第32話 終曲
場面はエルアナとノア対ドロ・ディレティロの戦いへと戻る。
広範囲の無数の斬撃を受けた2人は、窮地へと追い込まれていた。
「あ、あああああ!!!うああ…!!あああああああ!!!!」
ノアの前には、両脚を切り落とされ、想像を絶する痛みから来る悲痛な叫び。地面に横になり、叫び続けるエルアナと、それを見て高笑いする最悪の罪人「洗脳」。その笑い声と叫び声は混ざり合い、ノアはただただ硬直する。
自分を庇い、致命傷のエルアナ。すぐに駆け寄り魔力を傷口は送る…が、血は止まらない。
魔力で無理矢理傷口を抑える行為は、回復魔法が使えない剣士が使う応急処置だ。
ただし、それはあくまで応急処置。今回の場合、あまりにも傷が大き過ぎる。両脚の欠損。その治療は、プロの回復魔法使いでさえ困難を極める。
「アハっ!アハッ!!アハッハハハハハハハ!良いですねぇ〜良いですよ!その叫び声と絶望の表情!!まさに狂想曲のような高揚カンッ!さぁ…もっと叫びなさい!!」
「がぁああ!!いだい!!」
「ッ!!!」
ただ魔法をかけることしかできない。血は止まらないし、悲痛な叫びと痛みで歪んだ顔はそのまま。目の前の状況に対して無力。出来ることが全くない。このままでは、エルアナさんは死んでしまう。
どうすれば…。
その時、草むらから誰かが飛び出してくる。突然の乱入。敵が味方か。僕はそれが誰だか一瞬わからなかった。しかし、その声を聞いて僕は彼女の婚約者の顔と名前を導き出す。
「エルアナさん!」
「え!?ヒルマさん!?」
草むらから飛び出してきたのは、剣を握り締め不安げな表情を浮かべるヒルマさんだった。泥で汚れた高価なシャツに、長さも大きさも合ってない剣を持つ姿は違和感でしかない。
そもそも、ヒルマさんは討伐隊に入っていないはず。何故こんなところに…。
「な、なんでヒルマさんがここに!?危険です!早く避難を!」
「私は軟弱者だ………。でも!それが…愛する人を戦場に向かわせて、自分は安全圏で指を咥える理由にはならない!!僕の指は、婚約者を守る剣を握り締める為にある!」
ヒルマさんの叫び声に気が付いたのか、エルアナさんは涙を浮かべた目で彼の事を見る。
「ヒルマ…さん…。なんで……」
「君の事を助けに来た!わ、私が時間を稼ぐ!君はこの薬を彼女に!」
ヒルマさんから手渡されたのは高級回復薬。僕の魔法よりも強く、手当が可能かも知れない。
僕に薬を渡すと、彼は「洗脳」に立ち向かうように剣を構える。構え慣れておらず、隙だらけ。手は震えている。しかし、決して逃げることなく、その覚悟を感じ取ることができる。
しかし、現実は理想じゃ成り立たない。一時の勇気だけで戦えるほど、目の前の敵は甘くない。
「ヒルマさん下がって。僕が相手します」
「おや?もう茶番は良いので〜すか?今私は気分がいいのでもう少し待っても」
「黙れ。僕はお前は…ただじゃ殺さない」
剣を抜き、左手で杖を構える。息を整え、外界の情報を断つように目を閉じ、意識を集中させる。
エルアナさんの負傷は僕の力不足によるもの。せめてもの償いとして、あいつの事は僕が片付けなければ。
構えをとり、魔力を高める。一撃で仕留める。
「そうですか……なら、望み通り死になさい!」
杖を一振りすると、数枚の空気の斬撃が空を舞い、こちらへ狙いを定める。僕はそれをギリギリのところで避け、距離を詰める。それだけでは無い。詠唱をしながら剣を構える。杖に魔力を込め、それを刀身に流すと剣に電気の魔法が纏われ、轟音と激しい光を放つ。
剣術には主に三種の流派がある。水仙流、刀神流、最後に白夜流。魔力を刀身に纏わせ、魔法の斬撃を放つことが出来る剣術。
