第17話 第6直命実行官「皇帝」
永久のエルダに一発の魔法が響き渡る。
魔族最強と謳われた銀世界のシルヴァトは眠るように地面に寝そべる。
額に空いた風穴は黒く、その穴に最後まで「恐怖」という感情が埋まることはなかった。
魔族は魔力が生命力に直結しているので、本来死ぬと魔力を失い、即座に体が霧散する。
しかし、魔力の多い魔物ほど霧散するのには時間がかかる。目の前のシルヴァトも指先から徐々に消えているが、とても遅い。魔族最強と恐れられた魔族だ。完全に消えるまでに数ヶ月はかかるだろう。
「ようやく終わったのう……クミ」
「………ええ。ですが、まだ安心は出来ません。ノアとアス、他の死傷者を迷宮の外に連れて行かなければなりません」
目の前で生き絶えた冒険者。タリオと名乗っていた彼は私を庇い、命を落とさせてしまった。タリオだけじゃない。あんなに居た冒険者も今や私達だけ。チャックマンも私達を生かすために自身の命を犠牲にした。その者達をきちんと弔わなければ。
それに、子供達の傷も深刻だ。
ノアは全身に深い傷を。アスは私を庇い、腹部を貫かれた。どちらも出血がひどく、子供と言う事もあり一刻を争う。
「香薬さん!ノアの状態は?」
「回復薬を使ってなんとか傷口を塞ごうとしてる…!けど、血を流し過ぎてる!早く医者に見せないと!」
「クミ・ヴィバール様!アスベル君も早くしなければ…。団員が回復魔法をかけ続けていますが…もう……」
眠っているノアの周りには、無数の空になった回復薬の瓶が捨て置かれている。傷口に緑色の薬液をかけた後があるが、傷から血が止まらない。
アスは数名の団員が取り囲み、腹部に回復魔法をかけられている。緑色の光を放ちながら傷を癒している…が、こちらもあまり効果はないらしい。傷が深過ぎるんだ。
アスの蒼白な顔はまるで屍人のようだった。
「すぐに永久のエルダを脱出します!皆さん準備を!負傷者、御遺体は皆さん協力して運び出します!」
私の言葉に応えるように皆が帰還する準備を始める。
応急処置を済ませる者。死んでいった仲間に涙しながらも、亡骸を運ぼうとする者。未だにシルヴァトへの恐怖が拭いきれず立ち上がれない者。それぞれ行動する中、アニーナが覚束ない足取りでこちらに向かってくる。
「……もう…終わったのかい?」
「…ええ」
「………あの…死体を…ぐちゃぐちゃにしないと………しないとっ!!」
虚ろな目でシルヴァトの死体を睨むアニーナは、ナイフを握りしめてフラフラと歩き始める。無理やり腕を掴んで止める。
「邪魔しないで………チャックマンは…チャックマンは!もう戻らない!アレを蹴散らさなきゃ!チャックマンが可哀想だよ!!」
「…そんな行為に意味はありません」
「意味ならあるよ!チャックマンを殺したあいつを私は許さない!!」
「じゃあ!…あの骸を弄ってあなたは完全に気が晴れますか?そんな事でチャックマンの悔しさ、悲しみは晴れてしまうんですか?」
「………それは…」
私も伊達に長生きしているわけじゃない。300年ほど生きてきたんだ。出会いと別れを数百、数千と繰り返してきた。理不尽な現実は誰しもが受け止められるわけではない。理解出来ない…いや、理解したくない出来事に押しつぶされてきた人間を嫌と言うほど見てきた。
そういった人間は決まって「復讐」とか「自殺」に進む。
しかし、その道に進んで幸せになったり、気が晴れていた奴を見た事がない。たとえ復讐がうまくいっても。後を追って自殺して、天国があったとして。そこで再開できても、幸せにはなれない。
そういった感情に駆られた人間は、どれだけ復讐が叶っても、物事が上手くいっても幸福感を感じる事ができなくなる。叶った後に必ず耐え難い空虚感と身を引き裂くような後悔が体と心に沁みつき、道を外し、堕ちていく。
幸福感を感じれなくなった人間なんて人形と変わらないのだから。
「すぐに受け止めなくていい。いや、ずっと受け止められなくてもいい。拒み続けてもいい。ただ、泣きなさい。その悲しみを感じて泣く。それがあなたにできる事です」
