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オリジナルクエスト  作者: マカロニサラダ
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オリジナルクエスト・後編

 ピース・ウォーズも高評価をいただいた様で、誠にありがとうございます。本当に読者の皆様におかれましては、感謝の念に堪えません。

 オリジナルクエスト・後編も、楽しんでいただければ幸いです。

 では――オリジナルクエスト・後編という名の地獄開幕です。


     ◇


 そして、彼女の物語も終わりを告げようとしていた。

 子供の頃は、お姫様より、ヒーローに憧れていた。守られる事より、誰かを守りたいと切に願った。いや、その想いは彼女が中学生になっても、根本的には変わらなかった。

 彼女は男子に虐められている女子を庇い、対立して、男子達とは折り合いが悪かったから。特に幼馴染の少年とは、小学校を卒業してから溝の様な物ができてしまった。

 そんな時、世界はこんな風に変わった。

 あの日、彼女はああなった後、何故か仲が悪かった男子の家に向かった。理由はわからなかったが、彼女は彼の身を案じたのだ。  

 だが、其処で待っていたのは、自分に襲い掛かってくる彼の姿だった。

 彼はアッサリ今日の獲物を彼女に定め、自分を殺そうとした。台所で首を絞められ、彼女はもう無我夢中で傍にあった包丁を手に取る事になる。それは、簡単に彼の腹部に刺さり、その瞬間、彼は糸が切れた人形の様に倒れていた。

 けど、そこで、不可解な事が起こる。

 今まさに自分は死のうとしているのに、彼は何故か笑ったのだ。

 その理由が本当にわからなくて、彼女は呆然としながら問うた。彼は、自嘲気味に答える。

〝ああ。おまえ、みたいな、いいやつは、さいしょにひとりを、ころさないかぎり、ふんぎりが、つかないだろ? おまえはばかだからさ、きっと、きょういちにちおわるまで、ちゅうちょして、そのまましんじまうんだ。なら――おれは、こうするしか、なかった〟

 だから……何で自分の為にそこまでするのか? 彼女が涙ながらにそう問い詰めると、彼はやっぱり笑って答える。

〝やっぱ、おまえは、ばかだなー。そんなの、れんかのことが、すきだったからに、きまっているじゃん。おまえは、おれがきらいだったろうが、おれは、いちどだって、おまえをきらったことは、なかったぜ〟

 それが、最期。彼はもうそれ以上語らず、そのまま息絶えていた。その様を、彼女はただ涙しながら、見届けるしかなかった。

 だから、彼女は知りたかったのだ。なぜ彼は自分を好いたのか、彼は自分のどんな所が好きだったのかを、彼女は知ろうと思った。

 生き延び続ければ、その答えが得られると思っていた。

 だが―――その果てに待っていた現実が、これだった。

「……ああ。かっこうよかっただろ、おれ?」

「ええ。そう、ね」

 あの日の彼の様に、レンカも笑って問いかける。ナオンも出来るだけ努力して、笑って答えるしかない。彼女は、そのまま続けた。

「……ああ。ここんところ、おまえに、いいところ、とられて、ばっかだったからな。そろそろ、おれがかつやくしなくちゃならねえ。どっちがしゅやくかでいえば、まちがいなくおれがしゅやくで、おまえは、わきやくなんだから」

「ええ、そうね。本当に、そう」

 だが、そこまでだった。レンカは、顔を歪めて、涙する。

「………やっぱり、だめ、だ。………しにたく、ない。――しにたく、ないよ」

 そんな彼女を、ナオンはただ抱きしめる事しか出来ない。

「大丈夫。怖くない。怖くないから」

「………ああ」

 その時、レンカの体の強張りが薄れる。

 そのまま、彼女はもう一だけ満足そうに笑い、こう続けた。

「なおん」

「ん?」 

「………ありがとう。わたしの、ために、ないて、くれて」

「……………」

 ……そうか。私は今、泣いているのか。あの時の、様に。

 ナオンがそう自覚した時、レンカ・リーシェは、静かに瞼を閉じる。

 ナオンにとって小さな英雄である彼女は、今、こうして息絶えたのだ―――。


     ◇


 ザボックが、珍しく声を荒げる。

「――くそっ! くそっ! くそっ! また僕は誰も救えなかった……っ!」

 そんな彼の肩を叩いてから、ワイズマンが頬を濡らしながら私に歩み寄る。

「……俺からも、礼を言わせてくれ。レンカの為に泣いてくれて、本当にありがとうナオン」

 私は抱えていたレンカの体を彼に預け……ただ首を横に振る事しか出来なかった。

 私は、女王が居る方向に目を向ける。

「私達を叩くなら今だけど、どうする?」

 けど、彼女は兄に近づきながら、私と同じように首を横に振る。

「……その少女は、我らが大敵を滅ぼす為に死力を尽くした英雄です。……そんな彼女を前に何故そのような非道が為せるでしょう?」 

「そ、う。案外甘いのね、あなたは。こんな光景、もう見慣れているでしょうに」

「……それでも、です」

 この熱のこもった言葉に、私はただ圧倒されるしかない。

「感謝します――王よ」

 だから、私は生まれて初めて、自分の意思で他人に頭を下げていた。

 私の意識が途切れたのは、その時だ。兄やアナスタシヤの無事を何としても確認しなければいけないのに、私の視界は黒く染まる。

 私はまた一つ本当に大切な物を失いながら――何とか生き残ったのだ。


     ◇


 だが、ナオンは気付かない。この一部始終を、遠方より眺めている人物が居る事に。

 白いコートを着て、白い長髪を背中に流した少女は笑みを浮かべて告げる。

「どうやらナオン達が勝ったみたいだね。うん、うん。さすが私が見込んだ女の子だ。彼を倒すとか、普通は不可能なのに」

 崖の端に腰かけながらクスクス笑い、白い少女は頬杖をつく。

 背後の、黒いドレスを着た灰色の髪の女性は、怪訝な顔を見せた。

「だから少佐も彼には手を出さなかった、と? けど、意外ね。少佐の性格なら、まずもって相手をしたがる怪物だったのに」

「そこはホラ、私は今回に限って――本気で勝ちを目指しているから」

「それは何故? 前から疑問だったのだけど、何か叶えたい願いでもあるのかしら?」

 背後に立つ灰色の髪をした女性に、白い少女は答える。

「いや、だってナオンを勝たせると、とんでもない事になるからさ。彼女の為にも、今回は私が勝つしかないんだよ。彼等が事実を知れば、きっと同じ事を言うと思うなー」

「その為にわざわざゾファー・アレクラムを誘導して、ナオン・アレクラム達にぶつけたと? あわよくば、彼女を抹殺する為に?」

「それもある。それもあるけど、一番の目的は彼女の底力を知る為だね。ナオンは追い詰められると、力を発揮するタイプだから。自分でも自覚しない奥の手を持っている気がしたんだ。というかあの業、師匠達も知らなかっただろうなー。私と戦った時も、使ってこなかったし。いや――お蔭で良い物が見られた。先に戦わなくて、本当に良かったよー。今夜の時点でやっていたら、負けていたのはきっと私だ」

「私はそうは思わないけどね。恐らく世界最強の――『ネクロマンサー』」

 けれどそれには答えず、白い少女は立ち上がり、大きく伸びをする。

 それから、崖下で自分を待っている一団に目を向けた。

「そういえばナオンてば、まだ例のこと訊いて回っているのかな? 〝なぜ人は人を殺してはいけないのか?〟ってやつ」

「へえ? 彼女、そんな事を訊いているんだ? 殺し屋の癖に、まるでロマンチストみたい。因みに、少佐はなんて答えたの?」

「私? 私は――〝少しでも私のオモチャを減らしたくないから〟だったかな?」

「フフ。少佐らしい」

「そういう君の答えはなんだい、大尉?」

 女性と向き合った時、少女は問う。彼女は目を細めながら、思い悩んだ。

「さあ。考えた事も無かったから。でも、彼女に問われる時までには、気がきいた答えを用意しておくわ」

「ああ、それも一興かもね。恐らく世界最悪の――『アサシン』さん。それで、君は私の事いつ殺す予定なんだい?」

 が、今度は彼女が答えない。

 大尉と呼ばれた女性は微笑みながら、少女に道を譲る。

「ま、何にしても今日から忙しくなるね、これは」

 白い少女――シルベリス・シルベリアはやはり快活にそう謳った。


     6


 そしてこれは、私が彼と最後に会った記録。

 それは、あの夏祭りから一月ほど経った頃の話だ。

「……今日、引っ越す? ネル君、が?」

 彼の口からそう聞いた時、私は自分が想像していた以上に動揺する。

 恐らく彼は、意図して普通に告げた。

「ああ。しかも場所はシャーニング。この大陸で最もフォートレムから離れた国さ」

「え? もしかして、ネル君って不法移民? それがバレて、国外追放されるの?」

「……あー。そうだと面白かったんだけどね。残念ながら理由は何の面白味も無い、親父の仕事の都合。三年間も、シャーニングの支社に出向なんだって」

「成る程。それは、心底つまらない理由だわ」

 ついでに言えばこの状況も、凄くつまらない。いや、正確には〝面白くない〟の間違いか。

「で、その事を、よりにもよって引っ越し当日まで秘密にしていた理由は何? 別れ話を切り出す機会でも、うかがっていた?」

「あー」

 ネル君は、心底困った様な顔をする。

 たぶん憤慨する私を、目の当たりにしたからだろう。

「そうだね。ナオンには、本当に悪い事をした。でも俺はしめっぽいのが厭だったんだ。この日まで、ナオンとは笑って過ごしたかった。お蔭で――今日まで俺は世界で一番幸せだったよ」

「は、い?」

「だから、俺は君も幸せにしたい。高校を卒業したらさっさと就職するから――その時はフォートレムで結婚式を上げよう。クラスの連中全員呼んで、皆に俺達のバカップルぶりを見せつけてやるんだ」

「……え?」

 この、明らかに私より遥かにぶっ飛んだ発想を前に、私は素直に言葉を失う。

「……まさか、本気で言っている?」

「うん。実に勝手な確信だけど、間違いなくナオンを幸せに出来るのは、俺だけだ。なら俺は学歴よりも、君と過ごす年月を優先するよ。少しでも君と一緒に居られる時間を選ぶ。ああ。俺の行動力を舐めないでくれよ? 実は君に告白したあの日からずっとバイトして、結婚資金とか貯蓄しておいた」

「……そ、う」

 その時になって、私は漸く確信した。この人は、本当にバカな人なのだと。きっと本当に私の家系が何をしているのか知っても、同じ事を言うのだと痛感する。

「真剣にストーカー体質ね、君は。私以外の女子が聞いたら、絶対ドン引きよ」

「そうだね。でも、こんな台詞、君以外の誰にも口にする気は無かったからさ。ナオンさえ居れば、俺はもうそれでいいや」

 この時……私はきっとただの女子になった。殺し屋候補である自分の立場を忘れて、初めて人としての幸せを実感した。この瞬間の事を、私は多分生涯忘れないだろう。

「言っておくけど、私の婚約指輪は高いわよ?」

「ああ。それも、ちゃんと用意するから。……だから、泣かなくて良いよ、ナオン」

 それが、私と彼の最後の逢瀬。

 余りに現実離れな、子供の戯言を交し合った或る日常。

 でもそれでも、そうとわかっていても私はこの日初めて――〝人として〟泣いたのだ。


 だから、私は後に思い知る。

「ああ――ナオンか。偶然にしては出来過ぎだけど、何だいその顔は? 私が一般人を殺したのが、そんなに不思議?」

「あああぁぁぁあぁあ、ああああああああああああああああぁぁぁぁ―――っ!」

 夢の終わりは、アッサリと訪れた。

 あの日、私はシャーニングに向け旅だったが、その道半ばで私はその現実に直面した。

 あの少女に出逢って、彼女が最後に殺した人物を目の当たりにし、私は壊れたのだ。

 戦う事も、息をする事も忘れた。

 私はただ彼の為に泣き続け、こうして私がユメ見た全ては失われた。

 その映像こそが、私が彼を見た最後。

 何時までも覚えていて、今日も忘れる事が無い、あの彼の笑顔だった―――。


     ◇


 目が覚めてみれば、今日も見知らぬ天井が私を出迎えた。

 何処かの廃ビルの仮眠室と思しき場所で目覚めた私は、文字通り飛び起きる。

 まるで、悪夢にうなされていたかのように。

 いや、違う。私が見たのは悪夢以上の現実だった。

「……そう、か。レンカ、が」

 私の記憶の中にある最後の映像。ソレは紛れもなく、レンカ・リーシェが亡くなった姿だ。まだ中学生で、よりにもよって子供である彼女が、私を庇って死んだ。

 人の死には無関心だった筈の私が……今は酷く息苦しい。このままでは、酸欠で倒れてしまいそうだ。

〝人という群れの中で生きるなら――人の力を借りなくては生き残れない〟

「……皮肉ね。そんな事に気付いた所為で、こんなにも苦しい思いをするなんて」

 だったら、昨日までの自分に立ち戻ればいいだけ。それだけで誰かが居なくなっても、こんな気持ちになる事はない。こんな、苦しい思いをする事はもう無いのだ。

 なのに、そう思う一方で、私はこの気持ちこそが大切な物だと感じずにはいられない。今この気持ちを切り捨てたら、私もゾファーの様になりそうでただ悲しかった。

「……ええ。レンカ・リーシェ、私は絶対、貴女の事を忘れないから」

 多分それが彼女の為に私が出来る……最後の事だ。

 私は死ぬまで彼女の事を――記憶に刻み付ける。

「……でも悪い、レンカ。それでも私は、貴女を置いて、先に進まないと」

 息を吐き出しながら、散り散りになりそうな心を繋ぎ止める。思考を切り替え、私は今後の事に思いを巡らせた。

 時計を見れば、時刻は午前十一時。私がこうして生きているという事は、あれから丸一日経過していない事になる。大体十時間ほど眠っていた、という事だろう。

 そこまで考えた時、部屋の扉がノックされる。返事をすると、戸を開けて入ってきたのはワイズマンだった。

「目が覚めたか、ナオン。それで、気分は? どこか痛む所はないか……?」

「……いえ、私は大丈夫。それより、アナスタシヤや兄はどう? 二人とも無事?」

 私の問いに、彼は椅子に腰かけながら首肯する。

「ああ。あの男が倒されたお蔭で、アナスタシヤ達は棺桶から救出できた。ただ活動エネルギーを搾取され続けていた為か、少し消耗している。それでも多分、後一、二時間もすれば目を覚ますと思う。で、君の兄さんの事だが、彼も問題ないらしい。ただの脳震盪で済んだとか」

「そう。なら、良かった。……でも、ちょっと待って。それじゃあここは何処? もしかして私達、まだラジャンの世話になっている?」

「そういう事だな。君達が昏睡した状態だったからさ。そのまま放り出す訳にはいかないと女王に言われて、そのまま保護された。アレから少し移動して、今は近くにあった廃ビルに移っている。君の目が覚めたら挨拶に来るよう言われているが、どうする?」

「……そうね。そこまでされたら、さすがに私も恩を感じざるを得ないわ。お礼の一つでも言いに行きましょう」

 が――私がある事に気づいたのはその瞬間だ。

「……ちょっと待って、ワイズマン。アナタ、ゾファーがフォートレムにやって来る前、何処で活動していたかわかる? シルベリスがナマントを拠点にしていたと知っていたのだからそれも把握していたんじゃ?」

「ん? それは、一応。ナマントの直ぐ近くで、ヌウベストという国だがそれが何か?」

「……やられた」

 この私の呟きを、ワイズマンは素直に不思議がる。

「……何がだ? 俺はまた何かミスでも犯したか?」

「いえ、そうではなく昨夜はゾファーの事で頭が一杯だったから、思い至らなかったのよ。昨夜も言った通り、恐らくラジャンやゾファーは、余所の国からフォートレムに飛ばされた。なら他の有力な派閥も、フォートレムに飛ばされてきていると考えるのが妥当だわ。ワイズマンならそんな時、真っ先に何をする?」

「……そうだな。取り敢えず、自分達の居場所がどこか確認し、索敵を行うと思う」

「そうよ。恐らくシルベリス達も、そうしたに違いない。で、ここから先はただの推測なのだけどね。ナマントの直ぐ近くに居たゾファーと、シルベリスとの位置関係はフォートレムに飛ばされた後も変わらなかったんじゃないかしら? 簡潔に言えば索敵を行ったシルベリスは直ぐ近くに居たゾファーの存在を知っていた。なら、そんな彼を彼女はどう使う?」

 そこで、ワイズマンは、息を呑む。

「……まさか、昨日あいつと遭遇したのは、偶然じゃない? シルベリスが作為的に、やつを俺達が居る場所まで誘導した……?」

「ええ。シルベリス達が、どうやって私達を発見したからはわからない。でも恐らく彼女は私達に彼をぶつけ、共倒れになるよう図った。或いは、私達が兄の居るラジャンを頼る事さえ見越して。そう考えるとゾファーとの、あの出来過ぎた遭遇も納得がいく。……ただ一つ解せない事もあるのよ。シルベリスの性格だと、強敵と言えるゾファーは恰好の獲物の筈。彼女なら真っ先に彼と戦いたがる。それが私の知っている、シルベリスなの」

「……でも実際は違ったと? 彼女は何故か自分の嗜好より、俺達を潰し合わせる事を選んだ? ナオンは、そこが引っかかる訳か?」

 私は頷き、更に思考を巡らせる。だとしたら、どういう事になる?

