第6話 魔染病
旅はいつも青空の下にあるとは限らない。雨でぬかるんだ野道には、足跡が3つ残されていた。
ロールス村を離れてから2日。
アスも加わって3人で旅を続けて来たが、突然の雨に襲われ、その体力は奪われていく。
「2人とも大丈夫ですか?特にアスは旅を出て間もないですから」
僕は「大丈夫」と返事を返した後、明日の方を見る。大丈夫だと返事を返すが、アスは僕と違って半年の準備期間などはしていない。今は大丈夫でも、体調を崩しかねない。
早く雨を凌げる場所を見つけたいところ。そうして森の中を歩いていると、目の前に一つの小屋が見えて来た。明かりがついており、人が居そうだ。
クミさんは小屋の扉を叩く。……中から返事はなく、クミさんはもう一度叩こうとする。
すると、扉が開けられ、中から初老の男が顔を覗かせた。
「………誰だ」
「私はクミ・ヴィバール。私達は旅人です。雨がひどくなって来たので、雨宿りさせてくれませんか?」
男はすぐに返事を返さない。家の中を何回か振り返る仕草を見せた後、次に男は僕たちの事を観察する。僕達…と言うよりは僕達の持っている武器を見ている。クミさんの大剣、僕の剣と魔法の杖、アスの剣。それぞれを見つめた男はようやく口を開いた。
「武器は回収する。それでも良いなら入れ」
「なぜです?」
「なんで?急に武器を持った人間を家に入れるか?旅人のふりをした強盗かも知れない。子供が2人でも安心はできない」
その言葉に、一瞬怪しむ様子を見せたクミさんだったが、男の要求に従うことにした。
武器を男に預けて家の中に入る。
その瞬間ー。
「動くなぁ!動けばこいつの命は無い!」
僕の顎下に男が隠し持っていたナイフが突きつけられる。
クミさんとの修行のお陰で、僕はナイフへの焦りや恐怖は無い。それより、男がここまでする理由の方が気になった。
「これからある部屋に案内する。が、その事を誰にも言うな。そして…息子には何もしないでくれ」
そう言うと、男は僕にナイフを突きつけながら奥の部屋へと入っていく。その後をクミさんとアスは大人しくついていく。
「っ!?」
「え?ま、魔物…?」
「いえ……これは…魔染病です」
部屋の中には魔物…のような人間がベットに横たわっていた。
人…の形をしているが、肌は鱗で覆われていてどす黒い。顔は歪み、ツノが生え、髪の毛は白く変色している。人型の魔物。そう言い表した方がわかりやすいだろう。
「ク、クミさん魔染病って…?」
「魔染病は……魔族の血、あるいは大量の魔力を摂取する事で体が変異し、魔物へと変わってしまう病気です」
クミさんの説明に付け加えるように男は話し出す。ナイフは首から離れ、ベットの方にフラフラと歩き寄った。
「…そこの女の言う通りだ。俺はトヒーイ。…6日前、魔物の死体から血を摂取してしまった息子のロティは魔物へと変わってしまった。だが!まだ助かる筈なんだ!こいつはまだ自我を持ってるし、話せる!体も薬草さえ手に入れば、薬が作れて治るはずなんだ!」
訴えるようなトヒーイさんの声に気が付いたのか、ベットからロティさんの声が聞こえた。
「うぅん…パパ…?」
「ロティ!ご、ごめんな?起こしちゃって……今出てくからな。何か欲しいものはあるか?」
「…お水」
「わかった…!すぐに持ってくるよ!」
男は先ほどの様子とは打って変わって、息子の前では大人しくなった。まるで何かに怯えるように。
部屋を出て、僕達はトヒーイさんが水を届け終わるまで待っていた。リビングには、割れた大きな鏡が立てかけられていた。息子が自分の姿を見れないようにした…そんな考えが頭をよぎる。
水を届け終わったトヒーイさんは、深々と頭を下げて懇願し始めた。
「頼むっ!一緒に薬草を取り合ってもらえないだろうか!先程の愚行は詫びる!…どうか!息子はまだ助かるんだ…!」
僕はただトヒーイさんを見つめることしかできなかった。僕にとって父親という存在は無縁に近かった。父は子を守る。そんな物を見たことも無かった。だから、僕は何も喋らなかった。
「………ノア、アス。2人はどうですか?」
「クミさん。僕は助けたいと思いました。まだ助かるのなら助けてあげるべきです」
「僕は…2人と同じです。薬草…取りに行きましょう」
これが僕の精一杯の返答だった。
○ ○ ○
外の大雨は小雨に変わっていた。湿気の多い森の中を手分けして探す。歩く度に泥が、足跡を記憶するように形に残していく。
しばらく森の中を歩き回り、薬草を探した。それでも薬草は見つからなかった。
