第23話:王都グランディア潜入開始
転移陣を抜けた瞬間、俺の視界は光に包まれ、次の瞬間には見慣れない光景が目の前に広がっていた。エルドゥランの清らかな空気とは一転、鼻腔をくすぐるのは土と埃、そして人々の活気が混じり合った、地上特有の匂いだった。
(うわ、人が多いな……)
俺が降り立ったのは、王都グランディアの一角にある、人通りの少ない路地裏だった。イリス姉さんからもらった普通の服――この世界の庶民が着るような、地味な麻の服――を身につけているとはいえ、天使として覚醒したばかりの俺には、この人混みと喧騒は少しばかり刺激が強すぎる。前世では毎日こんな中で働いていたと思うと、今さらながらゾッとする。
俺は首にかけた銀の首飾りを確認した。これのおかげで、俺の魔力は地上の人々には知覚できないレベルまで抑えられているはずだ。見た目も、普通の青年にしか見えないだろう。
路地を抜けて大通りに出ると、その広さと活気に圧倒された。石畳の道には、様々な馬車や人々が行き交い、露店からは活気ある声が響く。騎士らしき人物が巡回し、魔術師のようなローブを纏った者も見える。まさしく「王都」といった光景だ。
(まずは、任務の場所を確認しないとな)
イリス姉さんから渡された地図を取り出す。それは、この世界の言語で描かれているが、不思議と俺には読めた。天使としての知識が、自然と脳に入っているのだろう。地図によると、目的の場所は王都の中心部、王城の近くにある「禁書庫」と呼ばれる建物だ。
俺は地図を頼りに、王都の中心部へと向かって歩き始めた。人々の間を縫うように進むと、様々な言葉が耳に入ってくる。
「おい、聞いたか? 最近、王城の地下から、変な音が聞こえるって話だぞ」
「ああ、禁書庫の奥の方からだろう? 何か、封印されたものが揺らいでるんじゃないかって、もっぱらの噂だ」
「まさか、またあの時のように……」
そんな噂話が、俺の耳に飛び込んできた。禁書庫の地下から変な音? 封印されたものが揺らいでる? まさに、ヘリオス兄さんが言っていた「均衡の要が不安定な兆候を見せている」という話と合致する。
(なるほど、俺が来る前から、もう噂になってたわけか。ってことは、事態は結構深刻なのかもな……)
俺は慎重に、だが足早に目的地へと向かった。都の中心に近づくにつれて、建物の壮大さが増していく。そして、目の前に現れたのは、歴史を感じさせる重厚な石造りの建物だった。それが、王城に隣接する「王立禁書庫」だ。
禁書庫の入り口は厳重に警備されており、何人もの兵士が立っていた。まさか正面から入れるはずもない。
(よし、まずは潜入経路の確認だな。俺の能力が活かせそうな方法を考えるか)
俺は周囲の建物を観察した。隣接する建物は、禁書庫よりも少し背が低い。屋根伝いに侵入するのが一番確実だろうか。いや、それだと不必要に目立つかもしれない。
俺は、一歩引いて、禁書庫全体の構造と、周囲の状況を冷静に分析した。人の流れ、警備兵の配置、風向き、そして、わずかに漏れ出す魔力の気配。その全てを、五感を研ぎ澄まして感じ取る。
(よし、見つけたぞ)
建物の裏手にある、小さな換気口。そして、そこへ続く、人の目につきにくい死角。俺の能力は「結果を改変する」力だ。無理に力を使う必要はない。最小限の労力で、最大限の「安全」と「効率」を追求する。
「結果を改変する」
俺は心の中で念じた。「俺が、誰にも気づかれずに、禁書庫の地下、『均衡の要』がある場所の近くまで到達する」。
俺の身体が、まるで水に溶け込むかのように、警備の目をすり抜け、建物の中へと吸い込まれていった。転移のような派手な光も音もない。ただ、「そこにいる」という結果が改変されただけだ。
気づけば、俺は禁書庫の薄暗い通路に立っていた。ここは、一般の人間が立ち入ることを許されない、禁断の領域のようだ。
(ここから先は、さらに慎重に動かないとな。何が待ち受けているか……)
俺は周囲の気配を探りながら、闇へと足を踏み入れた。