「……まさか、シルベリスは本気で勝ちを目指している? あの享楽的な彼女が、遊び心を捨て去るレベルで? でもなんの為に? ……まさか?」

 私はある仮定に辿りつく。それは私にとって、ウイークポイントに繋がる事柄だ。今のワイズマン達に頼る様になった私にとっては、弱点とも言える話である。

 ワイズマンは〝この殺し合いで死んだ人々を、生き返らせる為に戦っている〟と言った。けど――私の願いは別にあるのだ。

 仮にシルベリスがその事を看破していたら、どうなる? 何らかの能力を使って、私の思考を探ったとしたら?

 もしそうなら、なんとしても私だけは早々に退場するよう図るのでは? 何故なら私が最後まで生き残るという事は、全人類に対する背信行為そのものだから。そんな私を、彼女は抹殺したがっている……?

「ならシルベリスが次にする事は――一つしかない?」

 ……不味い。この推理が正しいなら、正しく最悪の事態だ―――。

 私は勢いよくベッドから腰を上げ、彼方に向かって歩を進めた。


     ◇


 私は通路で出逢ったラジャン兵に、至急女王に目通りしたいと頼む。

 一分後には話は通り、私は約半日ぶりにベルナーマ三世と再会した。

「……おやおや。もうお目覚めですか、ナオン・アレクラム? 今日の狩はすませたのだから、もう暫く休んでいればいい物を」

 玉座に座る、女王が謳う。直ぐ横には兄の姿がある。この二人に私は問うた。

「女王達も、今有力な勢力は五つあるって知っているわよね? ここに飛ばされた時、アナタ達は当然、他の四派閥もこの地に飛ばされたと看破した筈。なら、その四派閥と同盟ないし休戦するよう求めたと思うのだけど、それは上手くいった?」

 趣旨がハッキリしない私の物言いに対し、女王は怪訝な表情を見せる。

「……それは確かに、ザフンクスとランダリアンが指揮する派閥と交渉はしました。けれど答えは一日待つよう申し出がありましたが、それが何か?」

「やっぱり、ここでも先手を打たれた。恐らく彼女は昨夜の戦闘で得た情報を元手にして、他の派閥を懐柔している筈。……不味いわ。このままだとラジャンは――同時に四つの派閥を相手にしなくてはならなくなる!」

「……彼女? まさかシルベリスか? やつがゾファーを差し向けた首謀者? 更にその戦いを高みの見物した挙げ句、陛下や俺の能力を他の派閥に売り渡した?」

 さすが、時々賢い兄である。話が早くて助かる。

「恐らく――そういう事よ。昨日一晩二人の能力を精査して弱点を探り、四派閥を連合させてラジャンを攻める。多分――ソレがシルベリスのシナリオ」

「……あのアマ、相変わらずいい性格してやがるぜ。では陛下、早急に移動いたしましょう。ここは既に、安全ではないと見るべきです」

 が、兄がそう進言すると、さっきの兵士がこの部屋に顔を出し、こう告げた。

「……畏れながら、陛下。ナマントの使者を名乗るシルベリス・シルベリアという者が、拝謁を願い出ているのですが?」

 故に……私は思わず息を止めたのだ。


     ◇


 このタイミングで、シルベリスが女王に謁見を望む? 最悪だ。

 私はゾファーを殺したから今日は誰も殺せないし、何より向こうは使者を名乗っている。つまり使者である彼女を殺した時点で、即開戦という事。それだけは、何としても阻止しなければならない。

 それ以前にシルベリスが自ら乗り込んできたのは、恐らく私の事情を公にする為だろう。その時点で、私は間違いなく孤立する。

 けど、だからと言って、彼女との謁見を断る様な発言力は私にはない。私に出来る事があるとすれば、極限られている。ならばとばかりに、私は提案した。

「女王。その会合に、私も立ち合って構わない?」

「……構いません。寧ろ、気が付いた事があればアドバイスを受けたい位です」

 それで、話は決まった。女王はシルベリスとの謁見に臨み、彼女は二十一日ぶりに私の前に現れる。

 シルベリス・シルベリアは――相変わらず全身白ずくめだった。

「やあ――ベルナーマ三世。お初にお目にかかるね。私がナマントの生き残りを統括しているシルベリス・シルベリアという者さ。……と、デェオンとナオンは暫くぶり。二人とも、元気だったかな?」

 フードを被り、顔が見えない二人の従者を連れたシルベリスが挨拶をしてくる。

 自分でも意外だったのは、彼女を見ても激昂しなかった事。妙に落ち着いた心持のまま、私は彼女の軽口にこたえる。

「いえ。くだらない挨拶はそこまでにして、さっさと本題に入りましょう。大方、降伏勧告にでも来たのでしょうけど、答えはノーよ。私達は楽に殺される道より、戦って死ぬ方を選ぶ」

「流石だね。もう状況を把握したわけだ、ラジャンやナオンは。そうだよ。非常につまらないのだけど、私は他の派閥と同盟を結び、ラジャンを潰す事にした。でも、その一方で一つだけ君達にチャンスを提示しようと思うんだ。ナオン・アレクラムの身柄を――引き渡してもらいたい。そうすれば、攻撃まで三日間の猶予を与えようと思う」

 このとき私は〝やはり〟と感じ、女王は意外そうな顔をする。

「……ナオン・アレクラムの身柄を? ……そうすれば、我らが撤退する時間を提供すると言っている?」

「うん。悪い話ではないと思うのだけど、どうだろう? そう。人とは他者評価と自己評価の二つが重なる事で、初めてその人物の実像が決定する。そのどちらかが欠けた評価なんて、ただの偏見ないし自己満足でしかない。仮に自身に対する評価が全てと言うなら、私はとっくに神を自称しているよ。あなたも実は、そう言った類の人間じゃないかな、女王? そんなあなたなら自国を生かす為どう選択すべきか、わかりきっているのでは?」

「……ほう?」

 女王は初めて笑い、肩をすくめる。

「……確かに悪くない提案ですが、それ以上に解せません。……たった一人の少女の身柄と引き換えに、あなたは国一つを潰す好機を逸すると?」

「そういう事になるかな。ラジャンごと纏めて片付けるのも手かと思ったのだけど、そうなると君達は必死で戦うだろ? 活路を失くした兵ほど怖い物はないからね。ここは兵法に則り、わざと逃げ道を残してあげる事にしたんだ。これも私としては非常につまらない手で、実に心外なのだけど」

「確かに、おまえにしちゃ正攻法すぎるな。四派閥の同盟といい、この交換条件といい、シルベリス・シルベリアとは思えないやり口だ。いい加減、人を殺し過ぎておかしくなったか?」

「かもしれないな。その説で言えば、君達の両親は実に手応えがあったよ。私が天才じゃなかったら、間違いなく負けていたと思えるほどに」

「それは余りに低レベルな挑発ね、シルベリス」

 だが、彼女は尚も微笑み続ける。

「で、訊くまでもないと思うけど、返答は? 女王は、何をどうするつもりかな?」

「……その前に、一つ質問が。あなたがナオン・アレクラムにこだわる理由は何?」

「ま、当然そう疑問に思うだろうね。でも残念ながら、理由は言えないんだ。そういう〝ルール〟であり――約束だから」

「……約束?」

 いや、〝ルール〟はわかる。恐らく『標的の思考は読めてもその事を第三者には伝えられない決まり』が彼女にはあるのだろう。だが――約束とは一体どういう意味なのか?

 私にはそれが、理解出来ない。

 そんな最中――女王は遂に決断する。

「……ではナオン・アレクラム、ラジャンの為に――死んでもらえますか?」

 そして私もここまで恩を受けた以上、女王の申し出に従うしかない。

「ええ。死ぬつもりは無いけど、ラジャンに対する借りを返す気だけはあるわ」

 さしあたっては〝鬼ごっこ〟になるだろう。私が標的になり、シルベリス達がソレを追うといった感じで。この間にラジャンが体勢を整えるというのが、多分ベターな選択だと思う。

 だというのに、女王はこう告げた。

「……ええ。では我等と共にこの地で果てましょう――ナオン・アレクラム」

「……は?」

 それは、つまり、そういう意味……?

「要するに、女王はナオンと共に戦うと言っている? 彼女を引き渡す気は無いと?」

「……語るまでもありません。彼女を引き渡した所で、恐らく三日後には我等も総攻撃を受ける。……そうなる様、既に段取りがついている筈です。でなければ、他の三つの派閥が納得する筈がありませんから。ならばここで主戦力である彼女を手放すのは得策ではないでしょう。違いますか――シルベリス・シルベリア?」

「はて? 逃げた君達を発見して、殲滅する? そんなご都合的な能力を持った人間が、私達の側に居たかな? 女王は私達の事を、些か買いかぶっているのでは?」

「……どうでしょう? ですが最悪、彼女を差し出しても、約束が守られない可能性があるのはわかります。今は既に、国際法も機能していない状況ですから。……要約してしまえば、私はあなたよりナオンを信用しているという事ですね」

 女王は微笑みながらも、露骨にシルベリスを不審がる。

 シルベリスもまた笑顔で、女王の挑発に応じた。

「やはり、慣れない事はする物じゃないね。この私が正攻法とか、本当に笑わせる。了解したよ、女王。では私もその不信感に応え――相応の処置をなすとしよう」

 クスクス笑いながら、シルベリスは言い切る。それから彼女は、謎のやり取りを始める。

「と言う訳だ。どうやらこの賭けは、君の勝ちらしい。君が言った通り、女王はナオンを手放さなかった。では約束通り――後は君の好きにするといい」

「ああ。じゃあ俺はここで君達とは袂を分かち、ナオンの味方につく。本当に世話になったなシルベリス」

 フードを被った男性が、声を上げる。

 けど……違う。問題は、そんな事じゃない。今の声は、余りに聞き覚えがあり過ぎる。

 シルベリス達がこの場を去る中――私は完全に呆然としていた。

「ま、ま、さか―――っ?」

「ああ――ナオン、漸く会えた」

 男性が、頭からフードを取る。其処にあったのは、十代半ばの青年の顔。頭にターバンを巻いたマントの人物は、私が見知った人だった。

 有り体に言えばそれはどう見ても――あのネル君である。

 精悍になった彼は、私に目を向けた。

「……ネ、ネル、君……?」

「と、君は変わらないな。相変わらず、その服装なんだ? 俺は成長期だから、少し背が伸びたかも。んん? どうした、ナオン? 俺が生きているのが、そんなに不思議か?」 

 不思議と言えば不思議だが……今一番不味いのは〝なぜ生きている?〟と訊く事だ。

 ソレを訊けば、彼はなぜそんな事を訊くのか間違いなく訊いてくる。下手をすれば、私の考えが正しければ、その時点で彼はシルベリスに襲い掛かり返り討ちにあう。

 なら、今はこう訊ねるのが自然だろう。

「……いいえ。ただ、驚いているだけ。それで、ご家族はみな無事?」

「いや、父も母も弟もみな、行方不明だ」

 やはり――兄弟が居た。だとしたら――シルベリスが殺したのは、彼の弟さん?

「……ネル君、弟さんが居たの? 私、初耳なのだけど?」

「ああ。双子の弟とは折り合いが悪くてね。話題にし辛かったんだ。と、悪いが積もる話は後だ。俺には先ず、するべき事があるから。わかっています――女王。確かに俺はナオンとは旧知の仲だけど、あなたにとってはただの不審者でしかないでしょう。急にナオンの味方をすると言っても信用してもらえないと思います。だから、疑いが晴れるまで監禁してもらって構いません。但し、殺すのだけは無しにしてもらいたい。俺の命は――ナオンの為に使うと決めているから」

「……なんだか急に話が飛んだ感じですね? ですが、確かにあなたの言う通りです。あなたがシルベリスと行動を共にしていた以上、監視つきの監禁は最低限の事。……彼の身を潔白にする為にも、それは必要不可欠な事です。ナオンもそれで構いませんね?」

「え、ええ。ネル君が、そう言うなら」

 ……確かに彼は、怪しすぎる。能力でつくり出した『人形』ではないかと疑う程に。私にはシルベリスが寄こしたスパイだとしか思えない。

 普通ならまずそう疑念を持つ所だが、余りにも露骨すぎる。こんなの、マークしてくれと言っている様な物だ。

 一体、どっちだ?

 ……彼は、敵か、味方か? 彼は本物か、それとも偽物……? 

 そう思い悩む中――確実にラジャンの命脈は終わりを迎えようとしていた。


     ◇


「……で、確認しておきますが状況はそれほど悪いのですね、アレクラム隊長?」

 ネル君が護送された後、女王が兄に問う。彼は真顔で頷いた。

「ええ。恐らく四つの派閥の長達全てが、我等と同じ力を有しています。私達の組織は各国に〝力〟を持った人間を送り込み、裏で支配しようとしていましたから。故に――最低でも四人以上は、私どもと同レベルの人間が居る筈です」

「……成る程。それに加え、兵力差も歴然ですね。恐らく八十名近くの人間が徒党を組んでいる筈。唯一の救いは、恐らく彼等は烏合の衆という事。ですが、果たしてそれだけで活路が開けるか? ……これは正に――ラジャンの存亡をかけた大戦になりそうです」

 そうだ。今はネル君の問題より、此方の方に意識を注がないと。色ボケしている間に恩がある国を滅ぼされたのでは、笑い話にもならない。

 いや、私にそう思わせる為に、シルベリスはネル君を送り込んできた可能性もある。だがそこまで考えてしまっては、身動き自体とれなくなってしまうだろう。今はただ、この窮地を乗り越える事が、正しい選択と信じる他ない。

 でも……どうする? どうすれば、この絶対的な包囲網を崩し生き延びる事が出来る?

 だが、そのとき更なる問題が飛び込んでくる。

 何の前触れもなく、ワイズマンがこの部屋へと入ってきて、彼は焦燥した。

「……ナオン。実は、不味い事になった」

「不味いって、まさかアナスタシヤに何かあったの?」

「ああ、正にその通りだよ。詳しくは、本人から聞いてくれ」

 ワイズマンに促され、一人の女性が部屋に入ってくる。彼女はまず、当然の様に項垂れた。

「助けてくれて、ありがとう、ナオンちゃん。……でも、本当に、やりきれないわ。私が助かる代わりに……レンカが、いなくなるなんて」

「……いえ。こんなの何の慰めにもならないでしょうけどアナタは最善を尽くしてくれたわ。もしこの件で誰かが責められるなら、それは間違いなく私よ。だから、アナタは顔を上げて」

「そう、ね。今は何としても生き残らないと。それで、話と言うのは他でもないの。実は私、いま一日以内に八十人の人間を殺さなくちゃいけない状態にあって」

「……は?」

 一日以内に、八十人の人間を殺さないといけない? 何だ。そのシルベリスが喜びそうな冗句は?   だが――ソレは冗談でも何でもなかった。

「というのも、あの男の人に封じられた人達の事なのだけど、彼等は人を殺す期間を猶予されていただけで、免除されていた訳じゃなかったのよ。解放されたら封じられていた日数分、誰かを殺さなければならなかったの」

「……ああ。それを知ったアナスタシヤは何を思ったか、その人達の枷を自分から請け負ったそうだ。本来なら一日に一人殺せば済んだ筈なのに、その人達の分を肩代わりし、今の状態になった。状況を説明すると……そんな感じだな」

「……それは、なぜ?」

「……だって、ナオンちゃんなら、何とかしてくれると思って」

 シルベリスじゃないが……ソレは余りに過大評価過ぎる。私にだって、出来る事と出来ない事があるのだ。寧ろ、出来ない事の方が圧倒的に多い。

 というか……アナスタシヤは余りに人が良すぎる。よくこれで、今日まで生き残れたと思うほどに。

 そう呆れた瞬間――私の脳裏にある疑問が過った。

「そう言えば、あの料理はどうやって作っていたの? こんな世界になった以上、インフラは疾うに崩壊しているわ。そんな中、どうやってガスや水を用意した? もしかして、アナスタシヤの能力と関係がある?」 

 アナスタシヤがワイズマンと顔を合わせる。答えは速やかにもたらされた。

「ええ。私の能力は『操作』なの。自律運動できない全ての物体を、自由に動かす事が出来る力ね。だから自意識が無いガスや水を動かして、此方に誘導する事も出来たわけ」

「………」

 彼女の言う通りだとしたら、つまりはそういう事……?

