一人になりたい
一人暮らしがしたい、私はもう二十二歳。親が一人暮らしを許してくれない大学生なんかではなく、学校を卒業した立派な社会人二年目だ。
一人暮らしがしたい、それがどういう意味かというと、現在は二人暮らしということ。同い年の恋人と社会人になると同時に同棲を始め、二年ほど同じ部屋で暮らしている。東京の端のほうにある小さなアパートで慎ましく暮らしているつもりだが、恋人と離れて一人で自由に過ごしたい気持ちがある時点で慎ましくはない。一言で言えば「飽きてしまった」に尽きる。何にと聞かれると一つに絞って答えることはできないが、暮らしにも、通勤経路にも、恋人にも、飽きてしまった。
朝、私は気持ちを固めていた。恋人に不満はない。ごめん嘘ついた。所々目について嫌になってしまうものはあった。私は結婚して家庭を持つことが似合う女じゃないのだ。そんな感じで気持ちをぺたぺたと固めていた。恋人は会社に行く支度をしている。シャツのボタンを留め、歯磨きをして、カバンの中身を確かめていた。私は全然固まり切っていない気持ちだけをもって勢いだけで口を開いた。
「別れたい」
恋人が私を見て固まった。口がゆっくり少しだけ開いて、少しの間があり、いびつな笑みで問いかける。
「なんで?」
そうだろう。昨日まで私たちは一緒にご飯を食べて笑い合っていたのだ。一緒に布団に入りおでこを合わせて幸せを感じていたのだ。飽きちゃったから、とは言えない。私はここまできても私が悪者になってしまうことが怖い。仕方がない理由をつけて無難に別れたい。どこまでもどうしようもない人間だ。
「ハル君のこと、好きかわかんなくなった」
恋人の口が小さく開いたり閉じたりを繰り返し、唾を吞む音が聞こえた気がした。
「帰ってきてからちゃんと話そう。仕事行ってくるね!」
恋人が元気にそう言ったにも関わらず、私は今まで通りのいってらっしゃいを返すことはできず、頷いたことを挨拶とした。
その日は何にも集中できず、ふとした時に空を見つめていた。私に泣く資格はないし、泣く理由もない。仕事中に上司が言った冗談にも乾いたような気持ちの入っていない笑いを返すことが精いっぱいだった。最近の業務では残業はほとんどない。きっと恋人もそうだろう、定時で帰ったら部屋に恋人がいるのだ。帰り道は緊張で胸が潰れそうだった。別れることを拒否されるかもしれないし、殴られるかもしれない、物を投げられるかもしれないし、自殺をほのめかされるかもしれない。ありとあらゆる想定、その全ては私のせいだ。部屋に入るとハル君はまだ帰ってきていなかった。早く話し合ってスパッと別れたい。最低だ。
ハル君が帰ってきてからはほぼ記憶がない。自分にとって嫌な記憶がないなんて、私は脳みそまで最低だったのか。割と穏便に別れ、別れたとはいえまだ少し一緒に住むことが決まっている。次はどこに住もうか。切り替えが早いのはやはりこの脳みそのせいだろうか、いえ、それも含めて全て自分のせいです。
道に銀杏が落ちた跡がある、そんな時期に引っ越しも終わり、私は新しい部屋に一人寝転がっていた。家具家電は必要最低限あるし、生活インフラも何とかなっている。一人でも生きていける、それが嬉しかった。これからは家具を買うときに色や柄の相談をしなくていいし、夜遅くに一人で出かけてもいい、いつ友達を部屋に呼んでもいいのだ。全て私にとって嬉しいことだけを頭に思い浮かべたはずなのに、自分の考えが強がりにしか思えない。素直に嬉しいと喜べないのは罪悪感からだろう。良かった、私にまだ罪悪感があって。そんな考えも強がりにしか思えないのだ。