第13話 銀世界
薄暗い迷宮の最下層。辺りの空気は冷え切っており、嫌な静けさが僕達を包み込む。
目の前に現れたのは最強の魔物。銀世界のシルヴァト。
全員がその場から動けずにいる。恐怖、そして受け入れ難い目の前の現実に、体の制御権を失ってしまう。
ただ1人を除いて。
「………生きていたのか…この迷宮で」
「ああ。君に敗れた後、私はここで傷を癒していた。この腕も……ようやく使い物になってきたよ」
シルヴァトは貴族が着る様なペリースから右腕を露わにする。その腕は…銀で出来た義手になっていて、その腕に小さく怯える僕達が映り込む。
恐らく、5年前の戦争でクミさんが斬り落としたのだろう。
「さぁ…5年前の続きを始めようじゃないか」
「……」
クミさんはゆっくり柄に手をかける。シルヴァトもそれに合わせる様に銀の義手を前にかざす。
次の瞬間。
ギィィイン!!!
金属と金属の激しくぶつかる音と衝撃波が迷宮に響き渡る。
クミさんの目で追いつけない速度の抜剣。そして、シルヴァトの「魔法」で創り出した剣が飛んで行き、ぶつかり合う。
シルヴァトの「銀世界」と言う二つ名の由来になった、自由自在に銀を創造する魔法 (クレア・プラタ・リブレメンテ)。自由自在に銀を生み出し、操ることができる魔法。
互いの剣が擦れ合い、不快な金属音が鼓膜を揺らす。
僕が耳を塞いだ瞬間、クミさんは銀の剣を弾き飛ばし、一気に距離を詰める。
「刀神流 絶空」
そう小さく呟くと、クミさんは剣を一度振り下ろす。その瞬間、数え切れないほどの無数の斬撃がシルヴァトを捉える。半径2mの範囲を木っ端微塵にし、砂煙が立ち上がる。
僕には一振りにしか見えなかった。しかし、実際には無数の斬撃が辺りを切り刻んだ。目で見えない剣捌き。
今まで見た事のなかったクミさんの本気。この世界を救った剣士の力の片鱗を僕達は目の当たりにした。
砂煙が立ち込める中から、シルヴァトが距離をとりながら飛び出る。シルヴァトは、あの斬撃がまるで効いていない。義手から銀が生み出され、やがて一本の剣に形を変える。
「四門。断罪・拘留の剣」
四門。僕の使う魔法の二つ上。世間で四門を使う魔法使いは、天才と持て囃されるレベル。
そんな相手にもクミさんは臆さず剣を振るう。
シルヴァトと激しい斬り合いが始まる。何度も高速で鳴り響く金属音。お互いの剣捌きを目で追えない。刹那の瞬間に剣を振い、一瞬の隙も見せない攻防。
2人だけの戦闘が始まった瞬間。誰もがその次元の違う斬り合いを眺めていた。その場で何もせず。
動けないし、動かない。下手に動けば自分に矛先が向いてしまうから。
ただ、ノア・ファトリィブただ1人を除いて。
『!?』
ノアは1人でクミとシルヴァトの元へと走り始めていた。
その場にいる全員がノアの異状を疑った。
「ノア!?待って!」
「どうしちゃったのよ…ノアちゃん!」
「暴走?!どうする…俺の壁で止めるか?」
「私の弓で無理矢理止める…?」
アス達は心の中でノアを止めようと考えた。
しかし、次の瞬間に自分が間違っていた事に気がつく。
ノアは走り出している。
それは、シルヴァトに自分を認知させる為。
ノアはクミの昔話をよく理解している。クミは、兄を除いたメシア騎士団全員でも倒せなかった相手に挑んでいる。1人で敵う相手ではない。
それを誰よりも早く理解したノアは、シルヴァトに自分を認知させ、意識を自分に少しでも向けさせる。そうすれば、一瞬の隙を生み出せるかもしれない。その隙を自分の師匠は逃さない。
ノアはこの場を素早く分析、理解し、クミを信じた賭けに出ていた。
刹那。遅れてノアの考えを理解したアス、チャックマン、ジン、アニーナが順に動き出した。
その数秒遅れて、バンロ、香薬、フリンケル、サノスが動き出した。
「この判断をあの一瞬で…?本当に10歳なのか?あの子は…」
「子供の判断能力じゃない…。サノスが注意するのも納得。あの子は…一体どんな人生を歩んで来たの?」
先程まで共に迷宮を探索していたバンロと香薬は、ノアの子供らしからぬ素早い判断に驚きを隠せずにいた。
全員が僕に続いて動き始めた。クミさんとシルヴァトの周りを取り囲む様に動き出す。
一瞬、シルヴァトと目が合う。僕の事を認知した!
