第7話
ここ2週間、あの満月の下で銀髪の少女に殺される夢を何度も見る。夢だとはっきりわかる空気感なので、唯一リアルだったあの夜の出来事がますます現実なんじゃないかと思えるようになってきた。
そして少女を見る度に毎回思う。「なんて美しくなんて儚げでなんて可憐なんだろう」と。少女はまるで荒野に咲く一輪の百合のようだ。
アレは夢じゃなかった。少女はいる……この世のどこかに。いや、もしかしたらまだ東京にいるかもしれない。会いたい。探したい。だがどこにいる? どう探す? 顔もはっきりとは見えなかったのに。
□
ぷにぷに……すべすべ……つるつる……ぺたぺた……さらさら……ふわふわ…………。
ん? なんだこの感触。ぷにぷにですべすべでつるつるでぺたぺたでさらさらでふわふわ?
俺はレム睡眠中だったがそんな不思議な感触に脳みそだけが覚醒した。眠いから目はまだ開けられない。そんな脳みそで俺はこの感触の正体を考えるが……俺は抱き枕は使わないし、今は夏だから毛布でもない…………検討がつかん。
だが、すーすーという何かの呼吸音が聞こえる。生き物だ。俺は生き物を触っていた。アリスは猫でも飼っていたのか? どうして教えてくれなかったんだよ。
そう思いつつ目を開いた俺は絶句した。
「なんで……!」
どうして女の子が! どうして裸のちっちゃい女の子が! 俺のベッドの中にいるんだよ!
青空のような透き通る水色の髪の毛と同じ色の長いまつ毛、 ……アリスじゃない。アリスよりも小さいし、髪の毛の色もそもそも顔も全然違う。誰だこの子は……アリスの妹か? いや、アリスに妹はいない。じゃあ本格的に誰なんだ?
幼い顔立ち、膨らみかけの胸、微妙にくびれたお腹、美しい曲線を描くふともも……かわいい。瞳を見るまでもなくかわいい。
「うゅん……」
水色の少女が半分体を起こしてペタンと座り、小さな手で目を擦りながら、
「お兄ちゃんおはよう」
と。
「え?」
海のように深い青色の瞳が俺を見上げる。
髪の毛の色と瞳の色、顔、そしてなによりそばにいると落ち着くこの感覚……安心感でわかった。
この子は俺の妹だ。正確には産まれる前に死んだ俺の双子の妹……俺のもう半分。だから絶対に間違いようがない。
君は……、
「一夏……なのか?」
「うん! 私は一夏だよ! 隆臣にいの妹の一夏だよ!」
俺の名を呼んだ。一夏だ。俺の妹の一夏だ!
「お兄さま?」
俺は裸の妹に抱きついていた。何故だろう……自分の片割れに会えて感動したからかな?
たがそんな感動も……、
――パンッ! パンッ!
俺は恐る恐る振り返った。
そこにはポニーテールを逆立て顔を真っ赤にした鬼の形相のアリスがいた。
「アリス……さん?」
「……」
「あのー、無言で銃口向けるのやめてもら――」
――バンッ!
掠った! 今銃弾が耳を掠めたぞ!
「あんたって男は……あたしという許嫁がいながら自分のガイストに欲情するなんて…………」
猫のように俺を睨んでいたアリスだったが……、
「もう怒りを通り越して呆れた! ほんと嫌! バカ! アホ! 死ね! ロリコーン!」
目に涙をためて部屋を出ていった。
その後俺は一夏にタオルケットを羽織ってもらいリビングのソファの上でうずくまっているアリスのところに向かった。
「大丈夫か? アリス」
「……ぐすん」
これはしっかり謝った方がよさそうだな。
俺は一夏にダイニングの椅子に座って待っててもらい、ソファにうずくまるアリスに近寄る。
「ごめんなアリス。つい感極まって素っ裸の実の妹に抱きついちまった。変なところを見せたな」
「実の妹?」
「ほら、俺には双子の妹がいたけど産まれてくる前に死んじゃったって話しただろ? 覚えてるか?」
「覚えてたけど、まさか人型とは思わなくて……それに妹とかズルい! しかもすっごくかわいいし!」
「ああ。今ここにいる一夏はガイストなんだろ? 一夏の霊魂が俺の体内由来の魔力粒子に憑依した存在で、ガイスト能力を保有する生人あらざる存在」
「…………」
一夏は死んでいる。それは紛れもない事実で、俺が全身くまなく撫で回したのはガイストとして実体化した一夏だ。きっと一夏が生きていれば10歳か11歳頃にはこんな感じになっていたんだろうか。
「お前が教えてくれなかったから自分で調べたんだ。すげー気になってたからな」
人間型のガイストはかなり珍しいと図書館の教材に書いてあった。アリスが拗ねている理由はおそらく俺がレアなガイストを引き当てたからに違いない。
「……隆臣、こっち来て」
「おう」
俺は体育座りで膝にあごを置くアリスのすぐそばまで行く。
「もっと……顔」
顔を近づけろってことか? 俺はアリスの顔を覗き込む。
すると……、
「ああっ!」
