第4話 巣立ち
ここ半年間。半年前は静寂に包まれていた約束の丘には木刀がぶつかる音が響き渡っていた。
木刀だけじゃない。魔法を打つ音、時には子供の遊ぶ声が聞こえてくることもあった。
しかし、今日の丘にはいつもと違う雰囲気が漂っていた。
「ふぅぅ。……っ!」
短く息を吐いたあと、大地を強く蹴って、両手で剣を構えるクミさんに向かって行く。
クミさんとの試合稽古。これで何百…いや、何千回目だろうか。
秋くらいの時は、まだ実力不足でクミさんも片手で稽古をしていた。
でも、今はクミさんともしっかりとした試合が出来るようになって来た。体もまだまだ未熟なところはあるけど筋力もついたし、剣の腕も上がった。
三代流派の水仙、白夜、刀神。その全ての流派の剣を習得することができた。
とは言っても、まだ「団級」程度だけど。
クミさんに向かって飛び出した僕は、間合に入った…瞬間に右脚を強く地面に突き立て、体のスピードを殺す。クミさんの剣は僕の予想外の動きについていけず目の前で空振る。その瞬間に浮かせていた左脚で地面を蹴ってもう一回勢いをつける。
刀神流 雷光一閃。雷のような速度で相手を斬る一撃必殺に近い技。それをクミさんは刹那驚きながらも、勢いよく後ろに回転しながら飛んで避けた。
一歩も譲らない戦い…のように見えるだろう。
右肩を狙って振り抜き、胸部の突き、左脇腹を狙うふりをして左手首を斬る。それをいなされ、次の攻撃へ……。
数ヶ月前とは見違える戦い。だが、僕が実力をつければつけるほど、クミさんの実力もなんとなく感じ取れるようになっていた。
クミさんの実力は計り知れない。勇者と一緒に魔王と戦った実績は伊達じゃない。まだ本気というわけでもなさそうだし、僕の師匠を超える剣士がこの世に居るとは到底思えないほどだった。
稽古が終わり、僕は軽く息を整える。吐いた息が白くなって空に消える。
結局一本も取れないまま今日の稽古も終わってしまった。
「…ノア。明日は休みにします。そして明後日は…旅に出る為の試験をしましょう」
「え?」
突然の提案に理解が追いつかない。
つまり、明後日の試合が最後の修行。旅に出るかどうかを決める試験になるという事。
この半年の全てをぶつける試合になる。明日の休日はそれに備えろ…という事なのだろう。
もう終わり?この修行も?ムニとはもう会えないのだろうか。そもそも、僕は自分自身をまだ認められていない。魔族と戦って勝てるのか?魔法も二門までしか開けない。それなのに…明後日の試験で終わり?
戸惑う僕の首筋を汗がじっくりと流れ落ちる。
○ ○ ○
いつもの木の下で、いつものようにムニを待つ。
遠くからマフラーを首に巻いたムニがやってくる。手には変わらずバスケットが握られている。こうして会えるのはもう無いのかもしれないな。
ムニが僕の存在に気がつき、笑顔を見せながら手を振る。それに応えながらこちらからも歩み寄る。
「こんにちはっ!ノア!最近急に寒くなったよね〜。ノアはマフラーとか巻かないの?寒く無い?」
「う〜ん僕はこれくらいの寒さなら平気かな」
「え〜?そんなこと言っても寒いものは寒いでしょ?ほらっ!これあげる!」
そう言うと、バスケットの中から麻の袋を取り出し、僕に差し出す。
「これは?中、見てもいい?」
「うん!ノアの為に作ったんだ〜」
作った?
