第1話 5年前の昔話
ヴィバールさんは目を大きく開き、空いた口が塞がらずにいる。まるで石像になったように固まっている。余程驚いたのだろう、10秒ばかり硬直した後、ようやく口を動かし始める。
「と、ととと、とりあえず…中へどうぞ。詳しい話も聞きたいですし………」
「はい。失礼します」
ヴィバールさんに招かれ、家の中に入る。
家の中は外観とは違って意外と綺麗で清潔感が溢れていた。部屋には物が少なく、最低限の物しかない。「今お茶を出しますから」と言われ、部屋の真ん中にある机へと向かった。椅子に座って脚をぶらぶらとさせながらお茶を待つ。
ことん。ティーカップが目の前に置かれ、茶葉の香ばしく独特な香りが舞い、鼻に抜ける。
「それで………え〜っと、何から話し始めましょうか…。まず、その手紙を見せてくれませんか?マリス……お兄さんのお手紙?なんですよね?」
「はい。兄が生前残してくれた僕宛の手紙です。毎年、誕生日になると届くようになってるんです。今日が僕の誕生日で、この手紙が送られて来ました。とりあえず、どうぞ」
机の上に手紙を置く。ヴィバールさんは恐る恐るその手紙を手に取って中身を読み始める。手紙を睨む様に読み進める姿は、少し恐怖を感じる様な…何かを疑う様に見えた。
読み終え、深い溜息をついた後にお茶を一口で飲み干す。静かにティーカップを置き、僕の方に向き直った。
「…………本当にマリスの手紙なのですね。はぁ〜……こんなに取り乱したのは久しぶりです。まだちょっと困惑してますが、これは紛う事なき彼の手紙。書かれている事も本当なんでしょうね………こんな事…彼は何も……」
ヴィバールさんの顔が曇る。手紙にもう一度視線を落として読み直している。正直、僕も困惑している。同じ仲間で同じ旅をした彼女ですら知らなかったとすると、兄は何も話していなかったんだ。彼女が衝撃を受けるのも無理は無いと思った。
「あの………ヴィバールさん」
「クミで良いですよ」
「え?…じゃあクミさん………で」
「はい。好きに呼んでもらって構いません」
「クミさん。兄はどんな旅をしていたんですか?そして、どんな最後を迎えたんですか?」
「そうですね………話が長くなります。お茶を入れ直しましょう」
クミさんはもう一度キッチンで湯を沸かし、薬草や花をティーポットに詰めてお茶を淹れる。ティーポットには花と薬草が舞っていて、とても綺麗で見惚れてしまう。すると、クミさんはゆっくりと兄との旅の思い出を話し始める。
たった5年前の昔話を……………
彼と出会ったのは、ここから離れた場所にあるアルカナ大陸の中心部にある国家「中央帝国」と言う場所でした。
その当時、魔族が力をつけて権力を持ちまじめました。人々に危害を加える魔族も現れました。魔王の脅威も日に日に増していました。そんな魔族を根絶やしにするために中央帝国は大陸中の騎士、魔法使い、戦士をかき集め、魔王に立ち向かうためのパーティーを作る事にしました。名を「メシア騎士団」。魔王を殺す為に作られた、たった6人の騎士団です。
帝国の城に招かれ、就任式の時に初めてマリスを見ました。……貴方の赤茶色の髪と違って、黒髪で癖っ毛。凛々しい顔立ちで静かそうな人。それが私の第一印象でした。
その他の人もみんな個性が強い方でした。
国一番の魔法使いと謳われたユリウス・アルバート・クロノス。魔法は凄いですが、極度のめんどくさがり屋で苦労しました。
次に体術以外はなんでも出来るサポート魔法使い、吾妻総一郎。気が弱く、戦いの前は大抵お腹が痛くなっていましたね。
大陸一の力持ちで特殊な盾を使って私達を守ってくれたボーガス・ダイヤス。体格が大きい酒好きクソジジイです。
治癒術の天才で女神の加護を受けた修道女シスター・マーナス。ど天然女で彼女のせいで死にかけた事が何回あるか…。
そして、最後に。貴方の兄で、冷静沈着、頭脳明晰。なのに何事にも無関心で無反応。良くも悪くも静かな…最強の勇者マリス・ゴールド。
本当に癖の強い人たちが集まった、世界最強の騎士団でした。これは自惚でもなんでもありません。
そんなメンバーで旅に出た私達は、魔王の直属の手下であるヴァルヴァトス第七幹部と言われる魔族を倒しに各地を巡りました。