「……うぅ…うわぁああ!ああああ!…ひっぐ!……ああぁああ………!」
私はアニーナを優しく抱き寄せ、私の胸の中で泣き叫ぶ。その声は他の冒険者の涙も誘発する。
傷ついた時はゆっくり時間をかけて癒すものだ。何も出来ない。泣くしか出来ない。それで良いのだ。
数分してアニーナが落ち着いた頃、迷宮を脱出する準備が整った。
さっきまで辛かった表情も、助かったと言う現実を実感し始めたのかどこか安堵が見える。
「早く出よう。とりあえずノアとアスをー」
「いやーマジで倒しちゃうんだね?」
ジンの声の後に聞こえた聞きなれない声。この場に突然現れた見知らぬ人間。その事実に再び恐怖が呼び起こされる。
「全員構えろぉ!」
突然の大声に全員が体をビクリと震わせる。
声の主はサノス・ビルヴァン。彼は既に銃を構えていた。
サノスの銃口は、シルヴァトの死体の側に佇む見慣れない青年に向けられていた。
金髪で毛先は青く、整った顔立ち。細身だが、鍛えられた肉体。こちらには目も向けず、シルヴァトの死体を見つめて不適な笑みを浮かべている。
タイトな服装の胸元にある紋章。私はその国章を見た事がある。
「てめぇ誰…いや。どこから出てきやがった。周囲に人の気配なんて無かった。それをいともたやすく…」
「君は……サノス・ビルヴァンだったっけ?えぇ…と、猟銃使いだったかな?」
「てめぇ…ぶち殺すぞ…?」
サノスの殺気をまるで子供をあやすように笑い飛ばす。
飄々(ひょうひょう)としながらもこの場にいる全員の人数、武器を把握している。この青年は……。
「あなた…サターナ軍の………」
私の言葉に反応し、視線をサノスから私に移す。そしてニヤリと笑い、胸元にある国章に右手を当てて名乗り始める。
「テーラ王国のサターナ軍。第6直命実行官「皇帝」のロキ・リサエル・カリバー。この軍の名に聞き覚えがあるだろ?メシア騎士団のお二人さん♪」
彼の言う通りだ。確かに私とボーガスはその名に聞き覚えがある。
テーラ王国。アルカナ大陸最大の軍事国家。魔族の力を独自で研究し、その力を軍事転用して近年力を増す王国。
その中でもサターナ軍はエリート軍隊。人間でありながら魔族の力を使用できる「魔人」の軍隊「直名実行官」。
人間の見た目をしながら「魔獣」へと変化する事ができる魔人。とにかく厄介な相手が目の前に突然現れた。
「いや〜ずっと君達の戦いを見させてもらってたけど、本当に倒しちゃうんだね?元メシア騎士団が居たとはいえ相手は魔族最強だぜ?怖い怖いっ」
怖いなんて言っておきながらその顔に恐怖なんて感じられず、逆に私達の事を面白おかしく、鋭く見ている。
ずっと見られていた?サノスの言うように人の気配なんて感じなかった。いや、相手は直名実行官。そのくらいの事はやってのけるだろう。
「ずっと見たいならなぜ今になって現れたんですか?」
「そりゃこれが欲しいからでしょ。あんたならオレの目的もわかると思ってたんだけどね」
そう言って左の人差し指で屍になった魔物を指差す。
彼が欲しいのはシルヴァトの死体。いや、血か。
サターナ軍は人に魔物の血を流す。本来なら魔染病になるが、その血に適合した者は魔人になれると聞いた事がある。
魔王の配下であるヴァルヴァトス第七幹部に合わせ、直名実行官も確か6人居たはず。シルヴァトが倒され、7人に揃うと言ったところか。
「お主らにその死体を持ち帰らせるわけにはいかんのう。お前達にやってもろくな事に使わんくせに!」
「オレの全ては女王陛下のままに。女王陛下が求めるならオレは従うまで。それともなんだ?止められるとでも?」
「はい。私達が止めます」
私は剣を抜き、刃をカイバーに向ける。
しかし、彼は笑みを崩さない。数で圧倒的に不利なのに笑う。
「ハッ。さっきまで死闘を繰り広げたってのにまだやるのかい?まるで戦闘狂だな…」
カイバーはゆっくりと歩み寄る。表情筋は動いていないが、目から笑みが消える。
「無礼。全員極刑。実行」
ぽつりと呟いたかと思うと次の瞬間。彼は視界から消え、私は吹き飛ばされていた。いや、私が彼の視界から消させられた………?