小さな麻の袋を開けると、中にはムニが巻いているマフラーと全く同じマフラーが入っていた。
「これから冬だから必要になるかなーって。あっ!必要なかったら、そうだな…雑巾にでもしちゃって!?」
僕の事を思って作ってくれたのだからそんな事はしないが…。ムニは勝手だったと今になって後悔し始めた。
僕はマフラーを首に巻いた。温かい。寒いと自覚していなかった。いや、平気だと思い込んでいたが、マフラーの温もりには勝てない。
「…うん。すっごくあったかいよ!ありがとうねムニ」
「えへへっ!なら良かった!これから魔法見せてもらう時もこれなら寒くないよね」
そんなムニのこれからも続く、と純粋に思っている眼差しと言葉に僕は口を閉ざす。目線を外し、俯く僕をムニは心配そうに覗き込む。
「どうしたの?ノア」
「…もしかしたら、もう会えないかもしれないんだ………」
「え?…それって……どう言う事?」
僕たちは木の幹にもたれるように座り、事情を彼女に話した。
ムニは寂しそうな表情をしていたが、話終わるとその表情を上書きするように笑顔を作ってこちらに向ける。
「良かったじゃん!やっと旅に出られるんでしょ?ノアはこの半年でびっくりするくらい成長してたし、大丈夫だよ!」
「…うん。…その……寂しくない?」
まるでそう思って欲しい様に聞こえるかもしれないが、ムニにはこの質問を理解できるだろう。
彼女がどう思っているかわからない。でも、少なからず僕はこの休日をいつも楽しみにしていた。村で唯一の友達。楽しい時間を共有できた数少ない存在。そんな彼女との別れは僕としても寂しく感じる。
「……本音を言えば寂しいよ。でも。素直に送り出すのも…友達でしょ?」
彼女の表情に再び寂しさが現れたが、彼女はそれでも笑顔を向ける。噛み殺しきれない寂しさを抑えながら。
親友との別れ。その最後は笑顔の方がいいと信じているから。
○ ○ ○
冬の始まり。今朝は一段と冷え、クミさんの家に行くまでの道には霜が降っている。
クミさんはもう既に庭に出ていて、その両手には2本の真剣が握られていた。
「きちんと魔法の杖も持って来ましたね。ではこれを。今日の試験はノアの本気を見せてください。魔法も使えばノアは軍級くらいはあるでしょう」
この世界の強さの計り方は6つの級に分けられる。
兵級、団級、軍級、国級、帝級、界級。
一人の兵士に匹敵する強さなのか。団体の兵士に匹敵する強さなのか…と言うように階級分けされる。
僕は右手に魔法の杖。真剣を帯刀してクミさんから離れる。
歩く度に地面からざくりと音が聞こえる。歩きながら、鞘から真剣を少しだけ抜くと刃が鈍く光っていた。
真剣。木刀とは違い、下手をすれば死ぬかもしれない。これは本気の殺りとり。旅に出る資格があるかどうか。それを試される。
充分に離れた所で振り返り、杖を握り締めて構える。
クミさんも真剣を抜いて構えをとる。その瞬間、相手の殺気が背中をじっとりと撫でるように僕に襲いかかる。
気が遠くなるような空気の重圧。
冬の寒さが手足に伝わりゆっくり震え出す。
パラパラと雪が降り始め、吐息が白く流れる。
お互いに構えているだけなのにそれだけで息苦しくなる。
実戦に開始の合図はない。先手を取るかどうか…。目を瞑って何度も脳内でクミさんと戦い、覚悟を決めた。
目を開け、呪文の詠唱を唱え始める。
「一門!大地の力。有の弾丸…」
クミさんは僕の詠唱を聞いた瞬間に走り出す。真っ直ぐこちらに駆けてくる姿に焦燥感を感じながらも詠唱を続ける。
まだ。まだだ。あと、もう少し…。
クミさんが右脚を踏み込んだ瞬間。地面が光る。
「なっ!?」
クミさんから距離を取ったのは呪文を詠唱する時間を稼ぐ為。それと、歩きながら罠魔法を設置する為。大した時間稼ぎにはならないだろう。でも、その一瞬が命取りだ。
魔法で足元がぬかるみ、足を取られたクミさんの動揺につけ入るように詠唱を終えた魔法を撃ち込む。
「岩砕砲!」
「くっ…」
