第30話:妹
王の謁見の間から、俺は再び近衛兵に連行された。今度は地下牢ではなく、アリアの部屋へと向かうらしい。警戒は解けないが、少なくとも妹の部屋なら安心できるだろう。しかし、まさか王の側近にまで、原初の天使がいるとは思いもしなかった。彼らはどうやって地上で活動しているんだ?
アリアの部屋は、エルドゥランでの俺の部屋とはまた違った雰囲気だった。都の建物と同じく白い石でできているが、内装は温かみのある木材と、柔らかい布で飾られている。部屋の隅にはいくつもの植物が置かれ、優しい光が差し込む窓からは、王都の賑わいが遠くに見えた。地上にいながら、どこか幻想的で、落ち着ける空間だ。
部屋に案内されると、兵士たちはすぐに頭を下げて退出した。アリアは、フードを完全に脱ぎ、その銀色の長い髪を揺らしながら、優雅な仕草で俺をソファに促した。
「さあ、ルカ兄様、ここに座って。疲れたでしょう?」
彼女の声は、謁見の間で聞いた時よりもさらに優しく、俺の警戒心を溶かしていくようだ。まるで、心配している幼い兄を気遣う、本当の妹のような響きがあった。
俺は言われるがままにソファに腰掛けた。アリアは、テーブルに置かれたティーセットから、温かい紅茶を淹れてくれた。その所作は、ひとつひとつが絵になるほど優雅だ。
「さあ、温かいうちにどうぞ。少し、冷えたでしょう?」
差し出されたカップを受け取ると、ふわりと甘い香りが立ち上った。口に含むと、優しい甘みが広がり、緊張で強張っていた身体が少しずつほぐれていく。
「ありがとう、アリア。助かったよ。まさか、アリアがここにいるとは思いもしなかった」
俺は素直に礼を言った。アリアは、俺の言葉にフッと微笑んだ。その銀色の瞳が、俺をじっと見つめる。
「ふふ、驚いたでしょう? わたくしはね、普段はこのアルドゥール王国で、ゼリア司祭として活動しているのよ。王宮の最高顧問として、この国を陰から支えているわ」
アリアは、俺の頭にそっと手を置いた。その手は温かく、まるで幼い頃に母が頭を撫でてくれたかのような、甘やかな感覚に包まれる。
「それにしても、ルカ兄様は本当にやんちゃね。いきなり禁書庫に忍び込むなんて。わたくし、王から報告を受けた時は、心臓が止まるかと思ったわ」
彼女はそう言いながらも、その声は全く咎める響きがなく、むしろ甘やかすような響きがある。
「いや、だって、監視しに来たのは俺なんだから、当然……」
「わかってるわよ。でも、もう少し慎重になれたでしょう? あなたはまだ、地上での活動に慣れていないのだから。大丈夫? どこか、怪我はないかしら? 無理はしていない?」
アリアは、俺の顔を両手で挟み込み、左右からじっくりと覗き込んだ。その距離が近すぎて、彼女の甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。その心配する眼差しは、まさしく過保護な妹そのものだった。
「だ、大丈夫だよ。別に怪我もないし、無理もしてないから」
俺は少し照れながら答えた。前世では、誰かにこんな風に甘やかされた経験などない。常に一人で問題を抱え込み、誰にも頼らず解決しようとしてきた。だからこそ、この「甘さ」は、俺にとって新鮮で、どこかくすぐったい。
「なら、よかった。でもね、ルカ兄様。もう少し、わたくしを頼ってくれてもいいのですよ? あなたは、私たちの大切な兄なのだから」
アリアは、俺の頬を優しく撫でた。その指先が、信じられないほど柔らかい。彼女の瞳は、純粋な愛情に満ちていて、俺はただその視線を受け止めるしかなかった。
(これが、原初の天使の家族か……。イリス姉さんも優しいけど、アリアは、なんていうか、甘やかし方が尋常じゃないな……)
俺のスローライフは、思いがけず「過保護な妹」の存在によって、新たな局面を迎えることになりそうだ。だが、こんな風に甘やかされるのも、悪くはない、と心の隅で感じてしまう自分がいた。