一夏の叫び声が聞こえたのとほぼ同時、俺のくちびるにやわらかい何かがそっと触れた。瞬間、全身が脱力してえも言えぬ幸福感に全身が満たされる。目の前には目を閉じたアリスの小さな顔があり、とても幸せそうに見える。
ああ、俺はアリスにをキスされたのか。その事実はすぐにわかったが、なぜアリスが俺にキスをしたのかはまったくわからない。
キスは気持ちがいい……だがこれ以上続けるとタガが外れてしまいそうだ。
俺はアリスの肩を持ってアリスの小さな花びらのようなくちびるから俺のくちびるを離す。
「お前……」
「今のはキスじゃないから! あんたが実の妹にこれ以上変なことしないようにあたしが邪気を吸い取っただけなんだからっ! そういうのじゃないんだからねっ!」
「アリスちゃんばっかズルい!」
再びさっきの幸福感がくちびるから全身に染み渡る。今度は一夏にキスをされた。しかも首に腕を回されて離れたくても離れられない。
お互いの呼吸のタイミングでようやくくちびるが離れる。その瞬間無理やり一夏を剥がしてキス地獄から逃れた。
「にぃにぃ……私、嫌い?」
「そういうのじゃない! 俺は実の兄だぞ?」
「私と兄さんはたしかに兄妹だけど、今日初めて会ったんだし……いいよね?」
「よくない! ……と思う。そういうのは控えてくれ」
おい俺! 何故自信なさげに否定した! そこはもっとはっきり言い切るべきだろ! バカなのか!
すると一夏は少ししょんぼりして、
「うん。わかったよ兄上」
と。
「それと! 呼び方統一してくれないか? なんか変な感じがする」
キスから話を逸らすためにそんな話題を振る。まあちょうど呼び方については気になってたし。
「なんて呼んで欲しいの?」
一夏は小首を傾げてあごに人差し指を当てる。
「うーん」
正直なんでもいいが、人前で呼ばれて恥ずかしくないのがいいよな。
「お兄ちゃん……とか?」
「えー! なんか普通すぎるよ」
「普通すぎていいんだ」
「嫌だよ!」
「呼び方決めていいって言ったのは一夏だろ?」
「センスがないんだよ。セ・ン・ス!」
「あーもうじゃあなんでもいいよ。好きに呼んでくれ」
「わかったよロリコン兄さん!」
「ロリコン!? 俺はロリコンじゃねえ!」
何言ってんだ一夏は。
「ただテキトーに言ってみただけなんだけど? その慌てっぷり、まさかお兄ちゃんは本当にロリコンなの!?」
一夏は引くわーみたいな目で俺を見てくる。このメスガキめ!
「ち、違うぞ! 俺は決してロリコンなんかじゃない!」
否定しなければ! 学校のみんなにそんなこと言いふらかされたらたまったもんじゃない!
「嘘はつかなくていいんだよ? 私と隆臣は一心同体。なんでもお見通しなんだから!」
一夏は薄い胸をぐぐいと張った。
――バンッ!
アリスの発砲だ。ナイスアリス! これで話が逸れるぞ! だがアリスのことを放ったらかしにしてしまっていた。ヤバイアリス激おこじゃん!
「一夏っ! あたしが隆臣のファーストキスなんだからね! あたしが一番なんだからね!」
「別に一番なんて誰だっていいんだよ。最終的に私がお兄ちゃんと結婚できればいいだもん!」
「あんたは実妹だから結婚できないでしょ! あたしは許嫁! 両親公認!」
「お兄ちゃんだけど愛さえあれば……」
「関係ある! しかもあんたはガイスト! 結婚とか絶対ありえないから!」
アリスと一夏が口論になってる。俺と結婚するのは幼なじみか実妹かで争ってるけど、俺はどちらとも結婚するつもりはない。当然だ。
□
それから2人は10分間も言い合いをしていたが、2人はいつの間にか仲直りどころか仲良しになっていた。女っつーのはよくわからんな。何はともあれこれにて一件落着だな。
とりあえずすっぽんぽんの一夏にはアリスの下着と予備の制服を着てもらう。制服のサイズが少し大きい気がするがおおよそ問題はないだろう。学校へ行く準備は完了だ。
□
俺はベントレーを運転し、助手席にアリス後部座席に一夏を乗せて魔術学園へ向かう。その道中で一夏について色々知ることができた。
ガイストとは生物の霊魂が宿主となる人間の体内由来の魔力粒子に憑依し、その際に生前の記憶や信念を元に上級感覚や第八感覚とは異なった特殊能力を得る。
植物系のガイストはほんの10〜20パーセント程度で、その他は動物系となっており人間はそのうち10パーセント以下である。死人の霊魂は生者により鎮魂され幽世に渡る。仮に現世に残る者がいたとしても、そのほとんどが霊体化して現世にしがみついているためガイストになることはできないんだとか。幽霊はガイストにはなれないってことだ。
一夏は母さんのお腹の中で死んで霊魂となり、俺が生まれる直前に俺の中に入ってきたという。あの満月の夜まで一夏は俺の中で俺を見守ってくれていたらしいが、俺が白髪の少女に殺される寸前にガイストとなりその能力で俺を助けてくれたんだって。蘇生にも近い治療を行った代償として一夏はしばらくの間実体化できなかったらしい。けどアリスとの模擬戦で俺に助言をしてくれていたのは一夏だったようだ。あのときはマジで助かったぜ。
