表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/19

離れる決意

 それは、突然のことではなかった。


 むしろ、あまりにも静かに、自然に――

 メルセデスの中で、結論は形になっていった。


(……魔力は、安定している)


 朝、目を覚ますと、かつて常に胸の奥にあった重さは、今はほとんどない。

 眩暈も、息苦しさも、ここ数日は顔を出していなかった。


(……契約の目的は、果たされつつある)


 それは、喜ばしいことのはずだった。

 けれど。

 胸の奥に広がるのは、得体の知れない不安だった。



「……本日は、本邸にお邪魔して、書庫で過ごそうと思います」


 朝食の席でそう告げると、テオドールの手が一瞬止まった。


「書庫は冷える」

懐炉(カイロ)がございますから」


 即答だった。


「……では、私も――」

「どうぞお気遣いなく」


 メルセデスは、視線を落としたまま、柔らかく遮る。


「少し……一人で、考え事をしたくて」


 その言葉に、テオドールは黙り込んだ。


 拒絶ではない。

 だが、距離を取られたことは、はっきりと伝わった。


「……分かった」


 そう言った彼の声が、わずかに硬いことに、メルセデスは気付かないふりをした。



 書庫は、静かだった。

 考え事をするには、ちょうどいい。


 一日中、離れているのは初めてではない。

 今まで何度もあったことだ。


 騎士の役目は、それほど軽いものではない。

 王宮の警備に、王都の警邏、そして郊外の森での魔物討伐。


 だがそれでも、日をまたいで邸を空けることは、一度もなかった。

 テオドールは、泊まりの任務は免除してもらったのだと、アマデウスから聞いた。


 今までの功績から認められた、特例だという。


(甘えてばかりいてはいけない)

(これ以上、テオドール様の重荷になっては……)


 だが、メルセデスは小さく吐息する。

 魔力の流れが、昨日までとは違う。


(……少し、重い)


 胸の奥が、じわりと熱を持つ。


「……大丈夫」


 そう呟いて、深呼吸をする。

 これは、必要なことだ。

 この距離に、慣れなければならない。


(いずれ、こうなるのだから)


 ――だが。

 時間が経つにつれ、視界が揺らぎ始めた。


 指先が、冷たい。

 息を吸うたびに、胸が詰まる。


(……おかしい)


 魔力が溜まり始めているのが、はっきりと分かった。


「……まだ、平気……」


 そう言い聞かせて、椅子の背に手をつく。


(そう……護符。護符の結晶を、作れば――)

(溜まった魔力を外に出せば、大丈夫)


 だが、立ち上がろうとした瞬間、視界が暗転した。



 同じ頃。

 テオドールは、離れの執務机の前で、無意味に書類を見つめていた。


 文字が、頭に入ってこない。

 胸の奥が、妙に落ち着かない。


(……何だ)


 理由は分からない。


 だが、体が重い。

 呼吸が、浅い。


 魔力が、いつもより早く消耗している感覚があった。

 訓練をしたわけでもないのに、魔物討伐を成し遂げた後のような感覚すらある。


「……」


 無意識のうちに、立ち上がっていた。


(メルセデス)


 名を呼ばずとも、足は書庫へ向かう。



 書庫の扉を開けた瞬間。


「――ッ」


 倒れている彼女の姿が目に入った。


「メルセデス!」


 駆け寄り、抱き起こす。

 腕の中の体は、熱を帯び、震えていた。


「……っ、申し訳……ありません……」


 かすれた声に、テオドールは首を振る。


「いい」

 短く、強い言葉だった。

「今は、何も言うな」


 彼女を抱えたまま、椅子に腰を下ろす。

 その瞬間。

 ――魔力が、循環し始めた。


 はっきりと分かる。


 胸の奥が、楽になる。

 同時に、彼女の震えも、徐々に収まっていく。


「……」


 二人とも、何も言わなかった。

 だが。

 分かってしまった。


(離れたからだ)

(……一緒にいなかったから)


 視線が、絡む。


 そこにあったのは、安堵ではない。

 恐怖だった。



「……無理をしたのか」


 テオドールの声は、低く、抑えられている。


「……いいえ」

 メルセデスは、小さく首を振る。

「必要なことを、しただけです」


 その言葉に、彼の眉が寄った。

「何のために」


 答えは、すぐに返ってこなかった。

 沈黙が、重く落ちる。


 やがて、彼女は、ゆっくりと口を開いた。


「……ずっと、考えていました」

「――」


「契約は……永遠では、ありません」


 その一言で、空気が凍った。


 テオドールの鼓動が乱れた。

 魔力が、微かに揺らぐのが、分かった。


「……何を言っている」

「治療が終われば……わたくしの役目も、終わります」


 それは、彼女なりの誠実さだった。

 だが。


 彼の世界を、根底から揺るがすには、十分だった。


「……役目?」


 声が、わずかに掠れる。


「はい」

 穏やかに、そう言ってのける。

「ですから……今から、慣れておこうと……」


 その先は、言葉にならなかった。

 彼女の体が、再び、わずかに震え出す。


 テオドールは、歯を食いしばった。

 けれど余計な力を込めず、そっとそっと、包み込むようにメルセデスを抱き締める。


(……何かが、おかしい)

(致命的に、何かが)


 だが、この時点では、まだ分からない。


 ただ一つ、確かなのは。

 二人とも、同じ恐怖を抱きながら、まったく違う方向を見ているということだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