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オリジナルクエスト  作者: マカロニサラダ
1/2

オリジナルクエスト・前編

 ヴェルパス・サーガ、第四弾。別名、悪魔の啓示シリーズ第一弾、オリジナルクエストです。

 かなりアレな話ですが、お付き合いいただけたら幸いです。

     序章


 それは、私が高校生になってから半年後の話。

 その日、私は放課後の教室で、ある少年に告白された。

 相手は級友の、顔のつくりはそれなりだけど、学力は極平均的な立ち位置にいる少年だ。平凡とも言える彼は、けれど私の様な特異な人間に〝つき合ってくれ〟と申し出た。

 その理由がわからず首を傾げていると、彼は話を続ける。

「んん? 俺、そんな変なこと言っているかな? でも俺――アレクラムさんの事なら一生愛し続ける自信あるよ」

「………」

 ……正直、返事に困った。初手でこれでは、いくら何でも愛が重すぎると思ったから。しかし疑問だ。なぜ彼は私の様に、愛想も快活さもない男の様な容姿の女子に、そこまで言い切るのか?

 自慢じゃないが、私はこの半年、彼以外の人間とまともに会話した事すらない。同性である女子とも、数える程しか話していないのだ。

 そんな変わり者の私に、そこまで言い切る理由は何だろう? 

 なら素直に訊いてみろという話だが、私の心臓はそこまで強くない。自分の何処が好きなのか、面と向かって訊ける程の豪傑では無いのだ、私は。

 ならばとばかりに、私は少し意地悪をする事にした。

 私は今も緊張の余り少し震えている彼に、真顔で告げたのだ。

「ならそうね。ネル君は例え人を殺してでも――私と添い遂げる自信がある?」

 後に笑い話にならなくなる、戯言を口にする。

 彼――ベルパス・ネルは息を呑み、そして――断言したのだ。


     1


 ついで、彼は駆けた。

 息を切らせながら、必死に私を追いかけてくる。私は中途半端に長い黒髪をなびかせ、思わず天を仰ぎながら、白くなった息を吐き出す。

 彼が私を追いかけてくる理由は、明白だ。

 彼の目的は私に落し物を届けに来た、なんて可愛い物では無い。ナンパが目的でもなければ警察関係の人間という訳でも無い。私が犯罪に手を染めたから、その贖いを求めて私を捕えようとしている訳では無かった。

 いや、それを言うなら――疾うにこの星で罪を犯していない人間などいないのだが。

 既に〝コレ〟が始まってから、十九日が経つ。なら彼も、十八回はアレを行っている。言わば彼は私と同類で、残念ながら彼に私を責める資格はないのかもしれない。

「……本当、なんでこんな事になったんだか」

 嘆息混じりに愚痴る。現在、時刻は午前十一時五十五分。今日も後五分で終わりを告げるという時、彼の走るペースが上がる。

 後ろを振り向けば、喜々とした様子で私を捕まえようとする彼の姿があった。

「……やっぱり軍の関係者かしら? ま、そうでしょうね。でなきゃ、とてもじゃないけどここまでこられないでしょうし」

 というか、この十日間で軍人以外の人間に狙われた事がない。皆、その手の事ではプロの領域で、だから手際が違う。

 恐らく民間人では百の偶然と、千の奇跡が起こらない限り彼には敵わないだろう。つまりはそういう事で、民間人である私に勝ち目と言う物はなさそうだ。

 その彼はいよいよ懐から小型拳銃をとり出し、私に向ける。照準は――きっと私の背中だ。

 いいかげん追いかけっこは飽きたのか、それとも残り時間を気にしたのか、彼はもはや悠長な気分ではいられないらしい。

 そう思う私は、かなり陰険だろう。少なくともあの彼に好いてもらうだけの資格は、ないのかも。

 僅かにそんな邪念が過った時――私は路地裏の袋小路に迷い込んでいた。

 背後には――彼。正面には――ビルの側面がそそり立つ。

 こんな私のあり様を彼は嗤い、私は遠い目をして告げた。

「ああ、父さん、母さん。どうやらナオンも、いよいよそっちに顔を出す事になりそうです」

 彼にも聞こえる様に、嘆いてみる。

 これをどうとったかは知らないが、彼は遂に拳銃の引き金を引き私を狙い撃とうする。

「な――っ?」

 そして彼は壁を駆けあがり、跳躍して――自分の後ろに回り込む私の姿を目撃していた。

「ほ、う? お嬢ちゃんも軍関係の人間、という訳か?」

 咄嗟に後ろを振り返り、彼は銃を構え直す。

 私は目を細めながらソレを見届け、些か皮肉めいた無駄口に勤しむ。

「いえ、私はただの民間人。一般人では、ないかもしれないけど。最初に三歳位の女の子を殺した、職業軍人さん」

「は! どうせガキじゃ、この地獄は乗り越えられねえよ! だったらさっさと殺してやった方が、情けってもんだろうが!」

「驚いた。やっぱりあなた達って、みな同じ事しか言わないのね」

 呆れる私に対し、彼は拳銃の引き金を五度引く。秒速二百五十メートル程でそれは私の体に迫り、私は奥歯を噛み締める。自らの死を緩慢に眺めながら、私はバカみたいに両手を何度か左右に振った。そんな事で……銃の弾を防げる筈がないというのに。

 現に私の体は仰向けに倒れ、彼は止めを刺そうと此方に近づく。彼の銃の照準は、容赦なく私の頭に向けられる。

「大丈夫。いまお兄さんが楽にしてやるから」

 えっと、それで残り時間は何分くらい? 後、二分ちょいか。

 ならばとばかりに、私はその体勢のまま彼に向かって口を開く。

「……ここまできて力を使わないという事は、やはり探知型の能力者ね。大方、この街で一番弱そうな私を『探知』して殺しに来たといった所でしょう?」

「それが?」

 同時に、彼が引き金を引く。ソレは私の額目がけて放たれ――それで終わった。

「なっ? はッ?」

 彼は、その馬鹿げた光景を目の当たりにする。あの体勢で拳銃の弾さえ避けて見せる、この私の動きを彼は目撃した。

 そのまま私は壁に着地し、指にはめてあるゴムを薙ぎ切る。先端に鷹の爪めいた凶器が付けられたゴムを、彼に向けて振るう。

 ソレは拳銃を持った彼の腕を抉り、彼は思わず拳銃を落す。

「きさまッ、何者――っ?」

 咄嗟に彼は、懐に忍ばせていた二挺目の銃を引きぬく。彼はソレを私に向け発砲する。

 いや、彼が発砲しようとした頃には――私の蹴りが彼の顎に決まっていた。

 私は静かに、彼が落した銃を手に取る。

 私は銃口を地面に伏している彼に突きつけ、このとき彼は首を横に振った。

「……待てっ、待てっ、待て! 頼むっ、助けてくれ! そうだ! 今から二人で別の獲物を探そう! 俺が探知で獲物を探してやるから、そいつら二人を俺達でやるんだ!」

 が、彼はソレ以上、喋れなかった。理由は簡単で、私がただ能力を使用したから。

 どんな能力かはもちろん秘密だが、一つだけ彼に言うべき事があった。

「ごめんなさい。悪いけど、その案は却下ね。だってもう、時間は十秒も残されてないもの」

「……!」

 それで、今度こそ終わった。私はカッターで紙を斬る位の気軽さで、拳銃の引き金を引く。

 発射された銃弾は事もなく彼の脳を破壊して、完膚なきまでに彼の生命活動を停止させる。

 私は――こうして〝今日の獲物〟を狩り取る事に成功したのだ。

 こんな私をあの彼はどう感じるかなと、思わず真顔で考える。

 答えが出ないまま、私こと――ナオン・アレクラムは手にした銃を地面に落としていた。


     2


 では、ここで全ての発端を説明しよう。

 アレは、今から二十日前の事。この星の歴史上、最高の喜劇が幕を開けた。ソレは何処までも馬鹿らしく、この上ない茶番と言える話である。

 なんという事も無い。

 一月一日の午前零時に――『神』が降臨したのだ。

 いや、これは『彼女』本人がそう名乗っただけなので、事実かは不明だ。ただその力は本物だと感じる程に、常軌を逸していた。

 なにせ『それ』は、デモンストレーションとばかりに、無人の島を一つ消してみせたのだから。

 その様を『彼女』は全世界の人間に、見せつけた。その気になれば、この星全てを消す事だってできると嘯きながら。

 だが幸いにも『彼女』の目的は、この星を消す事では無かった。

『彼女』の目的は、一つ。

「そうですね。では――今日から貴方達は殺し合いを始めて下さい。一日に一人、自分以外の誰かを殺すのです。もし殺せなかったらその時はその人が死ぬ事になります。ああ、かといって二人以上殺すのは無しですよ? 逆に二人以上殺したら、その人も死ぬ事になるので、ご注意を。……後はそうですね。武器は刃物や小型拳銃まではありとしましょう。マシンガンや戦闘機や戦車やミサイルなんて無粋な物はなしです。そんなのがありでは、不公平が生じますから。その代り貴方達には、それぞれ超能力を譲渡する事にします。〈精神昇華〉と呼ばれる物ですが、簡単に言えば概念を操る力でしょうか。ある単語から連想した概念を操る力なのですが、どういう力にするかは貴方達に委ねます。各々、頭をひねって最後まで生き残れるような能力を選んで下さい。ああ。因みに第三者と全く同じ力を得る事は出来ないので、そこら辺は早い者勝ちです。速やかにどんな能力を得るか決まった人に、その力はもたらされる。ですがその反面、その力を使うには条件が必要です。強力な能力程その条件は厳しくなるのでご了承ください。その力と知恵と勇気だけが――貴方達の武器。ソレを使って貴方達には――全人類参加型の殺し合いを行ってもらいます。人類が最後の一人になるまで、この殺し合いは続きます。そして栄えある最後の人類には――一回だけ何でも願いを叶える権利をさしあげましょう」

 マシンガンの様に喋りまくる『彼女』は、更に続けた。

「と、最後にもう二つだけ。面倒なので生き残りが五人以下になった場合は、何人でも殺していい事にしましょう。人数が少なくなったら最も生き残りが多い街に、強制移住してもらうので注意してください。では――ゲームスタートです。今日の二十四時までに、誰か一人を殺してください。でなければ――貴方が死ぬ事になりますから」

 本当に……馬鹿げている。この世界で一番頭が悪い人間でも、こんな事は考えないだろう。第一、意味がわからない。

 全人類が一人になるまで殺し合いをさせて『彼女』に何の得がある? 『あれ』は一体、私達に何をさせたがっているのか?

 そう思い悩む一方で、私は五十五回目に考えた能力を得るに至る。武装を整え、私は家から街に向かった。

 其処に待ち構えていたのは混乱する人々と、早くも誰かを殺している人間達だ。

 ある人は震えながら、ある人は冷静に、多くの人間はまず子供やお年寄りを殺した。

 子供はキョトンとしながら、頭を拳銃で撃ち抜かれる。老人達は命乞いをしながらも、刻一刻と殺害され続けた。

 話によれば、病院や障害者施設はこれ以上の地獄だったらしい。ほぼ無力な彼等を、力ある若い人間が殺していく。今日を生き延びる為に、誰かの必死の訴えも、子供を庇う母親の声も無視し、彼等は殺した。

 周囲には子供が泣き喚く声が響き、次の瞬間にはその子供が無残に殺されていく。交通網は麻痺し、治安は完全に崩壊して、この日確かに世界は地獄と化したのだ――。

 かくいう私はどうしたかと言うと、やはり当然の様に殺した。ある事が知りたかった私は、その事を知る為に、誰かを殺すしかなかった。

 どうもあの『彼女』は説明し忘れたらしいが、私達にはこんな力も備わっていたのだ。私達は最初に殺した人間と、最後に殺した人間が見ただけでわかるらしい。

 その力を使って私は速やかに、子殺しの大人を殺した。何処にでもいる軍人の男性が、初めて私が殺した人間だった。

 もちろん名前も素性も、家族構成も知らない。ただ彼ならまだ良心が痛まないだろうという理由だけで、私は彼を選んだ。

 そこで、私は冷静に計算する。仮にこの星の人口が六十億ほどで、件の条件通り殺し合いが続くと、どうなるかを。

 ざっと計算する限りだと、凡そ三十一日間、私達は誰かを殺し続けなければならない。十日で人口は約五百五十万人まで減り、二十日でたったの七千人程まで減少。三十日目でもう三人にまでなってしまう。

 それも当然か。単純計算でもこの条件だと、一日経つ度に人口は半分まで減る。ソレを私達は、毎日繰り返す事になるのだ。

 相打ちや自殺者や〝狩〟に失敗した人が居るとすれば、もっと早く決着はつくかも。

 いや……やっぱり私も尋常ではない。こんな時に、こんな事を普通に考えているというのだから。そんな私を、一体彼はなぜ好いたのだろう? 考えれば考えるほどわからないが、かくして人類史上最低最悪の日々は始まった。

 私達は最後の一人になるまで殺し合うという、史上最低のデスゲームに巻き込まれたのだ。


     3


「……というか、本当に意味不明ね。これって何? 地上最強の人類でも、決定させるつもりなのかしら? 未だにその理由だけはわからない」

 寝床に戻って、思わず愚痴る。私の寝所は、とある洞窟だ。其処の出入り口を岩で閉じればなんとか雨風もしのげるので、ここで暮らしている。

 なぜこんな野生のクマみたいな生活をしているかといえば、私自身の身の安全を守る為だ。

 街にはもう安全な場所など無いし、なにより件の条件が邪魔過ぎる。あの『一日に二人以上殺してはいけない』という条件が、私にとってのネックだ。

 つまり、その日一人でも人を殺せば、私はもうソレ以上人は殺せない。言いかえれば戦う事が出来ないとも言える。ヘタに戦いでもしたら、その相手を殺してしまう事だってあるかもしれないのだから。

 そうなれば私も〝ルール違反〟という事で、死ぬ事になる。今日は偶々標的を二十四時少し前に殺し、〝殺してはいけない時間帯〟が零で済んだ。

 だが、仮に私が二十四時丁度に人を殺すと――後二十四時間は誰も殺せなくなる。

 その間に誰かに狙われると、私はひどく不利な立場に追いやられるだろう。ソレを避ける意味でも、私達が身を隠すのは当然の行為と言えた。

 そんな訳で私はここを寝床に定め、はや二十日が過ぎようとしていた。洞窟内にテントを張り、私は其処で暮らしている。

 因みに、もちろん電気もガスも通っていない。電話も無ければ、食料も微々たる物だ。後三十日分の水と缶詰は確保してあるが、そろそろ焼肉とか恋しい頃である。

「……後、また新しい本でもかっぱらって、もとい、借りにいこうかしら? いい加減、退屈過ぎるし」

 目下の所、私の最大の問題はどう暇を潰すか。

 標的は街を歩いてさえいれば、向こうの方から寄って来るので今の所問題ない。だがその仕事を成すまでの空き時間が、余りにも長かった。

 実際……今夜やる事と言えばもう寝ること位だろう。懐中電灯やロウソクの光は思いの外暗く、だから満足に本さえ読めないのだから。

「……本当、時代劇だともっと明るかったのに。これって、ちょっとした詐欺だわ」

 と、最後まで愚痴りながら私は自宅から運んできた寝袋にもぐり、瞼を閉じる。寝つきがいい私は、それだけで早くも微睡の世界に足を踏み入れていた。


     ◇


 それから、夢を見る。あの頃の、彼と過ごしたまだ平和だった時の事を。

 アレはそう、私と彼が初めてデートした日の事。

 彼と喫茶店など利用していた私は、つい疑問に感じていた事を口にした。

「そういえば――ネル君って私の制服姿とか見たいと思う?」

「ブ……ッ?」

 彼が口にしていたクリームソーダを拭き出す。

 当然の様にソレを躱しながら、私は首を傾げた。

「え? あれ? 今の、そんなにおかしな質問だった?」

 というのも、他でもない。私達が通う高校は、私服校なのだ。その為、私は毎日の様に緑のパーカーにジーパンという味気ない格好で登校していた。

 ミニスカート等一度も穿いた事がなく、私は男装とさえ思える服装で毎日を浪費している。

 だから、ちょっと疑問に思ったのだ。もしかするとこの彼は、私を男だと思って好いているのではないかと。

 ソレは余りに自虐的な自己評価だったけど、私にしてみれば些か深刻な話だった。

 そう説明すると、彼は見るからに渋い顔をする。

「……いや、それは無い。俺はちゃんとアレクラムさんの事を女の子として好いている」

「そうなんだ? なら、やっぱり私の制服姿とか見たと思う?」

「――だからなんでそうなるっ? 何でそこまで制服姿にこだわるのかな、アレクラムさんはッ?」

 彼の疑問に、私は普通に返答した。

「いえ、だって、この前アダルトビデオのサイトを見たのだけどね。女子高生のジャンルがかなりの割合をしめていたわ。だから、あなたも見たいのかなと思って。それで、ネル君はブレザーとセーラー服どっちが好み?」

「いや、まず俺が制服マニアって事を前提にして話を進めないで! 俺は全く健全な男子だからその辺りは注意して! それと女の子がアダルトサイトとか見ちゃダメー!」

「いえ、真っ当な男子だからこそ、女子の可憐な姿に惹かれる物なのではないの?」

「……それはまあ、否定はしないけど。そういうアレクラムさんは、随分制服にご執心だね? もしかして、制服に憧れているのはアレクラムさんの方?」

 この問いに、私はしばし思案した後、返答する。

「そうね。似合わないだろうけど、一度くらい女子高生らしい格好をしてみたいとは思うわ。例えそれが――ネル君の性欲を満たす為だけだとしても」

「だから違うよ! 俺にそんな趣味はないからね!」

 等とツッコミながらも、彼は嘆息したあと破顔した。

「でも、そうだね。間違いなく似合うとは思うよ。アレクラムさんは何と言っても美人だし」

 故に私は僅かな間、言葉を失う。

「……偶にネル君って、とんでもない過大評価を本気で口走るわよね」

「んん? 何か言った?」

「いえ、何でも。それよりいい加減〝アレクラムさん〟は卒業したいのだけど? こうしてつき合いだしのだし。私の事は――〝ナオン〟で良いわ」

 と、なぜか彼は黙り込んでしまう。

 私が疑問に思っていると、彼は意を決した様に口を開いた。

「じゃあ、俺の事も、ネルじゃなくて良いよ――ナオン」

「御免。よく聞こえなかった。もう一度言ってくれる?」

「……偶に思うんだけど、ナオンって絶対ドSだよね」

「ありがとう。今度はハッキリ聴こえたわ、ネル君」

「……いや、だから俺のことは、ベルパスで良いって」

「いえ、だって〝ネル君〟の方が、だんぜん呼びやすいし。結婚するまで私は君をこう呼ぶ事にする」

「ブ――っ?」

 また、拭いた。彼はもう一度口に含んだクリームソーダを拭き出す。ソレを当たり前の様に避けながら、私は真顔でもう一つの疑問を問い掛ける。

「そういえば話は全く変わるんだけど、私、ネル君に訊き忘れていた事があったわ。ネル君は――何で人は人を殺してはいけないと思う?」

「……はい? それって、重要な話?」

「ま、そうね。私にとっては、重要かも」

 私としては珍しく、苦笑いしながら言い切る。彼はまた思案し出した後、こう告げた。

「そうだな。それは勿論――アレだ」

 けれど――そこまで。私の記憶はそこで途切れる事になる。理由は、至極簡単だ。気が付けばこの洞窟に誰かが近寄ってくる気配がして、私は目を覚ましてしまったから。

 私は夢の中でさえ――あの彼と断絶させられたのだ。


     ◇


 弛緩していた空気が――一変する。

 この気配を敏感に感じ取り、私は素早く身を起こす。武装を整え、臨戦態勢をとって、私はその人物の到来を待った。

「……そう。ここはもう見つかったか。なら、次はどこに引っ越そうかしら?」

 また山中のどこかという事になるだろうが、とにかくここはもう駄目だ。そう判断しながら私は洞窟内で標的を迎え撃つ事にする。

 その理由は単純だ。この空間の方が、圧倒的に私が有利だから。そう自惚れつつ、私はいよいよ出入り口にしている岩の前で気配が立ち止まるのを感じた。

 開口一番――彼は告げる。

「待ってくれ。『今に限って俺は君を襲う意思はない』から。そう〝ルール〟に誓うから、話だけでも聴いてもらえないか?」

「………」

 私は自分の予想とは違った展開を見せ始めたこの状況に、眉をひそめる。

 だがその一方で〝ルール〟に誓ってまでそう言われては、無駄口の一つも口にしない訳にはいかない。

 なぜなら〝ルール〟とは絶対的な物。私達の存在を、根幹から揺るがす要素だから。

 私達は能力を使う時、特定の〝ルール〟が不可欠になる。この岩の向こうに居る彼は今その〝ルール〟に『私を攻撃する意思はない』という新たな条件を加えた。

 つまり、この時点で彼はその〝ルール〟に従うしかない。なら、それは私にとって確かな担保を得られたという事。今の所、彼は私に攻撃が出来ない。少なくとも、あの彼は。

「そうね。あなたに仲間が居ないという保証はないのだけど、それはどう判断すればいい?」

「……だったな。わかった。『現時点では俺は一人』だ。そう〝ルール〟に誓う」

「オーケー。私は何も誓わないけど、それで良いなら入ってきて構わないわ」

 私の返答に、何故か彼は少し戸惑っている様だ。

「意外だな。こんなに早く、信用してもらえるなんて」

「別に。大した理由じゃないわ。単にこの十数日間、真っ当な会話をしていなかったからちょっと人恋しくなっただけ。話があるんでしょう? あなたにとっては命懸けな話が。なら、少しくらい興味が湧いても自然な事ではなくて?」

