【十二:アイリッシュと教会】
「さぁ着きましたよ、エカチェリーナさん。」
「ありがとう、アイリッシュさん。」
教会に入った私(俺)とアイリッシュ。私(俺)はキョロキョロ見回すという令嬢としては行儀の悪いことをしているととある物を見つけた。
「なんだろう…この荒々しい絵……。」
教会に飾られる絵というものは大抵大人しいものだ。だけどこの教会の礼拝堂に向かうまでの廊下に立てかけられた絵は荒々しい。一言で言うと「戦っているという描写に全てをかけているような絵」だ。
珍しい絵に惹かれて私(俺)が歩みを止めてしまっていると、アイリッシュが駆け寄ってきた。
「珍しいですか?その絵、私のおじいちゃんが描いたんですよ。」
「え…?この壮大な絵を…貴女のお祖父様が…?」
筆を勢いよく走らせたような力強い絵。その絵を描いたのがアイリッシュのおじいさん。すごい……。
「本来ならこの教会に飾られるはずじゃなかったんですけど、神父様とその家族さんがおじいちゃんの描いたこの絵を是非教会に飾りたいってきかなくって。」
人の心を揺さぶる絵、というわけか。
確かに私(俺)もこの絵をしばらく見ていると何だかやる気のようなものが湧いてくる。気分が高揚するのだろう。アイリッシュのおじいさんはとんでもない画家だ。
「さ、エカチェリーナさん。救急セットを持ってきたので手当てをしましょう。足を消毒しますからタイツを捲ってもらえますか?」
「わかりました。……っ。あ、ありがとう。アイリッシュさん。消毒液がよく効いているみたい。」
アイリッシュの手当ては優しい。でも患部にはめちゃくちゃ染みる。イタタタタ。我慢我慢。せっかく手当てをしてくれているのに贅沢や文句など言ってはならない。
一通り消毒が終わり、アイリッシュがガーゼをテープで止めていると扉がギィ……と音を立てて開いた。誰が来たんだ…?まさかミゼルたちが……!
「アイリッシュさん、どうしたんだこんな真夜中に教会に入って…もしかして忘れ物でもしたのかい?」
「あっ、ダイゴローくん。ごめんね、軽傷だけど怪我人が居たからここで手当てしようと思って。」
ダイゴロー。
え。ダイゴローってあの……。
『アイリッシュはどうして俺に構うんだい?小柄で…かっこいい見た目じゃないし…東洋人ってだけでみんなに笑われる俺なんて…君もあいつらにいじめられてしまう!』
『前髪を上げてみたんだけど…どうかな。』
『神様は俺と君に微笑んでくれているかな。…微笑んでくれればいいな。』
ダイゴロー・オニゴロシ。「愛の鎖」では主人公:アイリッシュのクラスメイトで彼女の隣の席に座る比較的目立たない男。大きな特徴は真っ直ぐカーテンのように目元を覆う前髪。両目が隠れている為表情を読み取ることが難しい。
そして彼は攻略キャラの一人だ。「東洋からやってきた転校生」で、聖職者家族の長男である。ここまでは攻略キャラとしては比較的「普通」「よくある」タイプだが彼の「ゲーム内での事情」がとんでもなかった。
「東洋人差別」である。舞台は中世でもなんでもない現代のはずなのにここだけ中世かよと言いたくなるぐらいガバガバな部分だ。この世界は平民差別をするわ東洋人差別もするので攻略ウィ○や動画サイトで「取ってつけたような事情を背負うことになったダイゴローくん可哀想すぎる」「彼のルート作成時ライター戦争映画見た説」「この差別を払拭すれば世界の救世主として君臨できそう」なんてコメントが溢れていた。
そんな踏んだり蹴ったりで閉鎖的になっていた彼を勇気づけたのがアイリッシュだ。彼女も平民差別を受けていたので二人は頻繁に話す仲になるのは早かった。
…蛇足になるかもしれないが悪役令嬢:エカチェリーナは勿論ダイゴローにつらく当たっていた。いや石を投げるぐらい差別していた。というか差別の中心的人物だ。なんて女だ。私(俺)は本当とんでもない女に転生したものである。
だがしかしどうだろう。今目の前に居るダイゴロー・オニゴロシは差別を受けているようには見えないし、あの両目を隠していた前髪は後ろに流している。焦茶色の両目が顕になって表情がわかりやすくなった。
この姿は確かダイゴローのルートの終盤で彼が見せた姿。またおかしくなってるぞ。この世界はジンルート…ああもう逆ハールートだからおかしくなくなってるんだよな。そうだよな。今のところ彼女に想いを寄せているのはジン・マリス・ミゼル・ダイゴロー。私(俺)はこいつら全員に断罪されるのか…。生きてられるかな…。ジンに断罪されたあたりで飛び出してそうだが。
「君が親切なのはいいけど俺に少し声をかけてくれないかな。いきなりのことで驚いてしまったじゃないか。」
「ごめんね。ちょっと『訳あり』そうな人だったからなりふり構ってられなかったの……。」
「別に責めてはいないよ。これからは気をつけてね。……ところで怪我人というのは、君かい?」