僕は杖を向け、詠唱を始める。1秒にも満たなくて良い。一瞬。その一瞬が稼げれば、クミさんなら…。
「二門!黒雲 を裂く雷!」
杖から放たれた雷は轟音をたてながらシルヴァトに飛んで行く。
クミさんは僕の行動に驚きつつ、シルヴァトに集中している。
「水仙流 帝虎瀑布!」
クミさんが真上に剣を振り上げ、大技を叩き込もうと構える。
シルヴァトは…クミさんに目を向けるが、すぐには動かない。僕の魔法が迫っている。僕の魔法の中でも最大威力の魔法。たとえ傷はつけられなくても、無視はできないはず。しかし、目の前には宿敵が大技を振りかぶろうとしている。こちらを貰い受けてしまっては、確実に大ダメージだ。
クミさん剣と僕の魔法がほぼ同時に、シルヴァトに命中する………と思った瞬間。銀の義手から剣がするりと滑り落ち、力無く剣を手放した。地面に落ちると高い金属音が響く。
シルヴァトの体から、水の様な銀が現れる。宙に浮かぶ銀はふわふわとシルヴァトの体の周りを漂う。
「なっ!?全員防御体制っ!!」
クミさんの顔色が一瞬で変わり、振りかぶるのを止めて叫ぶ。
僕は困惑しながらも防御魔法を展開する。ジンも斧を使って魔法の壁を作り、皆んながその壁の影に隠れる。
「五門 断罪・禁錮の銀雨」
宙に浮かぶ銀が一瞬、光を放ったかと思った瞬間。その銀が雨粒の様に形を変え、四方八方に飛び散る。
一粒一粒が弾丸の様に放たれ、展開した防御魔法の盾を貫通する。
体に無数の銀が撃ち込まれ、激しい痛みが体を走り抜ける。
「がはっ!」
僕は吹き飛ばされ、地面にうずくまる。
痛い。痛い、痛い痛い!
苦しい。誰か…。痛い!
口の中に広がる鉄の味。これは…自分の血?それとも撃ち込まれた銀?とにかく状況がわからない。
激痛で体中が動かない。動かせない。息も荒くなる。苦しい。痛い。どうなってるの。痛い。
ただただ僕は痛みを味わい続ける。すると、落ち着いた声が聞こえてくる。
「私は君たちを侮っていたらしい。クミ・ヴィバール以外は眼中に無かったが………気が変わった。どちらにせよ皆殺しなのだから変わるまい」
僕は首をゆっくり動かし、なんとかシルヴァトを視界に収める。
義手からは銀の水が絶えず湧き出ており、漂う銀は美しく輝いている。その光に照らされたシルヴァトの顔は、薄く笑っていた。苦しむ僕達を愉快そうに微笑む姿は、悪魔そのものだ。
悪魔は地面にうずくまる僕にゆっくり視線を落とし、一歩。また一歩と歩み寄りながら僕に話しかける。
「君だったか?私に二門魔法を放った子供は。その歳にしては的確で素早い判断だ。今も、私の銀雨を喰らってまだ息がある。本来なら優秀な魔法使いになれたはずだろう」
僕は悪魔が距離を詰める度に、逃げ出そうとする。しかし、体は動かない。目の前に危険が近寄ってきているのに、脳からの信号が途絶えた様に体は動かない。
「君は今。恐怖しているのか?」
「…………え?」
あまりに唐突。そして、至極当然な質問に僕は思わず聞き返してしまう。
「逃げ出そうと体をなんとか動かそうとしている。傷から血が流れ出ている。痛いだろう。微かに震え、顔は痛みで歪み、涙を溜め、私を見つめている。それは恐怖か?君は私を恐ろしく思うのか?」
「なに………言って…」
「私は生まれてこの方「恐怖」と言うものを感じたものがない。生まれた瞬間から最強だったからだ。天敵がいないのが当然だった。一度敗れたクミ・ヴィバールにすら恐怖心は湧かない。しかし、君は私を見た時から恐怖していた。何故だ?私の何を恐れる」
シルヴァトは僕の目の前まで来ると、しゃがみ、僕の顔をじっと見つめる。
悪魔が、危険が、恐怖が目の前までやってきて僕は更に怯える。
「それだ。その感情は一体どこから来る。私の角か?私の魔法か?私の言葉か?…それとも言語化できない、理解できない事が恐怖なのか?私は人間が向ける恐怖を理解したいと感じている。さぁ、教えてくれ魔法使いの子供よ」
そう言うと、シルヴァトは僕の顔に義手を伸ばす。銀に光る義手に僕の酷く怯えた顔が映る。