「やはり、見込み通り、かな?」

 呟きながら彼は岩を退かし、洞窟の中に入ってくる。私は懐中電灯の明かりをつけ、彼を出迎える。

 見れば其処には、黒髪で黒い服を着た長身の男性が居た。年齢は二十二、三程で明らかに私より年上だ。

 因みに、彼が最初に殺した人間は恐らく軍人で、最後に殺したのもたぶん軍人だ。そう言った意味では、まずは及第点と言った所か。

 私はそんな彼に、缶ジュースなど放り投げてみせる。

「良ければどうぞ。話、長くなるんでしょ?」

「かもな。じゃあ遠慮なくいただくとするが、これってビールじゃないか」

「そうね。私にとっては、缶ジュースみたいな物だけど」

「……あまり感心しないな。いくら治安が、機能していないと言っても」

 そう窘めながらも彼は缶の蓋を空け――ソレを口にし始めたのだ。


     ◇


 腕時計を見れば、時刻は午前六時半。眠りについたのが午前一時なので、あまり満足な睡眠時間とは言えないだろう。

 私はアクビを噛み殺しながら、まだ名も知らぬ彼に問うた。

「と、本題に入る前に一つ質問があるの。あなたは――何で人は人を殺してはいけないと思う?」 

 そう。そもそも、人はなぜ人を殺してはいけないのか? これは、あの彼にも問いかけた質問で、私にとっては命題ともいえる話だった。

 私にそう訊かれた彼は明らかに表情を変え、逆に私に詰問する。

「それは、アレか? 今日まで人を殺し続けて生き残ってきた俺に対する、皮肉か?」

「まさか。私だって同じ立場なのだから、そんな皮肉口に出来る筈もないわ。これはただの興味よ。言いかえれば、私流の挨拶みたいな物ね」

 彼はまだ納得しかねる様な表情を見せるが、仕方なさそうに口を開く。

「なら訊くが、君は誰かに殺されたいと思う?」 

「いいえ」

「なら、他人の命も尊重するべきだろう? 俺達は他人を殺さないという意思を担保にして、自分の身の安全も保障されている様な物だし」

「成る程。模範解答ね。あなた、やっぱり良い人だわ。いえ、これも皮肉じゃないから、聞き流してもらえると助かる。それより、座ったら? 生憎、ここには座布団もないのだけど」

 見本を示す様に、私は形が良い岩に腰かける。

 彼も私を一瞥した後、同じ様に近くの岩に腰を下ろした。

「しかし、余裕だな。俺はこれでも、割と多くの人間と接してきたがね。君の様に一人なのにここまで泰然としている人間はそう居なかった。いや、殆どの人間があの一月一日の事を思い出して、他人と接するだけで怯えた物だ」

「ああ。確かに、アレは酷かったわね。強者が弱者を虐げる様が、アレほど醜悪だと思ってもなかった」

 すると、彼は見るからに唖然とする。

「……やはり、君は普通じゃない。あの地獄を前にして、なお冷静でいられるのだから。俺なんて、今でもあの日の事を夢で見て、うなされるって言うのに」

そうなんだ? いや、それこそ真っ当な人の感性なのかも。

「……と、悪かった。今のは失言と言う事で、聞き流してくれないか?」

「いいわ。失言というなら、お互い様だし。それで、私に何の用? いえ、そもそもどうやってここがわかったの? やはり――あなたの能力が関係している?」

 問うた所で答えが無いのはわかっているが、訊いてみる。何せ、事は能力についてだ。私達にとっては生き残る為に、何より秘匿しなければならない要素。

 これが周知されれば容易く攻略法を導き出され、第三者に打破される可能性がある。ソレを避ける為にも、能力は可能な限り隠すのが必須だ。そう言った意味では、私の質問は余りにも愚問だった。

 この愚問に対し、彼は思わぬ提案する。

「なら、取引と行こう。俺の能力を教える代りに、俺は今から君を試す。幾つか質問するからそれに答えて欲しいんだ」

「……はい? 余りに私が得過ぎて条件が釣り合っていない気がするのだけど、本当にそれでいいの? それともソノ質問に答えさせる事が、あなたの能力を発動させる条件?」

「いや。言っただろ。『俺はまだ君を攻撃する意思はない』と」

 成る程。どうやら今の所主導権は彼が握っているらしい。彼は何故か私の事を知っていて、だからその分、彼の方が優位に立っている。このまま話が進めば、それだけ私の方がより不利な立場に追いやられるかも。

 そうは思いながらも、私はこの彼に少なからず興味があった。

 なにせ私の気分次第で命が左右されるのに、ただ質問がしたいと言うのだ。何時でも彼を殺せる私と違い、彼はほぼ無防備でこの私に挑んでいる。

 なら、少し位その覚悟につき合っても、罰は当たらないのではないか? 

 兄が聞いたら〝非合理的だ〟と罵りそうだが私にだってその程度の人間らしさはある。

「いいわ、わかった。その条件で良いから、話を進めて」

「じゃあ、早速。俺の能力は――『収集』といってね。『俺が知りたいと思う事を、あるていど知る事ができる力』だ」

「知りたい事を、あるていど知る?」

 何だ……それは。そんなの使い方によっては、ある意味無敵じゃないか。

「いや、それ程万能と言う訳じゃない。言っただろ。〝ある程度しか知る事はできない〟と。それに、こいつは条件が厳しくてさ。一回使う度に、俺の寿命は一年縮まる。今まで三十回使ったから、このまま生き残っても俺の余生は僅かだろうな」

「まさか、その一回を、私を見つけ出す為に使ったと……?」

 だとしたら、些か呆れる。そこまでして、この私に何の用があると言うのか?

「その話は追々な。それより今度はコッチの番だ。率直に訊くが君はこの状況をどう思う?」

「んん? そうね。まず、あの『彼女』は本気で人類を絶滅させる気はない筈よ」

「……それは、何故?」

「ええ。理由は三つ。第一に――殺せる人間の人数を制限している点。こうでもしないと私達は皆共倒れになる可能性が出てくる。それを避ける為にも、『人数制限』は必須だったのでしょう。第二に――『武器の制限』ね。権威の強い人間が居て、その人物に命懸けで忠誠を誓っている人がいる場合、核さえ使う可能性がある。自分の命を擲っても主の為に大部分の人間を殺戮する人物が現れるでしょう。そして何処かの国が核攻撃を受けたら――当然の様に報復処置がなされる。ソレが連鎖して、この星は人間ごと終わる。ソレを回避する為にも『彼女』は武器のレベルを制限せざるを得なかった。それから最後に――『生き残った人間の願いをなんでも叶える』という点。これは要するに今まで死んでいった人間の蘇生をも示唆した話だわ。寧ろ大部分の人が、この願いを叶えてもらう為に生きている可能性が高い。それも考慮した上での殺し合いなら、この状況も決して無茶苦茶とは言えない。『彼女』はちゃんと計算して、人類が必ず一人は生き残る様にしている。……但し私も最後に生き残った人間に、『彼女』が何を望んでいるかはわからないけど」

 私が説明を終えると、彼はややその身を乗り出してきた。

「そう。その通りだ。実は俺達はその願いを叶える為に、今日まで徒党を組み、標的を狩ってきた。何としても、俺達の誰かが生き残り、その願いを叶える為に」

「ん? ソレは本気で言っている?」

「本気だが、それが何か?」 

「いえ、だとしたら『彼女』と一緒だなと思って」

「……『彼女』と、一緒?」 

 彼が訝しがると、私は無表情で首を横に振った。

「何でもない。忘れて」

 いや、話を戻そう。私達は現在、大まかに分け二通りの生き方がある。集団で個人参加の人間を狩っていく人間と、個人で個人を狩る人間の二つのタイプに分かれている。

私は後者で、こうして山にこもって身を隠し、人を殺す時だけ街におりている。

 メリットは、仲間に寝首をかかれる心配が無い点。デメリットは、私に限って言えば特にない。

 かたや集団タイプは単独で動く人間を狩り、それを仲間の人数分毎日狩りを繰り返す事で生き残っている。集団で個人を狩るので、ある意味リスクは少ない。だが、仲間の人数分人を殺さなければならないから、手間はかかる。

 そんな彼等も――最後は、当然、仲間同士で潰し合う事になるだろう。仲間の数にもよるが大体二十八日目辺りには――仲間同士で殺し合わなければ生き残れない。

「成る程。少し納得した。そういう大義名分があるから、そんな弱い者いじめみたいな戦法をとっているのね。あなたみたいな、良い人が」

 彼が心底渋い顔をしたのは、その時だ。

「……ソレは誤解だな。俺は決して、良い人なんかじゃない。良い人っていうのは、アレだ。自分が死ぬとわかっていても、一月一日の時点で誰かが誰かを殺すのを止めさせようとした人間。……それに、俺はあまり良いリーダーとも言えないな。何せ、最初は十人仲間がいたが、今は俺を入れて四人にまで減っているんだから」

「ああ」

 ここまで聴いて、私は漸く彼の意図がわかった。

「つまり、私を新たな仲間に加えたいと? ……だとしたら呆れるわ。私、そんな事にも気付かなかったなんて」

 けれど、今度は彼が首を横に振る。

「いや、そうでもない。君はちゃんとこの状況を把握していたしその解決策も理解していた。そんな君なら――俺達の新しいリーダーには十分相応しいだろう」

「新しい……リーダー? この私が……?」

 一体どんなレベルの冗談だ、ソレは?

「悪いが、冗談じゃない。これは、俺が能力を使って得た結論だ。『今の俺達を良い方向に導いてくれるのは誰か』知る為に力を使った結果がコレ。そんな君なら俺達の願いを、きっと叶えてくれる筈だ」

 正直……嗤える。学校でも孤立していた私が、殺戮集団のトップに立つ? 皆で仲良く手を繋いで一人の人間を殺し、ソレを毎日五回も繰り返せと? それこそ、私の趣味じゃない。

「ええ。悪いけど、断るわ。私、集団行動とか苦手だから。見た印象からして、如何にもそんな感じでしょう?」

 もう話は終わったとばかりに、私は寝袋に戻る。瞼を閉じて、もう本気で二度寝する気になっていた。

 だが、そんな私に対し、彼は辛抱強く話し続ける。

「なら、もう一つ情報を提供しよう。いま有力な勢力を誇っている派閥は、六つ。カタスム地方の集団と、ギーニスト地方の集団。バルキリス地方の集団と、黒髪の男に、ラジャンの集団だ」

 この話を聞いた時、私は僅かに注意を引かれた。

「……ラジャンの集団? なら、その人達には手を出さない方がいいわ。話によればラジャンの女王は相当の器量で、しかも私の兄が女王の首席護衛官だから。最後に会ったのは二年前だけど――その時点では私より兄の方が強かった」

「ほ、う? それは何と言うか……厭な情報だな?」

「かもね。で、最後は?」 

「ああ。ナマント出身の一団だ」

「ナマントの、一団?」 

「そう。俺が知る限りだと、全身白ずくめの女が仕切っている」

 ソレを聴き、私の意識は――今度こそ爆発する。

 私は布団から身を起こし、歯を食いしばって喜悦した。

「――シルベリス・シルベリア。やはり、生き残っていた」

「シル、ベリス……? ……君の知り合いか?」

 私の様子が尋常じゃないと見たのか、彼は若干引き気味に訊いてくる。

 私は、喜々として頷くしかない。

「ええ。私の姉弟子で、私の父と母――それにネル君を殺した女よ」

「……ねる君? それはもしかして君の……あ、いや、やっぱり答えなくていい」

 なぜか口をつぐむ彼。もしかしたら、私が殺気を撒き散らしているからかもしれないが、そんな事はどうでも良い。今問題なのは――もっと別の事だ。

「あなた、さっき自分を含め仲間は四人と言ったわよね? それじゃ、全然人手が足りない。私をいれたとしても、少なくともその三倍は仲間が必要よ。取り敢えず条件が良いグループと交渉し、仲間に引き入れるというのが現実的だと思う。シルベリスを――殺すには」

「それはつまり――君は俺達の仲間になるという事?」

 またも身を乗り出し、彼は訊ねてくる。私は逸る想いを何とか自制しながら、返答した。

「ええ。但し、それはシルベリスを倒すまで。彼女を殺した後は、自由にさせてもらう。その条件で良ければ、私を仲間に加えて」

「……要するに君は俺達を利用する、という事か? そのシルベリスとやらを、倒す為だけに?」

「そうとってもらっても構わないけど、多分それで十分な筈よ。恐らく彼女を倒すまでにかなりの日数がかかって、その分私もあなた達の厄介になるから。下手をすると――あなた達が仲間同士で殺し合う時までつき合う羽目になるかも。それでも気に食わない?」

「……成る程。それだけ、そのシルベリスというのは、危険だと?」

 だが、私は何も答えない。もう話すべき事は話したとばかりに、後は彼の返事を待つ。

 一分ほど思案した末――彼は結論した。

「わかった。その案で構わない。今後ともよろしく頼む。俺の名は――ワイズマン・ワース。君の事は、何と呼べばいい?」

「その前に、一つ確認しておきたいのだけど?」

「ああ。俺の仲間に『標的の名前を知る事で能力を使える人間』が居るか、か? それは居ないが――」

「いえ、そういう事ではなく、ワイズマンは――私の制服姿とか見たいと思う?」

「……は?」

 私の問いかけを前に、彼はこの上なく呆気にとられていた。


     4


 で、私達は、件の洞窟を後にする。取り敢えず、ワイズマンの仲間と合流する為に。

 食料や水やサバイバルグッズが入ったリュックを背に、私は彼と下山する。その道中、二メートルも無い狭い山路を淡々と歩きながら、私は何気なく彼に訊いた。

「そういえば、ワイズマンって童貞? 因みに、私はまだ処女なんだけど」

「はぁ―――ッ?」

 途端、彼は躓きかけ、危うく左方に広がる崖に落ちそうになる。

「……って、大丈夫? というか私、なんか変なこと言った?」

 彼はこの時、明らかに変人を見る様な目で、私を見た。

「……ああ、言った。大いに言った。何だ、それは? それも君流の挨拶か?」

「いえ。ちょっとした、世間話のつもりだったのだけど?」

「……なら、忠告しておく。今後、その手の話題は口にしない方が良い。育ちや、常識を疑われるから」

 彼の眼は真剣だ。どうやら私は、よほど不躾な質問をしてしまったらしい。これはアレだ。ネル君や肉親としかまともに会話してこなかった、対人能力の低さが露呈した感じ。

「わかったわ。で、ワイズマンは、やっぱり童貞?」

「……経験はある! 何しろ、婚約者が居るんでね!」

「そうなんだ。もしかして、あなたの仲間の一人がその婚約者?」

 彼は、尚も渋い顔をしながら頷く。

「そういう事だ。こんな事にならなければ、今月の初めには式を挙げる筈だった」

「成る程。で、いざとなったら自分を彼女に殺させてでも生き残らせるつもりだと?」

「……君は本当にバカなのか賢いのか、よくわからないな。ああ、そうだよ。今より追い詰められたら俺はきっと、迷わずそうする。……だが、問題はその後だ。俺達のグループは、自慢じゃないが俺の能力で生き残ってきた部分が多分にあってね。その俺が死ねば、きっと彼女も近い内に俺の後を追うだろう。そう言った意味じゃ、俺は実に複雑な立場にあると言えるな」

「そう。そこで私の出番、という訳ね?」

 要するに彼は、自分の後釜を見つけ出したかったのだ。

 その後釜に、彼女を守らせる為に。

「でも、その話は矛盾している。きっとその〝後釜〟は、あなたの様に自分の命を投げ出す様な真似はしない。逆にあなたの婚約者を殺してでも、生き残る道を選ぶ。それでもあなたは構わない?」

「……痛い所をついてくるな。確かに俺の立場では、彼女の為に死んでくれと君に頼む事は出来ない。いや、それ以前にそういう状況になった時には俺はもう死んでいるだろう。だから俺が君に頼める事があるとすれば、一つだけ。……どうか苦しまない様に、アナスタシヤを殺してやって欲しい。それだけだ」

「どうかしら? 案外あなた達より、私の方が先に死んでいるかもよ?」

 シレっと告げると、ワイズマンは遠い目をしながら言い切った。

「そうだな。確かにこんな世界で生き残る位なら、生き返るまで死んでいた方が幸せなのかもしれない」

「ああ」

 ならネル君は今、幸せという事なのだろうか? 正直、今の私にはわからない。

 こんな私に対し、彼は話題をガラリと変える。

「それよりさっき言っていた仲間を集める話だが、ラジャンを頼るというのはどうなんだ? ラジャンには、君の兄君が居るのだろ? なら、そのコネクションをいかさない手はないのでは?」

「あー、悪いけど今の所その案は、採用する気はない。理由は、まず間違いなく主導権を向こうに握られるから。恐らくその程度の地力の差が、私達とラジャンにはある。ヘタをすれば、〝そちらの要求を呑む代りにおまえ達全員の命を差し出せ〟とか言ってくるかも。〝その代りに、おまえ達の願いは必ずかなえるから〟とか言って。少なくとも――兄はそういう人間ね。典型的な軍人とは言い難いけど、基本的なラインはそこに沿っている。ソレは、妹である私に対しても同じ。あの人が優先しているのは――飽くまで護衛対象の利益よ」

「……成る程。確かに軍人の考え方はシビアだからな。説得力がある意見だ。しかし『アレ』が現れてからたった数分でもう〝あんな状態〟になるなんて。いくら軍人でも、あんまりだと思わないか?」

「そうね。恐らく実際に能力を得られた事が引き金になったんでしょう。それだけで『彼女』が言っている事は真実味が増した。〝これだけの事が出来るなら、自分達を消す事だって本当に出来るかも〟と言った感じで。特にあなたが言っていた通り、軍人はリアリストだから冷静にそう判断したんだと思う」

「……だが、民間人を守る立場にある軍人が、真っ先にその民間人を殺すなんて」

 あの一月一日を想ってか、ワイズマンは悲痛な面持ちで地面に視線を落す。

 私はただ、思った事を口にする事しかできなかった。

「いえ、それは発想が逆。確かに彼等は命懸けで国家を守る、尊すぎる存在だわ。その反面、上官の命令があれば、子供や老人を虐殺する事さえ厭わないのが軍属という物よ。それこそが職業軍人の一面的な本質。実際、どこぞの国は自国の利益の為に、数十万人もの民間人を虐殺している。そう言った意味では、彼等が一月一日にした事は、十分現実的な行為なのでしょうね。国の為に人を殺す彼等は国内では英雄であり、国外ではただの殺戮者。それは今の私達も恐らく変わらない」

「……かもな。確かにアナスタシヤの為に人を殺し続けている俺は、彼等と変わらないのかもしれない。だが、嗤わないでくれよ? これでも俺達は、必死に裏技を考えたんだ。宇宙船でこの星を離れ、別の星に移住する計画とか」

 思いもかけない事を言われ、私は眉をひそめる。

「えっと、それは本気で言っている?」

「……まあ、一応。やっぱり君の目から見ても駄目か、この発想は?」

「いえ、正直、驚いただけ。私はスッカリこの環境に慣れてしまっていたのに、そんな事を考える人達が居たと知って。……そうね。そう言った柔軟な発想を、私達は今求めるべきなのかもしれないわ」

「……君にしては、割とマシな部類のフォローだな。そう言った調子で、俺の仲間とも接してくれると助かる」

「ええ。一応努力はしてみるから、安心して」

 それで、話は終わった。

 私はワイズマン先導のもと、山を下り――彼のアジトに向かったのだ。


     ◇


 そういえば、まだ説明していなかった。ここがどこかといえばロウランダという大陸で、私達はその中のある国に住んでいる。最も小さな国である――フォートレムという所に居を構えていた。

 私はまだフォートレムから出た事がないのだが、ワイズマンも同じらしい。その事から考えても、もしかすれば生き残りが一番多いのは、このフォートレムなのかも。

 仮にこの推理が間違っているとしたら、私達は早晩、見知らぬ土地に強制移動させられる。『彼女』が言っている事が本当なら、そういう〝ルール〟が発動する事になるだろう。何せ今日の時点で――残りの人口は約七千人を切っている筈だから。

「だとしたら困るな。土地勘も一つの武器な訳だし」

「確かに。でもこうなったら、なる様にしかならないわ。今から世界中を回るというのはリスクが高すぎるもの」

 肩を竦めながら、私は目の前の扉に目をやる。

 ワイズマンは瞳を細めながら、私に視線を向けた。

「で、ここが俺達のアジトな訳だが。わかっていると思うけど、こんな街の中心にあって誰にも襲撃されないのは能力のお蔭だ。俺の仲間に、そういう系統の能力者がいるから。もちろん現時点では、具体的にどんな能力かは言えないが」

