【九:未知の人物V】
今日の私(俺)は少し怠さを感じながら起きた。やはりミゼルの読めない行動原理と自分を気にしている人物とは何者なのか?という二つが私(俺)の十分な睡眠をとるのを阻んだからだ。
前者は追々……で行くとして、後者は学園に行かないと分からない。前に進めない。一体何者なのか。おそらく男子生徒なのだろう。その男子生徒が「愛の鎖」ではどういったポジションなのか、さらに言えば私(俺)にとってどういう存在なのかをはっきりさせねばならない。
「早く起きないとマリスが心配する……早くメイドを呼んで着替えを頼もう。」
今日の着替え担当はアイリス家メイド長:ベルモット・サイドカーだ。彼女は四十代にして数多のメイドのリーダー兼指導者。性格はお堅く勤勉……だけに見せかけて大の猫好きという定番中の定番のギャップを備えた女性である。
「愛の鎖」ではエカチェリーナに従順。というよりエカチェリーナの悪行には我関せずという姿勢だった。彼女の詳細がわかるのは隠し攻略キャラ:マリスとミゼルのルートのみ。この二つのルートでは他ルートで殆ど喋ることのなかった彼女が色々話してくれる。アイリッシュの準お助けキャラとなる。二人の小さな情報を教えてくれる。……その会話の中で彼女の「大の猫好き」というギャップを知ることができるのだ。そのギャップにプレイヤーからは「BBA可愛い」「BBAを攻略するルートはありますか」という声が上がった。四十代の女性をBBA呼ばわりするとかおかしいだろ常識的に考えて……。中学生もBBAじゃねぇぞ。念のため。
「お嬢様。昨夜はよくお眠りになられなかったのですか?……少し隈のようなものができています。今日はコンシーラーをいつもより濃いめに塗っておくように化粧担当に伝えます。」
「あ、ありがとうベルモット。でも大丈夫よ。私(俺)をマジマジと見つめるような人なんていないからいつも通りでも……」
私(俺)が言い切る前に、ベルモットはずずいっと眉間に皺を寄せた顔を近づけた。
「お・嬢・様?失礼ながら、失礼ながらですよ。貴女様はアイリス家の御令嬢なのです。そのようにズボラなこと、お父君のデイビッド様やお母君のミカエリス様の御前で発言できますか?」
完全に負けました。押し…いや圧しが強い。本当にアイリス家のことを第一に思って行動してくれているんだなぁ……。
前世でも鬼畜女教師だのお局様だのそういう厳しい女性は居たが彼女はそれらには多分当てはまらない、と個人的に思います。何故か敬語になってしまったけど。
「全くもう……ミゼルは最近夜中に出かけているし…マリス様は部屋に籠って何か作業をされていますし……メイドたちの一人でしかない私ですがどうしても気になって気になって……。」
え、 ええ、 えええ⁉︎
マリスが部屋に籠っている、ミゼルが夜中に出かけている……だって?それはまるで……!
「(原作での二人のルート内の行動じゃないか‼︎)」
原作では、ミゼルは夜中にアイリッシュと密会して愛を育んだ。マリスはアイリッシュに喜んでもらおうと部屋に籠って薄桃色の石の嵌ったブローチを作っていた。それが同時に行われているだって⁉︎
「(おいおい!この世界はジンとアイリッシュが付き合う…それどころか婚約が確定したルートだろ?なんで二人のルートのイベントが発生しているんだ⁉︎)」
この世界は原作と大きく乖離している。それは分かったような気がしたんだが今こんな大変なことが起こっているなんて。これは、アレか。異世界転生特有のアクシデント。
……逆ハーレムエンド。
つまりこの世界でアイリッシュはジンだけでなくマリスやミゼルにまで愛されているということだ!なんてこった!これは悪役令嬢ポジションの私(俺)にとってピンチである。
「(ジンとの関係は悪くないけど、奇妙な二人は別だ。原作じゃあ断罪イベントは攻略キャラ一人とその他モブ協力者によって行われるがマリスとミゼルが結託して断罪イベントに発展したらどうなる⁉︎エカチェリーナは自暴自棄になって放火……じゃ多分済まされないぞ!下手したら殺人とかの流血沙汰になる可能性もある!)」
いや私(俺)はそんなことしないとは思うがこの世界の因果関係等がまだ把握できていないので無意識にそういう展開に発展して狂気にやられてそのまま……なんてことも有り得る。正気喪失である。
アイリッシュも可哀想にな……せっかくジンと平穏無事に愛を育めると思った矢先変人二人に気に入られて…。一人は気まぐれな何考えてるかわかんない奴。もう一人は何の為にどうして行動しているのかわかんない奴。どっちもわかんない奴じゃないか怖いな。