 何かもう余りに出来過ぎだが、私はこう言うしかない。

「天啓というか――アナタはやっぱりとんでもないわ、アナスタシヤ」

「……は、い?」

「ええ。これで――本当にラジャンは終わった、女王」

 私の宣言を前に――今度は女王と兄が顔を見合わせた。


     ◇


 ラジャンが終焉に向かって突き進み始めたのは、その一時間後。

 遠見の術が使えるウエスデンが、女王に報告してくる。

「はい。このビルの四方から、同時に敵が進行中です。距離は、凡そ十五キロ。数は、東の敵は十七名。西の敵は十九名。北の敵は十六名。南の敵は五名です。……無論、伏兵がいる可能性もあるので、これが総勢とは言えませんが」

「……フム。今の所、予想より敵の数は少ないようですね。……特に南の敵に至っては、何かの罠ではないかと思えるほど少数です。……ではナオン、アナタが言う通り全てを終わらせましょう。ラジャンの名誉は――今日失墜する事になります」

「ええ。くどい様だけど、これでラジャンは終わり。女王も皆も、その辺りは覚悟して」

 私は再度、断言をする。まるで患者の余命を宣告する、医師の様に。

 いや、そこから先は――正に急展開と言ってよかった。特に緊迫した場面も無く、危機的状態に陥る事さえ無く、全ては終わったから。

 が、果たしてどんな策があれば、この状況を乗り越えられると言うのか? こんな、数でも戦力でも劣っている籠城戦を強いられた状況なのに。

 その答えは――一つ。

「じゃあアナスタシヤ、やってもらえる?」

「……ええ。正直、気は進まないのだけど」

 アナスタシヤが、ウエスデンの肩に手を置く。お蔭で彼女が視認できる距離は、爆発的に跳ね上がる。十五キロ先の敵さえ視界に収め―――彼女はその能力を発動した。

 四派閥の前に、石で出来た小さなゴーレムが現れる。ソレを見て、彼等は怪訝に思うが、まだその意図には気が付かない。

 この間にアナスタシヤは『操作』を使い、あろう事かその石人形の原子を核分裂させる。更に摩擦熱で着火させ、起爆し――その途端、このビルの四方で小型原子爆弾が発動していた。

 ゾファーならノーダメージだったかもしれない、一撃。だが、ゾファーならざる彼等にこの暴挙を防ぎ切れる筈もなく――ここに幕は下ろされた。

 悲鳴を上げる間もなく、数千度の高熱によって五十七名もの人間は焼却されたのだ。

 同時に、放射能を帯びた灰が四方からこのビルに迫る。その全てをビルに張られた『防壁』が遮断。その衝撃さえも防ぎ切り、この建物はどうにかかの厄災から守られていた。

「……けど、本当に出来るとはね。言いだしたのは私だけど、これってやっぱり反則スレスレだわ」

「あ? 素直に反則と言えばいい。だが、褒めてはやるよ。この裏技めいた作戦を思いついた事は」

 兄の言う通りだ。確かにこの殺し合いでは、核攻撃が禁止されている。恐らく能力でもソノ手の力は禁じられていただろう。

 だが、アナスタシヤは自分でも、こんな事が出来ると意識していなかった。彼女の目的は飽くまで無機物の操作で、それ以上でもそれ以下でもない。

 けど、これはそれゆえ見逃された。術者であるアナスタシヤでさえ認識していなかったから『神』の検閲をすり抜けたのだ。

『無機物を操作する』=『核分裂を起こさせる事も可能』という事実を『神』は見落とした。

 加えて、アナスタシヤは一日以内に、八十人もの人間を殺さなければならない状態にある。そのお蔭で彼女は命を懸ける事なく、この作戦に臨める事になった。

 種を明かせばそんな所だが――問題が一つ残る。

「ええ。核と言う人類最大のタブーを犯した以上ラジャンの悪評は轟く事になるでしょうね。もしかすると、国としての体裁を保てなくなるかも。そう言った意味では、これで本当にラジャンは終わりなのかもしれない」

「……かもしれませんね。……ですが、躊躇うだけの余裕が無かったのも確か。……私一人がその悪評を被る事で、一兵も損なわず敵を打破できるならそれで構いません。王とは所詮、自国の利益の為だけに存在する、効率の良いシステムに過ぎませんから」

 ソレが、ベルナーマ三世の王の捉え方。そう納得した所で、私達は終戦を迎えていた。シルベリスを討ち、両親の仇をとって、また一歩私は目的達成に近づいたのだ。

 後はシルベリスが死んだ事で、あのネル君がどうなったか確認するだけ。仮に彼が、シルベリス達がつくった『人形』なら、これで何らかの動きがある筈。

 以上の事を確認す為、私は彼が監禁されている地下室に足を向けようとする。

 いや、本当に――その筈だった。

 だがこの時――彼方より思いがけない声が私達の耳に届く。

「やってくれたね」

 突如この場に『転移』してきたシルベリス達は――笑みさえ浮かべそう告げたのだ。


     ◇


 正にソレは、瞠目にあたる手腕だった。

 シルベリスは周囲を見渡し、一瞬で全てを把握する。

(ゾファー戦でこの手を使わなかった以上この業を使えるのは昨夜あの場に居なかった人間。つまり――この女性か)

「あ――」

 ナオンが、駆けだそうとする。ワイズマンも必死に手を伸ばすが、それより先に彼女が動いた。アナスタシヤは、ワイズマンの動きを制止させる様に、自らその身をシルベリスの前に晒す。

 それで――事は終わっていた。

 

 きっと、彼女は全てを持っていた。人並み外れた容姿と、裕福な実家、そしてそれ相応の学歴。他人が羨むモノ全てを持った彼女は、きっと幸福だったのだろう。

 だが、彼女の最大の美点はソレを鼻にかけない穏やかな性格にあったのかも。けれど、ソレが彼女にとっては災いになった。

 世界が〝こうなった途端〟、彼女は真っ先に親友だと思っていた女性に襲われたのだ。

〝本当はずっと殺したいほど憎かった〟と言われた。〝その何でもかんでもいい方に捉える性格が鬱陶しかった〟と告げられた。〝だから、こうしてあんたを殺せる日が来て、私は本当にラッキーだ〟と言われながらソノ女性は彼女に向け発砲した。

 その時、彼女が受けた衝撃は凄まじい物だった。己の全てを否定された様な衝撃を覚えたがソノ女性にとっての誤算は事もなく起きる。ソノ女性は、彼女がショックを受けている間に彼女を殺せると思っていた。

 だが気が付けば右手左足を銃で撃ち抜かれ倒れているのは――自分の方だった。

 そのまま、彼女は女性に近づき、銃を突きつける。女性は必死に命乞いしたが、彼女は涙しながら女性の眉間を撃ち抜いていた。その理由は、なんという事もない。

〝だって――私はまだ死ねないから〟

 それだけの理由が二つもあるから、彼女は自分でも驚く程はやく昨日までの自分と決別したのだ。

その先は、語るまでもない。絶対に死ぬ事が出来ない彼女は、この日から人を殺し続けた。心を摩耗させながら、それでも表向きは何時もの自分を装って。

「でも、これで、それも、ようやく、おわりに、できる」

「あぁああああぁぁっ、あああああああああああああぁぁ―――っ!」

 シルベリスの腕に体を貫かれながら――彼女はまるでユメ見る様にそう告げていた。

 途端、その場に居た人間の大部分が、この場から消失する。

 気が付けば、ナオンや彼女達は見知らぬ場所に居た。

(……何らかの術を使って、遠方に飛ばされたっ? ラジャンの兵が、この場に居ないッ? つまり、アイツ等を人質として使うという事っ?)

 デェオンが状況を把握する中、ワイズマンが彼女に向かって歩を進める。

 地面に伏す彼女の体を彼は抱き起し、あらん限りの声を以て問うていた。

「――バカか、お前はっ? 何で俺を庇ったッ? 俺より先に死なないって、約束しただろぁがああああ!」

「……そう、そう、だったわね。でも、ほら、こういうのは、りくつじゃないから。からだがかってにうごいちゃったというか。でも、そのせいで、わたしは、ひととして、いちばんひどいことを、した。わたしたちのきぼうを、わたしたちが、きょうまでいきてきたりゆうさえ、みちずれに、してしまった。だとしたら、ほんとうに、ばか、ね、わたしは。だから、わいずまんは、わたしのことを、すきなだけ、うらんで」

「……ああ、恨んでやる。呪ってやる。俺にこんな思いをさせたお前を俺は永遠に許さない。でも、それでも、本当にこんな事は言いたくないけど、君は最後の最後まで、俺が愛した君でいてくれた。……だから、もう良い。もうこれ以上、アナスタシヤは、誰も傷つけなくていいんだ」

「そう、ね。ほんねをいう、と、ね、わたしは、だれも、ころしたくなんてなかった―――」

 だが、それ以上、彼女は何も言えず呼吸を止めかける。

 その様を見て、彼はもう一度だけ取り乱した。

「……畜生っ! 畜生ッ! こんなのって、こんなのってありかよぉおおおッ!」

 ナオンが彼の肩に手を置いたのは、その時だ。

「今回は、私は、泣かない。だから、私の分までアナタが二人の為に泣いて上げて」

「……し、知っていたのか。アナスタシヤが、妊娠していたって―――ッ?」

「ええ。何となくだけど。彼女みたいな人が他人を殺してでも生き残る理由が、私はほかに思いつかなかったから。本当に穏やかで優しくて、私は大好きだったわ、貴女の事」

「……ああ」

 その言葉を、彼女は、ずっと言って欲しかった。あの女性の口から、聞きたかった。

 だから、彼女はもう一度だけ涙する。

「……ええ。そのことばだけで、わたしはもうまんぞく。ほんとうに、ありがとう、なおん」

 そして、アナスタシヤ・レコッドの意識は、闇に染まっていた―――。


     ◇


 ワイズマンだけでなく、ザボックも声を上げ嗚咽し、涙する。

 その様を、私は奥歯を噛み締めながら、ただ見守るしかない。大切な物を奪われた彼等の姿を、ただ、見届ける事しか出来なかった。

 そんな中、兄が彼等に近づく。

「……私からも、心から哀悼の意を表させてくれ。あのレンカと言う少女もレコッド氏も、ラジャンの恩人であり、紛れもない英雄だ。君達の仲間は、私や陛下でさえ出来なかった事を成し遂げてくれた。……だからもう良い。これ以上、君達は私達とは関わるな。これから先は――本当の死地だから」

「……俺に、あの女の事を忘れろ、と? アナスタシヤを殺した、あの女の事を? 悪いが、それは無理だ。俺はアナスタシヤの尊厳を懸け、あの女と戦わなくちゃならない。例え俺にはもうそんな資格は無いと言われようと、自分の最期位、自分で決めるさ……」

「そうか。君もその気だと……?」

 ザボックに目を向け、兄は問う。彼は、ただ遠くを見た。

「ええ。実を言えば、僕にはワイズマン以上に何も残されてなかったんです。そんな僕が今日まで生きてこられたのは、ワイズマンやアナスタシヤやレンカ達が居たから。ナオンの機転が僕を今日まで生き長らえさせた。なら、答えはわかり切っているでしょう?」

 ……話は、決まった。

 私は彼等を止める言葉さえ思いつかず、ただ彼等と行動を共にする道を選んだのだ。

 その時、私は背後に、誰かが立っている気配を感じた。振り返ってみれば、それは紛れもなく、あのネル君だ。そのネル君も、誰かの事を想い、号泣している。

「……いや、悪い。彼女と一面識もない俺が泣くなんて、白々しかったな。本当に悪い」

 それは正に私が知っている、ネル君だ。

 他人の痛みを自分の事の様に受け止め、涙してきた、あのネル君。

 けれど、それ以上に私の中には疑念が渦巻いていた。

 なぜ彼まで、この場に飛ばされてきたのか?

「それは多分、シルベリスが以前の彼女に立ち戻ったからだろうな。自分を追い込み、己の力を最大限引き出す為、彼女は俺さえ敵に回すよう図った。恐らく、そんな所だと思う」

「……それは、つまりネル君も相応の能力を持っているという事? シルベリスは、そんな思い違いをしている?」

「つーか、待て。話が飛びすぎだ。最初から事情を話せ。そもそもおまえは何者だ?」

 兄がネル君に、詰問する。彼は涙を拭った後、真顔で告げた。

「申し遅れました。率直に言えば御兄さん――俺はナオンの恋人です」

「……あ? 嘘だろ? おまえ、男とかつくっていたのか? あのおまえが……?」

「ええ。意外に聞こえるかもしれませんが、本当です、御兄さん」

「……てか、その御兄さんというのを、まず止めろ。なんか、ムカつく」

「は、い? 意外にシスコンなんですね、御兄さんは?」

「………」

「……ま、気持ちはわかりますが、今は黙って彼の話を聴きましょうアレクラム隊長。で、私の勘ではあなたもまたカタギの人間ではない様に思うのですが、これは正しい?」

「いえ、だからそれは勘違いだわ。ネル君は――ただの一般人よ」

 思わず、口を挟む。なのに、あろう事か、彼はソレを否定した。

「いや、女王の言う通りだ。実を言うと、俺は普通とは違う」

「え……っ?」

 そういえば、ネル君は私が生きている事を全く不思議に思っていなかった。寧ろ、それが当然だと受け止めていた節さえある。……なら、つまりは、そういう事――?

「ああ。実は――俺は組織の人間だ。俺はナオン・アレクラムの人格を推し量る為に――組織が用意した駒に過ぎない」

「なっ、は―――ッ?」

「いや、君だけじゃなく、若い人間は皆、ああやって適性を試されている。本当に組織にとって有益な人間になり得るか、探りを入れられてきた。弟と折り合が悪かったのもその為だ。俺は選ばれ、ポクスは選ばれなかった。あいつが俺を疎んでいたのはそういった理由からだな」

「……つまり、ネル君は、私にとってのスパイ……?」

 半ば呆然としながら、問いかける。

 だが、そうだとすれば、合点もいく。

 私の様な女に好意を抱き――〝一生愛する自信がある〟とまで言った彼の事情も、納得がいく。

 アレは全て芝居で、彼はその時、私がどんな反応を示すか見届けたかっただけなのだ。

 現に、彼は頷く。

「そうだな。それどころか、仮にナオン・アレクラムが危険分子になり得るなら始末するよう言われていた。そして俺の判断だと君は組織にとってマイナスとなる存在だった。俺を選び、組織から抜けようとしていた君は」

「……つーか、そろそろこいつ、殺していいか?」

 兄が、本気で殺気立つ。

 その理由が良くわからない私は、やはり唖然としながら、彼を見た。

「そうですね。御兄さんが怒るのも、無理ありません。けど、それでも、きっかけはそうだけどその先は本気だ。俺は今でも――君を愛している、ナオン」

 だから、私は漸く我に返った。

「……は、いっ? ちょっと待ってッ?」

「いや、待たない。よくドラマとかであるアレだ。ミイラ取りが、ミイラになるって話。俺もそれを地で行く感じでさ。何時の間にか、ナオンなしでは生きていけない体になっていた。組織もそれに気付いたのか、俺をシャーニングに〝栄転〟させてね。俺もほとぼりが冷めるまでナオンとは距離を置くつもりだったんだ。だが、そんな時――〝アレ〟が起こった。故に俺も家族は母に任せフォートレムに帰ろうとしたんだが、そこでトラブルがあってさ。ナマントの辺りで組織の上層部の人間に会って、殺されかけたんだよ。それを何故か救ってくれたのが、シルベリス・シルベリアだ。いや、彼女も一人では勝てなかったかもしれないから、そこら辺はお互い様なんだけどね。で――話を聴けば彼女もナオンの知り合いだって言うじゃないか。それで、暫く行動を共にしていたんだ。……いや、本当ならシルベリス達を倒しておきたかったが、俺の能力は彼女にバレていた。その事を他言できない類の能力で知ったらしいがそこまでバレてる以上、彼女には手を出せない。なら、少しでも彼女等の情報を集めナオンに伝えるのが俺の仕事だ。そう思って今日まで生きてきた、という訳なんだ」

「……ちょっと待って。じゃあ、何でそんなネル君をシルベリスは放置したの? 彼女には、スパイだってバレなかったって事? でも、それだと話が矛盾する。話の流れから言うと、君は初めから私の味方をすると表明していたのでしょ? なら、その時点で――シルベリス達に敵視されてもおかしくないじゃない?」

「ああ。多分だけど、それは俺ならナオンを心変わりさせられると期待したからだと思う。そう計算し、彼女は賭けに負けたフリをしてまで、俺を君の傍に送り込んだんだろう」

「……おまえが、こいつを心変わりさせる? また訳のわからねえ事を。それだと、こいつが何かよからぬ事を企んでいる様に聞こえるぜ?」

「いえ、決してそういう訳ではありません、御兄さん。それは俺が保証します――御兄さん」

「……おい。おまえ、こいつの何処が良くてつき合っていたんだ?」

 けれど、私はそれには答えず、やはり愕然とする。

 自分がここまでおめでたい人間だと知って、笑いさえこみ上げてきた―――。

「そうだな。君も今は混乱しているだろうから、今までの様に接してくれとは言わない。気持の整理がつくまで、好きな様に振る舞ってくれ。……でも、これだけは事実だ。俺は君がまた振り向いてくれるまで、何時までも待っている」

「な――っ!」

「……というか、こんなナオンは初めて見ますね。アナタにもそんな普通の情緒があったと知って、驚きを禁じ得ません。いえ、そろそろ話を戻しましょう。状況はわかっていますね、ナオン?」

「え、ええ。シルベリスはあのビルを乗っ取り、ラジャン兵を人質に使って、私達と決着をつける気ね。明らかにコレは罠だけど、女王はそれでも乗り込むつもりなのでしょ?」

「……そう言う事です。……ですが、たぶん彼等を助けるのは無理でしょう。ここからあのビルまでは、恐らく一日以上離れた距離にある。……我が兵達はまだ狩を行っていませんから、仮に拘束されているとすると、もうそこまで。……『一日一殺』の〝ルール〟を守れず、皆、死に絶える事になる。そして、私にはそう仕向けたシルベリスを憎む権利さえ無い。何しろ私は、核を使ってまで彼女等を抹殺しようとしたのだから。……ですからここから先はただの感傷にすぎません。……彼等を皆殺しにしたシルベリス達を、私情を以て討つという感傷にすぎない。アナタはそんな私についてくる義理も義務もありませんが、どうしますか、ナオン?」

「……いえ、それより例え女王でも、悲しかったら素直に泣いても良いと思う」

 例えば、レンカを失った私の様に。

 今もアナスタシヤを偲び、涙しているワイズマン達の様に。

「……そうね。そうかもしれない。本当に、そう。皆、よく私の様な者に尽くしてくれたわ。彼等はね、主に私を生かす為の能力を得てきたの。自分が生き残る為ではなく、私を生かす為だけの能力を彼等は選んだ。私はまだ、そんな彼等に何の返礼もしていない。ありがとうの一言も言っていない。だから、この涙を以て、彼等に対するせめてもの慰めとします。……ありがとう、ナオン。アナタがそう言ってくれなかったら、私は女王という立場に固執して、泣く事さえ出来なかった」