「がはっ!?」
「おいおい、疲れてるのはわかるけどこんなものなのかい?」
「クミっ!」
ジンがクミを心配する頃には彼はジンの後ろに立ち、死角から強烈な蹴りを喰らわせていた。
ジンが地面に叩きつけられ、全員が成す術なく蹂躙される。
「おい!伏せろ!」
サノスが数発発砲するも、簡単に避けられ距離を詰められる。
「チッ!龍の発砲!」
「遅っせ」
サノスの強烈な一発をカリバーは左脚で蹴り飛ばす。
「なっ…!?こいつ…」
「グッナイ♪猟銃使い」
目に見えない速度の右脚の蹴りがサノスの首にめり込み、サノスは吹き飛ばされる。
「さ、次は誰だい?」
「私だ!貴様らの好きにはさせん!」
「おや?中央帝国のチャンバラ騎士まで居るじゃないか」
フリンケルは雷の如く周囲を高速で飛び回り、カリバーを錯乱させる。
人間の目じゃ追いつけない速度。流石のカリバーも目に頼るのをやめたのか、顔を正面に戻す。
「オレの友達に「アマノヒ」って国出身の子がいるだが…彼女がこんな言葉を教えてくれたよ…」
フリンケルはカリバーの背後をとると、一気に距離を詰め、剣を振りかぶる。
「白夜流!蒼き稲妻の轟!」
しかし、その高速の斬撃を跳躍で躱される。フリンケルの頭上には右脚の踵を振り上げ、不気味な笑みを浮かべる悪魔が居た。
「飛んで火に入る夏の虫ってなぁ!」
「なっ」
フリンケルの後頭部に振り上げられた踵が落とされ、フリンケルは地面に激しく踏みつけられる。
「はぁ…魔族最強とあんなに楽しそうに殺り合ってたから期待したのに…こんなもんか。まぁ、元々オレ1人でシルヴァトは殺すつもりだったけどな」
「1人…じゃと!?ワシらがあれだけ苦労した化け物をか…!?」
「まだやるかい?」
シルヴァトと渡り合ったクミ、ジン、サノス、フリンケルは一瞬にして戦闘不能に追い込まれた。
底が見えない青年は…まるで皇帝の様な堂々としたオーラを放っていた。
「いや、辞めておこう…」
「はっははは。懸命な判断だよボーガス・ダイヤス」
カリバーは勝利を確信した様に両腕を広げ、悪魔の様に顔を笑みで歪める。
「極刑実行完了♪」
○ ○ ○
僕が目覚めたのは迷宮競走が行われた日から1週間も後のことだった。
魔族最強。シルヴァトと戦い、僕は負けた。そもそも勝とうとしていなかったし、こうして生きていることすら奇跡だ。
事の顛末はボーガスさんから全て聞いた。
アスが重傷を負って今も目覚めていない事。タリオさんも含め、多くの冒険者が犠牲になった事。そして…サターナ軍の直名実行官が襲いかかってきた事。
幸い、クミさん達は命に別状は無いらしい。
初めての迷宮攻略は、異常が重なり色んなものを失うものに終わった。
ただ、得たものもある。
まずは偉業を成し遂げられたと言う点。人類が数百年も攻略出来なかった迷宮を攻略した事が噂になり、中央帝国から勲章と報酬が贈られた。
今まで生きてきた中で、あんなにお金がある所を見た事はないし、多分これからも無い…。
