第5話 最初の村
僕はずっと村から出たことがなかった。兄が出て行った後も、兄が勲章になって帰って来た時も。村から出ようとしなかった。
村の外の世界は想像以上に広かった。
クミさんと旅を始めて、いろんな初めてを食べて、見て、経験した。僕の背よりも高いキノコ、いろんな動物。中には魔力を持つ動物「魔法動物」と言うものも見ることが出来た。
旅を始めて3日。あらゆるものが新鮮で果てしなく広い。
空は青く広がり、さっきから進んでいる森は、無限に広がっているのでは無いかと思うほど緑が続いている。歩き続けても不思議と疲れは感じなかった。
「………。ノア止まって」
「え?………あっ」
ゆったりと森の中を歩いていたが、クミさんの一言で空気が変わった事に気がつく。
目の前に…狼のような見た目の魔物が居る。初めて魔族を見た。確か…名前は「トクシーウルフ」。牙に強力な毒があったはず。
クミさんはゆっくり腰の剣に手をかける。それを見て僕も魔法の杖をトクシーウルフに向ける。
トクシーウルフはこちらに気がつく事なく、走り出す。まるで何かの存在に気がついたように。
「っ!後を追います!」
「は、はい!」
トクシーウルフを追いかけると、その先には1人の子供が森の中を歩いていた。トクシーウルフは息を殺してその子に向かって行く。
「ノア!」
「はい!恵の雫……」
標準を合わせて詠唱を始める。クミさんは剣を抜いて一気に距離を詰める。
子供が魔物と僕達の存在に気がつき、驚いたのか尻餅をついた。魔物が飛びかかろうとした瞬間を杖から放たれた魔法弾がトクシーウルフに直撃する。吹き飛ばされた所をクミさんの斬撃が追い打ちをかける。
「ヴォォオオ!」
クミさんに切り刻まれたトクシーウルフは、黒い塵になって霧散した。まるで最初から存在しなかったかのように。
怯えてその場に座り込む子供に僕達は近づいて手を差し出す。
「大丈夫?もう安全だよ」
「あ、ありがとうございます……」
震えた手は僕の手を強く握る。その不安を取り除くように僕も強く握り返す。
僕と同じくらいの男の子。青い瞳には涙を溜めている。空と同じ色をした青い髪は転んだためか、少しボサついている。手には籠が握られていて、中にはキノコや、薬草が入っていた。食材を取りに来ていたところを襲われたのだろう。
「魔物は倒しましたが、ここを離れた方が良いでしょう」
「な、なら!僕の村まで来てください!お礼がしたいですし…」
「そうですか…では、とりあえずあなたの村に案内して貰えますか?」
「はい!こっちです」
彼について行く途中で、クミさんは僕にだけ話しかける。
「さっきは助かりました。初めての戦闘にしては上出来です。これからも頼みますね」
クミさんからの感謝。初めての魔物との対峙は呆気なく終わったけど、一生忘れることはないだろう。
クミさんの言葉が嬉しくて、少しだけ足取りが軽くなる。
○ ○ ○
ロールス村。それが彼の住む村の名前だった。
エデル村より少し大きい村で、僕とクミさんは暖かく迎えられた。そう、もう熱いくらい歓迎された。
村の皆んなが僕達を囲むように集まり、1人づつ感謝を述べ行く。その後、村長の家へと半ば強引に連れて行かれ、椅子に座った僕とクミさんの前にご馳走が並べられて行く。
「ク、クミさん。いつもこんな感じなんですか?」
「いや、人助けだけでこんなに感謝されたのは初めてですね…」
クミさんも村の感謝の仕方は異様だと感じているらしい。
少しだけ村人を疑いながらも、ご馳走を口する。
近くの森で採れたという猪のステーキを口にする。…僕はこの食事を忘れないだろう。今までご馳走を食べた事はなかったので、僕は驚きと感動が入り混じり、クミさんにその凄さを語り出す。
「す、凄いですよ!これ!こんなに美味しいご飯初めて食べました!」
「良かったですね。確かに私もこんな食事は久しぶりにしました」
元メシア騎士団のクミさん。世界を救った剣士なら、もっと豪華な食事もしたことがあるのかもしれない。
そんな食事に舌鼓を打っていると、村長とさっき助けた彼が部屋の中へと入って来た。先ほどとは違い、彼は綺麗な模様が入った洋服へと着替えていた。その服装から高貴な印象を受ける。
「改めましてこの度はこのアスベル様を助けていただき、ありがとうございました。本当に助かりました」
「いえ、僕達は当然事をしたまでですよ」
「なんて寛大なお心の持ち主なのでしょうか…!」
「僕からも感謝申し上げます。僕の名前はアスベル・ジャック・シュベルトと申します。お二人に助けられなければ私は今頃死んでいたでしょう」
「その名前は、貴族の方ですか。…なら皆さんの過剰な反応にも納得が行きますね」
クミさんの言葉にアスベルさんはゆっくりと頷く。
僕達が助けたのは貴族の子供だったらしい。でも、中央帝国から離れたヘルエア島の小さな村に、なぜ貴族がいるのだろうか。
その疑問を読んでいたようにアスベルさんが説明し始める。
「お二人も疑問に思っている事でしょう。なぜ貴族がこんな村に居るのか。……僕は5年前の第一次魔族滅却戦争の影響でこのロールス村まで逃げて来たんです。僕の家は魔人に襲われ、家を焼かれ、すべてを失いました」