「……やっぱり、アナタは強い人だわ。本当に、羨ましい位。そんなアナタを、私は心から尊敬します」

 微笑みながら頬を濡らすベルナーマに、私はそう言う事しか出来ない。

 自分を慕った多くの人間を失った彼女に、私はそれ以上なにも言えなかった。

「……では行きましょう。あの、損な役割を演じてばかりの女性に引導をわたす為に。彼女にはその役割通りの最期を、迎えさせる――」

 故に私達は今度こそシルベリス達と決着をつける為――この地を後にした。


     7


 そこから先の話は、正にノンストップで進んだ。ナオン以外の人間がその日の狩を行った後彼女達はただひたすらあのビルを目指す。一日経つ前に到達しようとし、それでも可能な限り体力を温存する。

 けれど時間は無情にも過ぎ去り、結果、ナオン達がビルに戻ってきたのは翌日の朝だった。

 この五階建てのビルを眺めながらベルナーマは、一度だけ俯く。しかしソレも一瞬の事で、次の瞬間――彼女はただ前だけを見ていた。

「……では、行きましょう。……皆、覚悟はいいですね?」

 戦いが済み、仮に生き残っても、そのあと彼等は身内同士で殺し合う事になる。

 そんな彼等に女王は問うが、その不条理を前にしても、決意が揺らぐ人間は誰一人居ない。ナオン達は一斉に頷き、彼女は彼に問うた。

「で、ネル君、私の考えだとこうなのだけど、何か間違いはある? 少なくともシルベリス側は、瞬間移動できる能力者と、此方の思考を読める能力者と、標的の位置を知る事ができる能力者がいる筈。これは正しい?」

「……いや、悪い。昨日はああ豪語したけど、実は俺も彼等の能力は殆ど知らないんだ。俺が知っているのは、彼等が皆〝力〟の持ち主という事。後、レペック・パナック大尉が一度だけシルベリスを――『ネルロマンサー』と呼んでいたのを覚えている」

「……『ネルロマンサー』? つまり、彼女は『死霊使い』……?」

 が、ナオンが疑問を抱いた時――彼の話を裏付ける様な物体が空から落ちてくる。

 肉が無く骨だけのその存在を、ナオンは簡潔に表現した。

「まさか、嘘でしょ? これは――ゾファー・アレクラムの気配? シルベリスは彼の遺体を召喚した――?」

「……そのようですね。では、ここはナオンとネル殿に任せます。……私達はビル内に侵入して、シルベリス達を殲滅するという事で構いませんね?」

 けどナオンは焦燥の声を上げ、彼女を止めた。

「……ちょっと待て。女王と兄さんの能力は、向こうに知られている。そのアナタ達が乗り込むなんて、自殺行為よ!」

「冗談。俺と陛下には、まだ奥の手がある。それをあいつ等はまだ知らない。なら、条件は同じだ。俺達は絶対に負けねえよ――バカ妹」

 ナオンの返事も待たず、女王とデェオン、ワイズマンとザボックは駆けだす。

 この四人を件の屍が迎撃しようとするが、その前にナオン達が動いていた。

 振り下ろされた屍の腕を、彼女は蹴り上げる。

「……いいわ、わかった、上等じゃない。でも死んだら本当に許さないから――皆!」

「……ええ。私もアナタ達の健闘を祈ります」

 かくして――ナオン達は戦力を二つに分断されたのだ。


     ◇


 いや、戦力を分散したのは、ナオン達だけではない。一階の一室には――一人の屈強な男が立っていた。それは間違えようもなく、昨日シルベリスと共にあの部屋へ『転移』してきた人物だ。

 彼を見て、女王は眉をひそめる。

(……さて、どうする? ここは全員で相手をするべきか? ……それとも、それが向こうの狙い? 彼は私達一人一人に、相応のダメージを与える自信がある?)

 なら、恐らく上階に居るシルベリスと戦う頃には、彼等も十全とは言えない状態になる。誰かが負傷、ないし死亡している体でシルベリスに挑まなくてはならないだろう。

 その事に気付いたワイズマンが、一歩踏み出す。

「あいつは――俺が相手をします。女王達は早く行ってください」

「……待て。本当に、良いのか? ソレは間違いなく、君の死を意味するぞ?」

「ああ。言っただろ。死に場所は自分で決めるって。出来ればシルベリスを殺したかったが、俺の器量ではあれが精々だ。だから――早く!」

「ええ。ありがとう、ワイズマン。僕にとっては――君こそ英雄だった」

 ソレが最後。ザボックが告げると同時に三者は駆け出し、件の男の横を通りすぎる。同時に彼―――ギュナー・ニッチ少尉は徒手空拳のまま、構えをとった。

 この流麗な動きを見て、ワイズマンは震える体を自制させようと奥歯を噛み締める。ここに絶望的とも言える戦力差がある二人の戦いは、幕を開けた。

 先に動いたのは――ギュナー。次の瞬間、彼の体は五つに分かれる。驚愕するワイズマンが目を疑っている隙に、分身の一体が彼に迫った。足に活動エネルギーを集中させたその動きは既に常識から外れている。普通の人間が避けられる動きでは、決してない。

(へ、え?)

 だが、それでも躱す。

 あろう事か、常人の運動能力しか持たない筈のワイズマンは、その一撃を回避する。

 死に物狂いで体を反らし、彼の強化された拳を避ける。

(只の人間が、今のを躱す? まさか、こいつも女王と同じ、『未来視』使い?)

 いや、ソレは誤りだ。彼はただ単に、ひたすら命を懸けているだけ。それは文字通り、命懸けの能力行使だった。ワイズマン・ワースは『収集』を使い、事前に彼がどう動くか能力を以て知ったのだ。

 たったそれだけで――彼の寿命は一年も縮まるというのに。

(だが――俺にはソレしかない。命を懸けなければシルベリスの部下一人倒せない、無様な男なんだよ、俺は)

 けど、笑う。彼は、笑う。ギュナーの攻撃を紙一重で躱す度に彼は口角を上げ続ける。そうする度に、彼は自分にとってのゴールに近づけるから。彼はあの彼女に、少しでも近づける。故に、彼の笑みは三十回目の攻撃を避けた後でも、崩れなかった。

(これで――通算六十一回目。そうか。どうやら俺は余程長生きだったらしい)

 でも、それも意味がない事だ。あの彼女とまだ生まれてもいない子供を失った時点で、自分は長寿である意味を失った。寧ろ今はこの長すぎる生に、嫌気がさしている位だ。

 だから、彼は腹を決めた。

(……だな。あんたには何の恨みはないが、次で決めさせてもらう)

(……アレはそう思っている顔か。だが、そうだな。心から称賛するぜ。『未来視』が使えるとはいえ、只の人間がこの俺とここまで戦えた、その力量は)

 が、それは誤りだ。少尉は、二つの過ちを犯している。一つは、彼の器量。ワイズマンの力量は、決して高くはない。ここまで彼が生き残れたのは、運の要素が強い。

 更にもう一つの勘違いは、致命的だった。それは、ワイズマンの能力だ。

(しかし――これで終わりだ。俺はおまえを殺し――その後でシルベリスをも屠る)

 少尉がそう思考した時、ワイズマンは懐から銃を引きぬく。ギュナーの会心ともいえる一撃をやはり紙一重で避け、彼本体の懐に入る。彼の額目がけて、零距離で銃弾を打ち放った。

(ほ、う? だが、無駄だ)

 ギュナーはその直前、自身の活動エネルギーを額に集中する。彼の銃弾を塞き止め、ついに彼の拳が――ワイズマンの腹部に決まった。

 が――ギュナーにとっての誤算は、今このとき炸裂する。

 腕と額に活動エネルギーを集中した彼に、ほかの部位を強化する余力はない。故にただワイズマンが自分の頭を彼の鼻っ柱にぶつけるだけで、彼はたたらを踏む。意識が一瞬飛び、ワイズマンはその間隙を衝いて吼えた―――。

「おおおおおおおおおおおおおぉぉぉ―――っ!」

 ありったけの銃弾を、ギュナーの心臓目がけて撃ち放つ。

 これを彼は防御しきれず、心臓を破壊され、ギュナーは最後に問うた。

「……まさ、か。おまえは、なにもの、だ? なぜ、おれのたおしかたを、あらかじめ、しっているかのような、うごき、を……?」

「……いや、知っているかの様ではなく、本当に知っていたのさ。それが、俺の能力だから」

 そういう事だ。ワイズマンはギュナーの体力が削れたのを見計らい、『彼の倒し方』を収集し――ソレを実行した。『反撃される情報』は得られなかったが、それでもワイズマンにとっては十分過ぎた。

 それが、彼の最期。壁にもたれかかっていたギュナーはズルズルと、壁に沿って床に倒れ、息絶える。ワイズマンも壁に沿って、何時の間にか尻餅をつき、ただ天井を仰いだ。

「……ああ、勝った。勝ったよ。アナスタシヤ。ロッチ」

 その時、彼は自分の傍に駆け寄ってくる誰かの気配を感じた。件の屍を倒したナオンという少女を視界に収めた時、彼は〝あの日〟を想い、もう一度笑った。

 ソレは一月一日の事。彼は親友と共に散歩をしていた。そして世界が〝ああなった時〟親友は真っ先に、争う人々の仲裁に入ったのだ。きっとその時点で標的は自分になり、殺されるとわかっていた筈。それでも彼は、人々が無残に殺し合う事に耐えられなかった。

 だが、彼はそんな親友を止める事が出来なかった。アナスタシヤの姿が、一瞬、脳裏を過ぎった彼は行動を起こせなかった。気が付けば、親友は銃で頭を撃ち抜かれていたのだ。

 あの時点で、きっと自分は人でなしになったのだと思う。勇気ある親友を見捨てた、ただの人でなしに。

 そんな自分が今日まで生きてきたのは、アナスタシヤと自分の子供を守る為。彼女達を、親友の様な目に合わせたくなかったから。

(でも、その役割も、もう、終わりだ。俺は漸く、ただの人でなしとして、死ねる)

 けれど、そんな彼にナオンは告げる。

「……本当にありがとう。あの日、貴方が私に会いに来てくれたから私はここまで来られた」

「ああ。俺も、いいユメを、みせてもらったよ」

「……私は、何もできなかったのに?」 

「心のありようの問題だ。宗教では人の命までは救えないが、心は救われる事はある。満足しながら死ぬ事だって、出来る。君は、ソレを俺にしてくれた。……そうだな。俺は結局すべてのせきにんを、きみにおしつけた、だけだったのに」

「いえ、貴方は私達にとって――最高のリーダーだったわ、ワイズマン・ワース」

「……バカか、きみは。あなすたしやだけでなく、おれまで、なかせるき、か? もういい。はやく、いけ。そう、だな。これが、りーだーとしての、さいごの、めいれいだ」

「……冗談。貴方は一度だって、私に命令なんてしなかったクセに」

 それでも、ナオンとネルは彼の言う通り、地を蹴る。彼の死を見届ける事なく、女王達の後を追う。きっと、それだけが、最期に彼が望んだ願いだから。

 その彼はもう一度だけ天井を仰ぎ、微笑みながら、こう呟いた。

「そうか。よかった、あなすたしや。そうか、おんなのこか。ほんとうに、よかった」

 あの彼女達に迎えられ、彼の魂もまた、行き着くべき場所に帰ったのだ―――。


     ◇


 その数分前――ザボック・コルネリアもまた死地へと足を踏み入れていた。

(……いま僕に関する記憶は、あの老人から消えている筈。なのに、怖い。これ以上近づけない程に、あの老人が……恐ろしい)

 ソレが――ザボックの能力。彼は能力を発動させるのと同時に、姿だけでなく、存在その物が第三者の記憶から消える。ホームと定めた場所から動かなければ、その効果は半永久的に永続する。

 反面、この能力下にある対象が能力外の人間に接触すると、その時点で能力は解除される。術者の影を踏むだけで、力は解除される事になるのだ。……また力が解除されれば、その日一日は、この能力が使えない(※ホームの隠蔽能力は使えるが)。

 故に彼等の仲間で楽な狩が出来るのは、最初の一人きり。ザボックの能力下にある仲間が標的を攻撃した時点で、この力は使えなくなる。

 この能力を、たった一人でタアゼン・ゼッツ中尉と対峙している彼は今フルに使役できる。姿だけでなく中尉の記憶から消えている彼は正にステルス状態の極みにあるだろう。

 けれど、和装のタアゼンは刀の柄を握った手を、離そうとはしない。

 あの老人はまるで、この場に敵が居る事を確信しているかのようだ。

 何時でもザボックを屠れる様――あの老人は準備を整えている。

(ああ。何で臨戦態勢を取っているのかは、忘れた。だが儂はそこまでボケちゃいねえ。構えをとった以上、今ここでナニカがあった。儂は恐らくそのナニカを、強制的に忘却させられている。そう考えれば大凡の辻褄は合う。いいぜ。なら――何時でも来やがれ。その時は儂の――『不条理』を食らわせてやる)

 それがこの老人の能力。刀を抜いてただ振るだけで、敵と認識した人間を両断できる。例え敵が背後に居ようと、刀の間合いにあるなら、位置関係など関係なく叩き斬る。正に不条理と言えるソノ力は、同様に理不尽ともいえるザボックの能力に匹敵した。

 つまりはそういう事で、ザボックの中尉を恐れる直感は極めて正しい。

 この時ザボック・コルネリアは、恐怖の余り己の過去に埋没した。

 アレは一月一日の事。世界が〝ああなった〟後――彼は親友と殺し合った。ソレは親友と合意の上での殺し合いだった。何故って、彼等は同じ女性を好いていたから。

 確かに、自分と親友の二人でその女性を守るという選択肢もあっただろう。が、何れは互いに殺し合う身。親友は今以上に、彼に情が湧く前に決着をつける事を選んだのだ。

 結果――彼は親友を殺した。あの女性を守る為に、彼女に好きだと告白するべく、彼は合理的に事を運んだ。

 だが、どれほど理論武装した所で、彼はその場から動けなかった。親友の屍を前にし、ただ頬を濡らし続けるだけ。

 あの時ほど、自分が感情的な人間だったと思い知らされた事はない。あの時ほど、自分達がバカげた事をしたと痛感した日はなかった。自分はもっと冷めた人間だと思っていたのに、彼はこの時点で半ば生きる意味を失ったのだ。

 更に、彼はとんでもない思い違いをしていた事を知らされる事になる。〝あの親友は暴漢に襲われて瀕死の重傷を負い、自分が止めをさして楽にした〟と意中の女性に話した後の事。あろう事か、彼女は手にした銃で自分の胸を撃ち抜いたのだ。彼は、彼女は自分を選んでくれると自惚れていたが、それはとんでもない勘違いだった。彼女が好いていたのは、命を懸けて愛していたのは――自分が殺したあの親友だったのだ。

 なら、自分とは何だ? 親友だけでなく、愛した女性さえ死に追いやった自分とは何者? 

 だから、彼はユメ見た。あの二人を蘇らせ、命を以て謝罪するその日をただ目指していた。押しつぶされそうな罪悪感と必死に戦いながら、彼は生きて戦い続ける道を選んだ。

(でも、それさえワイズマンやアナスタシヤやレンカやナオン達が居なければなせなかった。本当にバカだ、僕は。最後まで生き残って、願いを叶えないといけないのに。今は、誰かを守る為に命を懸けたいと思っている。ハースやニルバにしてあげたかった事を、僕は今しようとしている。そんなのはただの自己満足に過ぎないのに、今は誰かを守りたい。レンカがそうした様に、アナスタシヤがそうした様に、ワイズマンがそうした様に、僕はそうしたいと心から願っている。僕達には、ナオンという希望が居るから―――)

 故に彼は意を決する。確実に一撃で仕留める為、彼はタアゼン・ゼッツの後ろに回り込む。彼は震えながらその首に、ナイフを押し当てようとした。後はその刃を押し付け、後ろに引くだけで、全ては決するだろう。

 事実、彼は手にしたナイフを中尉の首に触れさせる。ソノ時ソレは起きたのだ。

 タアゼンの首にナイフが触れる。ソレが彼の頸動脈を切り裂こうとした瞬間、タアゼンは全てを思い出す。

(ああ――そうか。これは、あの眼鏡の坊主の術か――)

 同時に中尉は彼の想像を絶する速度で、手にした剣を引きぬき、振り切る。その時点で彼の背後に居たザボックの腹は――横一文字に斬られていた。

「……がぁああぁッ? あああああああああぁぁぁ―――ッ!」

 だが、止まらない。例え致命傷を負おうと、ナイフを持った彼の腕は確実に後方へと引きぬかれる。

 この裂帛の気迫と共に行われた凶行は、確かにタアゼンの頸動脈を切断する。

 ソレを見届け――中尉は謳った。

「……見事だ、小僧。もしかすると儂はおまえと刺し違える為に、今日までいきてきのかもな」

 タアゼン・ゼッツは横転し、彼もまた仰向けに倒れる。

 ナオン達がその場に現れたのは、それから直ぐだ。

 彼女は片膝をついて彼を抱き起すが、全ては手遅れだった。

「おもったより、はやかった、ですね。わいずまんは、どうしました?」

「……ごめん。私は、結局、誰も救えなかった」

 だが、彼は首を横に振り、最後の力を振り絞って、呟く様に告げていた。

「いや、きみたちのために、しねることを、ほこりに、おもう。あとは、まかせた」

「ええ。私も、貴方達と一緒に戦えた事を、誇りに思うわ」

 ソレで、終わった。息絶えた彼を、ナオンは静かに横たわらせ、数秒だけ黙とうしてからその場を去る。

 その彼は今際に至り、漸く一つの事を成し得たのだ。本当に守りたい物を、命を懸けて守ると言う、何よりも難しいそんな事柄を果たした。

 そして彼の意識もまた、彼が望む場所に向かっていた―――。


     ◇


 更にザボックが息絶える、数分前の事。

 デェオン・アレクラムは、レペック・パナック大尉と交戦状態にあった。ソレはシルベリスにして――〝最悪の『アサシン』〟と称させる女性である。

 彼女の能力は、実にシンプルかつ複雑である。その事を、デェオンはいま痛感する。

(――影を使うかよ! つまりこのビル自体が、この女の胃袋って訳かっ?)

