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見舞いという名の訪問 前編

 翌朝、レルヒ子爵邸は、いつになく落ち着かない空気に包まれていた。

 玄関前に停められた馬車は、装飾を抑えた実用的なものだ。

 しかし、その紋章が示す家名は、この屋敷にとって決して軽いものではない。


 ベルンシュタイン伯爵家。

 しかも訪れたのは、当主でも長男でもない。

 王国騎士として名高い、次男――

 テオドール・アケライ・ベルンシュタイン、その人だった。


「……わたくしに、ですか?」


 侍女の報告に、メルセデスは一瞬だけ言葉を失った。

 昨夜の出来事が、脳裏をよぎる。


 控えの間の静けさ。

 理由の分からない安らぎ。

 そして、彼の低い声。


「お見舞い、とのことですが……もうお一方、ご同行の方が――」

 侍女が戸惑ったように言葉を切り、わずかに首を傾ける。

「宮廷魔術師のアマデウス殿です」

 その名に、メルセデスは小さく目を瞬かせた。



 応接間に通されるより早く、場の空気を変える声が響いた。


「いやあ、失礼失礼。騒がしくてごめんね。

 朝から押しかけるのは趣味じゃないんだけどさ。

 昨日の夜会、あれはさすがに放っておけなくてね」


 軽やかで、どこか芝居がかった口調。

 年若い男の声だが、言葉の端々には揺るぎない自信が滲んでいる。

 銀の髪は陽光を弾くように淡く輝き、無造作に後ろで束ねられていた。

 整っているはずの顔立ちは、どこか掴みどころがなく、笑えば年若く見え、真顔になれば底知れない。

 とりわけ印象的なのは、その眸だった。

 宝石の翡翠を思わせる澄んだ緑は、人の内側を見透かすようでいて、同時にすべてを面白がっているようにも見える。

 宮廷魔術師の徽章(きしょう)を指先で軽く弾く仕草は気取っているようで自然で、その軽薄さの裏に、王国随一の魔術理論を積み上げてきた才があることを、否応なく悟らせた。


 紫水晶と翡翠が交わる。

 翡翠が、面白そうな光を宿した。


「あー……なるほどね。そりゃあ、そうなるか」


 独り言にしては大きく、隠すつもりもない独白は意味不明だ。

 メルセデスは困惑し、わずかに眉を寄せた。


 ――この男を、信用していいのか、してはいけないのか。

 判断を誤れば、すべてを見透かされたまま笑われる。

 そんな気がした。


「改めまして。宮廷魔術師のアマデウスだよ。

 怖がらなくていい。

 僕、患者さんを泣かせるのは嫌いなんだ」


 その隣で、テオドールは昨夜と変わらぬ無表情のまま、静かに立っている。

 だが、その視線は真っ直ぐにメルセデスへ向けられていた。


「……昨日は、」

 言いかけて、メルセデスは言葉を探す。

「助けてくださいまして……ありがとうございました。改めて、御礼申し上げます」


 そう告げると、テオドールは一瞬だけ目を伏せ、短く頷いた。

「当然のことです」

 それだけ。


 ――だが、その距離は、昨夜よりも近い気がした。


 アマデウスは二人を見比べ、ほんの一瞬だけ興味深そうに目を細めた。

 それは観察というより、すでに答えを知っている者の確認に近い。


「うんうん、やっぱり元気そうだ。……で、ここからが本題なんだけどね」

 ぱん、と手を打つ。

「メルセデス・フェリツィア・レルヒ嬢。貴女、自分が“病弱”だと思っているでしょう?」


 唐突な問いに、応接間の空気が凍りついた。


「え……?」


「正確に言おうか。貴女は病気じゃない。ただ――」

 アマデウスはちらりとテオドールを見てから、意味ありげに笑う。

「――魔力が、多すぎるんだ」


 言葉が、静かに落ちた。

 テオドールの肩が、わずかに強張る。


「……何を、仰って……」


「誰も気づかなかったのは無理もない。外に漏れない性質(タイプ)の過多だし、貴女自身が“ぎりぎり耐えてしまえる”体質だった、ときた」


 軽い口調のまま、しかし断定的に続ける。

「でもね。昨日、君たちが触れ合った瞬間――ああ、僕もあの馬に居たんだよ。いや、それは今はいい。話を戻そう。君たちが触れ合った瞬間、」

 視線が、二人を行き来する。

「魔力の流れが、綺麗に循環した」


 一拍。


「はっきり言おう。偶然じゃない。相性が良すぎる。抜群だ」


 沈黙が落ちる。


 メルセデスは、昨夜の安息を思い出していた。

 テオドールは、胸の奥に残る違和感を。


「さて」

 アマデウスは、にこりと笑う。

「治療法はある。しかも、君たち双方にとって、これ以上ないくらい合理的なやつがね」


 そこで初めて、テオドールが口を開いた。


「……契約結婚、という形で」



 その言葉が、静かに、しかし確かに、メルセデスの運命を揺らした。



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