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短編集(詩やSSなど含む)

時を越えても

作者: 藤谷 K介(武 頼庵)



 自分には、母親に叱られたという記憶が無い。


 記憶が無いだけで実際は怒られた事が有るんだろうと思うかもしれないが、本当に1度も大きな声で叱られたことも、ましてや手を上げられたという事も無い。


 他の姉たちに聞いても、もしかしたら1度くらいはあるのかもしれないけれど、それでもきっと『ほとんど無い』と話すんじゃないだろうか?


 その位、私の母親は怒ることをしなかった。いつも優しくて、笑顔で、自分達子供の事を想ってくれていて、そして温かかったんだ……。



 もう母が亡くなって16年になる。


 今の私の事を見たら、きっと『もっとしっかりしろ!!』と言われてしまうんじゃないかなと思うけど、でももしかしたら未だに笑顔を見せて見守ってくれるだけなんじゃないかな? とも思ってしまう。


 こんな事を書いていると『マザコンか?』なんてからかわれてしまうかもしれないけど、そうじゃない。


 私や、私の姉たちはずっと母の事を尊敬しているのだ。

 亡くなった今も尚……。



 私の父親は、昭和初期の戦前生まれだ。少年期にあの戦争を経験している。母もまた昭和初期生まれで、実は母の方が父よりも学年的には一つ年上になる。早生まれだから。


 同じ苦難を乗り越えた同士だからこそ、その貧しかった時代を多感な時期として過ごして成長したわけだけど、父の方は少年から成年に変わる時期に少し道を外れてしまった。


 母の方はというと地元の地主的な立場だったのだけど、色々な事情からその立場を失ってしまった。


 そういった苦労の中で成長した後で、父と母は出会ったというわけなのだけど、その当時の事は私が成長した後になっても話をしてくれなかった。


 恥ずかしかったからなのかって――いや、きっと色々な事があったんだろうと推測している。



 今となっては珍しいと分類されるようになった『頑固親父』で『亭主関白』という父親像を表す言葉だけど、私の父親はいずれにも当てはまる人物で、更に悪い事に『酒癖が悪い』も当てはまる。


 酒に呑まれていないときは、優しさを見せる所は有るが基本は『自分が正しい』というスタイルで、他人の話を聞かない。そうして人と何かもめたりすればその場でも暴れるし、帰って来て家でも暴れる。


 常に顔色を伺いながらの生活をしいられてきたのだけど、そんな中でも母はずっと子供側に立ち、盾になりその名の通り体を張って父を止めてくれていた。


 何度も一緒に家から逃げ出した事もある。でも何日か過ぎれば家に戻るのだが、その時は父は普段通りの性格になっているので、そのまままた一緒に過ごすなんて事がしょっちゅうあった。


 一度だけ母に聞いたことが有る『別れちゃえばいいのに、どうしてしないの?」と。


 母はにこりと笑って『あなた達が大きくなるまで育てるのが私たちの義務なのよ。それを放り出すわけにはいかない』と言っていた。


 私はまだ幼かったから母に守られる事しかできなかった。

 


 そんな母が倒れてしまったのが、私が小学生になる少し前の事。

 突然父に連れられて病院へと向かったのだけど、病院のベッドに横になりつつも、私にニコリとほほ笑んでくれた。

 心配させたくなかったんだと思う。しかしその時から――いや、もっと前からきっと母は病気と闘い始めていたんだと思う。


 何しろその時から入院生活が始まるのだから。


 1年、2年と入院生活を余儀なくされ、家庭内の事は姉たちがするようになった。

 そのおかげと言っちゃうと不謹慎かもしれないけど、私も自分が食べるモノを自作するまでにはなった。

 入院生活をする中で、時折お見舞いに行っていたんだけど、そんなときはずっと辛いなんて一言も言わず、ずっと優しく微笑んでくれていた。本当は帰りたいはずで、病気だってそこまで帰れないのであれば重いものだと理解はできるはず。でも母は不安そうで辛そうな顔をみせない。

 幼い私はそんな時も何もできないでいた。いるしかなかった。


 当時だからもう40年以上前は、私の地元では治療することが難しく、医療体制も今ほど広まっていなかった病気の名は『腎臓病』で、治療には『人工透析』が必要。しかし大きな町などにしか無く、母は隣町の大きな病院で入院していた。

