第43話:可愛い竜
翌朝、俺はかすかに差し込むエルドゥランの朝日で目を覚ました。頭の奥に残る重い感覚と、額のひんやりとした感触は相変わらずだった。昨日の家族会議での兄姉たちの言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っている。世界の「歪み」と、自分自身の変化。スローライフとは程遠い現実が、俺に重くのしかかっていた。
(はぁ……疲れたな。今日は何もないといいんだけど……)
大きく伸びをして、俺はベッドから身を起こした。その瞬間、俺の視界の片隅に、何か小さなものが動いた。
「ん……?」
視線を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
枕元の、普段なら何も置いていないはずの場所に、手のひらサイズの小さな竜がちょこんと座っていたのだ。
その竜は、深いエメラルドグリーンの鱗を持ち、背中には透明な膜のような小さな翼が生えている。大きな瞳はまるで宝石のように輝き、くるくると愛らしく瞬いていた。まるで、おもちゃのようにも見える、可愛らしい姿だ。
(な、なんだこれ……? いつからいたんだ?)
俺は目をこすった。まだ寝ぼけているのだろうか。しかし、竜は確かにそこにいる。そして、俺と目が合うと、小さな口をパクパクと動かした。
「やっと起きたか、契約者。随分と寝坊だな」
透き通るような、しかしはっきりと意思を持った声が、部屋の中に響いた。
俺は、あまりの衝撃に言葉を失った。
喋った!? しかも、俺に話しかけた!?
「……契約者?」
俺は、呆然としながら問い返した。
小さな竜は、ふんと鼻を鳴らすような仕草をして、その小さな身体を俺の枕元でくるりと回転させた。
「そうだ。貴様が、我が主にして契約者、この世界の『楔』となる者だろう」
竜は、その宝石のような瞳を俺の額に向けた。俺の額に残るひんやりとした感触が、再び熱を帯びる。
「貴様の内に眠る『記憶』が覚醒したことで、我が存在もここに顕現できた。我は、貴様がこの世界で最初に『契り』を結んだ、貴様の魂の一部であり、そして、貴様と共に世界の『境界』を司る者……すなわち『境界の竜』である」
「きょ、境界の竜……?」
俺は混乱の極みに達していた。透明な天使が現れただけでも混乱しているのに、今度は喋る小さな竜まで現れて、「契約者」だの「世界の楔」だの、さらには「魂の一部」だのと言い出したのだ。
「ああ。我が名は、まだ持たぬ。貴様が、我に名を与えるがいい。そうすれば、我は貴様の力となり、この世界の『破損』を修復する手助けをしよう」
小さな竜は、真っ直ぐに俺を見つめた。その瞳には、深い知性と、そして俺への揺るぎない忠誠が宿っているかのようだった。
俺は、自分の頭を抱えた。スローライフはどこへ行ったんだ。目が覚めたら可愛い竜がいる、という展開は悪くない。だが、その竜が世界の命運に関わる存在で、しかも自分と契約しているとか、記憶が覚醒したから現れたとか、一体何がどうなっているんだ。
(あの透明な天使といい、この竜といい……俺の身体で何が起こってるんだよ!?)
俺は、この小さな竜の出現が、昨日の家族会議で話された「世界の歪み」と、自身の「真の記憶」の覚醒に深く関連していることを、本能的に理解した。そして、この小さな竜が、今後の俺の運命を大きく左右する存在となることも。
「まじかよ……」
俺の呟きは、可愛らしい竜と、そして世界の新たな幕開けの音にかき消されていった。