第15話:空白の2500年
姉さんに導かれ、俺は『光の都エルドゥラン』へと降り立った。足元に広がるのは、雲のように白い大理石でできた広大な広場だ。空中に浮かぶ都とは思えないほど、しっかりとした大地のように感じられる。
都の空気は、地上とは全く違っていた。清らかで、どこか神聖な香りがする。そして、何よりも驚いたのは、その美しさだ。建物は全て光を放つ素材でできており、その輝きは目に痛いほどではないのに、魂に直接語りかけるような荘厳さを放っていた。街路樹は宝石のようにきらめき、流れる水は光の粒子を撒き散らしている。
(これが、天使の都……。前世のオフィス街とは大違いだな。残業なんて概念、ここにはなさそうだ)
俺が呆然と周囲を見回していると、広場に集まっていた天使たちが、一斉にこちらに視線を向けた。彼らもまた、純白の翼を持ち、それぞれが異なる色の髪や瞳をしていた。その誰もが、完璧な美貌と、清らかなオーラを纏っている。
そして、彼らは俺の姿を認めると、一斉に跪き、頭を垂れた。
「ようこそ、ルカ様! お待ちしておりました!」
「長きにわたる空白を経て、ついに原初の天使、四男ルカ様がご帰還なさいました!」
彼らの声が、広場に響き渡る。その歓迎ぶりは、まるで王族を迎えるかのようだ。俺は突然のことに戸惑い、思わず姉さんの顔を見た。
「な、なんだこれ……?」
姉さんは、そんな俺の様子を見て、フッと小さく笑った。
「当然よ。あなたは『原初の天使』の一員なんだから。私たちにとっては、遥か昔から待ち望んでいた存在なのよ」
そう言うと、姉さんは俺の隣に立ち、集まった天使たちに向かって声を上げた。
「顔を上げなさい。彼が、新たなる『四男』、転生者よ」
天使たちはゆっくりと顔を上げた。その瞳は、俺に対する純粋な歓迎と、畏敬の念に満ちている。彼らの視線が、俺の薄灰色の翼に注がれているのが分かった。
その時、一人の年老いた天使が、ゆっくりと俺の前に進み出た。彼の白い髪は長く、顔には深い皺が刻まれているが、その瞳は優しく、深い知性を宿していた。
「ルカ様……。貴方様の覚醒を、心よりお慶び申し上げます。我々は、2500年もの間、貴方様の帰還を待ち望んでおりました」
「2500年……?」
俺は、その言葉に目を見開いた。2500年。俺が転生する前の四男が、2500年前に消滅したということか?
姉さんが、俺の耳元でそっと囁いた。
「そうよ。あなた、知らなかったのね。私たち『原初の天使』は、それぞれがこの世界の根源的な役割を担っている。でも、稀に、その役割を担う存在が消滅してしまうことがあるの。前任の四男は、2500年前に、とある理由で消滅してしまったわ。だから、あなたが、その役割を引き継いで、新たに覚醒したのよ」
「消滅……役割を引き継ぐ……」
俺の頭の中で、ルークスの言葉と、姉さんの言葉が、完全に繋がった。俺は、ただの転生者ではない。この世界の根源的な存在である『原初の天使』の、欠けたピースを埋めるために、過労死した俺が選ばれたということか。
(俺は、前任者の穴埋め要員だったってことか……? しかも、2500年も前の話……)
俺のスローライフ計画は、根底から揺らいでいた。ただのんびり暮らしたいだけの俺が、2500年もの間、空席だった『原初の天使』の役割を担うことになった。これは、想像以上に厄介な事態だ。
しかし、同時に、俺の心には、不思議な感覚も芽生えていた。前世では、誰かの代わりとして、常に消耗品のように扱われてきた。だが、ここでは、2500年もの間待ち望まれていた存在として、歓迎されている。その事実に、ほんの少しだけ、温かいものが込み上げてくるのを感じた。
「さあ、ルカ。まずは、あなたの住居へ案内するわ。そして、あなたが知るべきこと、学ぶべきことは、山ほどあるから」
姉さんは、俺の肩にそっと手を置いた。その手は温かく、俺の戸惑いを包み込むようだった。
俺は、光輝く都の天使たちに囲まれながら、新たな生活の始まりへと足を踏み出した。俺のスローライフは、もはや森の片隅でひっそり暮らすような単純なものではなくなった。だが、この『原初の天使』としての新たな人生が、俺に何をもたらすのか、今はまだ、知る由もない。