「構わないわ。要は『あなた達の誰かと一緒なら、このアジトを見逃さずに済む』って話でしょ? そして恐らく『一定時間内なら、敵とも遭遇せずに移動も可能』の筈。私も今はそれ以上の事は訊く気はない」

 仮にそれ以上の事を求める時があるとすれば、私が彼等の力量に満足した時。

 シルベリスを殺すだけの戦力になり得ると、感じた時だろう。

「じゃあ、早速お仲間を紹介してもらえるかしら、ワイズマン・ワース?」

「了解だ、新リーダー。これが今の俺達の総戦力だよ」

 ワイズマンが扉を開ける。其処には、ソファーに座る三人の人物が居た。

 一人は、白いTシャツにスパッツを穿いたヤンチャそうな十四歳位の少女。一人は、眼鏡をかけワイシャツを着た線の細い感じの青年。最後の一人は、ジーパンを穿いた綺麗な亜麻色の長髪を背中に流す、落ち着いた感じの女性だ。

「皆、喜べ。俺の能力は正常に働いた。今日から彼女が――俺達のリーダーだ」

 ついで、私は露骨に亜然とする。その体のまま、私はワイズマンに耳打ちした。

「……って、揃いもそろって民間人ばかりじゃない。あなた達、今までこんなメンバーで生き残ってきたの?」

「ああ。だから言っただろ? 今日まで生き残れたのは、俺の能力による所が大きいと。それと君も知っているだろうが、この国には二十三歳から二年間の間兵役があるからね。俺も一応軍属だったんだ。その知識を生かして、なんとか今までやってきた」

「……そうなんだ?」

 というか、まだ民間人の生き残りとか居たのか。てっきり、人口が五百万を切った時点で、絶滅したかと思っていた。

 その思いが顔に出たのか、あのヤンチャそうな少女が露骨に睨みつける。

「リーダーって……この男みたいな女が? この如何にも弱っちそうな女が、ワイズマンの代り? ……マジかよ?」

 成る程。どうやら、彼女は見かけ通りの性格らしい。実に率直な御意見だ。

「あー、なら、やっぱ俺は反対だ。俺はやっぱワイズマンについていくぜ。こんなどこの馬の骨とも知らねえ女に、命を預けられるかよ」

 この少女の態度を前に、ワイズマンはやや焦りながら反論する。

「……今更その話を蒸し返すな、レンカ。昨日一晩かけてその事は話し合った筈だぞ」

「わかっているよ。でもしかたねえだろ。実際、アンタが連れてきたのは、俺の想像とは全く違うもやし女なんだから」

 ん? アレ? 私、そんなに頼りなげに見えるかな? 兄にはよく〝おまえは絶対、女性ホルモン不足〟と言われ続けてきたのだが。

 けど、その一方でこういう意見があるなら、私も一考するしかない。

「そうね。じゃあ、こういうのはどう? 私は、ワイズマンの参謀という立ち位置をとるわ。色々口は出すけど、最終的な判断を下すのは、ワイズマン。そういう事で、どうかしら?」 

「……参謀、ね。要するに、そんだけ頭には自信があるって事か?」

 けれど、私はその問いかけには答えず、おどける様に苦笑いする。

 すると――彼方から透き通った声が上がった。

「レンカ、その辺にしましょう? 貴女もわかっている筈よ。これ以上ワイズマンに負担をかける訳にはいかない、と。……このまま彼頼みで事が進めば、絶対に彼の身はもたない」

 亜麻色の髪をした女性が窘めると、レンカという少女はバツが悪そうな顔をする。

「……だったな。悪かった、アナスタシヤ。この女が余りに酷いんで、つい思った事が口に出ちまったんだ」

 わかっているつもりだったが……態度にえらい温度差があるな? どうもワイズマンやアナスタシヤという女性は、かなりこの少女に信頼されているらしい。

 それも当然か。ワイズマンは、今日まで彼等を生存させた立役者。アナスタシヤは、共に死線をくぐり抜けてきた戦友なのだから。

 そんな完成された人間関係の中に、突如、私の様な他人が入ってきたのだ。抵抗感がわくのも必然だろう。寧ろこれでも、穏便と言える位だ。

「で、どうする? もし私の案に反対なら、私としてもこのまま出て行くしかないのだけど」

 というより……私的には寧ろそっちの方が良いのでは? これ、絶対、足手まといが出来ただけだし。

 そう言った邪念を抱く中、あのレンカという少女は、私を一瞥する。

「……わーたよ。そんなに必死に懇願するなら、仲間にしてやっても構わねえ」

「………」

 あんたはどんなレベルのツンデレなんだと思わせる態度で……彼女は私の事を受け入れた。


     ◇


「では、改めて自己紹介といこう」

「待った。それ以前に、俺等の名前とか知られていいのか? こいつの能力は、ソレ系じゃないって言い切れる?」

 レンカの問いかけに、ワイズマンは頷く事で答える。

「勿論その辺りは、確認済みだ。彼女は、ナオン・アレクラムは、そう〝ルール〟に誓った」

 ワイズマンの言う通り、私の〝ルール〟にその辺りの条件は無い。名前だけを知るだけで発動できる類ではないのだ、私の能力は。

 ま、知っていれば知っているだけ選択の幅は広がるが、無論その辺りの事は〝ルール〟に誓っていない。私が誓ったのは『名前だけでは私の能力は発動しない』という事だけ。

「わかったわ。ワイズマンがそう言うなら。では私から。私は――アナスタシヤ・レコッド。今年十九になります」

「ザボック・コルネリア。僕も今年十九で、こうなる前は普通の大学生でした」

 で、最後の一人と言えば、よほど私が気に食わないらしい。

 未だ此方を睨んだまま、面倒くさそうに口を開く。

「レンカ・リーシェ。この騒ぎの所為で中卒になっちまった、哀れな十四歳だ」

「そう。じゃあ私も改めて――ナオン・アレクラムよ。今年で十七になる元高校二年生」

 私は三人に手を差し出すが、当然の様に誰も私の手を握ろうとしない。あの一番穏やかそうなアナスタシヤでさえ、苦笑を浮かべるにとどまる。きっとこれが私の能力を発動させる条件なのでは、と警戒しているのだろう。実に――まともな判断と言える。

 その彼女達だが、三人の〝殺害状況〟はこう。

 アナスタシヤは最初に、同じ年頃の女性を殺めている。最後に殺したのはワイズマンと同じで、やはり軍人風の男性。ザボックも最初は同級生と思しき男性で、最後は軍人。レンカも一番初めは同じ年頃の男の子で、やっぱり最後は軍人だ。

 だとすれば、この三人は身近な人間を最初に殺した事になる。

 この辺りをワイズマンはどう考えているのか興味があったが、私は別の事を口にした。

「で、早速あなた達に質問があるのだけど――なぜ人は人を殺してはいけないと思う?」

心なしか、ワイズマンの表情が硬くなる。私はそれを黙殺して、三人に目を向ける。

 最初に答えたのは、意外にもレンカ・リーシェ。

「知るか、バーカ!」

「……成る程。良い答えね」

 アナスタシヤ・レコッドといえば、困った様な表情を浮かべた。

「……えっと、それは答えなくては駄目?」

「別にどちらでも構わないわ。ワイズマンにも言ったのだけど、これはたただの挨拶みたいな物だから」

「つまり、ワイズマンは答えた、と?」

「そうね。プライバシーの侵害になるから、私の口からはどう答えたかは言えないけど。もし知りたいなら、後で彼本人に訊ねてもらえると助かる」

「わかった。それなら答えさせてもらうけど、本当は、私は人を殺したくないし、殺されるのも厭だから」

 と、これまたワイズマン同様、模範解答である。一般論とも言えるが、実に真っ当な感情と言えた。一方ザボック・コルネリアはというと、以下の通り。

「それは民衆の為というのもあるでしょうが、為政者の都合という考え方もあるでしょう。殺人が横行すれば、自国を統治しにくくなる。何れ自分の身も危うくなるかもしれない。それを避ける為にも、彼等は殺人という行為を可能な限り禁止する必要があった。そんな所じゃありませんか?」

 実に論理的な意見である。そう言った意味では、この三人は揃いもそろってタイプの違う人達と言えた。ワイズマンとアナスタシヤは人道を重んじて、ザボックは理に重きを置く。レンカは自身の感情を優先する気性らしい。

 私はといえば、どうだろう? その答えは……まだ良くわからない。

「と、そろそろ、今日の標的を狩に行かなければならない時間帯ですね。さっそくアレクラム君のお手並みを拝見する機会だと思うのですが、それで構わない?」

 私より二歳上のザボックが、真顔で問い掛ける。

 私はそこで、当然とも思える確認作業を行った。

「いえ、それ以前に、私もあなた達に同行するべきかしら? 仮にそうなると、私はあなた達の内の誰かの能力を知る事になると思うのだけど。それでも良いと?」

「だったな」

 レンカは腕を組み、まるで挑む様に言い切る。

「そりゃ、確かにリスクが高過ぎだ。今日会ったばかりの女に、能力を知られるってのは。なら、俺達は勝手にやらせてもらうぜ。おまえは精々、一人で頑張るこった」

 彼女の尤もな御意見を聴いて、ワイズマンは慌てた様子で口を挟む。

「待て。それじゃあ、彼女に来てもらった意味がないだろう? アレクラムも俺達と共に戦うからこそ、今ここに居る。俺はそう解釈しているが、皆は違うのか?」

 これも別の角度から見れば、正論である。私はワイズマンの負担を減らす為に、雇われた様な物なのだから。

 その反面……この事を他の仲間達が容認しなければソノ理屈は破綻する。

 いや、どっちの都合が優先されるかは、既に答えが出ているのだが。

「そうね。ワイズマンの言う通りよ、レンカ。わざわざアレクラムちゃんに来てもらったのはこの時の為。その事も、昨夜しっかり話し合ったでしょ?」

「だったらせめて最小限の手続きは済ませようぜ。まずこいつの能力を話させるべきだろ?」

 レンカの言う事は、正しい。紛いなりにも仲間と銘打つなら、ある程度こちらのカードも切るべきだろう。信頼関係とは、ある種のデメリットを担保にして築かれる物なのだから。そう自覚する一方で、私は堂々と首を横に振る。

「いえ――それは無理。私の力は、絶対に教えられない。何故って、私の能力は第三者が知った時点で、破綻する系の力だから」

「……てめえ、もしかして俺達のこと舐めているか?」

 いよいよレンカの気配が変わる。彼女は既に臨戦態勢という体まで、自身の敵意を肥大させていた。けれど、彼女の御機嫌をとる様に私は提案する。

「そうね。では、折衷案と行きましょう。能力を教えない代りに、こういうのはどう?」

「は……?」

 この大いなる矛盾を前に――私以外の四人は露骨に眉をひそめた。


     ◇


 それから、レンカが私にまた食ってかかる。

「……というか、おまえ、俺達がどういう手順で獲物を狩るかわかっているのか?」

「ええ。そこら辺は把握済み。恐らくこの中の誰かがさっきの私達の様に『隠密行動』をとって、標的を見つけ出す。それを私達全員で狩る、という感じでしょ? さっきも話した通り、今日はその作業を少しばかり変えてもらいたいと言っているの」

「……フーン。確かに、少しは物を考えているようだな、おまえ」

 それでレンカも、少しは納得したらしい。ワイズマンの指示を受けた彼女は、早々にアナスタシヤと共にこの隠れ家から出て行った。

 そう。彼等の作戦は実にシンプルだ。まず(まだ誰の能力かはわからないが)例の『ステルス能力』を使って誰かが偵察に向かう。そこで獲物を発見次第、居残り組に合図を送り、全員が合流して事に及ぶという流れ。

 実に、理に適ったやり方だ。彼等の戦力でいえば、ベストと言える戦略かも。

 しかし、問題はその後だ。たぶん標的に対し奇襲を行うつもりだろうが、ソレでどの程度敵の戦力を削れるか? それによって、戦況は大きく変わるだろう。へたをすれば、彼等が全滅さえしかねない程に。

 実際、十人居たらしいワイズマンの仲間は、今四人にまで減っている。これだけ有利を保てそうな作戦を実施しているというのに。

 そう考えるとワイズマン達というのは、戦闘には不向きな性質なのかもしれない。

 殺し合いに関する心づもりが、まだ出来ていない様にも思える。

 現に、民間人ばっかりだし。

 ただ、それでも彼等は今日まで生き残ってきた。人口が七千人を切った、この時まで。

 だとすれば、この時点で(私の目から見れば)十分大したものだと称賛できる。人口、たった七千人の中の一部に入っているのだから。

 と、思案していると、私と同じ居残り組であるワイズマンが声をかけてきた。

「……さっきはレンカがすまなかった。昨日までは納得していた様に見えていたんだが、この辺りは俺のミスだな。あの年頃の少女が、この状況で神経が過敏になるなと言う方が無理なのに。俺はその事に気付けなかった」

「別に気にしていないから、あなたも気にしないで。というか、もしかしてレンカを偵察組に入れたのってその為? 私とレンカの距離をとる為の処置?」

「ま、レンカも決して悪い奴じゃないしな。少し頭を冷やせば、もう少し位は君の事を信用すると思う」

「そう。少なくともあなたは、信じているのね? 私を見出した、自分の能力という物を?」

 でなければ、今の時点で〝信用〟なんて言葉は口にしまい。私とワイズマンが出会ってからまだ三時間も経っていないのだから。

 つまり現在時刻は午前九時半。こんな早い時間に獲物を狩るというのは、よほど例の『ステルス能力』に自信があるからだ。

 でなければ〝殺してはいけない時間〟が十二時間以上できるかもしれない今の時点で、事に及ぶまい。彼等は事後、決して敵に発見される事が無いと確信して狩りに臨んでいる。

 この辺りは、昨日までの私と大分異なる。

 私の唯一の懸念は〝殺してはいけない時間帯に、敵と遭遇する事〟だったのだから。だというのに、人手が一人から五人に増えただけで、私の心配は霧散した。

 なら、仲間と言う物は割と便利なのかもしれない。ま、最後は絶対、殺し合う事になるのだが。

 その場合、私の悩みは――まず誰をどうやって殺すか。

 そんな時、平坦だったこの部屋の床が突如として突起する。間違いなく誰かの能力なのだろうが、 これがつまり件の合図。どうやらあの二人は無事今日の標的を発見した様だ。

 なら、私達がするべき事は決まっている。

「ええ。遂に初仕事をすます時間の様ね。そういう事で構わない、リーダー?」

「ああ。勿論だ、実質的なリーダー。ザボックも、それで異論はないんだろ?」

「ですね。心情的には、僕もレンカよりですが。ワイズマンの能力は経験上、信用せざるを得ないので」

 こうして居残り組である私とワイズマン、それにザボックはこの隠れ家を後にした。


     ◇


 私達三人が、レンカ達二人と合流したのは、三十分後の事。レンカ達とは違い、私達は敵に見つからないよう、シンチョウにここまでやってきた。常に尾行を気にしながら、敵とも遭遇しない様に警戒しながらレンカ達と合流を果たす。

 この事から察するに、どうやら例の『ステルス能力』の定員は二人までらしい。今はレンカとアナスタシヤが、その対象なのだろう。でなければ、私達三人はここまで神経質になって移動する羽目にはならなかった筈だ。

 尤も、私に対するカモフラージュという可能性もあるが。本来なら私達も能力対象なのにワイズマン達は警戒するフリをして、私を欺いている線もある。

 因みに何が私達をレンカ達のもとに導いたかと言うと、例の突起現象である。要所、要所であの突起が起き、三十分かけ私達をレンカ達と合流させた。

 私達はレンカ達の姿を確認するなり、彼女達に倣ってうつ伏せになる。そのまま匍匐前進をして、アナスタシヤ達に近づく。

 レンカと言えば、私を見るなりあからさまに溜息をもらした。

「……もう一度だけ確認しておく。おまえ、本当にこの条件で良いのか?」

「ええ、これでベストよ。お疲れ様、二人とも」

「つーか、バカか、おまえ? いや、絶対ただの大バカだろ」

ああ。一寸納得した。何かレンカの事を懐かしく感じていたのだが、この子、少し私の兄に似ているのだ。私を躊躇なくバカにする所とか、実にソックリ。

「そもそも、話が矛盾しているんだよ。能力を知られたくねえてめえが――何で一度に五人もの人間を相手にする気なんだ? しかもアレ、そろいもそろって軍人だぞ? 本当に状況わかってんのか……?」

 崖の上から真下に居る集団を指さして、レンカが警告する。

 ならば、私は苦笑いするしかない。

「みたいね。いえ、正直言えば、私の見立てだと民間人ってもう全滅している筈なの。軍属の手によって皆殺しにされていないと、おかしいのよ。だというのに、今も生き残っているあなた達って、私から見るとだいぶ不可解だわ」

「……俺としては、おまえの頭の中の方が、よっぽど狂っているけどな」

 が、確認作業はそこまでだ。私はさっさと立ち上がり、眼下の標的に目を向ける。

 レンカは――それを小声で止めた。

「……って、やっぱ止めろ! 軍人ってのは俺達四人がかりでやっと倒せる連中ばっかなんだ! そんなのを一度に五人も相手にするなんて――おまえはやっぱり頭がおかしい!」

「そっか。確かに、ワイズマンの言う通りね。今日会ったばかりの私を心配してくれる辺り、レンカって根は良い子みたい」

「バ、バカ! こんな時に何言ってんだ、てめえッ?」

 私は思わず微笑みながら崖の下目がけて、飛び降りる。

 その様を、ワイズマン達は驚きながら見送るしかない。

 一方、件の軍人達は、余裕ともいえる表情を向けてきた。

「へえ。さっきから見られている気配はしていたが、まさかあんたみたいなお嬢ちゃんが?」

 私の姿を視認した彼等は――笑みさえ浮かべてこの状況を歓迎した。


     ◇


 そうか。〝見られている気配がした〟か。じゃあ『ステルス能力』の定員は二名で確定だ。仮にワイズマン達もその範疇にあるなら、彼等に察知される事はなかった筈だから。

 そんな事を思いながら、私は首を傾げた。

「なぜ、さっさとかかって来ないの? もしかして、伏兵を警戒している?」

 目の前で銃を私に突きつけている、五人に問い掛ける。

 彼等は答えず、私だけが尚も続けた。

「そうね。確かに仲間なら、居る。ただ私ってば、その彼女達に約束してしまったの。〝能力を教えない代り、今日の狩は私が一人でする〟と。勿論、彼女達の分も含めてね」

「つまりお嬢ちゃんだけで、俺達を制圧するつもりだと? だとしたら――面白い冗談だ」

 索敵の時間稼ぎをする様に、彼等も無駄口に勤しむ。

 私は困った様に笑った後、最後に告げた。

「……ええ。本当に――冗談なら良かったのだけど」

 私が、地を蹴ったのはその時だ。そのまま中空を半回転しながら、彼等が陣取る中心部に着地する。途端、彼等は大きく間合いをとりながら、再度私に向けて銃をつきつけた。

「な、は――っ?」

 そして、回る、回る、回る。私は十本の指にはめている先端に爪がついたゴムを上下左右に振り回しながら、体を超速回転させる。見かけは舞う様に、実際は暴力の嵐を行使して。

 事実、私が回転する度に、彼等の腕や足、顔の肉は爪で抉り取られていく。

「……ぎッ?」

「がぁ――っ?」

 数秒後には全員が、この場に立っていられない状況にまで追い込まれていた。

 爪で腕や足の靭帯を切断された彼等は、銃さえ持てずに仰向けに倒れる。

 余りの激痛の為か、顔を抉られた彼はそのまま地面をのたうち回っていた。

 そんな彼等の一人に私は近づき、腕を振って爪を薙ぎ、喉笛を掻っ切って絶命させる。

 更に私は彼等の頭や腹に蹴りを入れていき、昏倒させ、仕事を終わらせた。

 ワイズマン達がいる方向へ目をやり、彼等を呼び寄せる。

「――終わったわ。後はあなた達が、止めをさすだけ」

「……なッ?」

 んん? 気の所為か? 何か、変な物を見る様な目で見られている気がする。 

 そう疑問に思いながらも、私は若干焦っていた。

「……悪いのだけど、早くしてくれなきゃ困る。このままじゃ止めを刺す前に、この中の誰かが死にかねないから」

 仮にそうなったら『二人殺し』で私も死ぬ事になる。

 ソレは最悪の事態なので、私はワイズマン達を急かすしかない。

「……わ、悪かった。今行くから、待っていてくれ。……アナスタシヤ、頼む」

 崖から例の突起物が出て、階段らしき物を形成していく。ソレを使ってワイズマン達は崖を降り、此方に向かう。

 各々拳銃を手にして、それを倒れている標的に向けていた。

 最初に彼等の心臓目がけて発砲したのは、ザボック。

 それに、ワイズマンとアナスタシヤが続く。

 だがレンカだけが、尚も銃を構えたまま動きを止めていた。

「レンカ?」

「……な、なんでもねえ! ……今、やる。今、やるから」

 ああ……そうか。

 何時もの狩りでは、きっと彼女は必死なのだ。必死に戦い、必死に勝利を掴み、その勢いのまま他人の命を奪ってきた。

 だが、今は違う。彼女は無抵抗の人間を、一方的に殺そうとしている。この状況が、彼女に多大な抵抗感を与えているのだろう。まるで、幼い子供を殺す様な心境になっているのかも。

