散る桜、芽吹く新たな花
桜が咲いていた。
私は窓からそれを見ていた。
一人で。与えられた無駄に豪勢で冷たい食事と共に。
部屋に誰か入ってきた。
使用人だ。
「………どうしたの?」
「……」
彼女が黙っている。
生まれてから17年、一緒にいた侍女で、よく笑う、この屋敷唯一の味方だ。
彼女が無言で近寄ってくる。
暗い顔。
彼女はゆっくりと、手を後ろに回した。
今日は次兄上の事業成功パーティーで、ほとんどの使用人が屋敷から出ている。
そして主人の食事中に、使用人が部屋に入るのは御法度だ。
この状況。
察した。
「ふう」と、ため息を吐く。
椅子の向きを正して、彼女に向き直す。
「……すみません。お嬢様。」
「別にいいわよ。何か事情があるのでしょう。」
彼女が拳銃を取り出す。
外では丁度、狐の嫁入り。
「言い訳にもなりませんが、娘が人質にされているんです。」
「私の長兄様の仕業でしょうね。」
「遺産の分け前なんかのためにこんな事…………」
「父上は兄様の裏稼業を知らないからね。」
「長年仕えて来て恩知らずとは思いますが、私は娘を選びます。」
「いいわよ。生きてて楽しくもないのに自殺もできない環境だもの。いい機会だわ。それよりも貴方の娘、たしか名は澄香だったわね。ちゃんと今も無事なんでしょうね。」
「それは大丈夫です。奴らは『誓い』を立てましたから。」
「なるほどね。」
『誓い』。ここらの裏社会唯一のルールだ。
これを立てて宣言したことは絶対に反故にしない。
裏社会にも信用は大事だということだ。
拳銃を構え、静かに撃鉄を起こす。
私の側仕え兼護衛。
彼女なら苦しませず、一撃で葬ってくれるだろう。
私が彼女から目を逸らし、横を向き、何回も読んだ本を開く。
涙。
彼女の手元が震える。
「外さないわよね?」
「だ…………大丈夫です。」
「じゃあ。さよなら。」
カチャリと、彼女が引き金を引く。
鉄弾が、「ダン」という銃声と共に放たれる。
横を向いていた私の蟀谷に命中する。
桜が雨と共に散る。
一青財閥令嬢、一青 桜。
◆◇◆◇
一面彼岸花。
空には満月。
満開の桜並木を抜けると目の前に大河。
舟と、黒い着物の黒髪の美丈夫。
「彼岸なんて本当に在ったのね。」
「落ち着いてるねえ。」
「死を覚悟して来たもの。」
「若いのに勿体ない。」
「それで?私はどうなるの?」
「うん。君はこれから閻魔様に謁見だよ。ほら。舟に乗って。」
小舟に乗り込む。
懐に入っていた小銭を男性に渡す。
「お。ありがとね。最近渡し賃持ってこない人もいるから嬉しいよ。」
彼女が入れてくれたのだろう。
男性はどこからか提灯を取り出し、船首に腰を掛ける。
櫂が独りでに動き、川を渡る。
男が唄う。初めて聞くのに、懐かしいような唄。
「そういえば、今三途の川に飛び込めば生き返ると聞いた事があるけど。」
「あはは。試してみる?」
「やめておくわ。」
「それがいいよ。死ねないだけで苦しみ続けるだけだ。生き返ったという体験談は只の夢だろうね。」
唄を再開。
舟はゆっくりと進む。
川なのに向こう岸が見えない。
「随分と広い川なのね。」
「この川は此岸と彼岸の境目だからね。いわば世界の境界線。あと3か月はこのままさ。」
「もはや海ね。」
「輪廻と循環を表す川さ。輪っか状になっていて下流に流れ続けても50年ほど経てばまたこの場所に戻ってくる。」
もう物理的に考えるのは止そう。
また唄が再開。
聞いていて心地よい唄に、うとうとし始める。
意識が溶けていく。
揺り籠のような舟の上、私は眠りに就いた。
◆◇◆◇
頬にキスされ、起きた。
目の前には先程の男性。
「……幼気な少女に躊躇いなくキスするとは。」
「あはは。3か月も寝ていた娘が何を。着いたよ。」
目の前には大きな門。
「俺はここまでだよ。行ってきな。」
「はい。ありがとうございました。」
近づくと、角の生えた門番が二人立っていた。
「あのぅ…………」
鬼は無言で門を開く。
「あ、ありがとうございます。」
長い階段。
上れと。
仕方ない。上るか。
……………………
……………………
不思議と疲れない。
……………………
……………………
……………………
……………………
……………………
1044段。
目の前には和風屋敷。
入るか。
靴を脱ぎ、障子を開ける。
畳が並び、両脇には美しい掛け軸や骨董品が大量。
進み、襖を開けると一人の少女。
「ふむ。来たな。座れ。」
目の前の座布団に正座し、彼女に向く。
「儂は閻魔。容姿は今日は人間の少女風じゃ。可愛いじゃろ。」
「そうですね。」
「何故か前に来た男は『のじゃろり』とかいう意味の分からん事をしゃべっておったがの。」
「気にしなくていいですねそれは。」
「そうか?それはそれとしておぬしはそうじゃのう。まあ順当にいけば『人間道』じゃの。」
「特に良いことも悪いこともしてないですしね。」
「そうじゃのう。あ、おぬし『該当者』じゃの。」
「該当者?」
「この神籤を引いとくれ。」
渡されたのは神社などで見れる御神籤。
「これを引くと何が起こるんですか?」
「次の『生』を決めるものじゃ。」
ほう。
「お主は罪も徳も無い。大罪人なら『地獄道』にでも落とすがおぬしは『六道輪廻』に於いて判断が難しい故な。因みに生は今のところ九千京以上の道があるのう。」
「地球の人口は2077年現在だと96億人程度では?」
「世界は一つではないのじゃ。」
「なるほど。」
神籤を振る。出てきたのは『零』と書かれた木の棒。
「なるほど零じゃな………零?」
「え、零じゃ何か駄目なんですか?」
「零なんてどこにも………あ。」
「え、な、何ですか?」
「彼奴また………」
「え?何ですか?」
「儂の同僚の悪戯じゃの。おぬしの来世は最悪じゃ。」
「え?」
「転生先:魔界 身分:家無し 性別:女 種族:天華種 親:クズ」
「…天華種?」
「第陸拾参之世界の、数多くの亜人種の一つじゃ。種族固有魔法を操る希少種じゃの。大半が奴隷じゃ。」
「……クズ?」
「………………………」
「何か言ってください。」
「ぜ、全体の『幸運値』はどんな人生にも平等に与えられている。代わりに魔力と体力は桁外れじゃ。しかも『記憶保持』もある。悲しいことばかりでは無い。」
「つまりどういうことですか?」
「記憶を宿したまま強靭な肉体で転生可能じゃ。その代わり環境は最悪じゃがの。」
「私は普通の家庭で円満に暮らしたいんですけど。」
「残念じゃったの。運が悪かった。可哀想じゃし、儂の加護くらいやろう。ほれ。また次死んだとき会おう。」
視界が美しい星空の海に変わる。
目の前に四枚綴りの美しい、月と芒の絵が描かれた襖。
足元には彼岸花の赤い道。
…………来世は最悪だという。
私は絶望的に運が悪いようだ。
でも、来世は前世のような柵は無い。
前世はもし家から逃げ出そうものなら使用人数十人が路頭に迷うような立場も、命を狙う実の兄もいない。
なら好きに生きてみよう。
元は死を覚悟した命。
どうなろうと元々悔いは無い。
私は開いた襖に、歩き出した。