怖い。怖い。怖い。
僕の頬に冷たい感覚が走る。その瞬間。
「一門!魔法弾!」
シルヴァトに向けて魔法が放たれる。
瞬時にそれを躱したシルヴァトは、僕と距離を取らざるを得なかった。
「ふっ…クミ・ヴィバール、君は剣士だろう?そんな小さな杖を持ってどうするんだ?この子供の方がもっとマシな魔法を使えるぞ」
僕が顔を動かすと、クミさんが体をなんとか起こして魔法を撃っていた。
「その子から……離れなさい!」
「なら、させてみせろクミ・ヴィバール」
シルヴァトの魔力が高まるのを感じとる。また、何か魔法を使おうとする気だ。
僕は足元に杖が落ちている事に気がつく。激痛に蝕まれた体を必死に動かし、杖に手を伸ばす。しかし、血濡れた手で杖を掴み損ねる。
「六門 断罪・懲役の水銀毒」
シルヴァトが詠唱を終えた瞬間、体にまた激痛が走る。喉、胸、頭が灼けるように熱くなり、呼吸がしづらくなる。
「おえぇ…ごぼっげほっ!これは…」
「先程撃ち込んだ水銀に毒性を持たせる魔法さ。水銀は人間にとって毒となる。私の魔力で作られた水銀をうけると、体に激痛が走り、灼けるような感覚が襲い、人体を侵す。まぁ…40分もすればこの場にいる全員が水銀中毒で死に至るだろう。まぁ私を殺せば症状も水銀も消えるがね」
体に説明通りの症状が現れている。つまり、あと40分でシルヴァトを倒さなきゃこの場にいる全員が死ぬ。
とは言っても、この場に動ける人なんて居ない。クミさんも苦しみながら起き上がれずにいる。
クミさんならなんとかなる。僕が囮になればいける。そんな考えが甘かった。目の前にいるのは魔族最強の魔物。なんとかなるはずが無かったんだ。
「ノアちゃん!まだ諦めちゃダメよ!」
「…え?」
僕が顔を上げると、チャックマンさんがシルヴァトに飛び蹴りをかましていた。
「!?何故動ける」
「愛の力…舐めんじゃねぇよ」
後ろに飛ばされたシルヴァトは唯一動けるチャックマンに驚きを隠せない。しかし、それは僕達も同じ。こんなに痛いのに、起き上がることすら難しいのに、飛び蹴りなんて…。
「ちょっと大人しくして貰うわよ。ふんっ!」
チャックマンは小さな箱を投げつける。箱は空中で爆発し、中から鎖が飛び出す。
「………これは」
「相手を拘束する魔法道具よ。ノアちゃん、クミちゃん!こっちに!」
チャックマンは僕とクミさんを素早く肩に担ぎ、シルヴァトから距離をとる。そこにはアス、ジン、アニーナ。それに、バンロと香薬にフリンケルとサノスも動けずにいた。
皆んな体中に傷を負い、血が滲んでいる。顔は悲痛な表情に染まり、水銀に侵されていた。
「アニーナちゃんちょっと失礼するわよ……あった。皆んな、これを飲んで」
チャックマンはアニーナの背負っていた鞄から回復薬を取り出し、皆んなに飲ませ始めた。
僕も飲まされる形で回復薬を口にする。口内に薬草や漢方の苦々しい味が広がったあと、徐々に傷の痛みがひき始め、傷口の血が止まり始めた。
「もう少しすると、傷は塞がるはずよ。その時間は私が稼ぐから」
「…ちょっと待って!チャックマンは?そもそもなんで動けて………」
僕の質問に少し顔を曇らせたチャックマンは、落ち着いて話し始める。
「私の魔法よ。「愛 は全 べてを救う」。私とその他の人を一時的に強化できる。最初の水銀の攻撃も、毒も耐えられたのは私の魔法の力。私本人は魔法の効力が強く現れるのよ」
チャックマンが動ける訳を話してくれる。さっきシルヴァトが攻撃に耐えられた事に驚いていたけど、チャックマンのお陰だったんだ。
説明し終えたチャックマンは、すっと立ち上がり振り返る。
その先には鎖に繋がれ、身動きが取れなくなったシルヴァトが居る。僕達の傷を癒す為の時間稼ぎ。しかし、それもあまり長く続かないだろう。
鎖には徐々にヒビが入り、いつまで待つかわからない。
「さぁ……やるわよ。私」
その一言に僕は……チャックマンの覚悟を感じ取ってしまった