 そう解釈する一方で、私は何もしない。これは彼女自身が乗り越えなければならない事柄だから、私は傍観するだけ。

 いや……その筈だったのだが、そうもいかないか。何せ、今は時間が無い。私は仕方なくレンカの後ろに回り、銃を握る彼女の両手を掴んだ。

「大丈夫。あなたも見えているでしょ? この軍人は一月一日、真っ先に子供を殺した。あなたより、ずっと幼い子供を。今はその子の仇をとるつもりで、引き金を引けば良いの」

「……ああ」

 レンカが息を呑み、漸く弾丸を発射する。

 それは彼の頭を撃ち抜き――私達は今日の狩を呆気なく成功させたのだ。


     ◇


 地面に転がるのは、三人の男性と二人の女性。

 私達が仕留めた彼等を一度だけ一瞥してから、私は口を空けた。

「これで約束は守った訳だけど、それで構わない? 私の能力は、話さないって事で良いかしら?」

 思った事を、普通に告げる。

 ワイズマンは一瞬だけ黙然とした後、不思議な事を言い始めた。

「……というか、今の人間離れした動きそのものが、君の能力なのでは? 普通の人間はどんなに鍛えても、あんな風に動けないだろう?」

「いえ――今のはただの体術なのだけど?」

「体、術? 今のが、ただの?」

「ああ、そう言えば、まだ言っていなかったっけ? 私って――将来的には殺し屋になる筈だったのよ」

「……こ、殺し屋?」

「そう。私の一家は、ある組織に属していてね。家族全員が、裏社会の人間だったの。そういった訳で、私は幼い頃から拷問紛いの訓練を積まされてきたの。例えば――活動エネルギーのコントロールとか」

「……か、活動エネルギーの、コントロール?」

 やはり怪訝な様子で、ワイズマンは訊ねてくる。私は、ありのままを口にした。

「ええ。私達の腕や足が思い通り動くのは、体の中でそれだけのエネルギーが働いているからでしょ? 私達の一族は、ソレを自在にコントロールする術を見つけ出したのよ。例えば――腕のエネルギーを足に集中して脚力を高めるとか。後はエネルギー自体を瞬間的に発火させ――爆発的な力を生みだす事も出来るわ」

「……は? それは、本気で言っている?」

「本気だけど、それが何か?」

 キョトンとしながら、問い返す。

 ワイズマンは、やはり変な物を見る様な目付きで私を見た。

「但し、これは飽くまで体の中でのみ使える業ね。何かの漫画みたいに体の外へエネルギーを出して、ソレを敵に向かって放出するのは無理。そんな事をしたら、術者の体自体が破裂するから。だとしたら、それほど大それた力とは言えないでしょ?」

 が、ワイズマンは今も愕然としながら、首を横に振る。

「……いや、それで十分すぎる。さっきの動きを見て、確信した。君はやはり、俺が見込んだ通りの人間だ。……だが、解せないな。あれほど能力を教えたがらなかった君が、なぜそっちの力は隠さない? もしかして公になっても、リスクは少ないと思っているから?」

「正解。こっちの方は警戒されても、ほぼ防ぎようがないと私は思っている。ま、過剰に敵視される事はあるかもしれないけど」

 実際、ワイズマン達の私を見る目は普通じゃない。まるで異常者を見る様な面持ちで、私を見ている。

 標的以外の人間にこの業を見せたのは初めてだったので、私は気付かなかったのだ。普通の人間以上のナニカを持った他人は、こうも警戒される物だと。己の行いが如何に軽率だったか私は今になって漸く理解していた。きっと兄に知られたら……またバカにされる。

「……け、けど仮に能力で攻撃されたら、どうするつもりだったんだよ? ただの体術だけじゃ、防ぎ切れねえ物だってあるだろう?」

「いえ、それはない。彼等も、何れは仲間同士で殺し合う身。なら、可能な限り能力の応用力や切り札は隠したがっている筈。そんな彼等なら、私一人に対しては能力より既存の武器で対処するのが妥当だわ。わざわざ手の内を、周囲の人間に見せつける様な真似はしない。寧ろ私の事は囮だと思っていただろうから、その分、彼等の注意は散漫になって助かった」

「な……っ?」

 ハッキリ断言すると、何故かレンカも黙ってしまう。お蔭で私は眉をひそめるしかないのだが、まあ、今は気にしないでおく。これを機に、今後の方針などを提示しておこう。

「で、リーダー。さっそく私から相談があるのだけど、良いかしら?」

「……ん? ああ、構わない。あ、いや、その話は道々しよう。外に居ては、いつ襲撃を受けるかわからないしな」

「おお! 流石リーダー! 私なんて、ちっともそんな事は気付かなかったわ!」

 ちと露骨かもしれないが、ワイズマンを持ち上げる。だが、彼は苦笑を浮かべるだけでソレ以上は何も言わなかった。

 彼の指示通り、私達はアジトに向かって歩を進める。

 その最中、私はいよいよ本題を切り出した。

「で、さっきの話なのだけど。私達は当面――シルベリス・シルベリアに対応するべきだと思うの」

「……シルベリス・シルベリア? 誰だ、それ? おまえの知り合いか……?」

「ええ。半分は正解で、半分は間違い。彼女はワイズマンが力を使った結果、危険人物と判定した女よ」

 事実なので、胸を張って断言する。それに、今はこう表現しておいた方が良い。私個人が恨んでいる相手と言うより、ワイズマンが危険視していると言った方が、都合がいいのだ。

 その方が他の三人も抵抗なく、シルベリスを敵視するだろうから。

「確かに、ワイズマンは言っていましたね。今の所、六つの派閥が僕達の障害だと。その中の一人が、シルベリス・シルベリアだと?」

「うん。私が知る限りでは、最も危険なのは彼女。このままでは、私達は近い内に間違いなく彼女と戦う事になる。なら、事前に対策をとっておくのが上策ではないかしら、リーダー?」

「かもな。で、そのシルベリスというのは――どんなやつなんだ? まさかとは思うが……?」

「ええ。御明察の通り――私と同じ体術が使える」

「……やはり、そういうオチか。それに加え、何らかの能力も持っている訳だよな?」

「そうね。どんな能力かは知らないけど、この殺し合いに参加している以上は持っているでしょうね」

「……ちょっと待て。そんなのと、一体どうやって戦うつもりだ? 当然、そいつにも仲間が居るんだろ? しかも多分、軍属の? ……だったら、勝ち目なんてねえんじゃ?」

 レンカの見立てに、私は力強く頷く。

「普通に戦ったら、そうなるわね。このままじゃ、間違いなく私達は皆殺しにされる。で――提案なのだけど、私としては彼女に対抗するため更に仲間を募りたいの。この辺りで有力なグループと交渉して、一時的に手を組む。具体的には十五人から、二十人位が理想かしら? その戦力を以てシルベリスに奇襲を行い、彼女達のグループを殲滅する。ソレが私の計画なのだけど――皆はどう思う?」

「成る程。そこまではわかりました。ですが、問題は他のグループとどう交渉するかです。自分の命がかかっていて、だから疑心暗鬼に囚われている彼等とどう話をまとめるか。アレクラム君的には、何か勝算があるのですか?」

 冷静な面持ちで、ザボックが尤もな事を訪ねてくる。

 私は場を和ませる為、おどける様なしぐさをしてみせた。

「これまた、普通に考えたら無いでしょうね。ザボックの言う通り、一面識もない私達を信用する程の心の余裕は彼等もないでしょうから。なので――ここは普通じゃない手を使う事にする。その為に、皆にも協力して欲しいの。というのもね、こうしてもらいたいのよ――」

「は……?」

 が、私が全てを説明し終わる前に――ワイズマン達はもう一度唖然とした。


     ◇


 今日も夢を見る。その内容は、例によってあの彼と過ごした日の事だった。

 アレは、高二の夏の話。〝こうなる〟五カ月前の事。

 私は無謀にも似合わない浴衣など着て、ネル君と一緒に夏祭りに出かけた。

 そんな私は、開口一番、彼にこう告げる。

「そういえば、バトル漫画だと良く服が破ける事があるけど。なんで、股間部だけは何時も無事なのかな?」 

「――なんの話ッ? 会ったばかりなのに挨拶もせず、何言っているの、ナオンはっ?」

「いえ。兄が前にそんな事を疑問に思っていたから、その受け売り」

 ネル君が〝……そいつはロクな兄じゃねえな〟みたいな顔をする。実に同感だ。どう考えてもやつは〝理想のお兄ちゃん象〟からは、かけ離れている。

「しかし、ネル君って本当に奥手よね。つき合い始めてから一年近く経つのに、まだ私に手を出そうとしないんだもん。もしかして――不能者?」

「……そういう君は、相変わらず真顔でとんでもない事を口走るよね? それも、お兄さんの影響かな?」

 この明らかに話をはぐらかそうとしている質問に、私はフムと頷く。

「かもしれないわね。私の兄は、心底ロクでなしだから。童貞どころか、あれは間違いなくやりチ■ンだと思う」

「もう黙って! いや、黙らなくてもいいけど、下ネタだけは勘弁して!」

「え? なに、それ? それってつまり、私は一生喋っちゃいけないって事?」

「下ネタしか喋れないのか、君はッ? それ以前に、ナオンは自分が女の子だってちゃんと自覚しているっ?」

「んん? ……どうかしら? これは、ちょっとした難題だわ。確かに彼氏に浴衣姿を褒められもしない私って、女としてどうなんだろう……?」

 皮肉でも何でもなく、真剣に悩み込む。これを受け、ネル君は慌てた様子で口を開いた。

「あ、いや、そこら辺は大丈夫。ちゃんと似合っているよ、その浴衣」

「そ。ありがとう、ネル君。そういう君も、今日は一段と凛々しく見えて頼もしいわ」

 私としては素直な感想を述べたつもりなのだが、ネル君は怪訝な顔を見せる。

「……そう言えば前から疑問だったんだけど、ナオンって俺の何処を気に入ったんだ? 告白した時はあんなにドン引きしていたのに、何で俺とつき合う事にした?」

「んん? やっぱりネル君っていざとなると、私より心臓が強いわね。自分の何処が格好いいか、私の口から言わせる気なんだから。私なんて、未だに何で君が私を選んだのか、怖くて訊けないのに」

「……そうなんだ? とてもそうは思えないけど」

 些か失礼な事を、彼は口走る。

 どうも私にそんな乙女心があるとは、露ほども思っていない様だ、これは。

「でも、良いわ。君の勇気に免じて、今日の所は見逃して上げる。そうね。私がネル君の何処を気に入ったかと言えば、その理由は一つ。たぶん君は私の全てを知っても――私を人間扱いしてくれそうだから」

「……俺が君の全てを、知っても? それってどういう……?」

 だが、私は彼の口に人差し指を添え、ソレ以上の言葉を封じる。

 私は彼と手を繋ぎ、明後日の方へと歩き出した。

「うん。その事は、何時か絶対に話すわ。でも今はこの夢みたいな時間を、二人で楽しく過ごしましょう?」

「……だね」

 遠くで花火が打ちあがる中、私とネル君は行く当ても無くただ歩を進める。

 それは、今の私の心境その物だ。暗い闇のただ中を、私達はただ闇雲に進んでいる。

「ええ。でも、何故か、今は、怖くない」

 何故か涙しそうな心持のまま、私はこの日――彼とのデートを堪能したのだ。


     ◇


 私が目を覚ましたのは、午前七時を回った頃。見慣れぬ天井を一瞥した後、布団をはいで身を起こし、体を伸ばす。

 日々の鍛錬のお蔭で、目が覚めた直後でも私の意識は明瞭だ。このまま大学試験を受けられる位の、覚醒具合と言って良い。ま、今となっては、一生縁が無いシチュエーションだが。

 私は缶詰とペットボトルに入った水を持ち、人の声がする方角へ向かう。既にそこには三人の人物が例のソファーを占領していた。

 その中の一人であるレンカ・リーシェが、私を見るなり顔をしかめる。

「って、ずいぶん早起きね、三人共。特にレンカなんて、お昼ごろまで寝てそうなイメージなのに」

「……うっさいな。こう見えても、俺は料理担当なの。だから、誰よりも早起きしなきゃなんねえんだよ、俺は」

「え? 嘘でしょう? あなた、明らかに塩と醤油を間違えるタイプじゃない?」

「そこはせめて、塩と砂糖と言え! よほどのバカじゃねえ限り、塩と醤油はまちがわねえよ!」

 何だ……このそこはかとなく懐かしいツッコミ力は? まるで、誰かさんを思い出させる。そんな感想を抱いていると、何故かアナスタシヤ・レコッドが俯いた。

「……ごめんなさい。その〝よほどのバカ〟で、ごめんなさい」

 この反応から察するに……どうもアナスタシヤは件の間違いを犯した事があるらしい。或る意味、奇跡だ。アナスタシヤの方が、料理上手なイメージなのに。

 レンカは慌てた様子でアナスタシヤをフォローしながら、私に指をつきつける。

「いや、そうじゃなくて! ああ、もうとにかくおまえが全部悪い!」

 って……そんなこと言われても困るなー。

「いいや、気にしなくて良い。単にアナスタシヤは余りに箱入り娘すぎて、料理が全くできないってだけの話だから」

「ムっ。何よ、ワイズマンたら。私だって、カップラーメン位作れます!」

「そうだな。俺は今、アノ麺の塊をお湯も注がず丸かじりしていた君が凄く懐かしいよ」

「……だ、だからそれは秘密だって言ってるじゃない! ……あ、いえ、嘘よ、嘘! 今のは全部、ワイズマンの冗談だから!」

 そうか……アナスタシヤは、どこぞのお嬢様だった訳か。

 道理で、雰囲気が浮世離れしている筈である。

「つーか、言っとくが、おまえの分の飯なんて用意してねえからな」

「んん? 端的に言い換えるなら〝飢えて死ね!〟という事ね?」

「いや、俺、そこまでは言ってねえよ! ……というか、冗談だ。一応、おまえの分も用意してある。食いたきゃ、勝手に食え」

「何とッ?」

 如何にも面倒くさそうな様子で、レンカは私を睥睨する。

 見れば確かに、テーブルに置かれた料理は五人分あった。

「へー、はー。コレ、皆レンカが作ったんだ? ワイズマンは幸せ者ね。こんな出来た、二号さんが居るんだから」

「……なっ!」

「にごうさん……?」

 意味が通じなかったのか、アナスタシヤとレンカは揃って首を傾げる。

 ただワイズマン・ワースだけが私の肩に手を回し、部屋の隅まで移送した。

「思春期の少女や、世間知らずなお嬢様相手にそういう冗談は止めろ! アレ、絶対本気にするタイプだから!」

「失礼。今後は気を付けるわ。で、レンカは本当にワイズマンの二号さんじゃないの?」

「――断じてない! 君は俺の事を、何だと思っているんだっ?」

 私は微笑み、躊躇なく言い切った。

「それは勿論――私達の頼りがいがあるリーダーよ?」

「……偶に思うんだが、君って本当に性根が腐っているよな?」

 私の心証とは逆に、彼は実に心外な評価を下してくる。

 いや、そろそろ、無駄口は終わりにしよう。

「で、ザボックは? というか彼が就寝中の時も例の『ステルス能力』って使えるの?」

「なぜ――彼が件の能力者だとわかった?」

 と、どうやら私の二択は、正解を引き当てたらしい。

「だってあなた、昨日アナスタシヤに岩製の階段を作らせていたじゃない。となると残りはレンカとザボックだけど、レンカは性格上もっと攻撃的な能力を選びそう。そう考えると後はザボックだけ、という事になるでしょ?」

「……要するに、君はカマをかけた訳か? 俺はそれにハマった、と?」

 けれど私は答えず、ソファーに腰を下ろし、箸をとる。

 無造作に手つかずの料理を口に運び、一気に咀嚼した。

「驚いた、コレ、私の兄と同レベルの腕前よ」

「……は? それって褒めているのか? 貶しているのか? どっちだ?」

「もちろんソレは前者だけど、そっか、レンカは良いお嫁さんになりそうね。フォートレム国は同性婚もありだし、良かったら私と結婚する?」

「……わかった。普段のおまえが、如何にアホなのかわかったから、もう喋るな」

 やはり誰かさんみたいな事を言いながら、レンカはキッチンに足を運ぶ。

 彼女は、更に料理を作り始めていた。

「ああ。アレはザボックの分だよ。どうも寝ている間も能力を使っている為か、やたら食事の量が多いんだ、彼は」

「そうなんだ? 彼が遅くまで寝ているのも、その所為?」

 私の問いにワイズマンは頷き、真顔で問う。

「で、今日の予定なんだが」

「そうね。取り敢えず昨日決めた通り可能な限り仲間を集めるわ。今日の狩りは――その後」

 私の計算では、二十一日目を迎えた現在、残りの人口は三千五百人を切っている。

その最中――私達は一つの賭けに出ようとしていた。


     ◇


 ザボック・コルネリアが起きてきたのは、十時を過ぎた頃。

 私は全員が集まった所で、昨日のおさらいを始めた。

「では改めて今日の計画を確認するわね。基本的には、今まであなた達がしてきた事と一緒。まず二人が探索し、条件通りの集団を見つけたら居残り組に合図を送る。そのあと合流し、全員で彼等と交渉するというのが一連の流れ。それで構わないかしら?」

「……だったら俺も確認しとくけど、その条件ってのは〝子殺しじゃない連中〟って事で良いんだな?」

 レンカの問いに、私は首肯する。

「ええ。その方がまだ、理性的な考え方が出来る人達と思って良い。白旗でも上げれば、此方の話を聞く位の事はしてくれるでしょう」

 尤も、これは全て希望的観測である。〝子殺しじゃない〟=〝良い人〟とは限らないのだから。寧ろ子殺しをする人間の方が、ある意味合理的とさえ言えるだろう。最小のリスクで、最大のメリットを得ている訳だし。

 だがその分、自分達が周囲から色眼鏡で見られている事も自覚している筈。なら、そんな自分達にうまい話を持ちかけ様としている私達を、彼等は余計警戒するのでは? 自分達をハメようとしていると、疑心暗鬼に囚われるのではないだろうか? 

 特に、私達の中には子殺しが居ない。自分達とは毛色が違う以上――彼等の私達に対する警戒心は恐らく殺意さえ伴う。

 だとすると、先ずは子殺しではない集団に接触してみるのが良策ではないか? 逆説、自分達と同じ様に子殺しが居ない私達に対する彼等の警戒心は、若干緩む筈だから。

 四人にそう話してみると、ワイズマンは僅かに思案してから、了承する。

「わかった。その線で行ってみよう。合図を送る作業があるからアナスタシヤはとうぜん捜索組だが、後一人志願者は居るか?」

「それなら、ワイズマンが行けばいいじゃない。偶には婚約者と、二人きりの時間を堪能したら?」

「……いや、それはとんでもなく、余計なお世話だ」

 けど、ザボックやレンカさえこの意見には賛同する。

「そうですね。少なくとも僕はパスですから、後はご勝手にといった所です」

「だな。俺も今日は体調不良だから、パス。悪いけど、ワイズマン、頼むわ」

「オマエ等は……揃いもそろって」

 それで、話は決まった。まるでこの家を追い出される様に、ワイズマンとアナスタシヤは捜索に向かう。後に残った私達三人は、お茶など啜って彼等を見送った。

 と、十分ほど経過した頃、レンカが口を開く。

「そういやおまえ、何時の間にか俺達の事、名前を呼び捨てにしているよな? どこまで馴れ馴れしんだよ。特にワイズマンなんて、おまえより七つも年上なんだぜ。ちょっとは敬意の一つも持ったらどうだ?」

 かく言うレンカも彼を呼び捨てなのだが、これはどう解釈した物だろう?

 やはりレンカは、ワイズマンの二号さんなのか……?