もっと逆ハーレムエンドって明るい感じのものじゃないのか。ワチャワチャしているというか。それこそもう一人の攻略キャラの成績優秀優等生キャラとかさぁ。そういうのとワチャワチャしようぜ?オレンジ色っぽいのに焦茶色とかが混じってドブ色になってるような感じで喜べない。
私(俺)がうだうだ考え込んでいるうちに着替えとメイクが終わっていたようだ。早く登校せねば。ちょっと混乱したけどベルモットたちメイドに感謝を告げ、私(俺)はマリスと学園へ向かうのだった。
学園の門を潜ると、少し大きめの人だかりができていた。女子生徒が集まっており、囲まれている人物を見ることがなかなかできない。……なかなか校舎に行くことができない、人物が見えないの二重の意味で集まっている女子生徒が邪魔だ。マリスは「邪魔だなぁ」というような表情をしていたので、マリスのイエスマンにならなければならない私(俺)は大きな声で
「まぁ皆さん朝から賑やかなこと!この学園の風紀も気にせずスカートのプリーツが乱れていることも気にせず一人の生徒に群がるなんて。恥ずかしいとは思いませんの?」
……と言い放った。
は、恥ずかしい〜〜‼︎なんだこのコッテコテのお嬢様言葉!私(俺)を今すぐ誰か気絶させてくれ〜‼︎まあ恥ずかしくないの?アンタら…ってのはちゃんと集団に言えたのでよしとしよう。
「あ、ああ、あらエカチェリーナ様!ごめんあそばせ…!」
「貴女たちの行く道をふ、ふふ、塞いでしまうなんてた、たた、大変お恥ずかしい、か、限り…ですわ…!」
「ああああおま、お待ちになって!私をひひ、一人にしないでくださいまし……‼︎」
蜘蛛の子を散らすように彼女たちは校舎内へと去っていった。みんなどもりすぎだろ。どんだけアイリス商会やばい組織なんだ。
さて、邪魔な人だかりも消えたしこれでマリスのご機嫌取りに成功したことだろう。そう思いマリスの方に顔を向けると。
「………。」
むちゃくちゃ不機嫌な顔をしていた。顔に無茶苦茶影差してる…よく漫画とかで見られる暗黒微笑の微笑を抜いたバージョンだ。それって暗黒じゃないか…いや本当に暗黒なんだよ。何で?え、何で?私(俺)はマリスにとって邪魔な奴らを追い払ったんだけど?イエスマンの姿勢は崩してはいないよ?じゃあ何でこんな不機嫌になってんの?
分からない。マリスの情緒が分からない。私(俺)が混乱しているとさっきまで囲まれていた人物がこちらに歩いてきた。
「どうもありがとう。君が彼女たちを注意してくれていなかったら私は遅刻するところだった。本当に君には感謝しているよ。」
長身のイケメン。簡潔に言えば、こうである。具体的に言うと、「真っ黒なセミロングのウエービーヘアー」「生活をしていく内になっていったものであろう小麦色の肌」。
……そして「何かを隠しているような糸目」である。何だろう。本気を出したら開眼する人なんだろうか。糸目なのに総合してイケメンと評することができる理由?分からない。もうオーラが「神秘的イケメンです」と語っているに等しかった。
「いいえとんでもありません。私たちも彼女たちに退いてもらえないと遅刻してしまうところでしたので。」
「ふふ、謙虚なんだね。初対面の人間を無意識とはいえ助けることができるのは少しぐらい誇ってもいいと思うんだけどな。……ああ、名前をまだ言っていなかったね。」
糸目のイケメンさんは私(俺)をたくさん褒めた後自己紹介に移ろうとしている。転生してからの新しい出会い。大切にしなければ。
「……ウォッカ。ウォッカ・アイスブレーカー。十八歳の三年生だ。」
ウォッカ。……うーん、原作では聞かなかった名前だ。これも「乖離した世界」の要素の一つなのだろうか。原作では三年生のエピソードなんて砂粒・米粒と言っていいくらい乏しかった。もしかすると何処かでいたのかもしれないが原作データがインストールされた私(俺)には彼の情報はヒットされなかった。
「ふぅ……。ねぇ、早く校舎行かない?せっかく姉さんが追い払ってくれたのに遅刻したら台無しじゃないか。」
マリスの物凄く不機嫌な声が私(俺)の状況整理を妨害した。まずい!機嫌を損ねたら火刑エンドだ…。
不機嫌なマリスはさらにウォッカ・アイスブレーカー先輩を一瞥して、敬語も無しにこう言い放った。
「じゃあね。……『エカチェリーナさんのことが気になっている人』さん。」
……と。
え?その言い方はアイリッシュの言っていた…!
マリスが投げかけた言葉に先輩は
「……ああ、また機会があればお話ししようか。」
と、涼しげな顔で返事をしたのだった。
これは……どういうことになるんだ…?