そして、もう一つ得られたものがある。それは仲間だ。フリンケルさんが所属する帝国騎士団からすっごく長い感謝状が送られてきた。内容はフリンケルさんの騎士団が困った時には助けてくれると言うもの。これは単純に心強い。
その他にもバンロさんとも知り合えたし、ジンとアニーナも迷宮を潜った事で更に深い仲になれた。
それと………香薬さんとも…………。
「ノアくん。何か欲しいものは?どこか痛く無い?お腹空いてない?りんご食べる?」
「…えぇっと…じゃありんごください……」
「わかった!すぐに剥くね!」
香薬さんは剣士と言うこともあり、刃物の使い方には慣れてる……らしい。3つのりんごを空中で切ってお皿に盛り付ける果物ナイフ捌きは、本当に恐ろしいくらい凄い。
「はいっ!どーぞ!」
「あ、ありがとうございます…。じゃあそこの机に置いて…」
「何言ってるの?」
「へ?」
香薬さんはフォークで兎の形に切られたりんごを刺すと、僕の口元へ強引に持っていく。
「君は傷がまだ治ってないんだから。はいっ!あ〜ん」
「えぇ?自分で食べれま」
「はいっ!あ〜ん!」
「あ、あ〜ん」
口の中に新鮮なりんごの果汁と甘みが広がる。シャクシャクと咀嚼音を立てる僕の事を香薬さんはじっと見つめる。
「どお?美味しい?」
「は、はい。美味しいです…」
「そう…なら良かった!」
てか、誰!?もはや誰!?こんな人だっけ!?
最初のイメージはクールでかっこいい感じだったのに…今はその面影も無い。ってか最初僕の事を殺そうとしたよね?
香薬さんの看病を受けていると、病室の扉が開けられる。
「こんにちはノア。体調はどうですか?」
「あっ!クミさ…いったた!」
「ノアくん!まだ傷が塞がってないんだから!ちょっと…ノアくんになしてるの…」
「貴方はなんなんですか?」
クミさんは僕が寝ているベットの隣にある椅子に腰掛ける。
クミさんも顔や体に包帯が巻かれ、相当怪我しているはずなのに、こうしてお見舞いに来てくれる。
「ノアの傷はこのまま行けば1ヶ月くらい程で完治するらしいですよ」
「そうなんですか。早く外に出たいです!」
「えぇ?私の介護は嫌?」
「どうしちゃったんですか?本当に」
クミさんと病室でいろんな事を話す。それが唯一楽しい事だった。
「ノアは本当に覚えていないんですか?一度倒れたのに、急に起き上がってシルヴァトを圧倒し始めて…まるでマリスみたいに…」
「え?お兄ちゃん?」
「あの時のノアくんはすっごく強かったし…。なんと言うか…ちょっと怖かったかな」
シルヴァトに負けた後、微かに残る記憶。習ったこともない剣術を繰り出し、シルヴァトの角を切り落とした記憶。夢の様でしっかり記憶されている。
僕は何をしたのか………。
数十分話した時。僕はずっと聞かなかった質問をクミさんに投げかける。
「………あの!クミさん。ずっと聞きたかったんですけど!アスはどうなりましたか?」
「それは………」
クミさんは突然顔を曇らす。僕はその表情から察してしまう。