宮古島攻防戦
平成から令和になって間もなく中国の武漢から世界的流行を引き起こした新型コロナは一応の終息をみせてきたものの、新型コロナが引き起こした世界規模の経済不況は未だに回復する気配がなく、中国も例外ではなかった。同時にチベットとウイグル等の各自治区で分離独立を求める運動が活発化していた。中共(中国共産党)は武装警察の投入を図ろうとしたが、軍事クーデターが起きたミャンマーで少数民族「カレン族」に対するミャンマー政府の弾圧が国際社会から非難を受けたことから、同じようなことを迂闊にすることができない。この国内の緊張状態を打開するために、中共は過激で博打的な外交手段で活路を見出だそうと考えた。
202X年。
この年も台湾海峡では中国海軍の空母「遼寧」を含めた艦隊が演習を行っていた。空軍も参加する大規模なもので、2016年以降台湾で独立派の総統が誕生して以来、台湾独立の動きが高まったことを背景に中台両国の緊張はさらに高まっていて、演習は台湾に対する恫喝でもあった。
中共の不穏な動きにアメリカは台湾有事(中国軍の台湾侵攻)を想定し、ベンガル湾でインド海軍と共同演習中だった米海軍第7艦隊の空母「ロナルド・レーガン」打撃群を急遽、台湾方面へ向かわせることを決定し、台湾有事が日本の南西諸島にも及べば日米安保に基づいて米軍も協力することを日本政府に伝えた。
アメリカからの情報を受けて、日本は中国軍の侵攻に対応できるよう自衛隊に何時でも出動できる態勢を整えさせ、日本全国に緊急展開可能な千葉県習志野の第1空挺団をいつでも出動できるようスタンバイさせ、水陸機動団を載せた輸送艦「おおすみ」とヘリコプター搭載護衛艦「かが」を沖縄近海へ向かわせた。
沖縄本島と宮古島の間にある290kmの宮古海峡は排他的経済水域にあり、東シナ海と太平洋を隔てる要衝である。なかでも西太平洋への進出を目指す中国海軍にとって、宮古海峡は最短で太平洋に進出できる出口として重要視しているとされ、宮古島を含む境界線上の島々は第一列島線と表現され、海洋戦略上重要な概念になっている。近年の中国は、海洋利権拡張のために尖閣諸島や南沙諸島、西沙諸島といった離島の領有権を主張し、宮古島近海でも領土拡張を示唆する中国軍の動きが見られる。宮古島では、中国の軍国主義姿勢を脅威として現実的に受け止める人々がいる一方で、近隣国と軍事的緊張を高めるとして自衛隊配備に反対を唱える人々もいる。
宮古島市の各所で突如爆発音が断続的に響き、宮古空港と下地島空港でも同様の爆発騒ぎが起こった。宮古島警察署が対応に追われる中、下地島空港のターミナル内で自動小銃の連続した銃声が鳴り響き、「静かにしろ!大人しくしていれば危害は加えない!!」と流暢な日本語が空港内に響いた。時を同じくして、宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋でも爆発騒ぎがあり通行不能になり、宮古島の陸上自衛隊宮古島駐屯地と航空自衛隊宮古島分屯基地が武装集団の襲撃を受けた。
宮古島警察署からの報告を受けて、沖縄県警は特殊部隊「SAT」と国境離島警備隊に出動の準備を命じたが、襲撃者達が高度な訓練を受けた他国の特殊部隊である可能性があるとのことで、宮古島での事態は警察力のみでの対応に限界があると判断した沖縄県知事は、やむを得ず自衛隊の治安出動を要請した。自衛隊の最高指揮官でもある内閣総理大臣からの治安出動の下令を受けて、那覇駐屯地の第51普通科連隊を出動させ、第15ヘリコプター隊のUH-60JAとCH-47J/JAの各種輸送ヘリコプターをスタンバイさせた。