「いえ、これはただの、げんかつぎみたいな物よ。前に、セカンドネームを敬称つきで呼んでいた人が居たんだけどね。その人には、この騒ぎで、先に死なれてしまったから。それ以来、私は他人の事はファーストネームを呼び捨てにするって決めたの」

「……そう、なのか? おまえ、が……?」

 何故か唖然とした様子で、レンカが訊ねてくる。

 私がどう説明するか逡巡していると、ありがたくも彼方から声がかかった。

「それより僕は、シルベリス・シルベリアについて興味がありますね。差し支えが無ければ、聴かせてくれませんか? 僕達の当面の敵が、どんな人物なのか」

「んん? そうね。まず若干、私とキャラが被っている所があるわ。その反面、彼女は私と違い、社交的で快活で気まぐれで底抜けに明るい。イメージ的には、性根がネジ曲がった白ネコって感じかしら? アレで軍人だというのだから、世も末よね」

「要は、それほど悪い人間ではない?」

 ザボックが怪訝な様子で問い掛けると、私はハッキリ断言した。

「いえ、言ったでしょう。私と若干キャラが被っているって。つまりはそういう事で、一度敵と認識した人間は、彼女も躊躇なく殺す。特に自分の美学に反する人間に対しては、酷薄なタイプよ、彼女は。ただ、彼女には悪癖があってね。自分が不利な状況を作った上で、勝負を挑んでくる場合があるの。そのクセ、そういう状況の方が、彼女は圧倒的に強い。少なくとも私が知る限り――稽古以外でシルベリスが負けた所は見た事がないわ」

「……成る程」

 いや、余り彼女の事も口にしたくないのだが、今はそうも言っていられない。何故なら、昨日のアレを見て、私もワイズマン達に警戒されている可能性があるから。

 ならこうしてシルベリスの脅威を強調する事で、私の必要性を確保できた筈。今の所は四人がかりで、私を吊し上げる事はしないだろう。

 事態が動いたのは、そんな事を考えていた時。例によって床が突起し、アナスタシヤが私達に合図を送ってくる。コレを見て私は立ち上がり、ザボック達に告げた。

「では、手筈通りに。そういう事で――構わないわね?」

「了解です。尤も、全ては君の交渉力にかかっているのですが」

 話は、決まった。

 私達もワイズマン達の後を追い――この隠れ家を後にしたのだ。


     ◇


 私達がワイズマン達と合流したのは、二十分ほど経った頃。

 これまた例によってワイズマン達はうつ伏せで、崖の下に居る標的を監視している。私達三人も匍匐前進して二人に近づき、眼下の彼等に目を向けた。

 人数は――六人。女性が三人、男性が三人。リーダーは、多分あの長身の男性。

「と、子殺しは一人として居ないか。一月一日は皆、軍人同士で殺し合った様ね」

「みたいだな。で、どう攻める? 先ずは本当に白旗でも用意するか? って――オイッ?」

 が、ワイズマンの制止をスルーして私は立ち上がり、今日も昨日の様に崖下へ飛び降りる。それに気付いた軍人さん達は、一斉に銃を私に突きつけるがまだ発砲はしてこない。

 やはり私を囮と思っているのか、周囲に注意を向けながらも淡々とした視線を私に向けた。

「大丈夫。私達にあなた達を害する意思はないわ。そうよね、リーダー?」

「……ま、そういう事だな」

 何故か渋い顔をしながら、ワイズマンも起き上がりアナスタシヤに指示を出す。

 昨日の様に崖の側面には階段が出来て、ソレを使い四人は崖下まで降りてくる。

「ええ。〝ルール〟に誓うわ。『私の仲間はこれで全員』よ」

 私が彼等に確かな情報を提供すると、リーダーと思しき男性は此方の意図を読み取る。

「つまり、君達の目的は狩りではない、と? 我々と、何らかの交渉がしたいという事か?」

「正解。話が早くて助かるわ。時に、話は少し変わるのだけど――あなた達はなぜ人は人を殺してはいけないと思う?」

 だが、まだ名も知らぬ彼はバッサリ言い捨てる。

「――愚問だな。俺達軍人にそんな稚拙な質問など、無意味だ」

「わかった、良いわ。では、さっそく本題に入ろうかしら。単刀直入に言うけど、私達と手を組まない?」

「君達と手を? それは君達のグループを俺達の組織に吸収して欲しい、という事?」

「いえ、そうではなくこれからやって来るであろう共通の敵と一緒に戦おうと言っているの」

「共通の、敵? それは、君達の能力に関係ある話か?」

「ええ。私達の仲間には、未来視めいた術が使える人が居てね。その人によると近い内にシルベリス・シルベリアという軍人が敵として現れる、と言うの。その彼女達が、また強くてね。私達だけでは、とても手におえそうにない。いえ、失礼かもしれないけど、あなた達でもそれは同じだと思う。そこで私は幾つかの有力なグループと同盟を結び、彼女達に対抗する事にしたの。その手始めが、あなた達という訳」

「……シルベリス・シルベリア?」

 リーダーと思わられる男性が、彼女の名を呟きながら、仲間に視線を送る。

 けれど彼等は首を横に振るだけで、それ以上の反応は今の所ない。

「どうやら、それほど知名度は高くない様ね、シルベリスは。関わる人間全てを皆殺しにしているから、噂にさえならないからかしら? でも、断言しておく。シルベリス・シルベリアは――必ず私達の障害になる。今のウチに手を組んで潰した方が、お互いの為よ」

 リーダーらしき男性が失笑したのは、その時だ。

「話を聴く限りだと、君はそのシルベリスとやらを良く知っているようだな? つまり、その提案は私怨も含でいるのでは? 君がその女に恨みがあるから、俺達を利用してそいつを殺したいだけじゃないのか?」 

 それも正解。さすが軍属。早くも見抜かれたか。確かに私は、シルベリスを憎んでいるのだろう。 

 そんな資格など、疾うに失われているというのに。

「そうね。否定はしない。でも、だからこそ彼女の危険性を私達は誰よりも知っている。彼女を倒す事こそが、私達の使命である事も熟知しているの。その証拠に――私達は今からある事を〝ルール〟に誓う。代りあなた達にも約束してもらうわ。『あなた達の誰かが最後まで残ったら、必ず全人類を蘇生させる』と」

「……ある事を〝ルール〟に? まさか、君達は――っ?」

「ええ。『この一件が済んだら――私達は無条件であなた達に命を差し出す』わ。そう〝ルール〟に誓う」

「な……ッ? 正気か、君達はっ?」

 件の男性が――初めて表情を変える。

 彼はまるでありえない物を見る様な目で――私達を見た。

「ああ。『俺も彼女に同意する』」

「『私も同じく』」

「『俺も同じだ』」

「『僕もそうします』」

「……なッ、は!」

「そう。それだけ私達のシルベリスに対する憎しみは深い、という事。皆、討死覚悟でこの件に臨んでいる。あなた達にも――この覚悟が少しでも伝わればいいのだけど?」

 私が真顔で謳うと、リーダーの男性は愕然としながら問うた。

「それ程までに、シルベリスというのは、危険だと……?」

「ええ。例えば、こんな事が出来る程度には」

 私は右手を振りかぶり、ソレを地面に叩きつける。

 直後――地面には直径五メートル以上のクレーターが出現していた。

 これを見て、更に目前の集団は色めき立つ。

「……冗談、だろ! まさか、それが君の能力かっ?」

「いえ、これはただの体術よ。ついでにいえば――シルベリスも同程度の事が出来る」

「まさ……か」

「それで、答えは? 悪いけど時間が無いから、この場で即決して」

 私が促すと、彼等は未だ動揺しながらも返答する。

「……わ、わかった。五分、時間をくれ」

 彼等は私達を警戒しながらも、話し合いを始める。

 そこは軍人というべきか、彼等は律儀にも時間内に話を纏めていた。

「了解した。俺達も君達に協力しよう。但し――俺達がするのは援護だけだ。シルベリスの部下は俺達が抑えるから、シルベリスは君達が始末してくれ」

 成る程。厄介な敵は潰しておきたいが、その反面、可能な限りリスクは避けたい。シルベリスには同レベルの私をぶつけ、様子を見るというのが彼等の狙いか。

 考え方としては、想定通り妥当な線だ。

「ま、良いでしょう。私達もできれば、自分の手で彼女は殺したいと思っているし。ああ、後もう一つだけ。私達はこれから後三つのグループに声をかけるつもりだけど、例の事は彼等には秘密にして。あなた達だけに『命を差し出す』なんて知られたら、それこそ結束が揺らぐ。あなた達だけ贔屓をしたなんて知られたら、この同盟はその時点で破綻するから」

 核心となる部分に釘を刺すと、彼等は半ば呆れている様な反応をする。

「了解した。……しかし君達は本当に果断だな。命を懸けて、復讐をなそうとするとは」

「そうね。でも子殺しじゃないあなた達を見て、直感したの。あなた達なら、私達の命を捧げるだけの価値があると。きっと私達の願いを叶え、私達を生き返らせてくれると私は確信した。じゃあ、今日の午後五時にまたここに集合という事で」

 交渉は、終わった。

 私は早々にこの場から離れる為、踵を返す。

 ワイズマン達も私を追い――かくして一つ目のグループの懐柔は成功したのだ。

 で、彼等から一キロは離れた所で、ワイズマンが嘆息する。

「……どうやら上手くいった様だな。しかし何だな。君は本当に悪知恵……いや、頭が働く」

「ありがとう。素直に、褒め言葉と解釈しておくわ」

 ぶっちゃけてしまえば、私達はもちろん彼等に命を差し出す気は無い。〝ルール〟に誓ったにもかかわらず。いや、〝ルール〟が絶対的な物だからこそ、この手品は成立した。

 私達がした事は、一つだけ。

 それは――先に『これ以上〝ルール〟を増やせない』と〝ルール〟に誓ったのだ。

 私達は昨日の時点で、先んじて――そう言った〝ルール〟を設定しておいた。

 その上で『あなた達に命を差し出す』と申し出て〝ルール〟の設定自体を無効化した。〝ルール〟をこれ以上増やせない私達にはとうぜん件の〝ルール〟も追加できないから。平たく言えば、私達は命を捨てる気など毛頭ないのだ。

 代りに……〝ルール〟を追加して能力を高めるという手段もとれなくなったが。

「……けど、そこまでする意味があるか? 単におまえのバカ力さえ見せつければ、あいつ等もシルベリスをヤバイと感じるんじゃ?」

「いえ、その場合、何の担保も無いから土壇場で裏切られる可能性がある。私の事も脅威だと感じて、シルベリスと戦っている間に後ろから刺される事もあるかも。そうやって、途中で裏切られるのが一番困るのよ。アレはソレを防ぐ為の、言わば保健ね。……と、悪いけど休んではいられないわよ。私達は今日だけで、これを後三回くり返すんだから」

「……ウゲ。マジかよ。さっきのだけで、俺、胃がキリキリしていたのに」

 が、そんなレンカの弱気は、無視。

 私はさっそく次の標的を見つけ出す様、ワイズマン達を促した。


     5


 私達の長い一日が終盤を迎えたのは、それから六時間ほど経った頃。この間に私達は予定通り、アレから三つのグループと同盟を結んだ。

 その手段は、当然『命を差し出す』という事を条件にした物。ぶっちゃけ、ソレが最も手っ取り早く、私達を信用させる方法だから。

 けど、もちろん全てのグループに、その事は秘密にさせている。彼等が各々のグループにどう説得されたか訊かれても、その事は話すまい。

 なら、問題はない。私達は『命を差し出す』という条件を、四つの組織に申し出たという矛盾を悟られずにすむ。まさか四グループが四グループ共、私達が『命を差し出す』と誓っているとは思うまい。

「確かにそこら辺は君の言う通りだろう。だがシルベリスを倒した後は、どうする気なんだ? 彼等は当然の様に、俺達を殺しに来る筈だが? しかも――総勢二十一人も」

「え? それは勿論――バックレるつもりだけど?」

 私がキッパリ断言すると、何故かワイズマンは苦笑いする。

「……そうか。バックレるつもりなのか」 

 というか何だ、その計画倒産を目論む詐欺師を見る様な目は? 

「ええ。それは今日も私一人に、狩りをさせた人達の目じゃない気がする」

「気の所為だ。俺達は君のサービス精神に、心から感謝している」

 ま、良いか。今日は皆、本当に良くやってくれた。その苦労を労う為にも、これ位の気配りは許容範囲だろう。現時点で、裏切られても困るし。

「……つーか、これからまたグループ同士で集まるんだろ? なのに、先に狩をすませちまって良いのか? もし裏切り者が出たら、そいつを殺せない俺達はかなり困った事になるぜ?」

「そうね。でも、ここは敢えてその事を公にする。その上で、彼等がどう動くか拝見させてもらうわ。仮にこの時点で裏切り者が出たら、そもそもこの同盟自体立ち行かないもの」

「成る程。で、裏切り者がでたら、その時点で僕達はバックレると?」

 ザボックの問いかけに、私は躊躇なく頷く。

「そういう事。その場合また一から組織を組み立てなくてはならなくなるけど、それも仕方ないわね。今日の時点で裏切り者が出るなら、それは私の人を見る目が無かったという事だし」

 よって午後四時半を回った時点で――私達は予定通り例の合流場所に向かった。


     ◇


 私達が件の地点に辿りついた頃には、既に三つのグループが集まっていた。彼等は他のグループとは微妙な距離をとって、それ以上近づかない。世間話もしなければ、反対にケンカ腰になる事も無かった。

 後はそんな彼等に月並みな挨拶をすれば、今日の仕事は終わる。

 いや、できれば今日の内に、彼等の中にシルベリスの居場所を感知できる能力者が居るか確認したい。彼等に『命を差し出す』と誓っている私達になら、彼等もその辺りの事を話してくれるだろう。

 と――そう構想を巡らせているとき私はある事に気付く。

「……んん?」

 何という事も無い。私は何時になく妙な感覚に囚われたのだ。靴越しに伝わってくるこの感覚が何か知りたくて、私は片膝を地面につける。

 肌が露出した右手も地につけ――意識を集中する。

 気が付けば――私は自分でも意味不明な事を叫んでいた。

「皆――散開っ! 一刻もはやくこの場から逃げて……ッ!」

 それより先は、流石は軍人と言えた。彼等は理由さえ訊かず、私の指示に従う。彼等は別方向へと駆け出し、この場を離れようとする。

 その一人が私の横を通り抜け、そのまぎわ彼女は私に問うた。

「後で訳を、訊かせてもらうわよ?」

「………」

 が……そう言われても答えに窮する。果たしてどう説明した物か……?

 まさかこの場に――人間じゃない何かが近づいているなんて話、彼等は信じてくれる? 

 そう悩みながら、私は背後へ目を向ける。其処には、未だにワイズマン達の姿があった。

「――何をしているのっ? あなた達も今すぐ逃げて!」

「……へ? は? まさか、マジで言ってんの?」

 私の焦燥した様子を見て、レンカがギョっとする。

 同時に――私は遠方に人影があるのを確認する。

「……まさかシルベリスっ? いえ――違う」

 あの時会った彼女からは、こんな力は感じなかった。

 これはもっと濃厚で精練とした――ナニカ。

 聖邪が入り交じった――身震いがするほどの、凶兆。

 事実、次の瞬間、状況が変わる。

 ここから二百メートルは離れている、背に無数の棺桶を引きずるナニカが動く。

 彼はノーモーションで地を蹴り、あろう事か、三百メートルは飛び上がる。

「なっ、は――ッ?」

 そして全力でこの場を離れようとしていた、私達は見た。一瞬にして、自分達の目の前に回り込んできた黒髪の男を。

 正に、練磨の結晶とも言える、肉体。

 黒く長い髪は乱雑に伸びており、その双眸は死神より無機質だ。

 端正なその顔立ちが、逆に危険な物を感じさせる。

 胸の所にベルトが絞められ、そこにロープが繋がって例の棺桶が結ばれている。

 数にして、ざっと五十はあるだろう。

 いや……問題はそんな事ではない。彼は即座に瞳を左右に動かし、全ての人間の位置関係を把握する。彼は瞬時に動き、五メートルの所に居た女性に蹴りを入れる。

「ぎ……っ?」

 彼は彼女を、右方二十メートル先に居た男性にぶつける。彼は一人倒すだけで、同時に二人の人間を倒していた。

 後はもう、その繰り返しだ。彼は身近な人間を弾丸にして撃ち出し、それを別の人間にぶつけて、二人とも昏倒させる。

 軍人である彼等も、何らかの能力を以てこれに対抗しようとするが、余りにも初速が違う。彼等が一動作行う間に、彼は十動作以上動き、能力を使わせる間さえ与えない。

 正に――桁違い。

 どこまでも――ハイスペック。

 余りにも――正体不明。

 そう驚愕している最中――私はワイズマンの言葉を思い出す。

〝有力なのは――黒髪の男〟

「……まさか、アレがっ?」

 失策だった。甘く見ていた。たった一人の人間が有力な存在と聴いた時点で、こういった事態も想定しておくべきだった。

 つまりはそういう事で、アレは――〝そういう規格外の存在〟なのだ。

「……このままだと、全滅する? いえ、間違いなく全滅するでしょう、ね」

 突然現れた、たった一人の何の戦略も持たない人間に、軍属である彼等が全滅させられる。私達が一日かけて集めた、シルベリスに対抗する為の戦力が、たった一人の男の手によって皆殺しにされる。

 ソレは悲劇を通り越して――喜劇にさえ至る状況だ。

「って――まだ居たのッ? さっさと逃げてと、言っているでしょうっ?」

「……いや、待て。要するに、君は彼等を見捨てるつもりか?」

 ああ……ここで一番口にしてはいけない事は決まっている。〝所詮、利害が一致したから手を組んだ人達だもの。何か問題が?〟なんだろうな。

 それはつまり、状況次第では、ワイズマン達も見捨てると同義だ。なら、そう口にした時点で私達の人間関係も破綻する。

 だが、かといって、この場にワイズマン達が残る意味も無い。

「……大丈夫。私が可能な限り、時間を稼ぐから。ワイズマン達は、その間に出来るだけ多くの人達を連れて逃げて――!」

 が、そう言い掛けた時、三百メートルは遠方に居た彼が一瞬にしてこの場に現れる。

 彼はレンカに向かって――その拳を突き出す。

「……はぁっ? ひッ!」

「ぐッ! がぁッ!」

 いや、気が付けば、私は右手を伸ばしてその突きを受け止めていた。

 確実に骨がひび割れる中、私の右手は無意識に、レンカの頭部を守ったのだ。

「いいから急いでッ!」

 その直後――彼が颶風を帯びた蹴りを入れてくる。ソレを私は必死に避け、何とか体勢を立て直す。そのまま私は彼の腹に拳を叩きこもうとするが、アッサリと躱される。

 ただソレを見て、彼は物珍しそうに呟いた。

「ほう? まだ同族が残っていた、か」

「……同族? まさか、あなたは――?」

 明らかに母や父や兄やシルベリスよりも、戦闘力は上。

 もしそんな人間が、この世に居るとすれば、答えは一つしかない。

「……まさか、あなた――ゾファー・アレクラム?」

「フっ」

 が、答えはない。彼はやはり表情一つ変えずに、私の顔面目がけて拳を放つ。それを死ぬ物狂いで避け、私も蹴りを放ち応戦する。

 というか……駄目だ、コレ。明らかに打ち所が悪ければ、一撃で死ぬレベルの攻撃。

〝私の全力=彼にとってはジャブ〟というのが現状である。

 故に、私はまたも叫ばざるを得ない。

「……急いでっ! 後一分ももたないッ!」

 ああ、認めよう。

 今、私の目の前に居る彼は――最強だ。

 私が知る限り――最強の戦闘能力を有した人類がココにいる。

 遂に私の体に彼の拳が命中する中、私はただそう理解する他ない。たった一撃食らっただけでガードした両腕が軋む私は、そう痛感するしかなかった。

 そんな最中、彼は無造作に、近くで倒れていた人間を棺桶の中に放り込む。

 まだ息がある彼女を、何の躊躇も無く彼は棺桶に納めていた。

「……って、まさかそういう能力っ?」

「ほう――一瞬で理解したか。若さの割に悪くない見識だ。なら、其方が能力を使えば俺がどう動くかも見当がつくだろう?」

「……つッ!」

 余りにも不条理な……力の差。どこまでも理不尽な……レベルの違い。

 ああ、そうか。今まで私に倒されてきた軍人は皆、こんな気分だったのか。

 今頃そう実感しながら、私は自分達に勝機が無い事も直感する。私が力尽きた頃でも、まだワイズマン達は彼の射程距離に居るだろう。

 このままでは――本当に全滅する。

「な……ッ?」

 その瞬間――またも事態が動く。

 突如として――私の前に巨大な岩の壁がそそり立ったのだ。

 ソレは全長二十メートルにも及び、私と彼を分断する。私が咄嗟に後退すると、壁は無数に張り巡らされていく。この能力はもしやと思った時には、彼女は叫んでいた。

「――大丈夫! 彼は私が足止めするから、皆は逃げて!」

「アナスタシヤ――っ?」

「……なッッ? バカを言うなっっ! 君を置いていける訳がないだろうッッッ?」

 ワイズマンが、絶叫する。ソレを彼女は笑みさえ浮かべ、否定した。

「いえ、今わかったの。ここで足止めする役目を負うのは、私がベストだって。ナオンちゃんは、彼女達を説得しなくてはいけない。ワイズマンは、彼女達の位置を教える役目がある。そして、私はこの作戦さえ上手くいけば殺される事はない。でしょ――ナオンちゃん?」

