言葉にしなかった想い
メルセデスが部屋に戻ってからも、テオドールはその場から動けずにいた。
椅子に腰を下ろしたまま、彼女が先ほどまで座っていた場所を、ただ見つめている。
――役目。
その言葉が、胸の奥で、何度も反響していた。
(役目……だと?)
理解できない。
否、理解したくなかった。
彼女が倒れた時。
彼女を抱き留めた時。
魔力が循環し、互いが安定した、あの感覚。
それは、単なる“治療”だったのか。
(違う)
即座に否定する。
分かっている。
あれは、命を繋ぐ感覚だった。
それ以上に――
(失うと思った)
彼女の体が崩れ落ちているのを見た瞬間。
胸を締め付けたのは、焦りでも、責任感でもない。
喪失の恐怖だった。
テオドールは、気付いた。
気付いてしまった。
(俺は……何も、言ってこなかった)
守ってきた。
支えてきた。
囲い込んできた。
それで十分だと、思っていた。
(態度で分かるだろう)
(分からないはずがない)
そう、信じていた。
だが。
(彼女は……違う受け取り方をしていた)
“必要だから”
“契約だから”
“役目だから”
その言葉の裏に、どれほどの自己否定があったのか。
(……俺は、愚かだ)
拳を、強く握る。
なぜ、言わなかった。
なぜ、言葉にしなかった。
言えばよかった。
一度でいい。
はっきりと。
(俺は――)
そこまで考えた時。
「ようやく気付いた?」
軽い声が、空気を切った。
◆
「……いつから、そこにいた」
「今さっき。ひどい顔だよ、テオドール」
アマデウスは、壁に寄りかかり、肩をすくめる。
「いやあ、これは重症だ。魔力じゃなくて、感情の方が」
「……」
「ねえ、テオ」
珍しく、軽さの抜けた声だった。
「君、言ってないよね」
「何をだ」
「好きだってこと」
沈黙。
否定は、出てこなかった。
アマデウスは、苦笑する。
「そりゃあさ。行動は完璧だよ? 百点満点の溺愛騎士様だ」
「……」
「でもね。相手が“自分は愛される価値がない”って思ってたら、全部“義務”に変換されるんだよ」
その言葉が、鋭く突き刺さる。
「彼女、君が思ってるより、ずっと自分を低く見てる」
「……」
「だから」
一歩、近付く。
「言わなきゃ、伝わらない」
断言だった。
「言葉にしなかった想いは、存在しないのと同じだ」
テオドールは、ゆっくりと息を吐いた。
逃げ場は、なかった。
(……俺は)
彼女が、笑うのが好きだ。
彼女が、安心して眠るのを見ると、胸が落ち着く。
彼女が、離れようとした瞬間、恐怖で息が詰まった。
(……恋、か)
そう名付けた瞬間。
胸の奥が、焼けるように熱くなった。
(そうだ)
(俺は――)
「……失いたくない」
ぽつりと、こぼれた言葉。
それを聞いたアマデウスは、満足そうに目を細めた。
「はい、正解」
「……茶化すな」
「無理無理。長かったからねえ」
けれど、すぐに真剣な表情に戻る。
「で?」
「……迎えに行く」
即答だった。
「彼女が、どこへ行こうとしているのか……」
「離れるつもりだよ。君のために」
「……」
「止めないと。今度こそ、本当に――君の手から飛び立ってしまうよ」
テオドールは、立ち上がった。
迷いはない。
言葉にする覚悟は、決まった。
(言う)
(全部、伝える)
契約だとか、治療だとか、合理性だとか。
そんなものは、どうでもいい。
必要なのは、ただ一つ。
(俺が、彼女をどう想っているか)
それだけだった。
「……アマデウス」
「ん?」
「感謝する」
一瞬、意外そうな顔をしてから。
「どういたしまして。……まあ、結果次第だけどね」
テオドールは、扉に手をかける。
その背中に、アマデウスの声が投げられた。
「言葉、間違えるなよ?」
「……承知している」
振り返らない。
彼は、迎えに行く。
――言葉にしなかった想いを、
今度こそ、彼女に届かせるために。




