契約期限と不安と護符と 後編
それは、ある午後のことだった。
「……あの、アマデウス様」
控えめな声に、宮廷魔術師は顔を上げる。
「ん? どうしたの、メルセデス嬢」
離れの居間。
テオドールが執務で席を外している、わずかな時間だった。
「もし……可能でしたら、お伺いしたいことがございます」
アマデウスは、すぐに察したように、にこりと笑う。
「うん。いいよ。診察? それとも――個人的な相談?」
メルセデスは、少しだけ言葉を選んでから、続けた。
「わたくしの魔力ですが……以前より安定してきたとはいえ、依然として量が多いまま、ですよね」
「そうだね。質も量も、相変わらず規格外」
冗談めかした言い方に、彼女は小さく苦笑する。
「でしたら……自分でも、還元できる方法はないでしょうか」
「還元?」
「はい。たとえば……魔道具に込めるなどして」
その言葉に、アマデウスは目を瞬かせた。
「……なるほど」
「テオドール様は、魔力を消費しやすい体質ですし……」
膝の上で、指先をきゅっと握る。
「わたくしが側にいない時でも、すぐに補えるようにできたら、と……」
それは、静かで、穏やかな声音だった。
だが。
その内側にあるものを、アマデウスは見逃さなかった。
(あー……)
(これは“未来の不在”を前提にしてるな)
だが、彼はそれを口にしない。
「できるよ」
あっさりと頷いた。
「むしろ、理にかなってる。護符型の魔力結晶にしておけば、テオが触れるだけで循環が始まる」
「本当ですか……?」
ぱっと、メルセデスの表情が明るくなる。
「はい。ぜひ、教えてください」
その様子を、ちょうど戻ってきたテオドールが目にした。
「……何の話だ」
低い声に、二人が振り向く。
アマデウスが、悪びれずに答えた。
「護符作り。メルセデス嬢の魔力を結晶化して、君用にね」
次の瞬間。
空気が、ぴしりと張り詰めた。
「……何故だ」
静かな問いだが、確実に不満が滲んでいる。
「私は、彼女が側にいれば問題ない」
「でもさあ」
アマデウスは肩をすくめる。
「常に一緒ってわけにもいかないだろ?」
「それは――」
言い淀んだ瞬間、テオドールの視線が、メルセデスへ向いた。
「貴女が不調になったら、どうする」
それは、責める言葉ではない。
純粋な懸念だった。
だが。
メルセデスは、小さく首を振った。
「わたくしは……大丈夫です」
「――」
「以前より、ずっと安定していますから」
その言葉は、事実だった。
だからこそ。
(……私が側にいなくても)
(この方が、困らないように)
その続きの言葉を、彼女は胸の内にだけ仕舞う。
テオドールは、納得していなかった。
「無理をする必要はない」
「無理ではありません」
静かに、しかしはっきりと答える。
「これは……わたくしが、できることです」
アマデウスは、二人の間を見比べて、内心でため息をついた。
(あー……完全に噛み合ってない)
(優しさの向きが、真逆だ)
「まあまあ」
わざと軽い調子で割って入る。
「護符を作るだけの消費量だよ。テオ、君のためでもある。
余剰分を取り分けることができたら、メルセデス嬢の身体も、もっと楽になる」
テオドールは、その言葉に違和感を覚えたが――
メルセデスは、微笑んだ。
「はい。念のため、ですから」
その微笑みが、「備え」ではなく、「覚悟」に近いものだと。
テオドールだけが気付いていなかった。
護符の魔力結晶は、澄んだ光を宿して完成した。
それを手にしたメルセデスは、ほっと息をつく。
(これで……)
(少しは、この方の役に立てる)
それが、別れの準備だとは、自分でも気付かないふりをして。
テオドールは、その護符を握りしめながら、確信していた。
(彼女は、俺のためを思ってくれている)
(だからこそ、側にいるのだ)
――同じ行動。
同じ護符。
意味だけが、致命的に違っていた。