『影を立体化させる』能力。

 それが、デェオンの解釈。現にこのビルの一室に点在する影は、剣の様に伸び、デェオンへ殺到する。前後左右上下より、件の凶器が彼目がけて放たれる。

 その物量は、速さこそ遥かに劣るが――ゾファーを上回る。デェオンの能力が『逆行』でなければ、即座に決着はついていたと思える程に。

 実際、ワイズマンの『収集』や、ザボックの『消去』を以てしても対応しきれないだろう。そう言い切れる程に、この空間は凶器に満ちていた。

 壁から、天井から、床から数十もの剣が突き出し――ただ一人の標的目がけて襲いかかる。

 それをデェオンは『逆行』を以て対処する。自分に刃が届く前に、ソノ刃を逆回転させる。一度だけ大尉の五十センチ傍まで迫った事があったが、刃が邪魔をして何も出来なかった。

 事実――彼女はまだ、その場から一歩も動いていない。

(流石とも言える――体術と能力。でも、何時まで続くかしら? それだけの能力である以上能力回数は決まっている筈。それを使い切る前に私を倒せる、色男さん?)

「余裕だな。つーか……おまえ、ちょっと陛下とキャラが被っている。陛下もおまえ位の歳になると、その位の発育になるんじゃないかと思える程に」

「あら? あなたと女王は、そういう関係? 実は、好き合った仲なのかしら?」

「まさか。確かに俺は陛下に惚れているが、それは野郎が野郎に惚れるのと同じ感覚だ。あの方を異性として見た事は、一度しかない」

 七十五発目の刃を回避しながら、デェオンは嘯く。彼もまた、己の過去に埋没した。

 彼が女王と初めて会ったのは、今から六年前の事。組織の命令でラジャン国に護衛官として潜入したのだが、彼にしてみれば幸運な事だった。

 なにせラジャンの女王は十二にして、絶世とも言える美貌を誇っている。そんな少女を傍で守れる自分の立場を、彼は素直に歓迎した。

 思いがけない事が起きたのは、彼が彼女と対面した時。彼女は彼に――実弾を用いたロシアンルーレットの相手をするよう言いだしたのだ。

 余りにも、馬鹿げた提案。どこまでも、非常識なやり様。だが、彼女は本気だった。

〝……ええ。あなたが何かを企んでいる事は、会っただけでわかりました。……事によっては私を殺してでも、その任務を達成するつもりである事もわかっています。なら、私も早々にこの命を懸けるべきでしょう。……どうせ遅かれ早かれ、その結末に至るのはわかり切っているのだから〟

 笑みさえ浮かべて、彼女は告げる。逆に、彼は顔をしかめた。どんな環境で育てばこんな人間になるのかと、彼は彼女の正気を疑ったのだ。

〝そんなにあんたの命は、安っぽいのか? こんな風に、軽はずみに命を投げ出す程に?〟

 彼はそう訊ねた物だったが、彼女の答えは違っていた。

〝……いえ、断言しますが、勝つのは私です。何故なら私はかのベルナーマ一世の再来。その私が、負ける筈がありませんから。……私はただ、対等な立場であなたと殺し合いがしたいだけ。ただそれだけの事です〟

 有言通り、彼女は躊躇う事なくこめかみに当てた銃の引き金を引く。ソレを見て亜然とする彼に、彼女は銃を手渡す。

 そこで、彼は気付いた。この少女は、自分を信じているんじゃない。ただ、信じるしかないのだ。それしか、彼女には他に選択肢が無いから。

 ソレだけが、彼女を支える全ての人々に酬いる唯一の手段。今も自分の国を守る為に死に直結した任務に従事している人々への、返礼である。

 そう悟った時――彼の価値観に亀裂が走った。

〝そう、か。あんたは確かに強いけど、同じ位、悲しい人なんだな〟

 ああ。きっと、この少女の心が折れる事はないだろう。例え両親を亡くそうとも、彼女は女王として己の責務を果たし続ける。

 でも、それは決して自分の為ではなく、この国全ての人間に酬いる為だ。この国の人々が女王に尽くす様に、彼女もまた命懸けでこの国に尽くしている。

 そんな彼女を彼は一度だけ悲しいと告げ、それからトコトンまで惚れこむ事にした。

〝確かに、俺の敗けです、女王。私はこれから組織に従うよう装いながら、その実、貴女に全てを捧げる。ああ――そうだ。あんな自分の事しか考えていない様な爺共に尽くすのは、これまで。そんな事をする位なら、アンタみたいな美人を命懸けで守った方がよほどいい〟

 彼は微笑みながら、もう一つだけ告げた。

〝後、私には一人バカな妹が居るんですが、何時か紹介しても構いませんか? 同じバカ同士である貴女となら――きっと気が合う筈だから〟

(だな。本当にそうだったんだから、笑える。バカ妹が。俺が知らない間に、男までつくりやがって)

 ついで――レペックは見た。

 彼の体が、想像を絶する速度で自分に肉薄する様を―――。

(……まさか、自分の脚力に加え、自身の体を『逆行』したっ? 『私の直ぐ傍に移動したあの時を再現した』とッ?)

 この高速こそが――彼の奥の手。ソレはレペックさえ反応しきれない――超速。

 ならば、彼はその拳を以て彼女の頭蓋を砕くのみ。

 現に彼の拳は大尉の頭部に迫るが――そのとき彼は見た。

(な、に―――っ?)

 彼の誤算は、思い込み。レペック最大の長所を、その物量だと考えていた事だ。

 だが実際の所、彼女が最も誇るべき力は――その能力処理速度。大尉は、彼が触れた時点でその〝ルール〟を満たす。『触れた対象の影さえ操る』という超常を為していた。

 故にその瞬間、彼の体内にある影さえ凶器に変わり――彼の体を内側から切り裂く。

「ぐぅうううッッッ……!」

「……兄、さん?」

 その姿を、駆けつけてきたナオンが、目撃する。

 今にも息絶えそうな彼はそのまま妹の体にのしかかり、こう謳った。

「遅かったな、グズ。本当に、お前は頭が悪くて、強情で、トウヘンボクな、おれの、じまんのいもうとだったぜ……」

 なら、彼女としては、こう返す以外なかった。

「……ええ。兄さんも、性格悪くて、根性が曲がっていて、ひねくれ者な、私の自慢の兄貴だったわ」

 今、一つの満足を得た彼は、最期に呟く。

「……へいかを、たの、む」

「うん。今のお世辞分くらいは、働いてくる。でも、その前に、やらなくちゃならない事がある」

 けれど、ソレをデェオンの体を受け止めながら、ネルが制止した。

「いや、レペックは俺がやる。ナオンは、女王のもとに急げ」

「……で、でも」

「でも、じゃない。正直、頭にきているんだぜ、俺は。まだ御兄さんに弟らしい事を何一つしていないのに、こんな事になって。だから――御兄さんの敵討ち位はさせて欲しい」

「信じて……いいのね?」

「ああ、問題ない。ただ君が惚れた男がどれだけ格好いいか、見せつけられないのが残念なだけで」

 二人のやりとりは、ソレで終わった。ナオンは一度だけ俯いた後、一歩踏み出す。

 その途中、彼女は口を開く。

「さっきは全然効果がなかったから、もう一度言っておくわ。死んだら――絶対に許さないから!」

 この激励を一笑しながら受け止め――ベルパス・ネルもまた死闘に身を投じたのだ。


     ◇


 黒き女王が、白き少佐と対峙したのは、更にその数分前。

 ベルナーマは戦う前に、ただ一つシルベリスに問うべき事を問うていた。

「……私の兵達は、どうなりましたか?」

 笑みを浮かべた白い少女の答えは、明白だ。

「悪いが――みな死んだよ。因みにゾファーの棺桶から救われた彼等も、皆、同士討ちになった。いや、ああいうやり方は好きじゃないんだけどね。でも、その方が君も憤怒を滾らせ、何の容赦もなく私と戦えるだろう?」

「……そうね。本当に、そう。あなたの言う通り――私はあなたを殺すわ」

 直後、白い少女――シルベリス・シルベリアの周囲には百を超える骸骨が出現する。

 黒い少女――ベルナーマ三世はソレを見て喜悦した。

(……ええ。既に彼等の為の涙は、流し尽くした。……なら、私が彼等の為に出来る事は、彼等の無念を晴らす事だけ)

 二人の少女は、互いの色を塗りつぶすべく、相対したのだ。

 彼女が『未来視』を使ったのは――この時だ。その瞬間、彼女の脳内には三百手先のやり取りが叩きこまれ、彼女はソレを全て記憶する。

 デェオンにして〝天才中の天才〟と言わしめた少女は――今その才能を遺憾なく発揮した。

(――速い。知っていたつもりだったけど、これがたった六年足らずの修練で〝力〟を身に着けた人間の動き……?)

 現に、彼女は百体にも及ぶ屍の攻撃を避け続ける。ギュナーと大差ない速度で迫りくる百体にも及ぶ屍の攻撃を、鮮やかにいなし続けた。

 背骨に拳を叩き込み、あるいは頭蓋に蹴りを叩き込む。彼等を上回る速度で動き回り、決して致命傷は負わない。

 いや、傷一つ負う事なく、彼女はシルベリスに近づいていく。その様を見て――少佐は即座に判断した。

(正直これはレペック大尉とかぶるから使いたくなかったのだけど――しかたないね)

 白い少女が、骸骨を分解する。

 バラバラになった骨を浮遊させ、一斉に女王目がけて掃射する。

 人体とは、一人につき約二百もの骨で構成されている。故にこの場に居る百もの屍の骨の総数は――約二万に及ぶだろう。これを一つ一つ弾丸とし――シルベリスは彼女へと発射した。

 ならば、これはもう死ぬしかないと言い切れるだけの業である。

 それだけの、圧倒的な物量だ。

 けれど――それさえ彼女は対応する。迫りくる弾丸を、腕に〝力〟を集中し、弾き飛ばし続ける。  肩や太ももや頬を傷付けながら――それでも彼女は笑って対応した。

(……かえって、好都合。これで〝ルール〟をクリヤーできる時間が、短縮できる)

 実際、僅か数秒足らずで、彼女の『未来視』は二百九十九にまで至る。条件を満たすまで、あと一行程まで迫った。だが、その瞬間、彼女はかの影を見る。

「ああ――同じ屍を二度召喚できないと、誰が言ったかな?」

(……なっ?)

 彼女は頭上と言う死角より――ゾファーの屍が落ちてくる様を目撃した。

 この圧倒的な絶望を前に、彼女の記憶は過去へと逆行する。

 それは本当にありふれた話だ。この彼女にして十歳の時、一度だけ恋という物をした。相手は自国の工作員で、その為世界の国々に詳しく、彼は良く土産話をしてくれたものだ。

 豊かな国である、アルベナス。小国ながら国民一人一人が誇り高い、カシャン。様々な思惑が渦巻く商業国家、ナマント。

 そう言った国々を直に見てきた彼の話が、幼い彼女にとってはなにより楽しみだった。まるで自分もその国に行って、彼と大冒険でもしているかの様な気分になった。彼女は予め決められたルートしか歩けず、常に護衛官が傍に居て、自由に振る舞えなかったから。

 確かに外交で国外に出た事はあったが、ソレもその国の豊かな部分しか知る事が出来ない。その国の実像を、彼女は知る事がなかった。

 だから彼女は、その彼の話を心から楽しんだ。自分の知らない世界を知っている彼を、彼女は特別な存在だと思った。確かに彼の話には悲しい面もあったが、それさえ彼女にとっては興味の対象だった。

 だが、彼女はまだ知らなかったのだ。〝善良な人間は必ず幸せになれる〟と思い込んでいた彼女は、その結末を予想さえしていなかった。

 確かに彼女にとって彼は、自分を幸福にしてくれる存在だ。けど、それも一面的な姿に過ぎない。敵対国家にしてみれば、彼は自分達の秘密事項を盗み出す犯罪者でしかなかった。

 故にその国が彼をああ扱ったのも当然で、その日、彼女は偶然目撃してしまう。ラジャン宛てに送られてきた彼の生首を、彼女はハッキリその目で見た。

 自分に幸せを与え続けてくれた彼の結末が、それだった。

 ずっとずっとあの幸せな時間は続くと思っていた彼女の現実が、それだった。

 その時のやるせなさを、その時の悲しみを、彼女は一生忘れる事はないだろう。

 そうやって命懸けで働き、この国を支えている人々がいる。自分達がいま平和を謳歌できるのは、そのお蔭だ。なら、そんな彼等に、自分も酬いなければならない。私もこの命を懸けてこの国に尽くしましょう―――。

 そんな強迫観念が、彼女をひたすらつき動かした。

 ベルナーマ一世になり切る事で自信を得て、今までの自分は放棄した。理想の王を目指し、彼女は私欲を一切捨てたのだ。

 そんな彼女がただ一つ捨てられなかったのが、あの彼との思い出だった。無邪気の微笑む自分と、それを微笑ましく見守るあの彼の姿を、彼女は一生忘れない。

(……でも、それで良い。私は彼が居たから、今の自分になれたのだから。彼が居なかったら私はもっと、自堕落な王になっていた筈だから―――)

 己に活を入れながら、彼女は大きく横へと飛ぶ。途中、ゾファーの屍が彼女の腕を切り裂いたが、それはただソレだけの事だった。

〝ルール〟をクリヤーした彼女は――今その本領を発揮する。

『支配』と言う名の最終奥義を――発動させる。

 彼女の『未来視』はこの『支配』の付属品に過ぎない。

『支配』とは『未来視』の行程を全て果たした後――敵の能力ごとその敵を叩き斬れる能力。

 よって、彼女の手には一本の巨大な剣が握られる。

 彼女がソレを振りかぶった時――シルベリスは初めて彼女に恐怖を覚えた。

(正に――奥の手! ……アレを食らえば、確実に一撃で終わる!)

 同時に、彼女は跳躍し、剣を振り下ろそうとする。

 タアゼン・ゼッツの業同様、それだけでこの一帯にある全ての物体は両断される。

 シルベリスがそう確信した時、全ては終わっていた。

「ああ。悪いが女王、多分――君は勘違いしている」

「な……ッ?」

 瞬間、彼女は動きを停止した。

 一体、何故か?

 その理由はいま彼女の頭の中から何をするべきか――その記憶が消去されたから。

 自分が何者で、目の前に居る人物が誰かさえ――彼女は忘却する。

 ならば、その先は語るまでもないだろう。

 シルベリスは次の瞬間空へ飛び――その右腕を以て彼女の体を貫いたのだ。


     ◇


 その少し前、ネルはひたすら前後左右に動いていた。今も迫りくる刃を避ける為に。

 正にデェオンが行った作業と同様の物だったが、一つだけ異なる点がある。ソレはこの場にレペック・パナックの姿が無い事。彼女の体は、今、別の場所にあった。

(デェオン・アレクラムと違い、彼の力は未知数。なら、この身を晒すのは得策じゃない)

 あろう事か、彼女の体は壁の影に沈み、この世界から消えている。そのまま彼女は、ネルの体目がけて黒き剣を殺到させていた。

(が、その為か攻撃の速度が落ち、数も減っている。恐らく、これは彼女本体が戦場に身を晒している状態の、三分の一程の力)

 冷静に判断しながらも、ネルは心中で苦笑した。

 これではまるで勝ち目がないと、心底から認めたから。

(……だな。仮に彼女が戦闘終了まで身を隠せるなら、分が悪い。だが、この状態に時間制限があるなら、そこだけが勝機!)