アスベルさんは淡々と逃げて来た経緯を話す。悲しむ様子もなく、人形のような無表情で。
「魔人…テーラ王国のサターナ軍ですね?」
クミさんは心当たりがあったのか、アスベルさんの話を遮って質問する。
「…はい。その通りです。戦場で指揮官として戦っていた父は狙われ、僕にも刃が向けられました。使用人達の犠牲に助けられ、このヘルエア島の更に東にあるこの村を目指したんです。僕はこの5年間。この村で育てられました」
「この村は、アスベル様のお父上アルス・ジャック・シュベルト様に助けられたご恩がありました。その為、アスベル様を我々は守って来たのです」
アスベルさんの説明に村長が補足を入れるように話す。
話終わった彼は、改めて僕達に感謝を言った後、部屋を出て行った。
見た目からも僕と歳が近い筈なのに、彼はまるで大人の様にしっかりしている。僕とは生まれ育った世界がまるで違う、そんな印象だった。
○ ○ ○
食事を終えた後、今日の宿泊に使って欲しいと、来客用の空き家に案内してもらった。この3日間は野宿だったので、これ程ありがたい事はなかった。
荷物を置いた後、ベットに突っ伏しているクミさんに僕は先程の話でわからなかったことを質問する。
「クミさん。さっきのテーラ王国ってなんですか?あと、魔人って…?」
「あぁ〜。ふぇーあおうほふはひたひあふ」
「………クミさん。枕で何も聞き取れないですよ」
クミさんは首を捻ってぷはぁと息をした後、もう一度説明し始める。
「テーラ王国は北にある軍事国家です。魔族と手を組んだ唯一の国で、テーラ人は人類の裏切り者と言われています。テーラ王国のサターナ軍は世界各国が危険視する実力が高い軍隊。その軍隊の中でも特に直命実行官と呼ばれる六人は特殊な力を手にしていて、各国で暗躍していると言われているんです」
「特殊な力…?」
クミさんはうつ伏せの状態から体を起こしてこちらに向き直る。
「……私達、メシア騎士団が倒したヴァルヴァトス第七幹部のうち、6体の魔族の力が使える人間なんです。力を解放すると、その姿を異形の姿へと変えることができるとか。人間でありながら魔族の姿、力を使える…それが魔人です。最悪な連中ですね」
クミさんの顔は段々と険しくなった。普段から温厚で冷静なクミさんが感情を剥き出しにする事は滅多にない。僕はそんなクミさんの一面を垣間見た気がした。
クミさんの話を聞いた後、僕は村長にアスベルさんの家を聞いて、家まで向かった。
特に理由は思いつかなかったが、なんとなく彼の話をもっと聞きたいと思った。もっと知りたいと思った。
ドアを叩くと、彼は少し驚きながらも快く家の中に案内してくれた。
「えぇと、僕に何か用ですか?」
「その…なんとなく話したくなって。あなたの事を知りたいと思って…ご、ご迷惑でしたか?」
彼は困惑した様子だった。それも当然だ。突然家に押し寄せて話したいなんて困るだろう。
「いえ、別に構いませんけど…。…そうですね、なんの話をしましょうか?」
「う〜ん。あっ!僕、最近村を出て旅を始めたんですけど、他の世界を知らなくて…。アスベルさんは他にもどんなところに行ったことがありますか?」
あまりに突拍子もない話題だったのか、アスベルさんは少し困惑しながらも、この村の外の話をしてくれた。
アスベルさんはお茶を用意してくれた。でも、話の方に集中していた僕は、せっかく用意してくれたお茶に口をつけなかった。
外には、今日食べたご馳走よりも美味しいご飯があるらしい。
外には、大きな学校…?という物があるらしい。
外には、この村の何倍も大きい空飛ぶ船があるらしい。
空には、大きな龍が飛んでいるらしい。
他にもいろんな世界が広がっているらしい。そんな話に僕は食いつくように聞いていた。
その後は、僕の事も話した。旅に出た理由。クミさんのきつい修行の数々。唯一の親友の話。色んな話をした。
彼も楽しくなってきたのか、どんどん話は弾んでいく。
机の上に置かれたお茶は、2つとも冷え切っていた。
「はぁ〜いっぱい喋ったね!」
「そうですね。お茶も冷めちゃいましたね」
そう言って彼は冷えたティーカップに口をつける。
そんな彼に僕は一つの純粋に思った提案を持ちかける。
「ねぇ、僕たちと一緒に旅をしませんか?」
「ブッ!ゴホッゴホッ!」
思いがけない提案だったのか、彼はお茶を吹き出すほど驚いた。
「ぼ、僕が?逃げて来たんですよ?そんな僕が旅だなんて…」
「でも、色んな世界を見てみたくないですか?話してる時のアスベルさん。すっごく楽しそうでしたよ?」
「……」
「それに逃げても、また立ち向かえば良いんじゃないですか?」
ここまで執着したのは人生で初めてかもしれない。でも、なぜか。心から彼を手放してはいけないと。そんな気がした。
「………。僕、昔からお伽話に出てくる勇者に憧れてたんです。あなたのお兄さんにも憧れてた。だけど、僕は戦争から逃げて来た。そんな僕でも………旅に出れるかな?」
彼の手をとって大きく頷く。
「よろしくお願いしまーむっ!」
僕の唇を彼の人差し指が押さえつけ、言葉を遮る。
「もう仲間なんでしょ?じゃあ敬語もいらない。呼び名もアスで良いよ!」
「ぷはぁ。なら、よろしくね!アス!」
最初の村で僕は一つの大切な物を学べた気がした。