「くそっ!」
森の中にトヒーイさんの怒りの声が響く。
雨が降り頻る中。クミさんは濡れた前髪をかきあげながら遠くを見つめる。
「トヒーイさん。あそこにいる旅人に聞いてみませんか?」
クミさんの指差す方向には大きめのテントが一つ立っており、人の活動した形跡があった。
近づいて声をかけると、中から3人の男が顔を覗かせた。
「な、なぁ君たち。ブゴウ草を勿体無いかい?持っていればこの私に譲って欲しい。勿論ただでとは言わない!頼む…」
驚いた表情を見せた旅人だったが、快く薬草を差し出してくれた。
「お金も要らないですよ。別に私たちには必要なかったですし」
「ありがとう!本当に…ありがとう…!君たちには、心の底から感謝する!」
トヒーイさんは自分よりも若い旅人に頭を深々と下げた。
家に戻り、トヒーイさんはずぶ濡れのまま薬を作り始めた。
1時間後。薬が出来たらしく、彼は喜び、僕達に泣きながら感謝し始めた。
「ありがとう!最初…ナイフなんか突きつけて悪かった…。許してくれ」
「良いんですよ。お薬が出来て良かったです!」
「ノアもこう言っていますし、先程の行為は不問にします。…ああ言う行動をしなければ、私達も息子さんに刃を向けていたかもしれませんしね」
「それよりも、早く薬を飲ませてあげましょうよ!」
アスの言葉にハッとしたようにトヒーイさんは薬を握りしめて部屋の扉を開ける。
しかし、目の前に広がった光景は…僕達の努力を嘲笑うように裏切った。
「なっ…!?ロティ?ロティ!!どこだぁ!?」
ベットに居たはずのロティさんの姿は無かった。窓が開けられていて、そこから逃げ出したように見えた。
「なんで!なんで窓から…」
「落ち着いてくださいトヒーイさ…」
トヒーイさんに寄り添おうとして、歩き出した時に足元に違和感を感じた。
視線を落とすと、届けたはずのコップが地面に落ちて水が溢れて、小さな水溜まりができていた。
その水溜まりに僕の顔が映り込む。
嫌な考えが頭をよぎる。
リビングの鏡は破られている。ロティさんが自分の姿を…魔物になってしまった姿を見ないようにするため。
でも、鏡以外のもので自分の変わり果てた姿を見てしまったら?ロティさんがコップを倒してしまった。そして、地面に溢れた水に映る自分の姿を見てしまったら………。
「っ!ロティィイイイ!」
トヒーイさんは薬を握りしめたまま、外へと駆け出した。
僕達はその後を慌てて追いかける。
雨足は先程よりも強くなる。
走る度に泥が跳ねる。髪も服も全てがもう一度濡れてぐちゃぐちゃになる。
そして…僕達は目を背けたくなる現実を突きつけられた。
「ロ…ティ…………?」
先程出会った旅人たち。3人の男の真ん中には魔物の死骸があった。
白い髪、黒く、鱗で覆われた肌。それはロティさんだった。
トヒーイさんは持っていた薬をその場に落とす。
「ん?さっきのおっさんじゃねぇか!あんたと別れた後、魔物が凄い勢いで走って来たからよ。あんたの事心配してたんだ。大丈夫だったか?」
旅人に悪意は無い。それどころか、僕達のことまで心配してくれた。本来なら頭が上がらないところだろう。その魔物がロティさんで無ければ。
「大丈夫…だぁ?お前達のせいで……息子はっ!お前達のせいでぇぇええええ!!!」
トヒーイさんは叫んだ。怒りに身を任せ、先程まで感謝しきっていた旅人に罵声を浴びせる。
その姿はまるで魔物。いや、もっと恐ろしい何かだ。
「な、なんだよ…。急にどうした?い、行こうぜ」
旅人はただならぬ雰囲気に負けてその場を立ち去った。
静かになったトヒーイさんに僕は言葉をかける。
「トヒーイさん?………その…なんと言うか…大丈夫…ですか?」
さっきの旅人と同じことしか言えなかった。
トヒーイさんは、亡骸になったロティさんを抱え、少し頭を撫でた後、何かをぶつぶつと吐き捨てて森の中へと消えていった。
その後…僕はある事を思い出した。トヒーイさんは、僕を脅すために使ったナイフをまだ持っている事を。
トヒーイさんの家へと戻り、体を乾かして、武器を取り戻し、僕達は旅の続きをする事にした。雨は止んでいなかったが、僕もアスがここに留まりたくないと言ったからだ。
「ノア。アス。魔染病は恐ろしい病です。気をつけてください。魔王が死んでも、魔族は消えない。そして、こう言った不幸を消すために…我々人類は魔族と戦っているんです」
クミさんはそれだけ教えてくれた。
さらに冷える雨の中、僕達はトヒーイさんとロティさんの家を後にした。