 六十八回目の刃を避けながら、ネルは息を大きく吐く。果たしてナオンは無事かと、彼は大いに焦燥する。

 かたや――レペック・パナックには、未だ余裕があった。ネルの読み通り、この状態には時間制限がある。にもかかわらず、レペックは確信しているのだ。

(ええ。少佐と最後に殺し合うのは、この私。あなた達の、誰でもないわ)

 彼女があの少女と出逢ったのは、今から一年前。シルベリスが、ナマント軍に入隊した時。

その頃、彼女は既に組織に属していて、任務の最中にあった。彼女はナマントの上官を籠絡し、機密情報を譲渡させようとしていたのだ。

 だがその命懸けの任務を、あの少女は〝つまらない事だ〟と言い捨てた。

〝ああ。私なら間違いなく、元帥になってこの国の軍部を全て掌握する道を選ぶよ。そっちの方が遥かに困難で、楽しそうだ。情報収集も良いけどね、君はもっと自分の価値に気付いた方がいい〟

 せっかくの美人がそれじゃ台無しだと、四つも年下の少女は言い切った。戦災孤児として組織に拾われ、その恩を返す為に生きてきた自分に対してこの暴言である。

〝だから、それがつまらない事なのさ。所詮、人は自分の為に生きている。なら、そんな自分を生かす為だけに、他人を利用するのが人生と言う物だ。恩人も、友人も、恋人も、自分が幸福になる為に存在しているにすぎない。現に、役立たずだと判断した時点で、組織は君を捨てるよ?〟

 それは、事実だろう。組織が自分を養うのは、ソレれだけの価値があるから。その価値が失われれば、自分の存在意義は失われる。社会において人間とは、それ相応の価値があるから居場所という物を与えられるのだ。

 子供でもわかるこの理屈を、けれどあの少女は否定した。

〝でも、私はその役立たずの方が、好ましい。この私がそんな役立たずを、私の役に立つ為だけの存在にしていく過程が楽しいから。私は初めから出来る人間より、初めは何も出来ない人間を心から渇望するよ。そんな人間が私を裏切ったとしたら、これほど愉快な事はないね〟

 もしかしてソレは私の事かと彼女は問い、少女は笑って肯定した。

〝そうだね。君は、恩人さえ利用する道を選ぶべきだ。恩人の為に死ぬのではなく、恩人を踏み台にしてしたたかに生き延びる。そっちの方が、ずっと私の好みかな〟

 きっと、この少女はずっとそういう生き方をしてきたのだろう。社会に適応する事より社会そのものを利用する様な生き方を、少女は選択してきた。

 なら、それは正に自分と真逆の生き方だ。

 この時点で彼女は少女を憎むと同時に――心から羨んだ。

(だから、私は試してみたい。真っ当な生き方をしてきた自分と、逆の生き方をしてきた彼女のどちらが正しいか。あの彼女と人類最後の一人の座を懸け殺し合えば――その答えがわかる気がするから)

 仮に彼女に勝てば、そのとき自分の人生は肯定される。組織の為にあらゆる人間を裏切り、その度に憎まれながらその人々を殺してきたこの人生が認められる。

 それが辛い事だと気付かない程に心が摩耗した彼女は、やはり笑う。

 楽しくて、おかしくて、今心から笑い、彼女は遂にその半身をネルに晒していた。

 その姿をネルは凝視し……それから彼は感じとる。

 影に埋もれた彼女の半身が、後ろの壁に伸びる自分の影から突出する。その感覚をネルは確かに捉えていた。

(……影を通しての、部分的な瞬間移動っ? そんな事まで可能だとッ?)

 いや――正確に言えば彼女が握った鉄パイプが、自分の頭部を殴打する寸前それは起きた。彼はその最期を悟ったのだ。

「なっ、は……ッ?」

 理由はわからない。けれど、その現実は変わらなかった。

 ネルに迫るレペックの半身は、何時の間にか、消滅する。

 いや、本体である自分でさえ何故か光となって、消えつつあった。

「……何を、したの?」

「違うな。何かしたのは、君の方さ。これは全て――君が招いた末路だ」

 意味が、わからない。

 彼女に理解できる事があるとすれば、それは今、自分が敗北しつつあるという事だけ。

 その前に――彼女は一つだけ問うた。

「……少佐は、あのナオンという娘を、気にかけていた。彼氏のあなたに訊くのもなんだけど……彼女ってそんなにいい女……?」

「ああ――最高の彼女さ。でも、自惚れさせてもらうなら、俺が居なかったら彼女も君みたいな悲しい人になっていただろうな」

 彼に指摘され、レペックは初めて唖然とする。

「……そう。私は、悲しい人なんだ? 私一人が、そんな事にも気付けなかった? だから私は、あなたに、いえ、あなた達に勝てなかったと――?」

 彼女の頬に、熱い物が伝う。けど、それはきっと自分の為に流した涙ではない。今まで自分が殺してきた人々に対する、せめてもの哀悼だ。

 最期までそう自覚する事なく――レペック・パナック大尉はこの世界から消滅した。


     ◇


 ナオンが其処へと辿り着いたのは、まさにその瞬間。シルベリスがベルナーマに、致命傷を負わせた頃だった。

 地面に落下する彼女の体を、ナオンが受け止める。ナオンの悲痛な表情を見て、ベルナーマは何故か笑った。

「……やはり、本当の貴女は、情が深い人なのですね? ……たった二日間、行動を共にした私の為に、そんな顔をするなんて」

「ええ。だって、頼まれたから。兄から最期に〝女王を頼む〟って。でも、私はやっぱりここでも何一つ出来なかった。貴女を看取る事しか、私には、出来ない」

 その意味を、ベルナーマは即座に理解する。

「……そ、う。アレクラム隊長も、逝きました、か。なら、私は寂しくありませんね。寧ろ、幸福な位。貴女に見送られ、その先ではアレクラム隊長や、他の皆が待っているのだから。……でも、最期に一つだけ。あの白い少女の能力は、屍を操る事ではありません。彼女は恐らく――『この戦いで死んでいった全ての人間の能力を使用できる』筈。その事を、決して忘れないで」

「……『この戦いで死んでいった、全ての人間の能力』を?」

 だとしたら、余りに破格だ。多分、能力戦に限れば彼女に勝る者は無いとさえ思える。

 それも当然か。人類が滅亡しかけているこの時に至っては、六十億個もの能力を使えるという事なのだから。

「ありがとう、ベルナーマ。いえ――陛下。そこまで聴ければ、十分です。……ええ、もし来世という物があるなら、私も兄同様、貴女に仕えさせて下さい。その時は私の命に代え、決してこのような目には合わせませんから」

「……そう。それはほんとうに、うれしいもうしで、です。ありがとう、なおん。わたしの、さいごの、とも……」

 そうして、彼女も天を仰ぎ、囁く様に告げていた。

「……ああ。やっと、またあえた。……おじさま。こんどは、どんなくにの、どんなおはなしをきかせてくださる、の?」

 この呟きを最期に、彼女の意識はかの者のいる場所へと達していた―――。


     ◇


 女王を看取った後、ナオンは立ち上がり、かの大敵と初めて視線を合せる。

 シルベリス・シルベリアは、喜々として口を開いた。

「そうだね。女王はラジャンの事しか考えなかったが、私は人類全てを憂いた。そこら辺が私と彼女の差かな。この決定的な違いが勝敗を分けた。詩的に言えば、そんな感じだと思う」

「シルベリス」

「その通りだ。私が――『ネクロマンサー』と呼ばれる理由は、一つ。私が死者の能力全てを、使役できるから。女王との戦いも、最後に私が彼女の記憶を一時的に『全消去』したから勝利した。消せるのはたった一秒程だが、私達〝力〟の持ち主にとっては、十分過ぎる時間だろ? 因みに――一度使った能力は二度と使用できない。直接見た能力も――使用不能だ。つまり――ゾファーや女王達の能力は私も再現出来ないという事さ」

「そう。そうやって手の内を明かすのも、自分を追い込む為ね。自分が不利な状況を作り出して、その逆境をバネに力を最大限引き出す。やっと何時ものあなたに、戻った感じだわ」

 白い少女は、本当に楽しそうにクスリと笑う。

「ああ。例の核の一件で、悟ったからね。私は、決して正攻法を用いてはいけない人間だと。そのお蔭で、あの様だ。ま、他の派閥を始末する手間が省けたと思えば、それも悪くなかったが。それで、ナオン的にはどうなのかな? 今でも――意思は変わらない?」

「それは、こっちが訊きたい。確かにそれが正常な人の考えだと思うけど、あなたは違うでしょう? あなたはその先で何が待っているかわかっている筈なのに、ソレを目指している。多分ソレは、その方が、辣腕が振るえて出世がしやすいからでしょう。けどその為に全てを犠牲にするというのが、貴女の本音じゃないの?」

「それは誤解だ。私は私が全ての主導権を握った方が、全人類の為だと思って動いている。私の為に犠牲になる人間も〝それで光栄〟だと思えるだけの世界をつくる自信がある。言っただろう? 仮に自己評価が全てだと言うなら――私は疾うに神を名乗っていると」

「……民間人を手にかけたあなたが、何を白々しい。ネル君を助けたのは、その代償? 過失で殺してしまった彼の弟の命を、慮ったから?」

 ナオンの指摘を受け、初めてシルベリスが真顔になる。彼女は、挑む様にナオンを見た。

「まさか。残念ながら、私にそんな感情は無いさ。ベルパスを助けたのは、彼なら君を籠絡できると思ったから。私が彼を殺したと思い込んだだけで号泣し、戦う意思さえ君に放棄させた彼ならと期待した」

「私が一番引っかかったのは、そこなのだけどね。……なぜあなたは、そうまでして私にこだわるの? あなたほど自信過剰な人が、なぜただの姉妹弟子をそこまで敵視するのかしら?」

 シルベリスは、再び笑みを浮かべながら答える。

「んん? やはりまだ気付いていないのか、君は? 人とは面白い物でね。生まれた時からある種の呪縛がかけられている物なんだよ。例えば生まれながらにして主導者である者や、自分を追い込まなければ力が発揮できない者とか。私の知る限りだと三度〝もう死ぬしかない〟という状況に追い込まれながら生き延びた人間もいる。そう言うのを本当の悪運と言うのだろうが私が見た所、君こそが正にソレだ。ナオン・アレクラムは例えどんな逆境にあろうと――生き残ってしまう。君はさ、生まれた時からそういう呪いにかかっているんだよ。私が君と過ごした、十年という年月から導き出した答えが、ソレ」

「……なん、ですって?」

「事実、兄や仲間や主と定めた人間が皆死のうとも、君は無傷で生きているじゃないか。その事を、一度も疑問に思わなかった? その事を、一度も不条理だと感じなかった? 自分の事に関しては鈍感だとは思っていたが、まさかそこまでとはね。けど――だからこそ私は君を脅威だと感じた。例え生きる意思が希薄でも、その体質が君を生き残らせてしまうから。私の呪いと相克するソレを、私は今日まで懸念し続けてきたんだ。今回の場合、君が最後まで生き残っても――良い事は一つもないのだから」

 が、今度はナオンが白い少女を睨める様に見た。

「生きる意志が、希薄? まさか。私は、何時だって自分が生き残る事だけを考えてきた。その為の努力だって、惜しまなかったわ。現に、私はレンカを死なせた。その為に、私はゾファーを殺した。だから私は今ここでこうしているのよ――シルベリス」

「いや、ソレもこみで呪いなのさ。あのレンカと言う娘に、体を張らせても惜しくはないと思わせる君のカリスマ性こそが君の罪だ。ぶっちゃけてしまえば、私はそんな君が酷く邪魔なんだ。世界が〝こうなる〟前は面白がれたけどね。今はちょっと――洒落にならない」

 故に、ナオンは最後に告げる。

「カリスマ性? 冗談。私はただの友達が一人も居ない、哀れな女子高生に過ぎないわ。誰も守れず、ただ皆の仇を討つしか出来ない、ただの無能な女でしかない。……いえ。もしかしたら私は皆が死んだ後、あなたと戦う事を予め想定しこの戦いに臨んだのかも。私は――兄ややワイズマンやザボックや陛下をあなた達に殺させる事が、目的だったのかもしれない。それはきっと――私一人ではできない事だから」

 そう打ち明け、ナオンは一筋だけ頬を濡らす。レンカの為に、アナスタシヤの為に、ワイズマンの為に、ザボックの為に、兄の為に、陛下の為に、彼女はもう一度だけ涙し、構えをとった。

 ソレを見て――シルベリスも臨戦態勢を取る。

「正にそうだ。それこそ私が言っている、君の本質。余りに合理的な、君の本性。なら――感謝してもらいたい物だね。私は君の計画通り――女王達を始末したのだから」

「ええ。お礼に貴女は私の手で殺します――シルベリス姉さん」

 論は、出し尽くした。なら、後は殺し合うのみ。

 その懐かしい韻を響かせながら、ナオン・アレクラムは地を蹴っていた―――。


     ◇


 未だ階下でレペックとネルが交戦中の最中――両者はぶつかり合う。

 それも初めから最大戦力を以て、両者は激突する。

 ナオンは――自身の脳に〝力〟を集中し、ゾファー戦の再現を為す。

 続けて彼女は能力を始動し、戦闘が始まる前に決めねばならないNGワードを設定する。

 この時ナオンが設定したNGワードは――『私』に『勝つ』に『能力』に『君』だった。

(多分、彼女は私が何らかの力でゾファーの動きを止めた事は知っている。けど、それがどんな条件で発動した能力かはまだ知らない筈。私がつけ入る隙があるとすれば、そこだけ)

 ナオンの読みは、正しい。

 シルベリス・シルベリアもまた――ナオンと同様の業を為したのだから。

 己の脳に〝力〟を集約し――潜在能力の全てを引き出す。

 故に――両者の技量はほぼ互角だった。拳と拳、蹴りと蹴りの弾幕が両者の間で降り注ぐがどちらも決定打には至らない。互に相手の体の〝力〟を暴発させようとするが、そのエネルギーさえ彼女達は相殺し合う。

「なら、能力で勝る私に分がある。そうは思わないか、ナオン?」

 然り。シルベリスの能力は――『再起』だ。

 死した人々の能力を――使役する力。

 但し前述の通り、彼女は実際に見た能力は再現できない。彼女は自分が知らない能力を〝こんな力だったのでは?〟と想像して使役する事になる。

 更に言えば、その能力発動の条件は後払いである。彼女が能力を使ったその日の二十三時五十九分に、纏めて降りかかるのだ。

 故に最悪、死に至る様な条件の能力も彼女は使ってしまう場合もある。

 それだけのリスク故に、この能力。ナオンはそう理解し、軋む体を奮い立たせた。

(先ず、『私』はクリヤー! 次ぎは――『勝つ』か『君』か『能力』!)

「そう。このままでは私が勝ってしまうよ、ナオン? そろそろ奥の手を使っては?」

 直系三メートルの火の玉を放り投げながら、シルベリスが問う。

 それを必死に避けながらナオンは大きく息を吐き、それから彼女は見た。何時の間にか腰にある刀の柄を握る――シルベリスの姿を。

「ああ。多分タアゼン・ゼッツ中尉の能力は――こんな感じだと思う」

「ぐ……ッ?」

 背筋に走る、圧倒的な怖気。ソレを糧にナオンは超速で後退するが、その前にソレは来た。シルベリスが刀を抜いて真横に振った途端――ナオンの腹は横一文字に裂ける。

 飛び散る血潮に視界が遮られる中、それでも彼女はまだ諦めない。

(……『勝つ』に『能力』もクリヤー! ゾファーと違い本当にお喋りよね、あなたは!)

「と、紙一重で致命傷は免れたか。やはりトコトン生き汚いな、君は」

(『君』もクリヤー! ならば――今こそ勝機!)

 同時に四つのNGワードを設定したナオンは、その全てを達成させる。この瞬間、彼女は能力を発動する条件を整える。問題があるとすれば――一つ。

(でも……今は迷っている暇はない!)

 よってナオンは『禁忌』を使い、シルベリスの動きを止める。

 ソレに逆らえず、彼女の動きは停止する。同時に――ナオンは駆けた。

(これで四秒は動きを止められる筈! なら――これで終わり!)

(……動けない! やはり、そうか! これが――ナオンの〝ルール〟!)

 そう察した時、彼女の中でナニカが弾けた。今日に至る全てを、彼女は思い出す。

 だが、打ち明けてしまえば、彼女に女王や大尉の様な悲痛な過去は無い。彼女は本当に精神的に言えば、天下無敵だ。あらゆる事を楽しみ、あらゆる悲劇を切って捨て、あらゆる苦難を打破し尽くす。

 だから、余りに天才過ぎて両親が彼女を組織に売り渡した事も、知った事ではない。故にその性格を疎まれ、部下に命を狙われた事さえただのお遊びだ。

 彼女にとって、全ての喜劇も悲劇もただの余興。何かに感動する感情も無ければ、誰かの死を嘆く感性も皆無である。この彼女は――ただひたすらに自分の道を貫き通すのだ。

 その姿をレペック大尉は、まぶしく感じた。ナオンでさえ、心の何処かでは羨望している。例え彼女が両親の仇であろうとも、ソレは変わらない。

 ナオンにとっては、デェオンが自慢の兄である様に、彼女は自慢の姉なのだ。ソレが一方通行な想いだとしても、ナオンはきっと永遠にそう感じ続けるだろう。

(でも、だからこそ私は貴女を殺す――シルベリス!)

 そうだ。きっと彼女は全ての人類が蘇った後、また兄や陛下を殺そうとする。だから自分はここで彼女を倒さなければならない。その気迫と共に、ナオンの一撃が放たれる。

「な――っ?」

 けれど、ナオンは自分の拳が巨大な壁で防がれる様を見た。

『断絶』と言う名の絶対防御を、彼女は目撃する。

(やはり、意識まではとめられなかった! しかも、今のやり取りで恐らく此方の〝ルール〟は知られた! 彼女はもうこれ以上、無駄口は叩かない! だからと言って、もう五分間も彼女を『沈黙』させる事も不可能! 後一分後には私も〝力〟の反動で戦闘不能に追い込まれるから!)