宮古島を襲撃したグループの正体は中国軍の特殊部隊であり、その目的は宮古島の自衛隊部隊を壊滅し、宮古島を掌握することだった。対空レーダー及び周辺諸国の電子戦関連情報を収集する「地上電波測定装置」を有する空自の宮古島分屯基地が壊滅してしまうと、防空活動に重要な警戒管制レーダーからの情報が途絶え、先島諸島空域がブラックアウトし防空の穴が空いてしまう。その後で中国軍の空挺部隊が強襲をかけ空港施設を制圧する計画だった。
中共の最終的な目標は台湾海峡で演習中の中国軍が台湾に侵攻し、70年以上続いていた中国国家統一の戦いに終止符を打つことであった。そうすれば国内で活発化する分離独立運動も武装警察を投入するまでもなくシャットアウトすることができる。宮古島の空港施設を奪取できれば台湾侵攻の足掛かりとなり、沖縄の在日米軍の介入も遅らせることができると考えられたのだ。
宮古島襲撃が始まる数日前、観光客団体を装った工作員が現地の日本人協力者の手引きで宮古島に潜入し、空港、警察、自衛隊の各施設を偵察。その後、中国海軍の潜水艦によって運ばれてきた特殊部隊を誘導し、特殊部隊が行動を起こした後は再び観光客に扮して後方支援に徹した。
陸自宮古島駐屯地は南西諸島海域における中国及び朝鮮半島有事などの軍事的脅威に対する日本の離島防衛態勢強化を目的として開庁し、普通科中隊(4個小銃小隊、迫撃砲小隊、狙撃班)を基幹部隊とした「宮古警備隊」が駐屯していた。中国軍特殊部隊の襲撃を受け、宮古警備隊は駐屯地内で浸入した特殊部隊との攻防戦を繰り広げていた。浸入した敵は10人程のグループで、数では宮古警備隊が優っていたが、敵はこの任務のために訓練を積み重ねた中国軍特殊部隊の中でも選りすぐりの精鋭で、一進一退の防戦が続いた。宮古島駐屯地はなんとか持ちこたえていたが、空自の宮古島分屯基地では基地警備隊が中国軍特殊部隊との戦闘に苦戦を強いられ、壊滅も時間の問題かと思われた。
この危機に真っ先に駆けつけたのが陸自の特殊部隊「特殊作戦群」であった。この時、特殊作戦群の精鋭1個中隊が沖縄で米陸軍特殊部隊「グリーンベレー」との合同訓練を行っていて、宮古島への出動命令を受けて、米海兵隊のMV-22「オスプレイ」に乗り込み普天間基地から発進した。有り難いことに戦いに必要な武器弾薬も米軍から提供された。宮古島分屯基地上空に到達したオスプレイから特殊作戦群の精鋭達が次々にロープ降下し、空自基地警備隊に加勢して戦闘に加わった。数時間の戦闘の末、分屯基地を襲撃した中国軍特殊部隊グループの殲滅に成功した。陸自宮古島駐屯地でも特殊作戦群の増援によって中国軍特殊部隊を殲滅し、その後第15ヘリコプター隊のCH-47輸送ヘリで第51普通科連隊1個中隊と沖縄県警機動隊が到着し、宮古警備隊と特殊作戦群を先頭に宮古島市街地へと向かった。後の増援部隊の到着のためにも宮古空港と平良港の安全確保を最優先に行う必要があった。
中国軍特殊部隊によって爆破された伊良部大橋の復旧に宮古警備隊本部中隊の施設作業小隊が全力で取り組む一方、伊良部島に“日本版海兵隊”こと水陸機動団が上陸を行っていた。本隊の上陸に先駆けCRRC(戦闘強襲偵察用舟艇)で先行した偵察隊から安全確保の報告を受けて「おおすみ」より戦闘上陸大隊の水陸両用車「AAV7」とエアクッション挺「LCAC」でトラック等の車輌が陸揚げされ、「かが」から発進した輸送ヘリで水陸機動団の隊員達が運ばれた。