2年の旅は過酷で辛く………とても楽しい旅でした。いろんな場所にも行きました。いろんな人とも出会いました。いろんな国に向かい、いろんな敵と戦い、いろんなものを食べ、いろんな所で寝ました。そして、いろんな物を犠牲にして来ましたし、いろんな物を助け出しました。
貴方の話もしていましたよ?自分には歳の離れた弟がいると。まさか急に訪ねてくるとは思いませんでしたけど…。
旅に出た時は……貴方が3歳でしたかね?もっと一緒に居てやりたいと言っていましたよ。
まぁ………最後は……壮絶。その一言ですかね。後に第一次魔族滅却戦争なんて呼ばれるくらいの、大きな戦争でした。
国中の兵士を連れて魔王のいる城に乗り込み、魔王の居る部屋まで後一歩のところで、私達は3人幹部と対峙しました。全員が強敵で3対6でも勝てなかった。
だから、彼1人だけを行かせたんです。魔王さえ討ち取ってくれれば、なんとかなる。この戦争は終わるから。彼は1人で魔王のいる部屋に飛び込んで行きました。
そして、私達は3人の内2人を殺し、もう1人を戦闘不能にさせました。相手は撤退して、すぐに彼の後を追いました。
でも、その時には………………彼は死んでいました。遅かったんです。
遺体を全て持ち帰ることはできませんでした。だから、最低限の形見だけ持って私達は帰って来ました。魔王と相討ち。民は私達を祝福しました。実際に世界を救った彼は居ないけど………。
これが…私達の旅です。
クミさんは冷えたお茶を飲み干し、短い溜息を吐く。とても長く、語りきれないこともあっただろう。
兄の最後。世界を救った勇者の最後を僕は初めて知った。
だからこそ気になる。兄が僕に託した理由。
裏切り者は誰だったのか。
兄の最後を見た者はいない。なら、本当に魔王と相討ちだったのか。
「クミさん」
「はい?なんでしょう」
「僕に剣術を教えて下さい」
「………それは兄さんの裏切り者を見つける旅に出たい…と言う事ですか?」
「はいっ!」
机に乗り出しながら訴えかける目の前の少年は、あのマリスの弟だ。才能はあるかもしれない。
でも、まだ10歳。幼すぎる。それに、この手紙だけで判断するのは現実的じゃない。
だが、そんな現実を受け入れたく無い私もいる。
私も知りたくなっているんだ。彼の残した手紙の真意を。
なぜ、私たちでは無く弟に託したのか。本当に裏切り者が居たのか。彼の最後を見た人間はいない。
知りたい。彼の残した謎を。
「貴方は幼いです。なので、旅に出る事はできません。」
「そんなっ!僕は………兄の事を知りません。だから。兄と同じ旅をして、同じ事をして、兄を知りたい!兄の願いを僕が繋げたい!だから。僕は。お願いします!何でもしますから!」
彼は更に机に乗り出し、必死に懇願する。
私に訴えかける瞳には、何か、底知れない熱が籠っていた。決して冷めることのない。深い何かが蘇ったかのように。
私は彼を試した。口先だけの覚悟なのか、そうで無いのか。
彼は……ノアは本気だ。仮に私が断っても1人で旅に出るだろう。止める事はできない。そんな気がする。
私の答えは決まっている。
「わかりました。ですが、すぐに旅に出る事はできません。貴方は戦闘経験もなければ、知識もありません。ですから……そうですね。半年間。半年は私が身を守る術を教えます。それで良いですね?ノア」
「っ!!はいっ!お願いします!」
クミさんは旅に出ることを約束してくれた。
唯一の家族。兄の事を知る旅。兄を殺した裏切り者を探す旅が始まろうとしていた。
これで良い。
全て計画通りだ。
10歳の誕生日。手紙を受け取ったノアは、クミの家を訪ねて旅に出たいと懇願する。クミはその願いを受け入れる。俺の残した死の謎を知りたがる筈だからだ。
俺はマリス・ファトリィブ。
俺は魔王との戦いで命を落とした。が、俺の意識はノアの中で蘇った。
10歳の手紙。あの手紙には俺がかけた魔法が染み付いている。死んだ俺の意識をノアの中で蘇らせる禁術。体は無いが、俺の意識はノアの影として生き続ける。
やはり、意識は不完全だな。記憶が曖昧だ。まぁ、蘇る事ができただけでも充分だ。
魔法の手紙は20歳まで残してある。ノアが旅をして、手紙を受けるたびに俺の意識は完全になる。知らず知らずのうちに、ノアは俺の意識を成長させる事になる。
俺は自分で裏切り者を見つけ出す。
そう。これはノアが兄の仇を討つ旅に出る物語じゃない。
死んだ俺がノアの心の中に隠れ、魔王と繋がっていた裏切り者を殺す、復讐の物語だ。