「……ああ」

 どうやら私は、彼女を見くびっていた様だ。まさかここまで、思慮深い女性だったとは。

 そう納得した時には、私の突きは、ワイズマンの腹に炸裂していた。

「なぁっ、はぁ――ッ?」

 意識を失った彼を肩に担ぎ、私はレンカ達に告げる。

「――ここは逃げるわよ、レンカ、ザボック。その代り、もう〝ルール〟には誓えないけど私の命を以て約束する。アナスタシヤは――後で必ず私達が助けるわ」

「……け、けどっ!」

「いえ、行きましょう、レンカ! 今こそ、アレクラム君を信じる時です……!」

「……わ、わかった! で、でも、許さねえぞ! もしアナスタシヤになんかあったら、俺は絶対おまえの事を、許さねえからな!」

 叫びつつ、レンカはザボックを伴い、明後日の方角に駆け出す。

 私は一度だけアナスタシヤの後ろ姿を見つめた後、全力で彼女達の後を追った。

 ナオン・アレクラムは、生まれて初めて、敵から逃げ出したのだ―――。


     ◇


 ……いや。逃げている途中で私がレンカ達を抱えた方が、速やかに離脱できると気付いた。故に、私は(二人ともかなり厭そうな顔をしていたが)両脇に彼女達を抱え、全力疾走する。安全圏と思しき場所まで到達したのは、それから一時間ほど経ってから。

 可能な限り足跡を残さずあの場を離れた私は、思わずへたり込みそうになる。その誘惑を堪え、私はザボック達を地面に下ろし、ワイズマンに活を入れる。

 それだけで――彼の意識は事もなく覚醒していた。

 彼は五秒ほど微睡んだ後、急に意識を明瞭にし、周囲を見渡す。……だが、其処に彼が探し求めている人物は、居なかった。

 彼は当然の様に、私の胸ぐらを掴む。

「なぜ逃げたぁっ? アナスタシヤを見捨ててぇッッ! やはり俺達はおまえにとってその程度の存在なのかぁあああ―――っ?」

 彼の怒声を、私は正面から受け止めるしかない。 

「ええ。悪かった。あなたの怒りは、正当な物よ。でも、大丈夫。アナスタシヤは――まだ殺されないから」

 きっぱり断言すると、ワイズマンは唖然とした後、僅かに落ち着いた様に見えた。

「……な、なんだと? なぜ、そう言い切れる……?」

「それは私の注意を引く為にも、彼は必ず彼女を人質にするから。なら、彼さえ倒せばアナスタシヤは奪還可能と言う事。改めて、この命を以て誓うわ。アナスタシヤは――絶対に私達が助け出す」

「……ほ、本気、か?」

「勿論。少し戦った事で、彼は私に興味を持ったはず。間違いなく、彼は私達を追跡してくるわ。そして――彼は決して逃げない。例えどんな状況であろうとも。自分こそが最強の人類である事を、証明する為に。……戦ってみてわかった。アレは、そういった類の人間よ。私達は――それを逆手にとる。このまま――ラジャンの集団が居る方向に進路を取り、ラジャンを彼との抗争に巻き込む。彼等の力を借りて――私達は彼を打破するの。その為にも、ワイズマンには能力を使ってもらう必要があるわ。私が指一本を差し出すからそれで頼める?」

 が、彼は首を横に振った。

「……いや、そんな物はいらない。アナスタシヤを助ける為なら、何でもする。……ああ、そういう事か。要するにアナスタシヤは、君にラジャンの女王を説得させるつもりだったと? 俺はそのラジャンの居場所を、能力を使って探らせるつもりだった訳か?」

「そういう事ね。アレだけの修羅場で咄嗟にそこまで計算できるのだから、あなたの婚約者は大した玉だわ」

「だな。やはりアナスタシヤは、俺の自慢の彼女だよ」

 笑みを浮かべ、臆面もなく、ワイズマンは言い切る。

 思わず苦笑いしてから真顔になり、私はその先に進んだ。

「悪い。結局、私はあなたに能力を使わせるハメになった。これじゃ、私が雇われた意味がないわ」

「いや、その話は止めよう。今はラジャンの居場所を特定するのが、先だ。……と、『距離はわからないが、このまま真っ直ぐ南西の方角に居る』らしい」

 距離はわからない……か。だとしたら、下手をすると、フォートレムから相当離れた位置に居る可能性もある。

 その移動の間、私達は彼に捕まらない様にしながら、彼を此方に誘導しなければならない。それは凡そ、神技めいた真似と言えた。ソレ程までに、彼の力は常軌を逸しているから。

 そう悲観的な事を考えつつも――私達四人は速やかに南西の方角へ向かった。


     ◇


 その道中、ワイズマンは眉をひそめながら確認してくる。

「……さっきの話の続きだが、つまり君一人ではあいつを倒せない、と?」

「ええ。仮にアレが彼の全力なら、勝負はわからない。でも恐らく彼はまだ本気じゃないわ。彼は多分だけど――捕えた人間の活動エネルギーさえ自分の物に出来るから」

「……捕えた、人間?」

「ええ。彼は、無数の棺桶を引きづっていたでしょう? アノ中に倒した人間を入れ、封じるのが恐らく彼の能力。……成る程、考えた物だわ。確かにアレなら複数の人間を捕え、一日経つ度に一人ずつ殺す事が出来る。仮にその日に獲物を発見できなくとも、棺桶に居る人間を殺せば、その場はしのげるわ」

「つまり、アナスタシヤも今はその棺桶に囚われている、と……?」

 喉から絞り出すような声で、ワイズマンが問う。私はただ、頷くしかない。

「……恐らくね。私が能力を発動させる気配を察すれば、迷わず彼もその力を使ってきたでしょう。さっきも言った通り――捕えた人間のエネルギーを全開放してくる筈。そうなれば勝ち目はほぼ無くなる」

「……待て。捕えた人間の活動エネルギーを、自分の物に出来るだと? そんなの、ほとんど無敵って事じゃないか……?」

「いえ、そうでもない。前にも話した通り、この力は肉体強度を上回る力は練りだせないの。その限界を超越した力を集中させると、肉体自体が破壊されるから。故に――彼は私を上回るかもしれないけど、決して無限の力を誇っている訳じゃない。そう言った意味では、まだつけこむ余地はあると思う」

 ここまで話した時、ワイズマンは項垂れる様に頭を下げた。

「……そうか。いや、さっきは悪かった。君が居なかったら、俺達は間違いなく全滅していただろう。俺は自分の無力さを認められず、ただ全てを君の所為にしていた。俺がリーダーだったら、アナスタシヤを救う為の布石さえ、担えなかったのに」

「私も似たような物よ。結局は他人頼みなのだから。とにかく今はなんとしても、ラジャンの人達を説得するしかない」

「その話だが、シルベリスにぶつける、というのは駄目なのか? 仮に潰し合わせるのが目的なら、君にとっても得策だと思うが?」

「ええ。そこら辺は微妙ね。何せ、彼女は私に恨まれている事を知っている。その上で私と手を組むとは、まあ、思えないわ」

 いや、もしかすればあの彼女の事だから、それでも私と手を組みたがるかもしれない。

「でも、兄なら間違いなく私を利用する事を選ぶ。例え事後に、殺し合う事になるとわかっていても。更に言えば、これは私の希望的観測なのだけど」

「……何だ?」

「恐らく、恐らくだけど、私と同格の能力者は兄だけじゃない。たぶん、女王も私達兄妹と同じ力を使える筈よ。兄なら間違いなく女王の身を案じて、この力を伝授している筈だから」

「……女王も? なら、ラジャンとの交渉が上手く行けば、俺達は君レベルの人間三人を味方に出来ると? ……だが、君は前にラジャンと対等な同盟関係を結ぶのは、難しいと言っていた筈だが?」

「いえ、多分それも大丈夫」

 既に状況は、昨日までと一変しているから。恐らくシルベリス達だけが相手なら、兄は私達に相当な要求をつきつけただろう。

 だが――あの彼の出現によって事態は深刻になった。あれは間違いなく、私達が同盟を結ばなければ倒せないレベルの相手。断言するが、彼はそれだけの脅威と言って良い。兄や女王にその事を納得させる事ができれば、私達は対等の立場で同盟を結べる筈。

 問題があるとすれば……あの捻くれた兄が素直に私の言う事を信じるかという事。

「……ちょっと待て。仮にアナスタシヤが棺桶に囚われた状態だと、不味いんじゃ? アナスタシヤは『一日に一人殺す』、という〝ルール〟を守れねえんだから……」

「いえ、その心配もないと思う。恐らく『彼女は今、彼の一部と化している』から。なら『彼が人を殺す度に、アナスタシヤも人を殺した』という事になる筈よ。でなければ、彼が棺桶に獲物を封じるメリットは無くなる。なので、そこら辺の心配は要らない」

「……前から思っていたけど、おまえって本当、そういう事には気が回るよな?」

 が、今の私は、レンカの軽口に答える余裕はなかった。私の頭の中は今、如何にしてラジャンとの交渉を成功させるかで、一杯だったから。

 そんな最中、余りにも劇的な幸運が舞い込んできた。

 まだ私達は、五十キロも歩を進めていない。だと言うのに――森の中を行く私達の前には野営をしている集団が居る。

 テントの数は、五つ。しかも夜警をしている誰もが、まだ私達に気付いていない。

 だったら、私がするべき事は決まっている。

「ええ。これでほぼ確定ね。いま最も生き残りが多いのは――ここフォートレム。彼等は最近この国に飛ばされてきたに違いないわ」

 きっと……あの彼もそう言った感じなのだろう。そう言った意味では幸と不幸が、同時に転がり込んできた様な物だ、コレは。

「要するに、アレが?」

「うん。ほぼ間違いなく――ラジャン国の一団よ」

 よって私達四人はその場に屈み――身を潜ませたのだ。


     ◇


 自分を落ち着かせる様に、私は大きく息を吐き出す。

 後ろを振り返り、私は彼等に告げた。

「と言う訳で、さっそく交渉に行ってくる。悪いのだけど、皆はその間ここに居て」

「……それは下手をすると交渉が決裂し、僕達の身が危険に晒されるから?」

「それもある。でもそれ以上に、私としてはあなた達というカードは伏せておきたいの。特にあの兄には〝仲間を助けたいから力を借りたい〟と知られたくないのよ。やつはそういう弱みに、平気でつけこんでくるタイプだから」

「わかった。ここまで来た以上、俺は君の言う事に従う。だが忘れないでくれ。俺はアナスタシヤを助ける為なら、何でもする気だと。命だって捨てる覚悟は、既に出来ている」

「ええ。覚えておくわ。一応、ね」

 ここまで話し終えてから私は立ち上がり、警護をしている人間に身を晒す。

 因みに時刻は既に午前零時を過ぎている。この時点で、私達は誰かを殺せる状態になった。なら当然、警護兵を殺害して、あのテントに押し入る事も可能だ。

「はぁい。夜分遅くごめんなさい。一寸良いかしら?」

 けど、勿論、今はそんな真似はしない。こちらからケンカを売る様な真似は、まだ。

 故に私は最大限、愛想よく挨拶をして彼等に近づく。

 けれど警護の二人は――当然の様に私に銃を突きつけてきた。

 ならばとばかりに、私は両手を上げて対応する。

「〝ルール〟に誓うわ。『私は危害を受けない限り、あなた達を害する気は無い』と。

『寧ろ私は、あなた達と交渉しに来たの、ラジャンの皆さん』」

「……交渉? 悪いが今の所間に合っている。後三秒以内にこの場を去れば見逃しても良いがどうする?」

「そうね。ではこうするわ。デェオン・アレクラムに伝えて。〝可愛い妹が会いに来た〟と」

 途端、彼等がお化けでも見る様な目で、私を見た。

「……アレクラム隊長の、妹? おまえ……いや、君が?」

「ええ、はじめまして。ナオン・アレクラムって言うの。兄が何時もお世話になっています」

「……わかった。取り次いでみよう」

 警護官の一人が、一際大きなテントに向かう。彼が戻ってきたのは、それから約五分後。彼は何故か私に対して、哀れむ様な視線を向けた。

「えっと。非常に言い辛いのだが〝可愛い妹? ヤクでもキメてんのか?〟だそうだ」

「……それで私と会うの、会わないの、ドッチ?」

「……ああ。〝全裸になって四つ這いで此処までくれば、会っても良い〟との事だが」

 瞬間……私は〝力〟を僅かに両足へ集中させる。その脚力を以てこの場から離脱し、件のテントに向かった。

 この動きに対応できなかった彼等は私を見失い、私はテントへと辿り着く。

 さっさと中に入り、私は偉そうに椅子に腰かけているその全身黒タイツ男に接触した。

「暫くだったわね――兄さん。元気そうで、残念だわ」

「おまえも――相変わらず女性ホルモン、足りてねえな。そんなんだから、俺の冗談を真に受けちまうんだよ」

 互に罵り合いながら、私達アレクラム兄妹は二年ぶりの再会を果たしたのだ―――。


     ◇


 周囲には、三人の従者。目の前には女王の玉座と思しき物に座する、黒髪短髪の男。

 それは紛れもなく私の兄――デェオン・アレクラムなのだが、私は首を傾げる。

「……って、どういう事? 玉座に座っていると言う事は、まさか兄さんが女王を殺して彼女の立場を簒奪した?」

「だとしたら?」

 笑みを浮かべながら……当然の様に兄は告げる。

 私は額に手をやりながら、本気で呆れた。

「……まさか、自分が生き残る為にそこまでするとはね。どうやら私は、兄さんの事を過小評価していたみたいだわ」

 その時、先ほど私をとりなしてくれた兵士がこのテントに入ってくる。

「アレクラム隊長、御無事ですかっ?」

「ああ。問題ない。職務御苦労。こいつの相手は俺がするから、オマエ達は持ち場に戻れ」

「は!」

 事もなく兄は兵士を下がらせようとし、兵士達も当たり前の様に従う。

 ついで、兄は一つの疑問を口にした。

「で、なんでおまえはそんな〝力〟を発している? それだとまるで、誰かをこの場所に誘導している様に思えるんだがな?」

「まさか。この程度の〝力〟を感じ取れる人間なんて、居る訳ないじゃない。母さんや父さんだって無理よ、そんなの」

「フーン」

「で、さっそく本題なのだけど」

 が、口を開きかけた瞬間、私は唐突にある事に思い至る。

 彼がとりそうな、ある戦術に私は今になって気付く。

 これが事実だとしたら、アナスタシヤの事を兄達に秘密にするのは、逆に不味い。アナスタシヤの事を話しておかないと、彼女の命が危うくなる。

 故に……私は覚悟を決めながら話を続けた。

「昨日の話よ。実は――化物に会った」

「化物? なんだ? 鏡でも見たか?」

「………」

 私は懐から拳銃をとり出し、躊躇なく兄に向って発砲する。兄は首を傾げるだけで、ソレを躱す。 

 お蔭で今度は、野営場の兵士全員がこのテントに集まってきた。

「アレクラム隊長っ? 今の銃声はッ?」

「だから、問題ねえよ。例えこのテントが爆発しても、こいつは俺が責任を以て相手をするからもう気にするな」

「……はぁ」

 釈然としない様子ながら、やはり兵士達は兄の言葉に従う。どうも兄は彼等にかなり信頼されているらしい。女王殺しの癖に。

「というか、今度つまらない事を口にしたら、本気で殺すわよ?」

「何時になく、気が短いな。そんなに、仲間の身が心配か?」

「何故――ソレを?」

「フーン。やっぱり、か。しかし、個人主義のおまえが仲間とはね。お袋や親父が聞いたら、どう思うかな?」

「質問の答えに、なってないわね」

 些か目を怒らせながら、問い詰める。兄はやはりマイペースな様子で、私を眺めた。

「別に。今のは単なるカマだ。仮にシルベリスが生きていて、徒党を組んでいるとしたらおまえもそれに倣うっていう。もしおまえが言う化物に、その仲間が捕えられているならおまえの焦燥も納得がいく。……いや、そうでもないか。おまえが他人の心配をするとかまずありえねえし」

 頬杖をつきながら、兄は偉そうに謳う。

 私は思わず嘆息しながら、その推理の穴をつく。

「なぜシルベリスが生きている事と、私が徒党を組む事が繋がるの? 意味がまるでわからないのだけど?」

「んん? だってあいつ、毎日の様におまえに構って欲しがっていたじゃん。だとしたらおまえの気を引く為に、俺達の両親を殺す位の事はするだろう? ソレを知ったおまえは二人の仇をとる為、仲間を集う。こんなの頭を少しひねれば、誰でもわかりそうな事だ。……にしてもそうか。お袋も親父も死んだか。ロクな死に方はしないと思っていたが、まさか弟子に殺されるとは、な」

「……そうね。私も直接確認した訳ではない。でも、父も母も、予め決めていた合流場所には結局現れなかった。なら、命を落としたと判断するのが、妥当だと思う」

「で、奇特にもおまえは、あの殺戮者達の仇を討つつもりだと?」

 兄の言い分に、私は眉をひそめた。

「それは確かに護衛官の兄さんと違って、あの二人は沢山の人を殺めてきたわ。それが、殺し屋の務めだから。でも、それでも――あの人達はやっぱり私達の両親なのよ」

「かもな。故におまえが何をしようと、どうこう言うつもりはない。シルベリスや、その化物とやらを殺すつもりだろうがな。だが――その争いに俺を巻き込むつもりというのはどうなんだろうな? それで、俺になにか利があると?」

「……急に頭が悪くなったわね。そんなの、あるに決まっているでしょうが。言っておくけどここで私に手を貸さないと、間違いなく兄さんは彼に殺されるわよ」

「何だ。野郎かそいつは? つまんねえの。女なら、まだやる気が出るってもんなのに」

「つまらない? だったら少しは面白くしてあげる。アレは恐らく――ゾファー・アレクラムよ」

 兄が、初めて真顔になる。

 兄は、まるで射殺す様な視線を私に向けた。

「マジで言っているのか――ソレは?」

「でなければ、説明がつかない。百年に一人の天才と言われた、私や兄さんやシルベリスをも超える戦闘力を持った彼が何者か」

「あー。な事も言われた時期もあったな。てか、百年に一人とか言いながら、その実三人も居るんだから意味不明だよな? つーか、そろそろおまえの事――ブッ殺しても良いか?」

 と、やはり……そうくるか。

「ああ。正直、頭に来ているんだぜ? おまえがその化物を、俺が居る場所に誘導してきた事に関しては。そう。おまえはそいつを俺達にぶつける為、ここまでやって来た。ただ俺達を利用する為だけに。それでラジャンから死人がでるかもしれない可能性さえ、厭わず。逆の立場なら、どうだ? 例えブチ殺されても、文句は言えねえんじゃねえか?」

「かもしれないわね。でも私が何をしようが、どうせ何れは戦う事になっていた相手よ。なら私と組んで戦えるのだから寧ろ感謝して欲しい位だわ。そうじゃない――ベルナーマ三世?」

 意味不明な事を告げながら、私は三人の従者に目を向ける。

 その中の一人が、悪戯気に舌を出した。

「……なぜ、わかりました?」

「ソレが最も、あなたの身の安全を保つ方法だから。兄に殺されたフリをして、従者を装い、この場に留まって情報収集を行う。仮に私が同じ立場でもきっと同じ真似をしたでしょうね。強いて理由を挙げるなら、そんな所よ」

「……成る程。どうやらアナタの妹君はアナタと同じ位、聡明な様ですね、アレクラム隊長」

「まさか。俺に比べればただのチンピラですよ、こいつは」

 そのチンピラそのもの態度で、兄はこの状況を鼻で笑う。その上で兄は立ち上がり、かの女王に王座を譲った。

 ベールを取り、素顔を晒した美貌の女王は、いま玉座に腰かける。

 黒い髪を背中に流した齢十八の少女は――その体のまま私に穏やかな視線を送った。

「……改めて挨拶といきましょう。私がベルナーマ三世です、ナオン・アレクラム」

「ええ。この兄の事だから何時も迷惑をかけているのでしょう、女王? だとしたら、肉親として恥じ入るばかりだわ。……と、私はあなたに仕えている訳じゃないから、敬語とか使わなくても構わないわよね?」

「……加えて、この度胸。……ソレも、アレクラム隊長譲りですか?」

「そういうあなたは、かのベルナーマ一世の再来と言われているらしいわね。そのあなたから見て、私の意見はどう思う? 何か間違った事を、言っているかしら? それともまずシルベリスに彼をぶつけ――弱った所であなた達に彼を宛がうべきだった? でも、そうなると間違いなく、あなた達はシルベリスさえ敵に回す事になるわ。そちらの懸念が、また一つ増える事になる。でも、私なら違う。仲間を助け出すという動機がある以上、私は絶対にあなた達を裏切らない。裏切りたくても、裏切れない。それでも――信用できないと?」

 だが、女王は不快な物を見る様な目で、私を観察する。

「……正直言えば私もアレクラム隊長と意見は同じです。ゾファーとやらをこの地に誘導し、否応なく私達を巻き込んだあなたのやり口は気に食わない。それで此方側に死者がでたとしたら、私は全身全霊を以てその責任をあなたに求める事でしょう。……事と次第によっては、あなたの仲間全員の命を奪う事もあり得るかも。あなたは今それだけの暴挙を為しているのですが、そういった自覚は本当にある?」

