ダンジョン近くのある街での出来事
「蟻塚」と呼ばれるダンジョンのほど近くにある街で生まれ育った青年、ケイスは娼館の併設されている酒場で面白くもなさそうな表情をしながら安酒をちびちびと飲んでいた。
本当ならもっと豪快に、もっと美味い酒を飲みながら店の女に声をかけたいところではあるが、懐が寂しいせいでそうもいかない。
クソ、と小さく毒づいてまた一口酒を口に含んだ。大きく稼げるチャンスはあったのに、そのチャンスを掴みそこねてしまった。
チャンスもなにもない普段と同じ日々であったなら、ここまでささくれることはなかっただろう。だが周りが上手いことチャンスを掴んだというのに、自分だけが掴みそこねたとなると、気持ちとしては面白いはずもなかった。
値段の交渉が済んだのか、露出の多い服装をした女の腰に手を回した男がまた一人二階の宿に上がっていくのを見て、ケイスはもう一度クソと小さく呟いた。
すると、そんなケイスに声をかける者があった。
「よう、ケイス。随分とまあ不景気な面じゃねえか。冒険者の一団が来てたんだからそれなりに美味しい思いが出来たんじゃねえのか?」
幼馴染であるグードである。ケイスと違いきちんと今回のチャンスを掴めたのか、いつも以上に明るい表情をしており、手にしたジョッキからはケイスが飲んでいるものとは比べ物にならないほどかぐわしい香りが漂っている。
許可も得ずに隣に座ると酒とつまみの追加を注文するグードを横目で見ながらケイスは、ものの見事にハズレを引いちまったよと答えた。
ケイスとグードの二人は冒険者や探索者を相手に、ダンジョンの内部を案内したり荷物持ちなどの雑用をすることで日銭を稼いでいる案内人のうちの一人である。
街の外から来た冒険者がダンジョンに入る場合、勝手の分からないダンジョンの情報を持つ案内人というのは、非常にありがたい存在である。当然地図も存在するが、いつ魔物に襲われるかも分からないダンジョンの中で悠長に地図を確認するよりも、そのダンジョンに慣れた案内人の方が重宝されるのは当然の話である。
だがケイスはお世辞にも優秀な案内人とは言えなかった。
そもそも万事においてやる気がなく、案内人になったのもほかの仕事が長続きしなかったからに過ぎない。
そんな態度であるからこそ今回、街の外から数十人規模の冒険者がやってくるという滅多にない稼ぎ時に失敗したとも言える。
「なぁんで俺はいっつもこういう時にうまくやれないのかねえ。運がないとしか思えないぜ」
「まあまあ、お前もその内にツキが回ってくるだろ」
ケイスの肩に腕を回したグードは運ばれてきたジョッキをそのままケイスに押し付け、今日は奢ってやるよと言った。
本当かとケイスは目を輝かせる。そして押し付けられたジョッキの中身を思い切り呷ると、満足そうに息を吐いた。
そうしてしばらく二人で酒を飲んでいると、ケイスはちらちらと薄物を着た女たちの方へと視線を向け始める。それに気が付いたグードはははんと頷くと、ケイスの手に金の入った小さな革袋を押し付けた。
流石のケイスも目を丸くすると、良いのかよとグードの顔を見る。
ああと頷いたグードはにやりと笑い、今日は奢るって言っただろとケイスの背中を押した。
「本気で恩に着るぜ。この恩は俺が運を掴んだら返させてもらう」
そう言い残して意気揚々と女の方へと向かうケイスの背中を見ながらグードは笑顔を消し、手に持ったジョッキで口元を隠しながら「もうそのチャンスはねえよ」と低い声で呟いた。
ケイスが二階に上がってしばらく経った頃、グードが一人で飲んでいる席の横に顔を包帯で覆った一人の男がどっかりと腰を下ろした。
男はグードに対して革袋をそっと差し出す。
グードは小さく頷くと、中身を確認することもなくその革袋を自分の懐に入れた。
「あんたの顔と仲間の仇、討てそうか?」
グードは感情を抑えた低い声で尋ねた。男は包帯で覆われた顔を上下に動かすと、ここのマスターとあんたには心から感謝していると、絞り出すように言った。喉に傷があるのか、その声はひどくしわがれている。
男はケイスにダンジョンの案内を頼んだ冒険者二人組の内の一人だった。男たちを案内したとき、ケイスは案内人としてやってはいけないミスを犯していた。
魔物が群れている危険地帯に、なんの準備もなく足を踏み入れたのだ。
腐ってもそのダンジョンを仕事場にしている案内人である。ケイスは危険地帯に入ってすぐにそのことに気が付いた。
そして、下手を打てば死ぬことにも。
だからこそケイスは逃げた。魔物と戦っている二人を置き去りに、否、囮にして。
派手な戦闘音がほかの探索者の耳にも届いたために男はなんとか救助されたが、彼の相方はそのときに死んでしまったのだ。
生還した男は、あらゆる手を使って復讐することを決意した。
そして娼館の併設されたこの酒場のマスターやグードの協力を得て、ついにその時がやってきたのだ。
「……あいつは、俺たち案内人の誇りも汚した。だから、遠慮しなくていい」
席から離れる男の背中にグードは冷たい声で言った。言われるまでもないと頷いた男は先ほどケイスと一緒に二階へと上がって行ったはずの女に案内されて二階へと上がって行った。
ケイスは今頃、女が渡した眠り薬入りの酒の効果で深い眠りの世界にいることだろう。
その翌日、街から鼻つまみ者であったケイスの姿が消えた。
それと同時に街の近くのダンジョン、「蟻塚」から身元不明の遺体が一つ出た。その遺体は、魔物でもここまではしないだろうというほどに壊されていたらしい。
その話を聞いたグードは一人静かに黙祷を捧げ、そしてその日の仕事をこなすためにダンジョンへと向かった。