アイリッシュと話をしていたダイゴローが私(俺)の方を見る。原作でのこともあり私(俺)は彼を直視することができないでいる。一体何を言われるか……。
「ええ、私(俺)はエカチェリーナ・アイリス。私(俺)の不注意で転んでしまったところをアイリッシュさんに助けていただきましたの。…真夜中にごめんなさい。」
ダイゴローは黙ってしまった。いい気味だ、とでも思っているのだろうか。私(俺)がエカチェリーナ・アイリスになる前に差別を彼におこなっていたのであれば、そう思われても仕方ないことだろう。
……などと落ち込んでいた私(俺)にダイゴローは責めることも糾弾することもなかった。投げかけた言葉は私(俺)の想定していたものとは異なっていた。
「君がエカチェリーナ・アイリス?……ウォッカさんがよく話していた子が、君なのか?」
「はい?…何故ウォッカ先輩が……?」
話が見えてこない。「突然」が土石流のように勢いよく流れ込んでくる。溺れてしまう。助けてくれ。状況整理をしたいがそんな時間もくれやしない。
ダイゴロー曰く。
ウォッカ先輩はダイゴローの家族が所有している土地の一部を借りて住居を構えているらしい。どうやら食堂で一緒にいた女性もそこに住んでいるようだ。だがダイゴローも彼の家族もそこまでしか知らない。あんまり詮索するのは失礼だろうと考えているからだ。
教会近くで仮の住まいを建てている。ウォッカ先輩も聖職者の家系なんだろうか。
…ダイゴローとアイリッシュは少し席を外す、と言ってこの場を離れた。よし、状況整理だ。
[場所]
教会。ダイゴローの父が神父である。よく来るのはオニゴロシ家と教会の廊下に飾られた絵を描いたアイリッシュの祖父とアイリッシュ。ジンはたまに来る程度。
[時間帯]
真夜中。私(俺)が家出をしてから何時間経っただろうか。恐らく午前一時ぐらい。体感だけど。
[状況]
家出をして勝手にぶつかって転んで怪我した私(俺)を優しいアイリッシュが教会に手当ても含めて匿ってくれた。そして教会でアイリッシュのクラスメイトであるダイゴロー・オニゴロシと顔を合わせた。
ダイゴローとウォッカ先輩はとても親しい関係にある。先輩はよく私(俺)のことをダイゴローに話しているらしい。
簡潔にまとめるとこうなる。
自棄を起こして家出をしたはいいがこれから何処へ逃げればいいんだろうか。アイリッシュは私(俺)の事情を汲んで他言しないと言ってくれたし優しくしてくれているけども、いつまでも彼女とダイゴローに甘えているわけにもいかない。早く次の場所へ移らないと。隣町まで何キロあったかな……。
マリスは気づいているだろうか?ミゼルは察しているだろうか?気づいたらどうするんだろう。刃物を持って私(俺)を断罪するために追いかけて来る?
ミゼル、ミゼルは……。
あ。ミゼル。
真夜中。
確かミゼルルートでは……。
「アイリッシュさん!ちょっと良いかしら!」
「え⁉︎どうしたんですかエカチェリーナさん!」
「君、教会では静かに…しかも今は真夜中だぞ!」
ダイゴローに怒られたが軽く謝れば良いだろう。それよりも、だ。
「アイリッシュさん、貴女いつまでもここに居てもいいの⁉︎」
「いつまでも、って何ですか…⁉︎」
「貴女、真夜中にミゼルと会っているのではなくて?ミゼルはいつも真夜中にお屋敷を出てどこかに行ってるって……!それは、貴女の所じゃないかしら…!」
「落ち着いてくれ!話が見えないぞ!彼女も同じく困っている。」
あ、そうだ。つい…混乱して……。めちゃくちゃになってた…、ああ。
私(俺)は深呼吸を数回してから、二人に事情を話した。真夜中に執事:ミゼルがお屋敷を出てどこかに行っていること。今日真夜中にアイリッシュが街を歩いていたので密会する予定だったのではないかということ。
…それらを話すと二人は不思議そうな顔をしていた。あれ…違っていた…のか?
「つまり、エカチェリーナさんの執事のミゼルさんって人が夜な夜な私と会ってデートをしていたんじゃないか…と思っていたんですね?」
「エカチェリーナ、それはかなり飛躍した勘違いだ。君の執事はアイリッシュと密会などしていない。更に言えばアイリッシュは真夜中に外出するような人物じゃあない。毎晩毎晩ジンと仲良く電話をして……」
「ダイゴローくん!それ以上は言わないで!…というかもうほぼ全部言っちゃってるじゃない!」
私(俺)の読みは大いに外れていた。
「ミゼルが真夜中にお屋敷を出てどこかに行っている」イコール「ミゼルルートよろしくアイリッシュと密会して愛を育んでいた」、ではなかった。アイリッシュが真夜中にしていることはミゼルとの密会ではなく恋人であるジンとのラブラブな電話だったのだ。
恥ずかしい。私(俺)は恋愛脳になってきているのだろうか。アイリッシュを魔性の女として扱いたいのか?失礼極まりない。本当に。
じゃあミゼルは真夜中に何やってるんだ?何処に行っている?
家出した身なのに私(俺)はミゼルのことを気にし始めていた。