他の二つは魔力を基本的には使う事はない。使ったとしても精精体に流して身体能力の向上に使う程度だ。
白夜流の剣術は、魔法を斬撃に加える剣。高威力な攻撃を仕掛けることが出来るが、その魔力操作の難易度は、杖を使った魔法のその比ではない。魔法を剣に込めるどころか、魔力を纏わせることすら普通の剣士ではままならない。
しかし、それを可能にするのがノアの構え方だ。杖で魔力を刀身に流す事で、安定した魔力操作と片手で剣を振ることが出来る。言うなれば、擬似白夜流と言ったところだろう。
距離を詰め、「洗脳」の懐に入り込む。相手の杖を振り下ろされるよりも速く。僕は地面を踏み込み、雷光を纏った剣を振り抜く。
「擬似白夜流!雷光一閃!」
「洗脳」の右肩から左脇腹を一気に切り裂く。傷口から鮮血が飛び、最悪の罪人は地面に倒れる。
「やった…やったー!ノ、ノアくん!凄いよ!あの最悪の罪人をやっつけるなんて!」
「………いえ、まだです」
確かに手加減はしていないが、無意識のうちに命を奪うことを拒否したのか……。
「洗脳」は血を吐きながらも、かろくじて息をしている。咳き込みながらも必死に空気を吸う姿は、最早敵とは呼べない。
「僕は…人を殺すことを躊躇ってしまった。お前たちはなんの躊躇もなく殺すのに」
僕はゆっくりと歩み寄り、「洗脳」の首元に剣を突き立てる。あと数センチで息の根を止められる。微かな酸素を取り込むその首に、剣を突き刺せば…。僕はそこで想像を止める。
「ハハッ………アハハ…ゴホッ!ハァーハァー。さぁ、殺してください?両脚を切り落とした私が憎いでしょ?さぁ……」
僕の揺れる心を見透かし、揺さぶるように自信を殺すよう迫る。そんな誘いに乗るはずがない……といつもの僕なら思っているだろう。しかし、今の僕ならなんの躊躇もなく殺すことが出来ると思う。
いっそ………殺してしまおうか…?
「ノ、ノア………」
「っ!エルアナさん!?」
背後から聞こえる弱々しい声の正体はエルアナさんだった。応急処置が終わり、痛みは少しでも和らいだのか、意識が朦朧としている中、僕に声をかける。
「ノア…あなたが堕ちる必要は…ありま…せん」
「………そうですね。わかりました」
そう言うと、僕は剣をゆっくりと振り上げ、首裏を目掛けて振り下ろす。
○ ○ ○
最悪の罪人「洗脳」ドロ・ディレティロの襲撃から一週間が経った。
街は復興へ向けて進み始め、怪我人の治療、死者の弔いなど着々と事態は進んでいた。
僕は元に戻り行く建物を見ながら街の門の所まで来ていた。僕達とナバロウさん、ヴァロニスさん、グリクスさんは最悪の罪人の護送を見守りにきたのだ。
僕達はクミさんを始め、ジン、ボーガスさん、アニーナ、香薬。それとアスを含めて全員無事だ。誰1人欠けることなく生き残ることが出来た。
みんなの無事を改めて実感し、安堵した所へ、帝国騎士団員の列がやってきた。厳重に護衛された二つの馬車がやってくる。
一つは、最上位貴族であるクレアデス・アンストースの乗る豪華な馬車。もう一つは、最悪の罪人が拘束された馬車。帝国宝剣をはじめとする騎士が馬車の周りを警戒している。あれじゃ、虫さえも逃げられなさそうだ。
あの時。僕は峰打ちを選び、「洗脳」を殺さなかった。僕は旅をしているだけだ。こいつと同じ、何も感じない人殺しに堕ちる必要はない。踏みとどまれたのはエルアナさんのお陰だ。
騎士達は一度止まり、帝国宝剣は一度馬車から降り、こちらへ向かってくる。そして、僕達へ深々と頭を下げた。