 

 ようやくというか、医学や医療が進歩して、地元の病院でも出来るようになったのは、母が入院した当初から10年程はたっていたと記憶している。


 それから母は家へと戻って来て、自宅から地元の病院へと通う事になるのだけど、当初は週2回通うという事でその日は当然ながら母はいない。

 患者さんが増え始め、比較的曜日は決まっていた通院日だったけど、影響をうけて土曜日などにも治療出通う事になると、その日は学校が午前中で終わるために自分で食べるモノなどを用意いなくちゃならないので、更に料理するスキルは次第に上がった。


 数年続いた後に、母の病気が悪化し、週2回だった通院日は3回へと変わる。


 そうして治療を続けて25年が経過し、私も大人へとなっていた。


 この間にも色々あったんだけど、今回はその辺りは省略しますね。表では書けない事もあるし。



 ご存じの方もいらっしゃると思うんですが、透析って体の中の血液を一度体外に出し、機械を通す事で綺麗な血液をまた体内に戻すという治療法なんですよ。

 それだけかと思われるかもしれませんけど、人ひとりの血液を抜いて綺麗にして体内に戻すのって時間がかかるんですよね。そして治療を受ける側もその分体力が落ちる。


 母は体力があった方だと思うんですが、透析を受けて帰って来るとその日は動けない程に弱り切って横になってました。


 だから体力が衰えていくのも早かった。そうなると――。


 

 私は姉はいますが兄はいません。いやいたのですが私が幼い頃に事故で既にこの世を去っていて、実質私が長男的な存在として育てられました。


 両親とも高齢で私が生まれたので、今後の事も考えてだとは思うんですが、早い時期から冠婚葬祭などに私も同伴で行くという事が増え、高校を卒業するとすぐに『代替わりだ』として親類などの集まりなどには私がいくようになります。


 運が悪いというか、巡り合わせというか――。


 成人式を過ぎて少し経った頃、父が働いていた先で事故にあい、生死を彷徨う程の重症を負います。

 復帰はできましたけど、以前と同じようには生活できなくなり、もちろん仕事もできないので家にいる事が増えました。

 どうにか母の送迎は出来るというのでお任せし、その分は私たち姉弟が働きながら支えるという生活にシフト。


 母はもう一人で歩く事も危うい状態になってましたので、送迎だけでもしてくれるのはありがたかったですね。

 父もこの頃になると、丸くはなってましたね。

 

 その生活も数年、十年と過ぎる頃、母はとうとう逝ってしまいました。


 最後まで辛いとか言わず、私達の顔を見ると笑って迎えてくれるそんな暖かな人でした。


 私が結婚するとお相手の女性を連れて行った時、母は既に1日の大半を横になって過ごしているという状態だったのですが、それでも起き上がり、お相手の女性を見てしっかりと手を握って笑ってくれました。


 最後に何か言っていたようですが、お相手の女性は何を話したのか教えてはくれません。もしかしたら話したことも忘れているかもしれませんがね。


 本当ならば孫の顔でも見せて上げられたら良かったのでしょうけど、逝ってしまう前には叶わぬことでした。

 まぁ私の姉に子供がいるので、孫は見れたという事で良しとしましょう。



 姉が尊敬する人を挙げる時、一番初めに出るのは母の名です。

 子に優しく、いつでも明るく接してくれた母の温かさが自分の中では一番尊敬する人だと語ってます。


 そして私も母を尊敬しています。


 今もきっと空の上で私たちの事を暖かい目で見守ってくれている事でしょう。



 


 先日ですが、3月18日は私のリアル誕生日でもあるんですが、実は母が亡くなった日でもあるんです。

 忘れることが出来ない、ずっと一緒にその日の事を思い出として残り続けていくでしょう。

 私がこの世界に居る限りは……。



 もしも神様がいて、自分の死後転生させて下さるのなら、わたしはまた貴女の元に生まれたい……。




御読み頂いた皆様に感謝を!!


 リアル誕生日を迎えてちょっと物思いにふけってみました。

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