 対して、私はこれが最後とばかりに、思いの丈をぶちまけた。

「……つまり、交渉は決裂、という事? あなた達は早々にこの地を離れて、誰かが彼を倒してくれるのをただ期待するって言うの? 何の行動も起こさず、起こるかどうかもわからない奇跡を願うだけ? このまま日数が経てば、あなた達は何れ仲間同士で殺し合う事になる。そうなれば戦力は減って、なお不利な状況になるわ。そんな事も、あなたはわからない? だとしたら、此方としてもそんな人達とは手は組めない。見捨てるというのなら、私の方が先にあなた達を見捨てるわ」

「……フム。悪くない、正論かつ挑発ですね」

 ベルナーマ三世が、何故かクスリと笑う。続けて彼女は、指を一本立ててきた。

「……では〝私の部下が一人殺されたらあなたの仲間も一人殺す〟というのはどうです。もし私達と組みたいというなら、それが最低限の条件だと思いますが違いますか?」

「……で、仮にあなたが死んだら、私が兄に殺される、と?」

 しかし、彼女は答えない。ただ微笑みながら、手を叩く。

「……ウエスデンとカーチスを此処に。先ずは彼女が言っている事が事実か否か、確かめる事にしましょう。……その為にもあなたには一つ協力してもらいます、ナオン・アレクラム」

 女王の言い分を聴いて、私はピンときた。

「ああ、そう。確かにあなた達ほどの規模の集団なら、敵の力を数値化する事が出来る人も居るか。その人に彼の力を測らせる訳ね。さしあたっては、女王や兄や私の力を基準にして」

 私が確認すると、一組の男女がこの場に現れる。

「……話が早くて結構。……では早速、あなたの全力を見せて下さい、ナオン・アレクラム。仮にそれで――ゾファーをこの地に招く事になっても」

 よって――私は女王が促すまま、自分の活動エネルギーを引き上げ、発火させる。

 結果、女性の方が顔をしかめた。

「力がガリ山(※標高五百メートル)からレメト山(※標高四千二百メートル)にまで上がりました。……畏れながらお聞きしますが彼女は本当に人間ですか……? これ、テラノザウルスさえ一撃で殴り殺せるレベルなんですが――っ?」

「……ほう、レメト山ですか。仮にこれでも手を抜いているとしたらナデシュ山(※標高五千メートル)までは上がるでしょうね。……では、カーチス。ウエスデンと協力して遠見の術を使い、ここから百キロ圏内で最も巨大な力を測ってみて」

 女王の指示に二人は従い、女性の方が男性の肩に手を置く。

 二人は彼方へと目を向け、やがて女性の方が愕然とした。

「……冗談でしょうっ? ここから北東十キロの所に直径十キロ規模の隕石が居ます! 標的は、そのまま、真っ直ぐ此方へ移動中。あ、いえ、今、此方に向かって跳躍を始めましたっ!」

「隕石、か。恐らく本気を出せば、直径二十キロ規模の大隕石位の力を発揮する筈よ。それでも、私の言う事は信用できない?」

「……面白い」

「は、い?」

「……これほど気分が高揚したのは生まれて初めてです。……主賓を待たせるのは礼儀に反するでしょう。此方からうって出ますよ、アレクラム隊長。……他の者は、後方支援に集中。無論交渉が大前提ですが、それが決裂した時はみな覚悟を決める様に」

「……思ったより好戦的なのね、あなたは? でもその前に、一つ要求させて。彼は恐らく棺桶を盾にしてくる筈だけど、絶対にソレには攻撃しないで。私の仲間が、その中に囚われている筈だから」

 けれど兄は、私の顔を見もしなかった。

「そいつは、約束しかねるな。俺達の優先順位は、飽くまで陛下の御身だ。ぶっちゃけ、それ以外の事などどうでも良い」

「なら、私は手を引かせてもらう。私もぶっちゃけ、仲間の命以外は興味がないから」

 この最後の駆け引きを前に、私と兄はテントを出たあと睨み合う。

 遂には、私も兄も臨戦態勢をとった。

「変わったな――おまえ。何でそこまで、そいつらにこだわる? そいつらに肩入れして何のメリットが?」

 兄に指摘され、私は今になって漸く気付く。

 確かに……私がここまでする理由は、何だろう? なぜたった二日間、共に行動しただけの女性を助けたがっているのか? そう考えた時、一つの考えが浮かんだ。

 私はきっと……これを代償行為と捉えている。ネル君を守れなかった事を、アナスタシヤを助ける事で、帳消しにしたいのだ。

 そうすれば、少しはこの胸の痛みが薄れると無意識に思っていたから。彼の仇をとれたような気分になれると、私は感じている。……いま初めてそう自覚し、私は首を横に振った。

「そんなの、説明するまでもないでしょう。――彼女が私の仲間だからよ」

 と、女王も私を蔑視してくると思ったが、彼女はなにやら不可解な事を告げる。

「……いいでしょう。仲間の為に命を懸けるというあなたに免じて、善処はします。……それで構わない?」

「……いえ、私これでも知っているのよ? 〝善処〟は政治用語で〝何もしない〟事だって」

 即ち、女王はやはりアナスタシヤの命を考慮しないという事……? 

 つい思い悩むが、私はそれ以上、何も告げられなかった。理由は簡単で、気が付けば巨大なエネルギーが此方に向かっている事に気付いたから。

 私は幾つもの懸念を抱えたまま、遂に彼を出迎える事になったのだ―――。


     ◇


 これは、その少し前の事。

 彼はその時、微かに発しているナオンの〝力〟を感じていた。

(成る程。どうやらあの娘は、やはり俺から逃げ切る気は無いらしい。そのつもりなら、こうまでして俺の気は引くまい。あの娘の目的は――飽くまで仲間の奪還。その準備を整えるまで俺の注意を向け続けたい訳か。……だが、少し解せぬな。あの娘は、そう言った類の人間には見えなかったが)

 彼の読みは――正しい。あの兄も言っていた通り、ナオン・アレクラムの本質は個人主義。己の事を第一に考え、それ以外の事は二の次と思っている。少なくとも、一年前の彼女だったら、徹底してそう考えていただろう。

 いや――あの少年を失った彼女であるなら、その頃の彼女に立ち戻っている可能性が高い。

 だというのに、ナオンは仲間を見捨てようとはしていない。

 その矛盾に、彼は微かな違和感を覚えていた。

(……仲間、か。もし俺が持ったのなら、真っ先に寝首を掻きにくるのだろうな)

 現に、彼は世界がこうなるまえ仲間らしき物を持った事があったが、結局破綻した。誰もが彼を恐れ、何時しかソレは殺意に変わり、彼を抹殺するよう図った。まるで彼の存在自体を否定する様に振る舞い、彼は人の世では暮らせなくなったのだ。

 あの――余りにも遠い日を境にして。

 問題は、彼がその感情を素直に受け止めた事。自分と彼等では、根本的に何かが違うのだと彼は受け入れてしまった。

(が――それはあの娘も同じ筈)

 あの場で彼女以外に自分と同じ力を持った人間は、居なかった。自分と同じで、彼女は何処までも独りだ。

 その中にあって尚、彼女は他人との繋がりを断っていない。自分と他人が如何に違っているか痛感している筈なのに、依然、仲間と言う物にこだわっている。

 彼と彼女に違いがあるとすれば、恐らくそこだろう。

 けど、この違いが今後の展開にどう影響するか、彼にはまだわからない。

(人の世で生きてこなかったツケだな。……俺も、些かボケたか)

 笑う事を忘れた彼は、それでも自嘲気味に己を窘める。人生の大半を、力を得る事だけに注いだ彼は、やはり他人の気持ちが良くわからない。

 恐らくシルベリスあたりが知ったら、〝もったいない生き方だ〟と揶揄していた事だろう。いや、彼女でなくとも彼の人生は、余りに重く淀んだ物だ。

(そうだな。やはり、この確信に誤りはない。何れあの娘も、俺と同じ人生を歩む事になる。あの若さでアレだけの力を持っているなら、周囲は何時か彼女を排斥するだろう)

 ならそれは、自分自身を殺すと同義。彼は今、紛れもなく自分に似たあの少女を殺そうとしている。彼女が自分の理解者になり得ると、考えもしない内に。

 それは、孤高と言える生き方。自分以外の何者も必要としない、鋼の様な心。

 ただそれは、決して自分自身で選んだ生き方ではない事に、彼はまだ気付いていない。

 その幸運を察し得ぬまま、彼は地面に手をつけナオンが発する僅かな〝力〟を感じ取る。

 状況が動いたのは、その瞬間だ。

(あの娘の力が――跳ね上がった。つまり、向こうの用意が整ったと判断するのが妥当。罠をしかけたか、それとも援軍と合流したか。何れにせよ俺に行動選択の余地はない)

 それこそが、彼の唯一の目的だから。

 最強の人類である事を――証明する。

 もうソレだけが、彼にとってただ一つ残った感情だった。

 この枯渇しかけた想いを動力に変え、彼は静かに天を仰ぐ。彼は凡そ十キロ以上も跳躍し、ソレを五度繰り返すだけで、目的地へと辿り着く。

 その場に居る三人の男女を視界に収め――彼は本当にひさしぶりに心を躍らせたのだ。


     ◇


「……速い!」

 私が力を発してから、まだ一分も経っていない。だというのに、彼は当然の様に空を駆け、空気圧を突き破り、この場へと現れる。彼が着地しただけでその一帯はひび割れ、直径二十メートルにも及ぶクレーターが穿たれていた。

 この様を、私と兄と女王は、各々違った表情で見届ける。

 兄は何時もの、何にも関心がない様な無表情。ベルナーマ三世は、馬鹿げた事に喜々としている。……私と言えば、昨日と同じで、改めて死と言う物を予感しかけていた。

 私の背後から声が聞こえてきたのは、その時である。

 彼、ワイズマン・ワースは明らかに恐慌しながら問う。

「無事だったか、アレクラム! 今の衝撃は、まさか……っ?」

「ええ。一応交渉は成立して、女王達と共闘する事になったわ。と言う訳で皆は離れていて。絶対に前線には出ず、行けると思った時だけ後方支援に徹して」

 大きく息を吐きながら、ワイズマン達に指示を出す。

 その間に女王は一歩前に出て、彼女やはり喜悦しながら彼に視線を送った。

「……素晴らしい。本当に、この様な人類が居たのですね? 私はいま、改めて人の潜在能力という物を実感しました」

「そういうおまえは――かなり壊れているな。未だ嘗て俺を前にして、そんな反応を見せた人間など居なかった。俺の理解者でも気取るつもりか?」

「……まさか。この世の誰一人として、あなたを理解できる者など居ないでしょう。私がこれほど高揚しているのはあなたと言う大敵を打倒して、自分の可能性を示したいから。それ以上でも、それ以下でもありません。……ですが部下の手前、これだけは問うておきましょう。私なら、あなたを満足させられる相手を用意できます。……その代りに、私達の事は見逃してもらえませんか?」

「見逃す? それは、そこの娘の仲間をかえせという事か?」

「そうね。そうしてもらえるなら、それが一番いい」

 心にもない事を、言ってみる。結果は、わかり切っていた。

「ならば、答えはノーだ。おまえ達が、感じている通りだよ。俺の存在理由は、戦いにこそある。その為の練磨であり、その為だけに俺は今日まで日々を重ねてきた。ああ、そうだな。正直言えば、そろそろ喋る事さえ面倒な位だ」

「……本当にそのやり方で、自分が世界一強いと証明するつもりだと?」

 私の問いに、彼はあろう事か首を横に振る。

「……世界一? 違うよ、それは。俺が目指すのは――〝歴史上最強の人類〟だ。世界一など――ハナから興味が無い」

 彼の宣言を聴き、兄は見るからに顔をしかめた。

「思った以上の、脳筋野郎だな。俺の妹以上のアホなんて、初めて見たぜ。さすがは俺達の始祖――ゾファー・アレクラムと言った所か」

「なら、その始祖として咎めよう。愚かな事をしたな、少年。その黒い娘は、我等の一族ではあるまい? だというのに、我らの血族以外の人間に、この術を教えるとは。それでは近い内に、己の身を滅ぼすぞ」

「冗談。俺は初めからあんたと考え方が違う。この命は、既に陛下の為に使うと誓っている。でなければ確かにあんたが言う通り、この術を陛下に教える事などなかった」

「ならば、尚のこと楽しみだ。俺がその黒い娘を殺した時、おまえはどれほどの底力を発揮してくれるのだろうな?」

「あ?」

 馬鹿げた事に、ソレが開戦の合図となった。

 女王の殺害を予告されただけで、兄は見るからに激昂。

「誰が――誰を殺すだと?」

 兄は一瞬で、二十メートルは離れた彼の間合いに入る。

 デェオン・アレクラムは――彼の顔面に痛烈な拳を炸裂させたのだ。


     ◇


 眼下では、既に戦闘が始まっている。

 その最中、ナオンは今思い出したとばかりに、女王に問うた。

「そういえば、訊き忘れていたわ。あなたはなぜ、人は人を殺してはいけないと思う? あ、言っとくけど、兄さんには訊いてないから」

「うるせえ! つーか、なに言ってんのか聞こえねえよ!」

 女王の答えは、以下の通り。

「……そうですね。さしずめソレは、私が今の所殺人を禁じているからでしょう。私が人を殺してはいけないと定めているから、人は人を殺してはいけない。……ただそれだけの事です」

「……女王様らしい、歪んだご意見をどうも。それじゃ、手筈通りお願いするわ」

「……ええ。〝戦闘中は彼と一切会話をしないで〟でしたね。それがあなたの能力ですか?」

 しかしナオンは当然答えない。彼女はただ、兄によって一方的に打ちのめされている彼だけを見ている。それを一瞥した後、女王は肩をすくめた。

「……では、先に私のカードを晒しましょう。……ミルバ、補助をお願い」

「は!」

「……なっ?」

 唐突に、ナオンとデェオンの意識は女王と同調する。ベルナーマの感覚を、アレクラム兄妹も共有していた。結果、彼女達三人が見た物といえば、それは膨大な量の情報だ。

 あろう事か、女王――ベルナーマ三世は、今後起こる千手先の情報を二人の脳に叩きこんでいた。

「『膨大な量の――未来予知』っ? それが、あなたの能力ッ?」

「……そう。貴方達もこの手順通り動いて。……でなければ、私の奥の手は発動しないので」

 ……つまり、それは千回分の攻防を記憶し、その通りに行動しろという事。だが、並みの人間に、そんな事が出来よう筈ない。けれど、ナオンの答えは決まっていた。

「――いえ、やるわ。やってやる」

 恐らくあの兄は、平然と熟してみせるだろう。ならナオンとしては、ほかに選択の余地はない。故に、彼女はまずデェオン同様、彼へと突撃する。

 全てのエネルギーを脚力に注いだ後、流れる様に今度は右手に力を集中させる。そのまま彼の頭部に向かって拳を放つナオン。それは当然の様に彼の顔面を抉り、たたらを踏ませた。

(……ま、こんな所、か)

 だが、それが今まで、デェオンに滅多打ちにされていた彼の感想だ。彼は飽くまで平然としながら、冷静に行動を開始した。

 ナオンの読み通り紐を手繰り、其処に繋がった棺桶を引き寄せる。上空からは五十にも及ぶ棺桶が降ってきて、その一つがナオンの攻撃を妨げた。

 しかし、彼女に動揺の色は無い。

(ここまでは、女王の『未来視』通り! なら、次は、こうか!)

 縦に立った棺桶の後ろから体を回転させて、彼がただの裏拳を放つ。正にソレは、ナオンの全力に相当する一撃。大型肉食恐竜さえ、一発で屠れるレベルの攻撃だ。

 だが『事前にその事を知っていた』ナオンは紙一重でソレを躱す。知らなければ、この一撃で終わりかけていただろうが、何とか躱し切る。

 同時に、かの女王が彼の背後を衝く。

 女王は彼に全力の一撃を放とうとするが、その結果は彼女も事前に知り得ていた。

(……やはり、そう来ますか)

 彼は棺桶を盾にして、女王に攻撃を躊躇させる。反対に女王が躊躇っている内に、彼は彼女に向かって蹴りを放つ。この絶妙なタイミングで放たれた一撃を、けれど女王は回避する。

 よって――彼は直感せざるを得ない。

(やはり、何らかの能力を使っている。今の一撃を躱すとなると――『未来視』か。ならば、此方も遠慮はしない)

 瞬間、彼も能力を使用する。ナオンの読み通り、彼は棺桶に封じられた人間の活動エネルギーを搾取する。自身の物へ転化し――その速度と力と防御力を爆発的に跳ね上げた。

(けど――これも『予定調和』!)

 ならば、今は防御に徹するのみ。女王や自分の条件がクリヤーされるまで、つかず離れずで微妙な間合いを保つ。『未来視』の通り攻撃は一先ず諦め、ナオン達は守備にのみ専心した。

 その最中、遠方から彼に向かって銃弾の雨が降り注ぐ。ソレは、レンカ・リーシェが放った銃弾だ。ソレを彼は苦も無く避け、ナオンは内心息を呑む。

(これも『予定通り』だけど、本当に幸運ね。今の所、彼も私達以外は眼中にない!)

 寧ろ、こうまで今の自分の攻撃を躱し切っている三人を、彼は心中で称賛した。

(やる物だ。何をするか事前にわかっていても、こう動ける物ではない)

 いや、逆を言えば、女王の能力がなければ疾うに彼女達は打破されていたかもしれない。それだけの身体能力の差が、彼女達にはあった。

 この薄氷を渡る様な攻防は、一分程も継続。故に――彼は諦めた。

(やはり、このままでは無理、か)

 人の身で、あの三人とわたり合うのは凡そ不可能。

 それどころか残った二人が条件をクリヤーし、能力を発動させれば勝負はわからなくなる。

 そう直感した時、彼は両手を下ろし、ノーガードとなる。これを見て真っ先に眉をひそめたのは、ベルナーマ三世だ。彼女の『未来視』には、そんな映像は存在しない。

 ならば――答えは決まっている。

(……私の想像限界を絶する攻撃が来る! ……これは、不味い!)

 故に彼女はミルバの念波を通じて、吼えた。

《……二人とも、ガードに全エネルギーを集中!》

「な――っ?」

 同時に――彼女達は彼が真に人でなくなるその様を見た。

 彼の両腕と右足が、人ならざる物に変化する。

 左右の腕は――全長二十メートルの龍へと、右足は――巨大な刀となってナオン達目がけて撃ち出される。

 音速を遥かに超えるこの一撃を前に、三者の体は一瞬、硬直する。

 けれど彼は――予想外とも言えるその偉容を目撃した。

(――今の一撃を凌いだ? 防御した訳でも、躱した訳でもなく、凌いで見せた?)

(……形態変化っ? まさか活動エネルギーの操作だけでなく、遺伝子さえ変化させ、姿を変えられるというのッ?)

 既に死んでいなければ辻褄が合わないナオンが、半ば呆然とする。

 彼女はそのまま走り抜け、ナオン達三者は依然、彼に補足されぬよう彼の周囲を旋回した。

(今のは――必殺の間合いだった筈。ソレを凌いだとすれば、人の業ではない)

 だとすれば――これも自分が知り得ぬ誰かの能力。

 彼がそう直感した時、ミルバの念波を通じてデェオンがナオンを怒鳴る。

《ありがたく思えよ、バカ妹。能力の使用回数を削ってまで守ってやったんだから》

《はい、はい! 私がやられたら女王のリスクが増すから仕方なく助けたのよね!》

 先の一撃を防いだのは――デェオン・アレクラムの能力。

 デェオンは冷静に、現状の把握に努める。

(……形状変化、か。どこまで人間離れしてやがる、あれは? これで、間合いもエネルギー量もパワーもスピードも向こうの方が、上! 普通に考えたら、まるで勝ち目がねえ!)

 この読みに、誤りはない。彼はナオン達の手が届かない所から、攻撃できる事を証明した。更にパワーやスピードも、最低五倍以上上。エネルギー蓄積量に至っては、五十倍以上上だ。

(……つーか、形状を変化出来るって事は、それに見合った力を引き出せる? ……筋力の容量を増大させ、ソコに蓄積できるエネルギー量も増やせるって事か?)

 即ち、形態によっては――スピードもパワーも今以上に差が出ると言う事。現に、先の一撃は、直径五十メートル四方を軽く吹き飛ばせるだけの一撃。テラノザウルスどころか、クジラでさえ一発で息の根を止められる凶行である。そんな存在は――既に人ではない。

(だが――ぶっちゃけ問題ねえ。俺と陛下のコンボは無敵! このままプラン通り進めれば、勝機しかねえ!)

(そう思っている顔だな、アレは。確かに先の一撃は妙な手応えだった。まるで放った攻撃が逆回転しかけた様な感触。つまり――あの男の能力は『逆行』? 時間をコントロールし――放った攻撃を巻き戻す能力か?)

 それも、正解。ディオンの『逆行』は、時を制御し、万物を逆運動させる力だ。

 実際、ディオンは先の三者同時攻撃さえ、この『逆行』で防いで見せた。いや、正確には彼の攻撃を止めるだけで、精一杯だったのだが。

(加えて、問題はあのパーカーの娘。明らかに何かの能力を発動している気配は感じるが、攻撃する気迫がまるでない。此方の攻撃に反応しない以上、カウンター型の能力者とも異なる。だとすれば、やはり迂闊に近づけるのは危険? それとも、そう思わせたいだけで実際の目的は時間稼ぎか?)