(ええ。だから――これで私の勝ち)

「がはあああぁ………っ?」

 シルベリスがベルナーマの遺体を、何かの術を使って粉々に砕く。

 直後――ナオンの脳には途轍もない衝撃が走っていた。

『伝達』と呼ばれるその力は、破壊された対象に思い入れが深い程、被術者のダメージが増す術だ。

 自身の主とまで定めた女王の体を破壊された事で、ナオンも相応のダメージを受ける。

 更にシルベリスは続けた。『暗黒』という名の術を使い、この場にある一切の物を闇に包む。そのままシルベリスは、気配を一切消す。しかし脳にダメージを受けたナオンは――その作業が遅れる。

 この〝力〟の痕跡を辿りながら、シルベリスは最後の能力を使った。『弱点』と言う――術者の設定通りの弱点を被術者に設けさせる術を使用する。

(ああぁぁっ、ああああぁッ)

 故に――終わる。彼女がナオンの肩を殴打するだけで、ナオンは仮死状態に陥る。この圧倒的な迄に開かれた戦力差を前にシルベリスは喜悦し、ナオンは意識を失いかける。

 正に終わりを迎えようとする彼女は、己の敗北を半ば受け入れた。

 いや……本当にその筈だった。

《――バカか、お前は。俺との戦闘で何を学んだ?》

「え―――?」

 声が、聞こえた。自分が殺した筈の、あの彼の声が。

《そうだ。お前は俺の〝力〟に触れ続けたが為に、その残滓がお前の頭の中に残留した。言ってみれば、今の俺はお前にしか見えない亡霊の様な物。その亡霊からの最期の忠告だ。お前はまだあの〝力〟を使い切れていない。境を失くせ。全てをあるがまま受け止めろ。境界など無意味だ。そんな物は個人を縛る、鎖でしかない。あの小僧も、想い恐らく俺と同じだろう》

(……あの、こぞう?)

 一体それは誰の事だったろうと思った時――ソノ声は響いた。

「ナオンんんん………ッ!」

「ああああああああ、おおおおおおおおおおおおおおお―――っ!」

「な、に―――ッ?」

 爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる。

 次の刹那、ナオン・アレクラムの体が――爆ぜる。

 凄まじい気配を放ちながらも、超速で彼女は左へと旋回。ソレを追ってシルベリスも九時の方角へ目を向けるが、彼女はただ自身の目を疑う。

(速い……っ?)

 これが――脳に深刻なダメージを受けた人間の動きか? 彼女がそう思った時、シルベリスは悟った。

(まさか――ゾファーッ? 仮にゾファーが自身の脳に〝力〟を集中させていたら、これだけの動きを見せていたっ? 何かが切っ掛けになり――ナオンはその事に気付いた、とッ?)

 いや、動きだけではない。あろう事か、この場にある全ての力場がナオン・アレクラムに集中する。空間自体が内包する力がナオンへと、集約する。

 ソレこそ、境を失くすという事。世界そのものを、森羅万象を、自分の体の延長にする境地にほかならない。

 それが――〈外気功〉と呼ばれる力である事を、彼女は知らない。

 ナオンにわかる事は、一つだけ。

「ありがとう、ネル君。君のお蔭で、目が覚めた。だから、勝つのは私です――シルベリス姉さん」

「ぐ……ッ?」

 ナオンが――拳を突き出す。

 瞬間、それは直径二十メートルもの力場となり、このビルごと――シルベリスの体を破壊した。


     ◇


 ビルが崩れ、私達と共にシルベリスも地面へ落下する。地上二十メートルの高所から落ちながらも、私達は何とか着地した。

 が、シルベリスは吐血しながら瓦礫へ寄りかかり、腰を突く。複数の内臓を破壊された彼女は、片目をつぶりながら告げた。

「……そうか。ここでも〝私らしくない行動〟が尾を引く、か。私は、断じて君とゾファーを戦わせるべきじゃなかったよ。仮にあの戦いが無かったら、私が確実に勝っていたのだから」

「そうね。私が勝てたのは、貴女が道を踏み外したから。貴女が、自分のありようを歪めたお蔭。間違いなくそれが貴女の敗因です――シルベリス姉さん」

 後一分後には息絶えるだろう、少女に宣告する。

 だというのに、彼女はネル君に目を向け微笑んだ。

「すまなかったね。黙っていたが君の弟を殺したのは私だ。どこぞの軍人を投げ飛ばした時、彼も巻き込まれて、それで死んだ。……もし私に後悔という物があるなら、それ位かな。民間人を手にかけるなんて恥知らずな真似をした自分が、私は許せなかった。……ソレ以上に許せないのは、私にもそんな人並みの感性があると気付かされた事だが」

 彼女の懺悔を前に、ネル君は首を横に振る。

「……いや、何となく気付いていたよ。だから、本当の人でなしは俺の方だ。俺はどうしても折り合いが悪い弟の為に、君を憎み切る事が出来なかったんだから」

「そう、か。だとしたら、本当に、哀れだね、あの彼は。過失で殺された上に、その事を実の兄に気にかけてもらえないのだから。……だから、せめてわたしだけは、かれのためにないてあげようと、おもう」

 事実、彼女は涙する。あのシルベリスが、あろう事か他人の為に涙していた――。

「けど、わたしは、きみにころされるきは、ない。きみを、みちずれに、するほうをえらぶよ。じゃあね、なおん、べるぱす。また、えんが、あったら、あおう」

 彼女は瞬く間に拳銃をとり出し、自分のこめかみに当てて、引き金を引く。

 正に止める間もなく……シルベリス・シルベリアは息絶えていた。

 私の本質を浮き彫りにした女性は――こうして静かに亡くなったのだ。

「……やられたわ。確かに、これで私も終わり。私にはもう、今から新たな標的を見つけて、その人を狩る時間は残されていない。……だって、ほら。私ももう力を使い切って今にも意識が、とびそうだし」

 ならば、シルベリスの目論見は成功したと言う事。

 彼女は自分の命を懸け――ナオン・アレクラムの抹殺を果たしたのだ。

「いや、そうでもない。ナオンは知らないか? 昨日、南からこのビルに進軍していた人間は五人居た、と」

「ああ」

 そういえば、そうだった。だというのに、今まで私達の前に立ちふさがった人間は、四人。あと一人、シルベリスの仲間が残っている筈だ。

 この予想は正しく、その人物は唐突に現れた。

 腰をくの字に折るほど高齢な男性が――此方に向かって歩を進める。

「そうか。あのシルベリスが、負けたか。なら、賭けはお主の勝ちじゃ、ベル。事は、契約通り進めよう」

「だな。そうしてもらえると助かる、マー爺。ついでに言えば、彼女の為に死んでもらえれば幸いだ」

「うむ。タアゼンのジジイも逝った様だし、ワシもそろそろ潮時じゃ。だが、その前にお嬢ちゃん――ワシの手を取ってくれんかの?」

 この申し出に眉をひそめていると、ネル君は何の疑いもなく首肯する。

 ソレに促され、私はこの老人の手を取り、ネル君も老人の手を取る。

 それだけ済んでから――彼は私に向き直った。

「これで思い残す事は無い。では、やるといいお嬢ちゃん。願わくは、苦しまぬ方法でな」

「……ああ。今、レンカの気持ちが、わかった。無抵抗の人間を殺すのって、こんなに厭な物だったの、ね」

 それでも私は懐から取り出した拳銃を老人の頭部に突きつけ、引き金を引く。

 老人はその時点で死亡し――私の意識もこのあと完全に途切れていた。


     8


 私達の長い旅が、終わりを迎えつつあると知ったのは、その翌日。

 場所は見知らぬ、一軒家だった。

 午前七時に目を覚ました私は――脳内に響くその声を聞いた。

《ええ。どうやら、相打ちや自殺者が思いの外多かった様です。私の計算より大分はやいのですが、いま人類はあなたと彼だけとなりました。今日生き残った方が――願いを叶えられる権利が与えられます》

 今のは紛れもなく、あの自称『神』の声だ。故に、私は耳を疑うほかない。

「待って。……今日、全てが、決まる? 私は今日、ネル君と殺し合わないといけないっていうの……?」

 そうだった。彼が生き残り続けるという事は、そういう事。何れ必ず、彼とも殺し合わないといけないという事だ。……今までソノ事実を遠ざけていた私は、だから半ば呆然とする。今頃になって、眩暈さえ覚えていた。

「……殺し合う。私と、ネル君が」

 彼が死んだと思っただけで、何も出来なくなった私が、彼と殺し合う? その私が、今度は自分の手で彼を殺さないといけない?

 そう考えただけで、私は思わず吐きそうになっていた。

「でも――それは、違う」

 今の私は、あの頃の私とは異なる。自分が生き残る為、多くの人達を殺してきた。兄やワイズマン達や陛下を、見殺しにした。その果てにあるのが、この私なのだ。私はもう、自分だけの命を背負ってこの場に居る訳じゃない。

 だとすれば、答えは決まっている。私は手を床につけ〝力〟の気配を探る。目当ての人は直ぐに見つかって、私は階下に降り、外に出る。

 其処で待っていたのは、当然の様に、あの彼だった。

「あー、もう起きてきたか。悪いが、もうちょっとボーっとしていてくれ。あと一寸で、朝飯を作り終えるから」

「……え? あれ? ネル君って、料理とか出来たの?」

「それは出来るさ。何処の国に送り込まれても自立できる様に、訓練を受けてきたんだから。そういう意味なら、君だって勿論出来るだろ?」

 まあ、出来なくもない。出来なくもないが……なんだ、この手際の違いは? ハッキリ言ってしまえば、彼の手腕は明らかに私を超えていた。

 だって、ホラ、今も後ろを向きながらキャベツを千切りにしているし。

「あ、いや。そうではなく……ネル君もさっきの毒電波、キャッチしたわよね? もうこの星には、私と君しか生き残りが居ないって聴いたでしょ?」

「らしいね。と言う訳で、さっさと決着をつけてしまおう。こうなった以上恨みっこなしだ。俺は君を倒す為死力を尽くすから、ナオンも本気で戦え。その方が、お互い気が楽だろう?」

「……いいわ。わかった。私は、全力で貴方を倒す」

 それが、それだけが、今の私に出来る事。多くの人々を殺してきた、私と言う業の結末だ。

 そう悟りながらも私は眉をひそめ、思わず愚痴っていた。

「……というかネル君、そんなこと言いながら私の胃袋掴んで籠絡しようとしてない?」

 焚火で作られつつある味噌汁の香りに惹きつけられながら、私は思わず笑ったのだ。

 ソレがこの彼との最後の思い出になると――心から理解しながら。


 そうして、どちらかにとっての、最後の朝食は終わった。

 彼は後片付けさえせず、私と対峙する。

「じゃあ、やろう。食器類の片づけは勝った方がする、という事で」

「……勝った方が、罰ゲームなんだ? ま、それも良いわね」

 言いつつ私は臨戦態勢をとる。ネル君も構えをとって、私達はしばし睨み合った。

 その間に脳裏を過ぎったのは、彼との思い出だ。

 あの告白された日や、初めてデートをした事。夏祭りで共に過ごし、引っ越す間際になって求婚された事を思い出す。

 そうか。私は本当に幸せだったんだと、今この時になって、私は思い知っていた。

「ああ」

 なら、もう良いか。もう、私は終わりでいいか。

 私が殺してきた人達には本当に恨まれそうだけど、私は私をここで終わりにしようと思う。

 だって、本当に、私は幸せだったんだから。この殺し屋候補の私が、その実、あろう事か普通の人より、幸せだったんだから。

 そう。一般人の彼と結ばれる事を、きっと組織は許さないだろう。組織は必ず、私に相応しい相手を押し付けてくる。その相手を拒むなら、きっと私は最悪処理される事になる。

 けど、それでも、例え誰かが私を殺しに来ようとも、私は彼との日々を選ぶと決めていた。どれほど死を恐れようと、彼と共にあるだけで、今は怖くなかったから。なにより死ぬ事が怖かった筈の私が、彼と居る時だけ、何も怖くなかった。

 つまりはそういう事で、私はそれ位、浮かれていたのだ。彼と居る時だけは、私は殺し屋でなく、ただのナオン・アレクラムだった。

 今初めてその事実に気付き、それでも彼にその想いを悟られぬ様、気を張る。一撃で屠るだけの気迫を込めながら、便宜上、能力の起動さえした。

 そして、ユメの終わりは、呆気なく訪れた。

「え? は……?」

 初めは、意味がわからなかった。けど、私が彼を見つめるだけで、ネル君の体は光となって消えていく。少しずつ、少しずつ、消えていく。その彼が、初めて口を開いた。

「そうだな。打ち明けてしまうと、俺は君の事を反面教師にしていた」

「……なにを、言って? ネル君? 何を、言っているの?」

「それほど君は他人と違っていた。工作員っていうのは本来、その環境に溶け込まないといけない。誰よりも愛想よく振る舞い、誰よりも善良なフリをして、誰よりも上手く他人を騙す。本来それが俺達のあるべき姿だ。実際、俺はそんな感じだっただろ?」

「……ネル、君?」

「でも、君は違っていた。そう教え込まれていた筈なのに、違っていた。多分、君は心のどっかでそんな自分を恥じていたんだと思う。己の利益の為に他人を欺く自分を、己の為に誰かを騙し続ける自分を、認めたくなかった。……だから、君は何時だって素のままの自分を貫き通した。その結果が、あれだ。君は自分と他人との違いを悟って、孤独を通した。自分を偽る事より、本当の自分で日常を過ごし、その果てに孤立した。……だから、初めて君とデートをした時は驚いたよ。あんな風に素直に笑える君を知って、あんな風に冗談じみた本音を口に出来る君を見て、俺は素直にビックリした。そんな君を見て何かが違っているって、俺は気付いてしまったんだ。それから――君が許せなくなった。もっと誰かと一緒に笑えばいいのに。もっと、楽しそうに出来る筈なのにって感じで。俺にしかあんな面を見せない君が、俺は許せなかった。……だからだろうな。俺まで、何かが狂い始めたのは。ただの組織の道具だった筈の俺が、本気で誰かを幸せにしたいと思った。ただの道具でしかない俺が、本物の家庭を持つ事さえユメみた。俺は何時の間にか誰よりも縁遠い――〝普通〟って物に憧れていたんだ」

「ネル、くん?」

「だから君は、俺を〝普通〟にしてくれた恩人なんだ。ただの道具から、自分の意思を持った〝普通の男〟にしてくれた、恩人。……ワイズマンさんも言っていたな。〝いいユメを見せてくれた〟って。本当に、そうだ。いいユメを見せてくれて、本当にありがとう、ナオン」

「……だから、なんで、そんなこと言うのよ、ネル君ッッッッ? 私達、本気で殺し合うんじゃなかったのぉおおおおおお―――っ?」

 けれど、彼は、首を、横に振る。

「さっき『彼女』は〝今、俺と君しか生き残りは居なくなった〟と言ったろ? つまりはそういう事だ。さっき、俺は一人の青年を殺してきた。それが俺と君の差だ。その差が、俺と君の明暗を分けた。どうか、その力を上手く使って欲しい。それが殺し屋である君に俺が依頼する仕事だ。君が望んだ、君にしか出来ない仕事。だって――俺にはどう足掻いても君を殺す事なんて、出来っこないんだし」

「……まさか、あの時? あの老人と手を握り合った時、貴方は〝そうした〟……?」

 全てを理解し、私はその場にへたり込みそうになる。頭の中が真っ白になって、何もかもグチャグチャになりそうだ。

 それでも、私は顔を上げる。

 いま自分がどんな表情をしているのかわからないまま顔を上げ、彼に問うた。

「……ネル君、言ってくれたわよね? 〝例え人を殺してでも私と添い遂げる〟って。その為に人を殺し続けてきたのに、私だけは殺せないって言うの……?」

「そうだな。結局人殺しになりきれなかった俺は、君と添い遂げる資格は無かった」

 ああ、でも……そんな事はわかり切っていた事だ。私はきっと彼がこういう人だから、好きになった。〝組織の道具〟として生きるより〝普通の人〟として死ぬ事を選ぶこの人だから、心から愛したのだ。

 ワイズマン達が、兄が、陛下が、シルベリスが、ゾファーが自分を貫き通した様に、この人も自分の想いに殉じた。彼もまた――私に全てを託したのだ。

 そう理解し私は酷い顔になっている事を自覚しつつ、笑顔で彼に最後の質問を投げかける。

「あの時した質問を、もう一度するわ。ネル君は、何で人は人を殺してはいけないと思う?」

「なら、俺もあの時の答えをそのまま返すよ。それは、それが、本当に酷い事だから。誰かが愛する人を、自分勝手な理由で殺すくらい酷い事は無いから、人は人を殺してはいけない。俺は今、心から、そう思う」

 ソレは本当に月並みな意見だったけど、今の私達には本当に心に刺さる答えだった。

「うん。私も、そう思う。私も、アナスタシヤと同じ。本当は、誰も殺したくなんて、なかった」

 ソレが、最期。ベルパス・ネルも心から満足そうに微笑み、光の中に消えていく。

「……ああ。ほんとうに、ありがとう、なおん。そんなきみをすきになったじぶんになれて、おれは、ほんとうに、しあわせ、だった……」

「あああああああぁぁぁぁッッッ! あああああああああああぁぁぁぁぁ―――っ!」

 余りにも、優しい声色。

 こうして私は、生涯で一度だけ愛した人を、今度こそ本当に失った―――。


     9


 いや……彼だけじゃない。この星にある全ての屍が、いま光となって消えていく。全ての遺体は今、空へと静かに昇っていった。

 その果てに、それは来た。

 あの――『神』を自称する女性が、天より白い椅子に腰かけ私の前に現れる。

「おめでとう。貴女が――人類最後の生き残りです。それについて――何か感想でもありますか?」

 ピンクの髪を背中に流した女性が問い掛ける。私は涙をぬぐった後、静かに口を開く。

「いえ、一つあなたに訊きたい事があるのだけど、これは〝願い〟の範疇には入らない?」

「質問にもよりますので、まず仰ってみて下さい」

 確かに『神』を彷彿させる綺麗な笑顔で、告げる。

 なら、私は人として当然の疑問を、彼女にぶつけるしかない。

「じゃあ――単刀直入に問うわ。この殺し合いの意味は、何? あなたは何故、こんな事をしたの?」

 努めて冷静に、どうでもいい事の様に訊ねる。

『彼女』は僅かに思案した後、返答した。

「ではその前に、この世界が何なのを説明しましょう。この世界とは――一種の演算機です。目的を果たす事だけに今も稼働し続ける、ある種の機械。それを果たす為だけに世界は存在して、それ以外の事には全く興味が無い。実を言えば――私もこの作業を果たす為の一ファクターに過ぎないのです」