「この度は、我々の数々の失態をお詫び申し上げます。私が来ておきながらこれほどの被害を出してしまった事、自分の不甲斐なさを痛感しております」
ステラデスさんは今回の件について謝罪を始めた。実際、被害は甚大だ。たとえ街が残り、建物が元に戻っても心の傷は癒えはしない。
ナバロウさんの負傷も…。
「いや、これは互いに全力を尽くした結果じゃ。気にする事はない。ワシの左腕もたかが一本持って行かれただけじゃ!だって事はない!」
ナバロウさんは「洗脳」が用意した魔物との戦闘で左腕を失っていた。本人は気にしていない様だが、従える人たちは違う。特にグリクスさんはずっと顔を曇らせている。
「生きていればなんとかなるものだ。帝国宝剣様こそ我々のことは気にせず職務を全うなさってください」
「…そのお心の広さ、感服いたします。では、我々は最悪の罪人を中央帝国へと護送させていただきます」
そう言い合えると、向き直り今度は僕の前にやってくる。
「ノア様。この度は「洗脳」の討伐ありがとうございました」
「や、やめてください敬語なんて…ステラデスさんの方が年上…どころか、立場も何もかも上なんですから…!」
「そ、そうですか?なら…」
ごほんっ。と咳払いを一回すると、今度は普通の話し方になる。
「あなたは…君は凄いな。まだ10歳だろ?フリンケルから話は聞いていたが、これまでとは…」
フリンケルさん…懐かしい名前だ。元気にしているだろうか。彼も帝国騎士団長の一員なんだ。話す機会もあるのか。
「是非、帝国騎士団へ入団して欲しいものだよ」
「あはは…考えておきます」
「ふふ。では、私はこれで」
ステラデスさんは背を向けて馬車へと戻る。叔父であるヴァロニスさんには何も言葉をかけなかった。
恐らく、今回の戦いで救出することが出来たヴァロニスさんの奥さんであるリュウ・アンストースさんと戦闘になったこと。あと一歩で殺してしまう所だったことを悔いているのだろう。クレアデスさんに関しては馬車から降りようともしない。アンストース家の溝は深まってしまったのかもしれない。
○ ○ ○
「洗脳」の護送を見送った後、僕達はカモミール邸へ訪れていた。
これからの街の復旧、被害の把握と対処やる事は多い。
しかし、それ以上にすべき事がある。
「まずはこの場にいる全員に感謝と謝罪を。特にクミさん達には迷惑をかけた。申し訳ない」
会議室へ案内された僕達は話し合いへと参加していた。
「いえ、協力するかどうかは我々が自分たちで決めました。気にする必要はありません」
「……ありがとう…!」
ナバロウさんを始めとしたヴァロニスさんとグリクスさん。それと、金髪の女性が頭を下げる。
「それで、そちらの女性は?」
クミさん…だけではない。全員がその正体が気になって話が入ってこない。
その女性は前へと出て一礼した後、自分の名前を話し始める。
「初めまして皆さん。私は、前任帝国宝剣、ヴァロニス・アンストースの妻のリュウ・アンストースと申します。以後よろしくお願いします」
リュウ・アンストース。前任の帝国宝剣で、ヴァロニスさんの奥さん。その姿は恐らく時の姿のまま。20代後半の姿だった。ヴァロニスさんと並ぶとまるで祖父と孫のようだ。
「洗脳から解放出来たんですね!おめでとうございますヴァロニスさん!」
「ああ。君のお陰でもあるよノアくん。ありがとう。このままもう会えないと思っていた。本当に良かった……」
ヴァロニスさんの目には涙が浮かぶ。長年の苦痛から解放されたような。そんな明るい表情だった。
洗脳から解放された喜びを分かち合いつつ、話の話題は、一番の大きな傷の話へと移って行った。
「さぁ……エルアナの事についてだが………」