 思惑を巡らせながら、彼は二十メートルほど跳躍。地面目がけて、巨大な刃に変化させた両足を、マシンガン以上の速度で撃ち出す。

 この音さえ超越にする颶風を前に、ナオンは戦慄し、ベルナーマは喜悦した。

(これも、躱すか。もう此方の動きに対応してきたな、あの黒い娘は。思った以上に、大した力量だ。それ故、あの者も不本意だろう。一対一で戦えぬ、この状況は)

(……確かに、出来る事なら同等の立場でしのぎを削りあいたい相手。でも、それ以上に守りたい物が私にはある。……例え何れは仲間同士で殺し合う事になろうとも、その時は私自らがその命を摘み取るから。……それが今日まで私に仕えてくれた、彼等に対する最大限の敬意)

 ならば今は死ねぬとばかりに、ベルナーマは自身の想像力をフル活用する。

 彼の姿からどのような攻撃を仕掛けてくるか想定し、ソレを元に『未来視』を継続する。

(……既に、二百二十回は攻防を果たしている。残りは七百八十回だけど、問題はここから)

 恐らく次の攻撃は『未来視』だけでは防ぎ切れない。ベルナーマはそう直感し、事実、ソレは来た。

 地面に着地した彼は、五十に及ぶ棺桶を自分中心に、竜巻の様に回転させ始める。その棺桶はやがて弾丸の様に回転しながら、ナオン達目がけて発射される。その数は――実に五十。この逃げ場のない全方位攻撃は、しかし、まだ何とか彼の能力範囲だった。

(……まさか、あの棺桶もやつの体の一部ッ? なんて真似しやがる、あの化物!)

 この連撃さえ、デェオン・アレクラムの『逆行』によって、辛くも防がれていた。

 しかし、その間も件の棺桶は宙を舞う。彼を中心に回転しながら、横より標的目がけて放たれる。 

 この一撃必殺を――三者は『未来視』と『逆行』を以て、ギリギリの所で凌ぎ切る。

 いや、躱し切れなければその時点で、自分達は間違いなく戦闘不能になるだろう。

(五十に及ぶ――棺桶による同時攻撃! 私の〝爪〟を更にレベルアップさせた様な業だけど、威力もスピードも次元違い! 女王や兄さんの能力がなければ私達は既に詰んでいる!)

 故に、ナオンはあのとき逃げ出した自分の判断の正しさを、思い知る。

 己の身を盾にして自分達を守ったアナスタシヤの賢明さを、彼女は心から称賛した。

(あの時点で戦っていたら、間違いなく瞬殺されていた! そう言い切れるだけの大敵! なら、そう言った事態を免れたのは、紛れもなく彼のお蔭か――)

 彼女は、今こそ二日前の出来事を思い出す。あのワイズマンという青年が、自分を訪ねてきた日の事を。

(……あの出会いがなければ、今の自分はなかった! 一人で無様に足掻いて、一人でバカみたいに捕まって、何れは命を奪われていた! ……本当に、あの出会いはどっちにとって幸いだったのかしら――?)

 苦笑しながら、ナオンは一瞬も休む事なく走り続ける。

 繰り出される棺桶を前にして、ナオン達は『逆行』の援護を受ける。あるいは『未来視』の情報を頼りに――何とか彼女達は、無傷で生存する。

 このナオンの笑みを見て、彼は目を細めた。

(まだ笑うだけの余裕がある? やはり厄介だな。『未来視』も『逆行』も)

(てか、やっぱあの棺桶を破壊するのは不味いんだろうな。少なくても陛下が自粛している以上は俺もそれに倣うべきか? それとも陛下の御身を優先して、陛下の意向に逆らうべきなのか? ……いや、それ以前にあの中には人が入っている筈。なら、あの棺桶を破壊したら中の人間も無事では済まない? 下手に破壊し続ければ『二人殺し』でこっちがヤバくなる? あの野郎、其処まで計算してあの棺桶を武器に使ってやがるのか――?)

(……ま、そういう事でしょうね)

 女王とデェオンの理解力が、辛うじてアナスタシヤ達の命を繋ぎ止める。

 皮肉にも、ナオンの願望通り事は進んでいた。

(というか、これで七百回目の攻防だけど、本当に奥の手はあるんでしょうね、女王?)

 後三分程で戦闘開始から五分程経つが、果たしてソレまで彼の攻撃を躱し切れる? この人知を超えた業の数々を、自分達は回避し続けられるのか? 

 ナオンが奥歯を噛み締めた時――ソレは来た。

(ならば――これならどうする?)

(……なッ? そんな事まで可能なのっ?)

 あろう事か、彼は自分の脇腹の一部を、分離する。其処にエネルギーを圧縮してから中空に放り投げる。その後、瞬時に〝力〟を全開放し、彼はこの一帯を吹き飛ばす。

 馬鹿げた事に――摂氏一万度を超える爆風が、ナオン達に迫る。

 この原爆以上の一撃を前に――ベルナーマさえも息を呑む。

 ……けれど、それでも彼は諦めない。

(ぐううう―――っ!)

 デェオン・アレクラムは、この超絶的な業さえ逆行させ、決して主を傷付けさせない。

 彼は渾身の力を込め――自分達に爆風が到達する前に、その力場を止めていた。

(……だが、今ので能力の回数限界が一気に二十五減った! このままでは、陛下の能力が解放されるまでもたないっ? ……いや、待て。それ以前に、あいつ何で無傷で居られる? あれだけの、超高熱に晒された筈なのに? まさか――そういう事かッ?) 

 先ほど一方的に殴りつけた時も、彼はダメージを負った様子は無かった。

 とすれば、考えられる理由は一つ。

(よもや――対外的なダメージエネルギーさえ自分に吸収する事が可能っ? マジで不死身か、あの野郎――ッ?)

 背筋に走る戦慄を抑える様に、デェオン・アレクラムは笑う。

 ああ、流石は俺達の始祖だと、デェオンはこの時になって初めて彼を認めていた。


 ……そういう事だ。ゾファー・アレクラムとは、比喩なくナオン達の始祖である。

 彼が生まれたのは、今から二百三十年ほど前。まだ中世期と呼ばれる時代に、彼は生を受けた。ナオン達の伝承には、こうある。

 彼は二百年以上前、ある国に仕えていた。元々変わり者だった彼は――周囲の人々のように剣や槍や鎧を頼りにしない人間だった。自身の肉体にのみ固執し――ソレを練磨する事が彼の生き甲斐と言えた。

 そんなある日、彼は自身の活動エネルギーをコントロールする術を覚える事になる。しかしそれは、彼が人としての道を踏み外す事にも繋がった。

 元々彼を理解し、友と呼ぶ人間は少なかったが、その小数の人々さえ彼を恐れ始めたのだ。日に日に人間ばなれしていく彼を、王や騎士達は危惧した。何れ彼は自分達の国を乗っ取るのではないかと、危機感を抱いた。

 そんな時――好奇心が旺盛だったその国の姫が彼に興味を持った。いや、彼の事を知れば知る程、彼女は彼に惹かれていく事になる。

 意外だったのは、彼もまたその彼女の想いに応えようとした事。少しでも武功を上げ、彼女に相応しい地位を得て、彼女を娶ろうと努力した事だろう。

 自分にしか興味がない様なあの彼が――他人の好意を受け入れようとした。

 だが、それは一つの誤解だった。彼は自分にしか興味がないのではなく、逆にただ他人の力になりたかっただけ。人の心が良くわからない彼にとってそう考える事だけが、自分と他人を繋ぎ止めるヨスガだったから。

 その為に彼は己を滅し、自身を虚無と定めた。私情を捨て、ただ周囲の人々の声に耳を傾け続けた。単にその中で最も彼に影響力を与えたのが、かの姫だったというだけの話だ。

 けれどその一途な思いは、彼を暴挙に走らせる。それは、遂にかの姫の縁談が決まった時の事。件の姫は――よりにもよって敵国の人質として輿入れする事になった。それが自身の国の利益に繋がる筈だと、姫の父である王は考えたから。

 が、その父の思いに反し、姫は己の身の上を嘆いた。これから自分は敵国でどんな目にあうのかと大いに悲しみ、彼女はこう告げてしまったのだ。〝こんな事ならこんな国、滅びてしまえばいいのに〟と。

 そして、その嘆きを聴いたのは、あの彼である。

 自分の最も大事な人の願いを叶えたいと切に思い続けてきた、あの彼。

 ならば、その後の顛末はわかり切った物だろう。あろう事か、姫の輿入れの日――彼はたった一人でソレを止めようとした。敵国の兵を打ち破り、姫をさらって、彼女を解放しようとしたのだ。

 だが、それこそが、彼を疎んでいた王の計略だった。

 気が付けば数万の兵が現れ、姫の馬車を囲む。彼を討ち取る絶好の大義名分を得た王は、その兵を以て彼の抹殺を図った。

 その中には彼を友と呼んでくれた者も混じっていて、彼はこの時、理解する。とうの昔に自分にはもう、居場所など無かったのだと。既に自分は独りなのだと、彼はこの現実を受け入れた。

 いや、例えそれでも――彼の気持ちは変わらない。

〝貴女が自由になれるなら――それも良い〟

 この狂わしい想いと共に彼は笑みさえ浮かべ――その馬車目がけて駆け抜けたのだ。

 けれど当時の彼に、数万に及ぶ騎士を打破する力は無かった。刻一刻と彼の体は傷つき、九千もの兵を打ち倒した所で血反吐を吐く事になる。それでも、槍が背中に刺さったまま彼は確実に姫が乗る馬車へと近づいていく。

 後少しで彼女の願いが叶うといった時――その終焉は訪れた。

〝……本当に、ありがとう。私は多分、貴方以上に愛された事はなかった。でも、それでも、そんな私が貴方を傷付けるというなら、私はこうするしか、ない……〟

 姫は、漸く気づいたのだ。自分さえこうすれば、彼はこれ以上傷つく事は無いと。自分が漏らした我儘の所為で、彼が命を失う事はないと。

 故に馬車から身を晒した彼女はその短剣を自らの胸へと突き立て――それで終わりにした。

〝あああぁぁ、あああぁあぁぁあ………ッ!〟

 それで彼女は、全てに決着をつけた。自分さえ居なくなれば、彼が戦い続ける理由もなくなるから。彼が彼女を自由にしたかったように――彼女もまた彼を命懸けで守ったのだ。彼が愛していた以上に、彼女もまた彼を愛してくれた。

 友にさえ見捨てられたこの惨めな自分を、姫は命を投げ出して救ったのだ―――。

 その後の事は、彼も良く覚えていない。ただ彼女の亡骸を抱いてその地から逃れ、山に身を潜ませる事になる。

 彼女を失った以上、人の中で彼が生きる意味もまた失われたも同然だ。

 その日から彼は人里を離れ、二百年以上、他人との関係を断つ事になる。関わりを持てば、自分はまたきっとその人を傷付けてしまう。彼はここでも私情を捨て、人の世から身を引いた。根底にある、自分の願望を無視し続けながら。

 その彼の唯一の置き土産が、ナオン達の祖先だ。戦争孤児だった自分の姪に生きる術を教える為、彼は自分の業を彼女に伝授した。かの業は脈々と受け継がれ、今に至る。


(だが――解せねえ。なぜ全てを失った時点でこいつは、自ら命を断たなかった? 姫に死なれた時点で、自殺してもおかしくなかったろうに――?)

 今となっては、答えは彼にしかわからない。彼が何の為に生き続け、何を成すつもりなのかは恐らく誰にも解せないだろう。

 いま自分達の前に立ちふさがっているのは――つまりそういった類の怪物。

 二百年以上己を練磨し――心身共に人ではなくなった得体のしれないナニカだ。

 ついで――決着の時が迫る。その終わりは、思いの外早く訪れた。

(……な?)

 彼が息を吸い込み、噴き出す。粉塵がナオン達に迫り、彼女達の視界を塞ぐ。

(目くらまし――? だが、こっちには陛下の『未来視』がある!)

 けど、デェオンが次に思い出した映像は、完全な闇だった。それも当然か。正面の巨大な気配に注意を向けていた彼は、次の瞬間、背後から後頭部に殴打を受けたから。

 それだけで、デェオン・アレクラムの意識は完全に途絶えていた。

《――兄さんッ?》

(やはり、自動ではなく任意で発動する能力。故に認識外の攻撃には、対応できない)

 然り。今のは正に、デェオンの意識から外れた一撃。彼は自分の足をゴムの様に伸ばして地面を潜らせ、デェオンの背後をとった後、殴打した。それ故、不意を衝かれた彼は、能力を使う間さえなく昏倒させられたのだ。

 ならば――詰みだ。『逆行』のサポートを失ったナオン達の戦力は、半分以下に低下したも同然だから。この状態で、戦い続けても勝敗は既に決まっている。

 現に、ナオンは見た。

 彼の腕が――銃身と思しき物に変化する異常を。

(……つッ!)

(本来なら先ず、『未来視』を潰しておくべきなのだろうが――)

(……終わった、か!)

(ここは――未知の能力を持ったおまえから片づけさせてもらう)

 放たれる、巨大な光の弾。食らえば間違いなく意識を失うだろうその一撃は、ナオンの運動能力を超越した速度で迫る。

 ならばナオンは動く事さえ出来ない。そして、この時、彼女は誰よりも驚愕した。

「――舐めんな!」

「えっ?」

「こいつには散々借りがあるんだ! 簡単に殺されて、たまるかよ――ッ!」

 彼女の目の前には――何時の間にかレンカ・リーシェの後ろ姿があった。

 あり得ない事に彼女はたった一発拳銃の弾を発射しただけで、件の光球を相殺する。

 それこそが――彼女の能力。

 撃ち出した攻撃を避けられる度に――攻撃力が増していくという『向上』である。

 更にレンカは、昨日〝ルール〟をこれ以上増やせないと設定する前に、ある事を誓った。

 この能力は一日に一度しか使えない代りに、その威力は今まで以上に向上すると設定したのだ。

 故に、先ほど彼に発砲を躱されただけで、レンカの一撃は彼のソレに匹敵する。

 この事実を、ナオンはただ茫然の見つめた―――。

「ど、どうだッ化物! 俺だってやる時はやるんだぜ! なあ――そうだろナオン!」

 そう言い切った途端、レンカ・リーシェの体は突如現れた彼の手によって殴打されていた。

「グフゥ―――っ!」

(……まさか、只の人間か? やはり、只の人間は脆すぎる。これで俺はもう、誰も殺す事は出来んな)

「……レン、カっ?」

 冷静にそう計算しながら、彼はレンカの体を投げ飛ばす。まるでゴミを払う様に、アッサリと。

ソレを見て、ナオン・アレクラムは意識を停止させた。

 何時かこうなる事はわかっていた筈なのに、たった三日間共に過ごしただけなのに、彼女の体は、完全に凍り付く。

「……ナオン・アレクラムっ!」

 女王が叫ぶが、彼女は彼が拳を振りかぶった今でも、やはり棒立ちするだけ。ソレは瞬く間に振り下ろされ、ナオンの意識を当然の様に刈り取る。

 いや――本当にその筈だった。

 だが、その前に、彼女は思い出す。

 何時か、何処かでこれと同じ感覚を受けたあの日の事を、彼女は思い出す。

 あの少年を失ったという事実を突き付けられたあの瞬間を、彼女は連想した―――。

「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ! あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

(まさか―――?)

 その時――余りにバカげた事が起こる。

 ふざけた事に、ナオンの細腕が、彼の拳を受け止めたのだ。それだけでこの一帯は更に陥没したが、ナオンの体は揺るぎもしない。

(……何が、起きている?)

 この光景も、ベルナーマの『未来視』には、無い。それ程までに今のナオンの姿は、異常だった。

いや、不条理な奇跡は、尚も続く。

 ナオンがノーモーションで、彼に向かって拳を放つ。攻撃エネルギーさえ吸収できる彼は、その一撃を避ける事さえしない。

(な……ッ?)

 けれど彼の体は、十メートルは吹き飛ばされる。しかも、明確なダメージを受けながら。

 加えて、ナオンは彼の視界から――消えた。

(……つっ?)

 気が付けば彼の目前にはナオンが居て、彼の体に拳の弾幕を浴びせる。

 ソレを彼は両腕でガードするが、確実にダメージが蓄積されていく。

(そうか――漸く気づいた、という訳か)

 彼はナオンが今、何をしているのか理解する。まさか、怒りで嘗てない力を発揮した? よもや、感情が肉体限界を凌駕させた、と?

 それは、異なる。答えは、なんという事もない。

 彼女は単に、自分の活動エネルギーを――脳に集中したのだ。

 それ故、ナオンの認識能力は、遥かに向上した。同時に〝力〟の操作技術も、遥かにアップする。 実際、彼女は彼にダメージを与えていた。その理由はわかり切っている。

 ナオンは――彼の体に内包されている活動エネルギーさえ、自分の物として扱っているのだ。

 彼女は彼に触れる度に――彼の活動エネルギーを無理やり発火する。

 肉体限界を超える力を発生させ、彼の内側からダメージを与えていく。

 更に脳のリミッターを外した為、潜在能力を遥かに上回る動きを引き出し、彼に肉薄する。

 だが、ソノ事実を看破しても、彼に焦燥の色は無かった。

(……正に限界を超えた業! それ故にこの力を使い切った後、彼女は間違いなく昏倒するだろう! ならば、このまま時間さえ稼げばこの娘は自滅する! いや、だからこそ俺もこの業は使えぬのだが)

 当然の結論である。今ここでナオンと共に力尽きれば、あの黒い少女が自分を殺すだろう。そう言った懸念がある以上、彼は素のままで今のナオンを凌ぎ切るしかない。

 この彼女の猛攻と、彼の防御は更に一分程も続き――その果てに彼は見た。

(――もう限界か。此方も大分消耗したが、これで終わりだ)

 ナオンの〝力〟が――明らかに激減する。早くも彼女に――限界が訪れる。

 よって、今度こそ詰みだ。彼が放つ拳の一撃を以て、この戦いに終止符が打たれる。

 確かにその瞬間――余りに長かったこの戦闘は今度こそ終わりを告げていた。

 戦闘開始から、ジャスト五分。

 それだけの時間を以て――漸くナオン・アレクラムの能力が発動したから。

(は―――?)

 だからその瞬間――彼は肉体どころか意識さえ凍結した。

 まるで時間が止まったかのように――全てが停止する。

 それこそが『禁忌』――。ナオンの能力。

 彼女は敵にNGワードを言わせる事で、敵の動きを停止させる。

『俺』や『私』といったNGワードを、戦闘前に予め設定する。

 敵がその言葉を告げた途端、彼女の能力は発動可能となるのだ。

 但し難度の低い言葉ほど、停止できる時間は短くなる。

『俺』や『私』等は、その凡例である。

 逆に『無言』を五分間維持した時――敵の動きは完全に凍結する事になる。

 その意識さえも――完全に止まってしまう。

 故に、意識が完全に停止した彼には――ナオンの攻撃エネルギーを吸収出来ない。

 そんな彼に彼女は、告げた。

「……ええ。私とあなたの差は一つだけ。私には仲間が居て、あなたは最後までその仲間を拒み、一人きりを選んだ。その頑なさが、あなたの唯一の敗因よ」

 人と言う群れの中で生きるなら、人の力を借りないと生き残れない。レンカが、彼等がそう私の目を覚まさせてくれたから―――。

「おおおおおおおおおおおおお! ゾファー・アレクラムぅうううう―――ッ!」

 ナオン・アレクラムは今、その右腕を以て――ゾファー・アレクラムの心臓を貫く。

 その刹那、彼は、言葉を漏らす。

「……そう、か。いま、わかった。俺はおまえを、羨んでいただけ、か」

 自分は、唯一愛した娘にさえ、目の前で死なれた。その時点で自分は人の世と、人の心を捨て去るしかなかった。そうまでされて人として生きれば、彼の心は破綻していたから。

 けど、彼女は違った。ナオンは恐らく自分と同じでありながら、心のどこかではまだ人と言う物を信じたのだ。この自分が信じ切れなかった物を、彼女はただ信じつづけた。

 それこそが――彼と彼女の差であり、彼が心の何処かでユメ見た光景だった。

 こんな自分でも、この殺し合いを生き残れば、意味と言う物が与えられるのではと思った。人々が最も願ってやまない望みを叶えれば、人間らしくなれるのではと夢想した。

 その想いはもう一生果たされる事は無いけど、彼は吐露する様に呟く。

「……ああ、そうだな。あの時、あの娘を救い、おまえ達という子孫を生みだした事だけが……俺の唯一の誇りだった」

 彼にしてみれば、それは最大の賛辞だ。彼はそうして、彼女を失ってから二百年ぶりに心から笑う。

 心臓を穿たれたゾファー・アレクラムは――いま静かに絶命したのだ。



                 オリジナルクエスト・前編・了

 という訳で、オリジナルクエスト・前編終了です。

 実は私、ちょっと笑えてちょっと泣ける作品を目指しているのですが、今回は全く笑えません。ただひたすら地獄のような展開が続いていきます。

 それを踏まえた上で、後編もよろしくお願いいたします。

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