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【2】

 真奈の高校時代、まだ四十代だった母が突然の病でこの世を去った。

 父が忌引き休暇後に仕事に戻ってから、大学生だった仁美と二人で母の遺品を片付けていて見つけた薄い箱。

 洋箪笥の中に厳重に隠すように置かれたその中には、心当たりのない宛先の書かれた封筒と数葉の写真が仕舞い込まれていた。


 読むつもりはなかった。故人にもプライバシーはあるだろう。

 そのまま元通り蓋をして、仁美と相談して今後の扱いを考えるつもりだったのだ。

 写真の中の人物に視点が合うまでは。

 単独で。母と並んで二人で。写っているのはどれも同じ男だった。

 真奈によく似たその目元、鼻筋。家族(・・)の誰とも違うパーツの大元を初めて見つけた気がした。


「真奈。忘れて、って言っても無理だろうけど、忘れた振りして」

 いつの間にか、座り込む真奈の肩越しに覗き込んでいた仁美の硬い声。

 振り向くのが怖かった。ただ黙って頷くしかできなかった。


「今日はここでおしまいにしよう。疲れちゃったね、なんか食べようか。真奈、何がいい? 簡単なものでいいよね〜、スパゲティとか?」

 一気に襲って来た衝撃に混乱している真奈に、姉がおそらくは故意に明るく告げた。


 その後、時間を置いて妹が多少落ち着いたのを見計らった仁美と、改めて話し合いを持った。


「五年くらい前かな? 私が高校生の時、──おじいちゃんとおばあちゃんに聞かされたの。お父さんには内緒でって呼び出されて」

 当然父方だ。母方の祖父母は、真奈が生まれる前に鬼籍に入っている。

 神妙な顔をした姉の口から語られる、真奈にとっては自身の根幹を揺るがすような真相。


 真奈が母と不倫相手の間に生まれたこと。

 何の責任もない筈の父が、結果的に他人の子を押し付けられる羽目になったこと。

 ……母は真奈が生まれる前、男と出奔(しゅっぽん)していたのだとか。

 夫である父はもちろん、まだ三歳だった仁美を置いての、結婚前の恋人との逃避行。その間、他にどうしようもなく仁美は父の実家に預けられていたという。

 そして一年経たないうちに、その男と別れて帰って来た。身の内に彼の子(真奈)を宿して。


「お父さん、はなんで、……なんで他人のわたし、を」

「それは私にはわからない。たぶん、お父さんにしかわからないんじゃないかな」

 ようよう絞り出した声に、仁美は無表情で首を振るだけだ。


 父にとっては裏切りの象徴でしかない存在を、実子である仁美と分け隔てなく育ててくれた。

 彼が血縁上は赤の他人だという事実を、今の今まで露ほども疑ったことはなかったのがその証拠だ。

 そして唐突に脳裏に浮かぶ、過去の様々な記憶の欠片。

 今までの人生で味わっていた、ばらばらに点在する違和感。それらすべてが瞬時に、線として一本に繋がった気がした。


 ──父が「嘘」、……信頼への背信に特別厳しかった意味も。


 真奈の実の父親は、あの封筒の宛名の相手、なのだろう。出せなかった、あるいは出さなかった手紙。

 当時は父の両親である祖父母ともかなり揉めたそうだ。

 無理もない。すんなり看過できることではないくらい、子どもの立場でもわかる。

 ましてや、一時的にしろ『捨てられた』幼い孫を身近で見ていた彼らの(いきどお)りや悲しみは如何ばかりだったことか。


 ──たったひとり、突然両親と引き離されて知らない家に連れて行かれた仁美も、平気ではなかった筈だ。


 真奈は祖父母にとっては孫などではなかった。

 血縁としても、心情的にも。──むしろ、只管(ひたすら)に憎しみの対象だった、のかもしれない。

 仁美を慈しむほどに過去が過り、真奈への負の感情に拍車が掛かったとしても無理はない。

 過去の彼らの態度の理由が、ようやく腑に落ちた。

 さすがに詳細までは姉の耳には入れられておらず、推測しかできない部分もある。

 結論としては、父と母はそのまま結婚生活を続けていた。生まれた真奈は、書類の上では二人の娘ということになっている。


「お姉ちゃん、は。わたしのこと、その、……嫌じゃなかったの?」

 真奈が恐る恐る切り出すのに、仁美は目を見開いた。


「お母さんには正直複雑な気持ちはあったよ。だけど、あなたが私の妹なのは変わらないじゃない。──お父さんの子じゃなくたってさ」

 一瞬ののち、呆れたように溜息を吐くと、真奈を見つめて静かに語り掛ける姉。

 言われてみれば、確かに思い当たる(ふし)はあった。

 高校生の仁美は、母に対して口を利かない時期があった気がする。

 家の中に気まずい雰囲気が漂っていたのをなんとなく覚えていた。両親はそういう年頃なのかと受け止めていたようだったが……。


 それでも姉は母への感情とも何とか折り合いをつけたのか、無視も長くは続かなかったと記憶している。

 ただし、以前に比べて素っ気ない関係にはなったようにも思った。

 何よりも今になって事情を聞くまで、姉の己に対する言動に一切の疑問も不安も覚えたことはなかったのだ。

 当時の仁美は、現在の真奈と同じ高校生だったというのに。

 ……自分ならきっと、挙動不審になったに違いない。

 そうだ。幼いころからずっと妹思いの、優しくて思慮深い姉だった。


「さっきは『忘れて』なんて言ったけど、それは真奈が決めることだから。でも、よーく考えてね」

「うん、わかってる」

 重々しい仁美の言葉を、真奈も真剣に受け止めた。


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