撃ち込まれた三つの岩の弾丸は大地を抉る。轟音が鳴り響いたあと、その場に静寂が訪れる。
これで倒せる訳がない。タイミングを伺っているはず…。僕はすぐさま詠唱を始める。
砂塵からクミさんが飛び出してくる。ギリギリの所で魔法をぶつける。ムニに見せた水の魔法だ。
「………水魚遊軍!」
「ふんっ」
2体出された水魚は、クミさんに一瞬で斬り伏せられる。この距離じゃ魔法を使うことは出来ない。杖を投げ捨て、鞘から剣を抜く。
キイィン。刃と刃がぶつかり合う。
クミさんはいつもの動きじゃない。普段の数倍速い剣の振り、体捌き。ついていくだけでやっとの速度。
なんとかしようと、僕はカウンターを狙う。クミさんの剣を受け流す体制に…する事ができなかった。体が言う事を聞かない感覚。体が一瞬固まったように動かず、僕の剣は弾き飛ばされ、空中に舞う。
首に鈍い光を放つ真剣が添えられる。
負けだ。圧倒的な力量を見せつけられた敗北。
首からゆっくりと剣が離され、目線は刃からクミさんへと移る。
「…中々やりますね」
「はぁ…はぁ…。お世辞はいいですよ。僕は…やっぱり旅に出る資格がないんです」
何も出来なかった。実力があるから、なんて言い訳は実戦では通用しない。結果は結果だ。どんな返事が返ってきても甘んじて受け入れるつもりだ。
「………合格です。あなたは充分に強くなりましたよ」
「…え?で、でも僕はまだまだですよね?魔族にも勝てないですし…」
「あぁ…それは嘘です。あなたが慢心しないようについた嘘。もう既にあなたは魔族どころか、そこら辺の兵士よりも強いです」
「本当です…よね?」
「ええ。メシア騎士団の元剣士ですよ?約束します。これ以上は嘘をつきません」
やっと認められた。やっと旅に出られる。そう思った瞬間に目の前の景色が霞む。
「なっ!?なんで…泣いてるんですか?」
「だって〜!え〜ん!」
泣いた僕をクミさんはおどおどしながら慰めていた。
一瞬だが、ノアの体の主導権掌握。今のノアの実力なら、クミに傷の一つや二つ合わせることは可能だろう。
あの時、俺が体を止めていなかったらクミを傷つけてしまったことへの後悔が生まれ、旅に出ることをノアは後悔する筈だ。
海のような底無しの魔力量。驚異的な剣術の成長。このまま行けば、ノアは完璧な器になる。
裏切り者が…勇者マリス・ゴールドの名を聞くのはそう遠くない。
○ ○ ○
最後の修行から1週間後。雪が降り積もり、辺り一面に銀世界が広がる。
エデル村から旅立つ日。兄と暮らしてきた家の戸締りもこれで最後。帰ってくることは…あるのだろうか。
約束の丘に向かうと、背中に荷物を背負ったクミさんが居た。
「クミさん!支度出来ました!」
「忘れ物ないですよね?ん?そのマフラーは?」
「これは…僕の友達がくれたんです。唯一の友達が…」
首に巻かれた赤いマフラーを口元まで上げる。ムニとはもう会えないかもしれない。
「ノア〜!」
そうそう。こんな風にいつも元気に………ん?やけにリアルに聞こえ…。
「ノア!待って〜!」
「ムニ!?ど、どうして?」
本物のムニが村から駆け寄って来た。
息を切らし、膝に手をつきながら呼吸を整える。
首に巻かれたマフラーを巻き直して、伝えたかった思いをこぼし始めた。
「こ、これでお別れじゃないから!いつか!いつかまた会えるよね?!これでお別れは………寂しいよ!私ね!私…魔法使いになりたいの!勉強もするから、いつか…なんでも治せる魔法使いになるから…!」
今にも泣き出しそうな声で訴えかけるように最後の挨拶をぶつける。
僕はムニの手を握って、ムニの気持ちに応える。
「会えるよ。絶対に会える。だから、それまでにムニも魔法使えるように頑張ってね!僕も頑張るから」
「うん!約束だよ!」
その後、ムニと腕が千切れんばかりに手を振って別れた。見えなくなるまでずっと手を振った。
少し寂しかったけど、僕は僕のやるべきことをやる。
エデル村を初めて出た僕はクミさんの後をついていくように歩き出す。
遠くなっていくエデル村は小さかった。