水陸機動団の偵察隊は下地島空港の情報収集を行い、空港から脱出してきた利用客から襲撃時の状況を聞き出していた。空港襲撃で中国軍特殊部隊は駆けつけた警官数名を射殺しただけで空港職員と利用客には一切の危害を加えていなかった。しばらくしてから航空管制等に必要な男性職員を数名残し、あとは全て解放されたという。
空港内の一般人が少なく、女性と子供が解放されたというのは自衛隊側にとって好都合だった。短時間で下地島空港を奪還し数名の職員を救出する作戦が立てられた。
宮古島より狙撃要員も含めた特殊作戦群1個分隊が合流し、サプレッサー(消音器)を装着した対人狙撃銃「M24SWS」での狙撃を合図に空港への突入が始まった。AAV7を盾に進む水陸機動団に続くのは第1空挺団の第1普通科大隊であり、彼らは木更津駐屯地の第1ヘリコプター団のCH-47輸送ヘリとV-22オスプレイによって運ばれ、空挺団の高機動車や軽装甲機動車は空自の輸送機からパラシュート投下された。水陸機動団と空挺団は滑走路から空港内に突入し、第15ヘリコプター隊のUH-60JAから沖縄県警SATが空港施設の屋上へ降下してターミナル内に突入し、占拠していた中国軍特殊部隊に向けてMP5サブマシンガンをセミオートで射撃した。自衛隊と警察の合同部隊の圧倒的な戦力の差で1時間程の戦闘で制圧され、職員の救出にも成功した。
その後、宮古島に即応機動連隊や普通科連隊戦闘団等の本土からの増援部隊が次々に到着し、最終的には宮古島周辺の安全が確保され、戦闘終結を中央に報告。その後に政府から戦闘終結宣言が出された。
宮古島での中国軍特殊部隊の壊滅の知らせは中共側にも届き、衝撃が走った。日本政府がここまで本気で対応するとは思ってなかったようだ。また、米海軍第7艦隊空母「ロナルド・レーガン」打撃群も台湾周辺に到達して、台湾侵攻を諦めざるをえず、台湾海峡から中国艦隊を引き上げさせた。
宮古島でのことについては「中国国籍を名乗ったテロリストグループによって起こされた事件については、こちらとしても大変遺憾である」と声明を発表し、特殊部隊を運んだ潜水艦については海上自衛隊に捕捉されていたが「演習中に故障によって迷い混んでしまった」と発表し、宮古島襲撃に関しては完全に知らぬ存ぜぬの態度を通した。戦闘後の日本側の調査でも、中国軍特殊部隊が身分を明かすものを一切所持してなく、使われた銃火器も中国製であったものの中東やアフリカへも輸出されている旧式のもので、中共の関与を裏付ける決定的な証拠とはならず、結局はうやむやのままとなってしまった。
しかし、中共も日本自衛隊の実戦での即時対応能力を見せられた以上、尖閣諸島も含めておいそれと手出しできないことを見せつけられ、台湾併合にも失敗しチベットとウイグル等の分離独立運動に再び頭を悩ませることとなった。
日本でも国会で野党から政権の責任を追求するような言葉が出されたが、自衛隊を褒め称える世論の声が強いことから、野党もこれ以上のことは言わなかった。宮古島でも自衛隊配備に反対していた市民団体が「自衛隊が配備されたことで起こったこと」だと騒ぎ、沖縄の地方メディアにも自衛隊の責任を訴える主張を投稿したが、その市民団体が中国軍特殊部隊を手引きした日本人協力者だったことがSNS等のネットで拡散され、逆に非難された。以前から中国側からの資金提供が疑われていて、今回の件でも協力した見返りは多額の資金提供だった。
結果的には日本・自衛隊の対応が中共の台湾侵略の野望を打ち破ることとなり、中国軍の侵攻を防ぐことができたとして台湾総督からも外務省を通じて日本に対して感謝の言葉が送られ、今後も日米と連携した対中共の防衛体勢を強化していきたいと言ってきたのだった。