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1−1 ただの“木こり”だ


「わ、私を……食べるん、ですね」


 涼しい夜風が吹き抜ける、古めいた城の屋上。


 空へと張り出した一画は城壁塔と呼ばれ、元は防衛のための設備であった。

 しかし平和が続くこの王国では無用の長物であり、もっぱら王族の憩いの場として愛されてきた場所だ。


 年季が入った煉瓦の上で小さくなっていた少女が、震える声で問いを重ねる。


「ど、どう、なるんですかっ……? た、食べると」


 間を置かずに返答したのは、隅に座り込んだ彼女の前方を塞ぐようにして立っている存在。

 大柄な男だが、その姿はまさに“異形”そのものであった。


「キヒィッ……!」


 不自然に盛り上がった各部の筋肉に、岩のような硬質な肌。片目はヒトのものだが、もう一方は飛び出さんばかりに押し出され、絶えず少女を値踏みしている。


 そして目を引くのは、背から突き出たコウモリのような翼。ただし形はひどく歪で、とても飛べるようには見えない。

 実際この男は城内で少女を捕らえたのち、無様な足音を響かせながらこの場所まで進軍してきたのだった。


「オマエ、食べる。もっと、ツヨく、なれる!」

「そう……です、か」


 その恐ろしい宣告に、少女は叫び声のひとつも上げなかった。

 しかし夜空と同じ漆黒の髪は震え、毛先が華奢な肩を擦っている。


「……」


 連れ回され埃っぽくなった侍女服のスカートをぎゅっと握り、彼女はうつむいた。


――こんな自分でも、死に際くらいは。


 それは諦めでもあり、救われるような想いでもあった。

 優しい父王、そして自分に親切にしてくれた城の者たちの顔を思い出せば、確かに申し訳なさも込み上げてくる。


「ここ、で……」


 それでも少女は、17年という短い生をこの場で“終わり”にするのもひとつの手かとぼんやりと考えていた。


 少なくとも、愛する者たちにこれ以上の“迷惑”をかけることはなくなる。


「ギャハァッ! “シロノチ”、おれがもらったァ!!」


 おぞましい叫び声と共に、男の口が大きく開かれる。ヒトには不可能であるはずの角度にまで開かれたそこには、少女の決意が揺らぎそうなほど鋭利な牙が立ち並んでいた。


 シロノチとは、“白の血”と書くのだろうか――不思議な言葉を疑問に思ったが、もう辞書を引く時間は残されていない。

 少女は来たる痛みに備えて目を閉じ、身体を強張らせた。


「……ッ」

「アガッ!」


 大きな破砕音が鼓膜を震わせる。

 しかしそれは己の骨が砕かれる音ではなく、歴史ある煉瓦が抉られた音だった。


「コイツ――うごくな! 食えないっ」


 苛立った声を向けられてやっと、少女は床の上に伏せている自分に気づく。

 真昼の空と同じ色の瞳が瞬いた。


「あ……」


 先ほど自分が背をつけていた場所から剥がれ落ちる煉瓦を見上げ、己が回避行動を取ったのだと知る。


「わ、私っ……!」


 途端に喉と鼻の奥が痛くなり、目の端に熱いものが浮かんだ。


――生きたい。


 化け物の異様に伸びた爪が再び振りかぶられるが、少女の身体はまたしても勝手に横ざまに転がった。

 騎士たちが持つ剣のような凶器が、侍女服を切り裂きながら腕を掠める。


「きゃ!」


 煉瓦に転々と散った、鮮明な紅。

 腕を走る、灼熱の痛み。


「いた、い……いや……ッ!」


 まだ生きている。

 自分は、まだ――生きていたい。


「だれ、か……!」


 普段は塞がりがちな喉から、掠れた声が絞り出される。

 それは物語に出てくる乙女のような、どこまでも伸びゆく見事な救援の叫びではなかった。


「たすけ、て……!」


 窮地で発する一声すら、満足に上げることのできない自分。

 それでも少女は、自覚してしまった生への渇望から目を逸らすことができなかった。


 寂れた場所だと分かっていても、このまま無残に引き裂かれることになっても――その瞬間まで、下手くそな叫びを発するしかない。


「助けて……だれか――助けてくださいっ!!」

「ああ。わかった」


 渾身の叫びに応えたのは、落ち着いた低い声。

 同時に異形の巨体が大きく震え、振り下ろされた爪が少女の傍へと逸れていく。


 砕かれた煉瓦から舞い上がった砂埃に咽せつつ、少女は呆けた声を上げた。


「えっ……!?」

「どうした。助けを呼んだのだろう、王女フィールーン」

「!」


 警戒し飛び退いた化け物、その向こうから悠々と歩み出たのはなんとヒト――しかも、自分と同じ年頃とおぼしき青年だった。


「あ、あなたは……」


 月明かりに照らされた青年の顔は無表情に近い。それに反し青年が手にしている巨大な戦斧せんぷが、ぎらぎらと主張するように輝いていた。


 少女と化け物に見つめられた青年は、空いている手で群青色の頭を掻いてぽつりと言った。


「オレは、ただの“木こり”だ」

「き、木こり……さん?」


 まったく場違いなその職名に、王女――フィールーンの思考は一瞬停止する。

 そんな彼女を置き、先に反応を示したのは化け物であった。


「オマエッ……! ジャマ、するな!」

「あっ、あぶな――!」


 激昂した化け物の腕が風を裂き、青年へと襲いかかる。

 フィールーンのか細い警告は届かなかったのだろう、彼は回避の動きを見せなかった。


「グッ!?」


 それぞれがナイフほどもあろうかという太さの爪をまとめて受け止めたのは、青年が眼前に掲げた戦斧だった。

 どんな怪力の持ち主なのか、倍の背丈を持つ化け物の攻撃を受けても彼は一歩も後退する気配がない。



「……お前こそ、()()()するな」



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