第29話 指揮者と演奏者
その場の空気は冷え切り、遠くから聞こえる戦闘の声も徐々に静けさに飲み込まれる。息を整え構え続ける。
先程斬られた魔物プルザルは既に傷を治癒し終わっている。杖を構えた「洗脳」ドロ・ディレティロは薄気味悪い笑顔を絶やさない。
途方もない静かな睨み合いの中、風が僕達を吹き抜ける。
その瞬間、プルザルは僕めがけて拳を振り上げる。それに反応したエルアナさんが剣を振りかぶりながら瞬間移動魔法を発動しようとする。「洗脳」も杖を振り、魔法を放とうとする。
それぞれが行動し始めた中、ナバロウさんただ1人は既に行動し終えていた。
プルザルと「洗脳」をそれぞれ三回斬りつけ、僕達の前に立つ。誰もその行動を目で追うことは愚か感知すら出来ずにいた。
「ガハッ!?」
「ぐっ…これが歴代カモミール家剣士最速の実力…!」
「褒められても何も出んぞ?戦場で速く行動した者が勝つのは当たり前じゃ!」
いやいや。速いなんてものじゃない。頭で考えて魔法を発動するまでが限りなくゼロに近い速度で行われている。
カモミール家の瞬間移動魔法は一瞬で行動できるが、脳内で動きを思い描く必要がある為に発動までにどうしても時間がかかる。しかし、何度も戦場を経験したナバロウは脳内で約0.3秒で描き出し行動に移すことができる。まさに最速の剣士。
更に決闘の申し込みにより自身の魔力量の増加と魔法の効果拡大が付与されている為、5秒間の行動を0.5秒で実行することが可能となっている。
この攻撃を受け「洗脳」は自身の決断を一瞬後悔し、次の対策へと動き出していた。
「ふふ。ならばあなたには退場して頂きましょうか」
そう「洗脳」が呟くとプルザルがナバロウさんに突進を仕掛ける。
「命令:そいつを私の半径75mの範囲から追い出しなさい」
「ワカリ…マシタ」
「ぐっ…!?」
ナバロウさんに突進したプルザルはそのまま抱き抱えて高く飛び上がる。
このまま戦力を分断するつもりだ!
「ナバロウさん!一門 水激の矢…」
「ノアさん!それではお父様にも当たります!」
「!!」
撃ち落とそうにも撃ち落とさない。まずい。今ここで分断されるのは致命的だ。こうしてる間にもどんどん離れてしまっている。
考えろ。ナバロウさんを追いかける?いや、「洗脳」に阻止される。
考えろ。なら僕とエルアナさんで戦う?勝てるのか?そんじゃないだろ。勝てないとかじゃない。
どうする…!!
僕の頭の中で思考が激しく回る。だが、打開策は生まれない。それどころか最悪の状況に落ちつつある。こんな時…クミさんなら…。
「エルアナ!ノア!」
既に姿が小さくなったナバロウさんが必死に叫んでいる。
「後は…任せた!」
そう言い残すと完全に姿が見えなくなる。
そうだ。何のために来たんだ。僕は…。
「エルアナさん。絶対に生きて帰りますよ!」
「………ふふ。ええ、当然ですわ!」
僕とエルアナさんは罪人に刃を向ける。
「これで私もようやく演奏を始められそうです…ンフッ」
「洗脳」は杖を構えるとまるで指揮者のように杖を振るう。優雅に振るう姿は何処か見惚れそうな所作で命のやり取りをしているとは思えない物だった。
杖の握られた右手を振り上げ、動きを止める。そしてニヤリと笑みを見せた瞬間、エルアナさんが叫ぶ。
「避けて!!」
「っ!?」
横に飛ぶと、透明な斬撃が僕とエルアナさんの間を通り過ぎる。地面を切り裂き後ろの木を薙ぎ倒す見えない斬撃は僕を不安にさせるには十分すぎる物だった。
「あなた達には今の魔法をお話ししましょうか?このままじゃつまらないですしね。それに、決闘の申し込みは先程使ってしまいましたからね。同じ魔法を使うあなたでは発動出来ませんね」
「くっ!舐められたものですわね」
「んふふ…。今のは空気の斬撃です。私の魔法を空気を振動させたり動かす魔法です。魔力を空気中に放って空気を動かすので風魔法とは違いますかね。あれは風自体を魔法で作り出しますからね」
つまり、奴の魔法はこの場の空気を使って攻撃する魔法。それじゃあ奴は洗脳する魔法と二つ使えるということか…。見えない攻撃に加えて、発動条件もわからない、どうやって仕掛けてくるかもわからない洗脳の魔法。思った以上に厄介な相手。
でも。彼が使うのは魔法だ。エルアナさんやナバロウさんにはわからないことが僕にはわかるかもしれない。魔力の些細な動きを逃すな。必ず生きて帰るんだ。
「僕がサポートします。エルアナさんは自由に動いてください!」
「あら!ありがたいですわ!」
エルアナさんが姿を消した瞬間に僕の魔法を放つ。「洗脳」に魔法を掻き消された瞬間にエルアナさんの剣撃が襲いかかる。
エルアナさんが剣撃を放ち距離をとる。その隙に僕の魔法を撃つ。近距離戦と長距離戦を交互に繰り広げる。「洗脳」は攻撃を捌きつつも、反撃してくることはない。有利な立場に立てている。
「なるほど…少しは戦えるようですね。ですが、私は最悪の罪人です…よっ!」
地面を強く蹴ったかと思えば、杖を構えながらこちらに飛び込んで来る。狙いはエルアナさんではなく僕だ。
「一番厄介なあなたから消させていただきます!」
杖を僕の目の前に向け、口をゆっくりと開けて詠唱を始める。
「五門 狂操曲。命令:操り人形となりなさい」
言葉が鼓膜を揺らし、僕の意識は一瞬で揺らぎ遠のく。
今のが魔法?僕は今のを魔法による攻撃と捉えられていない。意識に直接作用する魔法。これが……洗脳魔法……。
「ノアさん!貴様!何をした!」
「これが私の洗脳魔法「狂操曲」ですよ。私の言葉を聞いた時点で、相手は私の言った通りになります。さぁ、これで二対一ですね?あなたはお仲間を殺せますか?アハハッ!」
「貴様…!!何人の命を弄べば気が済む!」
「知ったことじゃありませんよ!全ては私の手の中なのですから!さぁ……狂劇を始め」
「二門!火焔砲弾!」
「洗脳」が気分よく話している所に魔法を撃ち込む。粉塵の舞う中、僕は杖と剣を構える。
「ノアさん…?なんで?」
「馬鹿な!?私の洗脳が…効かない人間?そんな人間がもう1人…?」
「何でかは知らない!けど、効かないのならこちらの番だ!」
ノアは水仙流の構えをしながら杖に魔力を込め始める。
実際、ノアに洗脳魔法「狂操曲」は効力を発揮していた。しかし、ノアの中には兄であるマリスの意識がある。本人すら気が付いていない二重人格。その特殊な状況が洗脳を弾いたのだ。
洗脳魔法「狂操曲」は、相手がその言葉を聴くことで効果を発動する。しかし、ノアとマリスの二つの意識が存在するノアの体では、エラーが生じて魔法を無効化した。
そんな事を知らないノアは奇跡とも呼べる回避を見せ、反撃に出るのだった。