これで少しずつ謎が解けてきた。俺はあの夜確実に死んだがガイストである一夏が治してくれた。そしてなにより……あの少女は現実に存在する。それを知ってなんとなく緊張してきた。だってあんな美少女が現実に存在するんだぜ? 絶対に会いたい! そのためにももっと強くならないとな。会った瞬間また殺されちまうかもしれない。
一夏は普通のガイストと同じく実体化、霊体化、霊魂化ができ、実体化した状態での空中浮遊や宿主……すなわち俺とのテレパシーでの交信も可能だ。これらはガイストの固有能力で全てのガイストが等しく持っている。
魔術学園の駐車場に着き、そこから高等部の校舎へ向かうまでの間に一夏は実体のまま浮遊したり霊体化して俺やアリスをすり抜けたり俺にテレパシーを送ったりしてくれた。
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一旦職員室に行って代々木先生にガイストを獲得した旨を伝えて書類を仕上げると、俺、アリス、一夏は闘技場へ訪れ、一夏にガイスト能力を披露してもらうことになった。
「いくよ」
一夏がそう言うとその小さな手の平の上に俺が数日前購入したシグP420M18が出現した。俺はホルスターを確認したがちゃんとP420は入っている。
「本物か確認してみて」
アリスが受け取りP420を細かく調べる。マガジンを抜いて9ミリパラをじっくり観察したり、スライドをカシャカシャ動かしてみたり、通常分解してみたり……。そして、
――パンッ!
発砲して本物であることを確認した。
「すごいわ。ここまで高い再現度で拳銃を複製できるなんて」
アリスはセフティをかけて一夏にP420を返す。
「へへへ。実はね私……」
一夏の海のような深い青の瞳が透き通った泉のような水色に変化した。
「第九感覚も持ってるの」
第九感……五感が発達した異能力か。一夏のは見るからに視覚が発達したものだな。てかガイストでも上級感覚を使えるんだな。異能力は1人につき1つみたいな感じに思ってたけど、別系統の異能だったら重ねて持つことが出来るんだな。
「この目を発動するとね、何でも見えるんだよ。物体の構造とか物質を構成する素粒子とか魔力の流れとか! ほんとに何でも! 私のガイスト能力だけだったら拳銃みたいな複雑なものは複製できないけど、第九感のおかげでどんな複雑なものでも複製できるんだよ」
「超望遠の上位互換って感じね。おそらく第九感の中でも相当強力な部類に入るわ」
アリスはそう分析しながらアリスの宝石のような水色の瞳を見つめる。
「でもこの状態はあんまり長くはもたないんだよ。30秒が限界かな」
一夏の瞳が元の濃い青色に戻る。平気そうに話してはいるものの額には一筋の汗が垂れていた。たった10秒の発動でもちょっと辛そうだな。一夏には無理して第九感覚を使わせないようにしないとな。
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一夏をクラスに連れて行ったらみんなすぐに歓迎してくれた。男子にも女子にも大人気で一夏はすっかりクラスの人気者。質問攻めに合いはにかんで俺の方を見てきたあの表情は我が妹ながらかわいいと思った。
東京魔術学園では原則、知能を持つガイストは宿主が責任もって管理することが義務付けられているが、一夏は言葉が通じるので勝手にどこかに行ったり急に暴走することはない。これがもしライオン型のガイストだったら素で強い上にガイスト能力持ちかつ言葉が通じない……アリスが俺を無理やり魔術学園に連れてきた理由が今ならわかるな。
さてここで困ったことが1つある。それは授業中の一夏をどうするか問題である。必要時以外のガイストの顕現は校則的にはアウトだが、一夏は人型なので特例で常時顕現が許されている。
一緒に授業を受けるにしても一夏の学力は小学生並みなのでそれは無理。俺が授業を受けている間ずっと学内をぷらぷらしてもらってもいいが、さすがに時間が長すぎるし一夏も飽きてしまうだろう。
そんなとき、我らが頼れる代々木先生が初等部の男子生徒を連れて来てこう言った。「初等部に一夏ちゃんの籍を用意しといたから、さっそく初等部の方に移動しちゃってー」。一夏は大きなメガネをかけた男子生徒と共に初等部の校舎へ移動した。
アリスが言うにはこんな特例中の特例は代々木先生じゃなかったら用意できなかったってさ。代々木先生本当に色々とありがとうございます! 代々木先生のおかげでうちの妹もようやく青春が楽しめそうです。
ご閲覧ありがとうございます!