見透かすようでいて、同時にすべてを面白がっているようにも見える。
宮廷魔術師の徽章を指先で軽く弾く仕草は気取っているようで自然で、その軽薄さの裏に、王国随一の魔術理論を積み上げてきた才があることを、否応なく悟らせた。
紫水晶と翡翠が交わる。
翡翠が、面白そうな光を宿した。
「あー……なるほどね。そりゃあ、そうなるか」
独り言にしては大きく、隠すつもりもない独白は意味不明だ。
メルセデスは困惑し、わずかに眉を寄せた。
――この男を、信用していいのか、してはいけないのか。
判断を誤れば、すべてを見透かされたまま笑われる。
そんな気がした。
「改めまして。宮廷魔術師のアマデウスだよ。
怖がらなくていい。
僕、患者さんを泣かせるのは嫌いなんだ」
その隣で、テオドールは昨夜と変わらぬ無表情のまま、静かに立っている。
だが、その視線は真っ直ぐにメルセデスへ向けられていた。
「……昨日は、」
言いかけて、メルセデスは言葉を探す。
「助けてくださいまして……ありがとうございました。改めて、御礼申し上げます」
そう告げると、テオドールは一瞬だけ目を伏せ、短く頷いた。
「当然のことです」
それだけ。
――だが、その距離は、昨夜よりも近い気がした。
アマデウスは二人を見比べ、ほんの一瞬だけ興味深そうに目を細めた。
それは観察というより、すでに答えを知っている者の確認に近い。
「うんうん、やっぱり元気そうだ。……で、ここからが本題なんだけどね」
ぱん、と手を打つ。
「メルセデス・フェリツィア・レルヒ嬢。貴女、自分が“病弱”だと思っているでしょう?」
唐突な問いに、応接間の空気が凍りついた。
「え……?」
「正確に言おうか。貴女は病気じゃない。ただ――」
アマデウスはちらりとテオドールを見てから、意味ありげに笑う。
「――魔力が、多すぎるんだ」
言葉が、静かに落ちた。
テオドールの肩が、わずかに強張る。
「……何を、仰って……」
「誰も気づかなかったのは無理もない。外に漏れない性質の過多だし、貴女自身が“ぎりぎり耐えてしまえる”体質だった、ときた」
軽い口調のまま、しかし断定的に続ける。
「でもね。昨日、君たちが触れ合った瞬間――ああ、僕もあの馬に居たんだよ。いや、それは今はいい。話を戻そう。君たちが触れ合った瞬間、」
視線が、二人を行き来する。
「魔力の流れが、綺麗に循環した」
一拍。
「はっきり言おう。偶然じゃない。相性が良すぎる。抜群だ」
沈黙が落ちる。
メルセデスは、昨夜の安息を思い出していた。
テオドールは、胸の奥に残る違和感を。
「さて」
アマデウスは、にこりと笑う。
「治療法はある。しかも、君たち双方にとって、これ以上ないくらい合理的なやつがね」
そこで初めて、テオドールが口を開いた。
「……契約結婚、という形で」
その言葉が、静かに、しかし確かに、メルセデスの運命を揺らした。