「はい? 意味がよくわからない。もっと端的かつ、具体的に説明できないの?」

「では、出来るだけ簡単に。この宇宙とは――元は一つの知性種だったのです。スケールこそ違えど、貴女やこの私の様な」

「は……?」

 私は、思わず眉をひそめる。

 根がお喋りなのか、『彼女』は初めて私達の前に姿を見せた時の様に、長々と喋り続けた。

「ですがある日一つの知性種だったこの宇宙は、外敵の手によって死にかけた。殺されかけ、その自我は崩壊したのです。故障したパソコンの様に、データーがバグってしまったと言えばわかりやすいでしょうか? 人類が生まれたのも――その為。人間とは即ち狂ってしまったこの世界のデーターを復元し、再生させ、復活させる存在です。人が物理法則を解き明かし、文明を発達させてきたのもそれ故。今は壊れてしまったこの宇宙の知性を、再生させる為に人は存在してきた。発火する術を発掘し、星が重力を発している事を見つけ出し、核融合さえ可能とした。更には自分達を超越した知能を持つAI、人工知能さえもつくり出そうとしている。つまりはそういう事で――人の出る幕はソコまでなんです。人間とは自然発生で生まれる事が出来る最高の知性種ですが、それが終わりではない。人間とは、自然発生では決して生まれる事がない、知性種を生み出す為に存在している。ソレを果たした時、彼等は〝最良の滅び〟によって各々の星から消滅する事になる。ソレが――人間の存在理由。『第四種知性体』に全てを託し、絶滅していく『第五種知性体』の宿命。人はね、人として生まれた時点で――世界の為に滅びる事が約束された種族なんですよ」

「……一寸待って? なら、尚の事おかしい。今、この時点で人間が滅びて何のメリットがあるって言うの? そもそも……あなたは一体何者?」

 顔を曇らせながら、私は『彼女』と向き合う。『彼女』はここでも、事もなく言い切った。

「私ですか? そう言えば、まだ名乗っていませんでしたっけ? 私はスタージャ・アーギラス。『第三種知性体』の〝神〟――『スタージャ・ペルパポス』の端末です」

「……『第三種知性体』の〝神〟?」

「ええ。『第四種』をも超えた『彼女』達は、その身に『死界』と呼ばれる宇宙を内包している。『宇宙炉』と呼ばれる圧縮された宇宙そのものを、数百億個も有しているのです。その為思考速度は人とは桁違いで、とてもコミュニケーションなどとれない。人が数千那由多年かけて行う思考実験を、『彼女』等は一秒未満で行ってしまいますからね。人が昆虫と意思疎通できない様に、『彼女』等と貴女達にも大きな隔たりがある。それを埋めるのが、私の役目。人の目線に立ち、この星を観察して、その目的に近づくよう促すのが私の仕事なんです」

「……『死界』? 『宇宙炉』ですって?」

「そう。『死界』とは今は終わった世界。世界の目的を果たせず、停止した過去の宇宙群を指します。この世界もそうですが、宇宙とは一つではないんですよ。ほかに数億にも及ぶ平行世界が存在している。尤も現世では『死界』はともかく、その平行世界との行き来は出来ませんが。とにかくそういった、今は終わった世界が七十兆個ほど眠っているんです」

 ……なんだ、ソレは? それが私達の殺し合いと、何の関係がある? 

 そう感じると、『彼女』は漸く本題に入った。

「そこで質問です。貴女はなぜ『過去の世界』は停止してしまったと思います?」

「……いえ、悪いのだけど、全く見当もつかないわ」

「でしょうね。この時点で、その解答に辿りつけそうなのは、恐らくキロ・クレアブル位でしょう。実は笑える事に、この世界は身持ちが固いんです。宇宙と融合する権利を得た『第三種知性体』との融合を拒む程に。その時点で世界は停止し『死界』と化してきた。一個の宇宙が終わる度に次の宇宙が始まり、私や貴女は今こうして生きている。そう。簡潔に言えば――この世界は嘗て自分だった人格以外は受け入れ様としないんです」

「……ああ」

 そこまで聴いた所で……私の脳裏には漸く閃く物があった。

「まさか、あなた達は――世界に適合できる人格を探している? 私達人間の中に世界と融合し、一個の知性種に復調できる存在が居ると考えた――?」

「……当たりです。流石、この星最後の人類ですね。察しが良い」

 目を細めながら、『彼女』は喜悦する。まるで、この時を待っていたかの様に。

「それだけ私達も切羽詰っている、という事です。何せ『私達』は、同じような事をもう七十兆回も繰り返しているのだから。いい加減この繰り返しに飽き飽きした私は、一つの名案を思い付いた訳です。『第三種』や『第四種』よりも数だけは遥かに多い『第五種』ならソノ可能性も高いと。私達が見逃しているだけで、人間の中にこそ宇宙の適合者が居るのではと思い至った。貴女達を殺し合わせたのも――その為。仮にこの宇宙の自我が優れた存在なら、当然宇宙で一番優秀な人類こそが私の求めし者。そう考え、私は貴女達が最後の一人になるまで殺し合わせた。この果ての無い繰り返しを終わらせる為に私は苦肉の策にでたのです。故に、このプロジェクトの名は――『オリジナルクエスト』と言います。――『宇宙の原型を探求する』一大事業。それこそが――私の目的」

……成る程。確かに……この女性と私達では、余りに価値観が違う。今日の幸せを求める私達と、世界全ての事を案じるこの女性とでは、何もかも異なる。

「なので、この星最後の生き残りである貴女には引き続き殺し合いを行ってもらいます。他の星に行き、その住人と殺し合って、またその星で一番優れた人類を決定する。そういった事を――後三百万回ほど繰り返してもらうのが貴女の任務。その代り、貴女の願いは私が責任を以て叶えましょう」

「……つまり、私の殺し合いはまだ終わっていない、と? 私は自分以外の『第五種』全てを滅ぼさない限り、解放されない……?」

「ええ、そういう事になりますね。ですがご安心を。貴女の願いは既に承知しています。『この星の人間全てを生き返らせる』事。それが、貴女の願いなのでしょう?」

「…………」

『彼女』に問われ、私は俯く。

 一瞬だけ、あの彼の笑顔を幻視し、それから私は笑って彼女を見据えた。

「いえ、悪いのだけどその予定はキャンセルね。私はこの星から離れるつもりも無いし、これ以上誰かと殺し合う気も無い。更に言えば――私は死んでいった人達を生き返らせる気も無いの」

「……はい?」

 今――初めて『彼女』から笑みが消える。『彼女』はただ、首を傾げた。

 そうだ。明言してしまえば、実の所――私は死んだ人間を生き返らせるつもりは一切ない。ある理由があって私はそれだけはしないと、この戦いが始まった時から決めていた。

「その前にあなたに訊いておく。人は何で――人を殺してはいけないと思う?」

「それ、は」

「ええ、そうよね。人ではないあなたには、そんな事もわからない。あなたは、やはり人間というモノがわかっていないのよ。……ワイズマン達も同じだったけど、彼等はしかたがない。彼等にはソレしか希望がなかったから、しかたがない。……でもあなたは気付くべきだった。だって仮に人類が全て蘇っても、彼等はもう知っているのだから。自分達がこういった状況に追い込まれたら、どうするかを。自分達の本性を知った彼等は、ただひたすら絶望するだけ。疑心暗鬼がやがて恐怖にかわり、それは何れ大戦の引き金になりかねない。そうなれば――今度こそ人類は自らの手で滅びる事になる。今度は人が人の意思で人類を絶滅させる事になる。断言するわ。私達は今日まで――ソレぐらい酷い事をしてきたって」

 尤もシルベリスはその戦争を利用して出世し、人類を支配するつもりだった様だが。

「……待って、待って。まさか、貴女は――?」

「うん。なら私がするべき事は一つだけだわ。人類の仇であるあなたを――私が葬り去る。それが――私が受けたネル君からの依頼。殺し屋である私の――最初で最後の仕事。頭にくる事に、報酬は一生支払ってもらえないけど―――」

 故に、私は告げた。その願いを、心から。

「私の願いはこう。『あなたが持つ全ての特権を剥奪し、あなたが私達と同じ人になる事』よ」

「……なっ?」

 彼女が、眼を広げる。彼女が、息を呑む。その時には全てが、決していた。

「……待って。……待ちなさい。貴女は既に、一人人を殺している。その状態で、私を殺すって言うの? 貴女も死ぬ事になるわよ――?」

「いえ、そうはならない。だって、生き残りが五人以下になった場合は何人殺しても構わないのでしょ? それも、あなたが自分で決めた〝ルール〟よね? もしかして、そんな事さえ忘れていた?」

 感情を込めず、通告する。彼女は呆然としながら、立ち上がる。

「……な、なら私も能力を得て、貴女に対抗するだけ。ここまでして、ここまでやって、全てを失うなんて認めない。絶対に、許される筈がないもの――っ!」

「それも、無駄。だって、もう決着はついているから。私もあなたに倣って質問するわ。今まで二十四人もの命を奪ってきた私と、間接的に六十億もの命を奪ってきた、あなた。そのどちらが、より罪深いと言えるかしら――?」

「まさ、か……ッ?」

 ソレが、あの老人の能力だった。恐らくソレは――『交換』という概念だろう。

 きっとソレは、『他人との位置関係や、能力を交換する力』だ。

 あの老人の手をネル君と共にとった時点で、私とネル君の能力は交換された。

 ネル君の『術者より多くの人間を殺した人物を――消滅させる力』と私の力は交換された。

 だから、ネル君はさっき私が能力を発動しただけで、消滅したのだ。ネル君が、私より多くの人間を殺したから。

 現に私が見つめるだけで、彼女の体は消滅していく。彼女もネル君の様に、消えていく。

「と、後一つだけ言っておく。多分あなたが探していた人格は、ネル君よ。本来なら私は死んで、彼が生き残っていた筈なんだから」

「……ああ、今頃、わかった。あなたは、にんげんじゃない。にんげんなら、こんなことはのぞまない。にんげんなら、たとえどんなげんじつがまっていようと、あいするひとたちをいきかえらせるはずだもの。そんなことをみじんもかんがえてこなかったあなたが、にんげんであるはずがなぃいいいい………ッ!」

 消滅の寸前、彼女が訴える。私は、大いに同意した。

「そうね。だって――今の私は殺し屋だもの。あなたが私にネル君を殺させた時点でナオン・アレクラムと言う民間人は死んだの。冷徹で冷酷な殺し屋である私だけが、残った。その事に気付かなかった事も――あなたの敗因」

「……つッッッ!」

 ソレが――最期。

『神』から人に転落した彼女は今――消滅し、天に帰る。

 私が成した最後の殺人の被害者として――ただ消えていく。

 それを見届けた後、私は心から涙したのだ―――。


     終章


「……ああ。……ああ」

 終わった。これで本当に、何もかも終わってしまった。

 ネル君やワイズマン達を生き返らせる最後の機械を、逸した。彼等が命を懸けて望んでいたたった一つ願いを、私は踏みにじった。

 確かに、彼女の言う通りだ。私は、人間じゃない。人間なら、こんな酷い真似、出来る訳がない。  私は、ナオン・アレクラムは――本当に大バカ者だ。

「……けど、例えそうでも、ソレが私と彼の願いだった。人間同士が憎しみ合い、人が人の手で滅びる所だけは、私も彼も見たくなかった」

 その人類も、もうすぐ滅亡する。でも、あの彼女が居なくなった事で、きっとこれ以上理不尽な殺し合いが行われる事は無い。人は――『神』に勝ったのだ。

 そんな自己満足だけを胸に、私はもう一度天を仰いだ。

「ごめん。ワイズマン、アナスタシヤ、レンカ、ザボック、兄さん、陛下、ゾファー、シルベリス。そして――本当にありがとう、ネル君。貴方の願いは、貴方のお蔭で、こうして、形になったから」

 でも、それもこれまで。これから人類を見捨てた自責の念を背負いながら生きていくのも、罪滅ぼしになるだろう。

 けど……彼を失った私は、もうそんな意欲さえ失っていた。

 だから、私は懐から拳銃を取り出すしかない。

「うん。貴方達と同じ場所に行けるとは思えないけど、これが私なりの贖罪。いま謝りにいくから、待っていて、皆」

 私はソレを自分のこめかみに押し付け、引き金に指をかける。安全装置を外し、後は指を少し動かすだけで全ては終わる。

 その時――私は確かに聞いた。

〝なおん。ありがとう。わたしのためにないてくれて〟

〝わたしは、だれもころしたくなんてなかった〟

〝いいユメを、みせてもらったよ〟

〝きみたちのためにしねることを、ほこりにおもう〟

〝おれの、じまんのいもうとだったぜ〟

〝なおん。わたしの、さいごのとも〟

〝そんなきみをすきになったじぶんになれて、おれは、ほんとうにしあわせだった〟

「ああ……」

 そんな声が、私を逡巡させる。

 これは彼等の意思を、命を、本当の意味で無駄にする行為ではと、思い直させる。

「……でも、それでも、ごめん、ネル君。私は、君が居ない世界なんて、これ以上、耐えられない―――」

 故に、終わった。

 ここに最後の人類も、その命脈が断たれる。

 ハッピーエンドを放棄した私は、今こそ自分の頭を拳銃で撃ち抜く。

 こうしてこの物語は、『オリジナルクエスト』は――何の救いも無いまま終焉したのだ。

 

 ……そう。

 ほんとうに―――そのはずだった。

「やめろッッッ、ナオンんんんん―――っ!」

「え……?」

 なのに、声が、聞こえた。

 あの聞き慣れた声が、直ぐ間近で響き渡る―――。

「何をやっているんだ、君はッ? 冗談だとしてもタチが悪すぎるぞ……っ!」

「……うそッ?」

 彼は――ベルパス・ネルは――私の腕を掴んで銃を取り上げる。

 私はそんな彼を、ただ眺める事しか出来ない。

 いや、それだけじゃない。他にも人の気配を、感じる?

「……私は、誰も蘇らせなかったのに。だからここに居る訳がないのに、なんで?」

「何を言っているんだ、ナオンは? それに何か町が廃墟みたいになっているだけど、これは一体どういう事?」

 記憶が、無い? 一月一日から、今日までの記憶が……? 

 いや、違う。これは、もしかして、そういう事―――?

〝じゃあね、なおん、べるぱす。また、えんがあったらあおう〟

 そうか、シルベリス。あの自殺は〝ルール〟をクリヤーするもの? 彼女は何らかの能力を使う事で、世界の構造を知った?

 彼女はアノ瞬間、条件を整え――『死界』から『全ての人類をこの星に召喚した』?

 私が最後の一人になるのを見計らい、こうして『人類を呼び寄せた』というの――?

 確かにそれなら殺し合いの記憶が無いから……人類が不必要に憎み合う事もない。

「……だとしたら、貴女はやっぱり天才だわ、シルベリス」

「ナオン……? 本当に、どうした? まさか俺の素性がバレたッ?」

「ええ……その事は後で話すわ。信じてもらえるかは、わからないけど。それより今は、こう言わせて。おかえりなさい――ネル君んんんんッッッ!」

「つ……っ?」

 涙を拭い、彼に抱きつく。衆人環視の中、恥じらいもなく、私は破顔した。

 ソレを周囲の人達は囃し立て、微笑ましそうに見守る。

 そんな何でもない事が、本当に、嬉しい。思わず、彼を押し倒したくなるくらい。

 ああ――この時点で本当に人類は『神様』に勝ったんだなと、私は実感した。

「……でも私が彼等を殺した事実は、消えない。私ばかり、幸せになっていい筈もない」

「……な、何の事か良くわからないけど、君が死ぬって言うなら、俺も死ぬ。俺は、ナオンが居ない世界なんて興味はないから」

「……ああ、そうか」

 この彼は、あの彼ではない。私が人類を見捨てたという事実も、一生消えない。

 でも、それでも、この彼のお蔭で今はただ前を向いていられる。なら、誰かを幸せにする事こそ……私に科せられた最大の罰だと認めよう。

 そう誓いながら、あの彼等の活躍に思いを馳せ、私はもう一度だけ涙した。

 これはまだ携帯が普及していない、人口が六十億人ほどだった頃の話。

 滅亡する筈だった人類が――『神様』を打倒する物語。

 もう明日を迎えても、誰も殺さなくてもいい世界を取り戻す、一大叙情詩―――。

 そんな事を想いながら、私はこの先の事を考える。

 理想的なプランは、こう。

 ネル君とお付き合いをしながら、ワイズマン達と偶然を装い友達になろうと思う。

 その後は兄を通じてラジャンに亡命して、陛下やシルベリスと手を組んで組織を潰すつもりだ。以上の事を企む私は彼に向き直り――微笑みながら問うていた。

「最後にもう一回だけ訊くわ。ネル君はどうして――人は人を殺してはいけないと思う?」 

「んん? そうだな。それは勿論――アレだ」

 そして彼は、笑顔で私の質問に答えたのだ―――。


              オリジナルクエスト・後編・了

 オリジナルクエスト・後編、決着です。

 いえ、もうキャラが死にすぎで、精神的に疲れました。

 次作は、まだ人死には少ない方なので、どうかご期待ください。

 ですが、主人公(女子)は――やはり酷い人です。


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