第27話:助け合い
ゼノスの困惑は、俺の言葉で少しだけ和らいだように見えた。彼の顔に刻まれた深い皺が、思考の深さを物語っている。彼は杖を地面に突き刺したまま、俺の言葉を吟味するかのように、じっと俺を見つめ続けていた。
「『均衡の要』の様子を見に来た……だと? そして、その均衡が崩れないように見守る……」
ゼノスは呟くように繰り返した。彼の瞳は、もはや俺を「魔物」として見る警戒の色ではなく、純粋な探求心と、そして不確かな期待を宿しているようだった。
「貴様……その、ありえぬ力を持ちながら、この世界の均衡を案じると申すか?」
「はい。俺は、この世界で平穏に暮らしたいんです。そのためには、世界の均衡が崩れてもらうと困るんで」
俺は正直に答えた。俺のスローライフを脅かされたくない、という本音を混ぜることで、より説得力が増すだろうと考えた。ゼノスは俺の言葉に、大きくため息をついた。その息には、長年の重圧と、そしてわずかな疲労が滲んでいるようだった。
「ふむ……。貴様の言葉が真実ならば、このゼノス、無礼を働いたことを謝罪しよう。そして、その並外れた力を、この世界の均衡のために使おうとするならば、これほど心強いことはない」
ゼノスは杖をしまい、ゆっくりと俺に歩み寄った。そして、その深い皺の刻まれた顔に、初めて穏やかな笑みを浮かべた。
「我が誤解であったようだ。しかし、その力……まるで古の伝承にある『原初の』存在を思わせるな」
(やべ、核心に迫りすぎてる……!)
俺は内心ヒヤリとしたが、ゼノスはそれ以上深掘りはしてこなかった。代わりに、彼は『均衡の要』の方向へと視線を向けた。
「ともかく、だ。ここ最近、『均衡の要』は確かに不安定になっている。地下の最深部から、微弱だが不穏な振動が伝わってきているのだ。このゼノスがいくら力を尽くしても、その原因を特定できず、封印を完全に安定させることもできずにいた」
彼の声には、深い疲労の色が混じっていた。300年も生きる伝説の魔術師でも、手に負えない事態なのだ。
「貴様の力があれば、この均衡の不安定さを解決できるかもしれない。私の『星界の檻』すら効かぬほどの力だ。」
ゼノスは、まるで最後の希望を託すかのように、俺に頭を下げた。まさか、伝説の魔術師に頭を下げられる日が来るとは、夢にも思わなかった。
(まあ、俺のスローライフのためにも、この件は片付けておいた方がいいしな。ゼノスが協力してくれるなら、余計な手間も省けるだろう)
「分かりました。俺にできることなら、協力します」
俺はそう答え、ゼノスは安堵の表情を見せた。
「感謝する。では、私と共に地下最深部へ向かおう。そこには、均衡の要がある」
ゼノスは先導するように、禁書庫のさらに奥へと続く螺旋階段を下り始めた。俺もそれに続いた。通路はさらに暗くなり、重苦しい魔力の気配が強まっていく。
「それにしても、貴様の力は本当に奇妙だ。『改変』……か。この世界の理すら変え得る、途方もない力だな。お主は一体、何者なんだ?」
ゼノスは歩きながら、興味津々といった様子で問いかけてきた。その瞳は、まるで珍しい現象を目の当たりにした研究者のようだ。
「俺は、ただのしがない……いえ、普通の人間です」
俺は曖昧に答えた。原初の天使だとは言えない。こんな質問攻めにあっていては、スローライフどころではない。
ゼノスは、俺の返答に満足したのか、それとも深入りしないことに決めたのか、フッと小さく笑った。
「ふむ、そうか。無理に詮索はせぬ。だが、貴様がこの世界にとって、非常に大きな存在となるであろうことは、このゼノスの目には明らかだ」
ゼノスは、それ以上俺の過去を深掘りすることはなかった。彼の興味は、目の前の『均衡の要』へと移っているようだった。
やがて、螺旋階段は終わりを告げ、目の前には広大な空間が広がっていた。そこは、まるで巨大な洞窟のようだが、自然にできたものとは思えないほど、規則正しい岩の柱が立ち並んでいる。そして、空間の中央に、強烈な魔力の波動を放つ物体が鎮座していた。
それが、『均衡の要』だった。
見た目は、巨大な漆黒のクリスタルだ。その表面には、無数の紋様が刻まれ、内部からは、不規則なリズムで脈打つ光が漏れ出している。その光は、一度見たら忘れられない、深遠な色をしていた。そして、そのクリスタルから放たれる魔力の波動は、空間全体を震わせている。それは、まさしく「不安定」という言葉がぴったりの状態だった。
「あれが、『均衡の要』……」
俺は思わず呟いた。この世界の根源的なバランスを司る、途方もない存在が、目の前で揺らいでいる。俺のスローライフは、この問題の解決にかかっている。
ゼノスは、俺の隣で、厳しい表情で『均衡の要』を見つめていた。
「ああ。この世界の光と闇、創造と破壊、その全てのバランスを保つ、楔だ。そして今、何者かの手によって、その均衡が揺らされている……」
ゼノスの声に、微かな怒りが混じっていた。