77話 方針
竜王の住まう神殿へと集まった面々は、計八名となった。
古竜の王族として竜王とルーナ。
猫精族の代表陣は、故郷から再びここへと戻ってきた長老とその孫娘のメラリア。
さらに水精霊の姫君であるミルフィと、今回の事件の中心でもある神族のカルミア。
そして神竜皇剣リ・エデンの所持者である俺ことレイド。
最後に……。
『まさかアイルがこの場に来るとは思っていませんでしたが、あなたは分かっているのですか? 私たちはこれより、場合によってはあなたの神を……』
「分かっておるわ。委細承知しておるし、全て構わん。……いい加減、妾もこの国に住まう者として覚悟と所属を決める時が来たということだ」
腕を組み、迷いなく語る魔族のアイル。
こうして各種族の代表である計八名による、今後の方針を定める会議が始まった。
『まずレイド。リ・エデンの内蔵魔力であるが……率直に聞く。いつまで保つ?』
「正確に答えるのは難しいですが、十日間はまず保ちません。何度もこの力を使った身ですから、それくらいは分かります」
『そうか……』
竜王は息を吐き出し、何か思案しているようだった。
けれど竜王が次に何か言うより先、前に出たのは誰あろうカルミアだった。
カルミアは自身の胸に手を当て、訴える。
「竜王様。……私が行けば、全部解決するのでしょう? だったら私を魔神に差し出して。それで全て解決するなら、私は……!」
震えた声で話すカルミアに、竜王は『なりませぬ』と止めた。
『それでは魔神の思う壺。レイドからの話を聞く限り、カルミア様は魔神から逃れるために竜の国へ降りてきたのでしょう。ここまでの行いをする魔神にカルミア様を差し出したところで、より状況を悪化させる可能性すらあるかと』
「でも! 少なくとも魔霧は止まるわ! 私一人のために、関係ない人たちが大勢、理性のない魔族にされるなんてそんな……! 何よりロアナの故郷だって再建の途中なんでしょう? せっかく皆、頑張っていたのに……!」
叫ぶカルミアの訴えは、彼女からしてみれば道理かもしれない。
でも……。
「魔霧が収まっても、それで終わらないとしたら?」
「……レイド、どういうこと?」
振り向いたカルミアへと、俺は努めて冷静な声で話した。
「もしカルミアを引き渡して、魔霧が止まっても。既に魔族化してしまった動植物が元に戻るかどうかは分からないってことだ。竜の国の周囲、魔滅の加護による結界の外は、既に理性のない魔物のような魔族だらけ。もし魔霧が収まっても新生した魔族がそのままなら、魔滅の加護が切れた瞬間、物量差で竜の国は……」
「そ、そんな……」
カルミアは口を手で押さえつつ、後退ってよろけてしまう。
それをミルフィが後ろから支えた。
「でも、手がない訳じゃない」
俺はリ・エデンを鞘から引き抜き、掲げた。
リ・エデンの刃は魔滅の加護による陽光のような輝きで周囲を照らす。
「かつて魔王を倒した時のように、魔滅の加護は繋がりを辿って連鎖する。魔王を崇拝し、奴から力を得ていた魔族たちが消滅したように。魔神ノルレルスを魔滅の加護で滅ぼせば……」
『ノルレルスの力を受けて魔族化した動植物も消え、魔霧も止まる。前にリ・エデンの力を見た限りではそれも可能でしょうし、正直、私もそれがこの事態を止める唯一無二の方法だと考えていました。魔族化した動植物がもし元に戻らなくとも、この手段ならば。……お父様』
ルーナの言葉を受け、竜王は『分かっておる』と応じた。
『レイドとルーナの語った内容こそ、この状況を打開し得る、唯一無二の方法だろう。だが心せよ。我らが行く道は神殺し。決して容易な道のりではなく、何より、リ・エデンが竜の国から離れることとなる。策は講じたく思うものの、せっかく避難してきた猫精族たちには悪いが……』
竜王が目配せすれば、猫精族の長老は糸目を小さく開いた。
「何を申されますか。こうして避難させていただかなければ、儂らの種族はまた多大な被害を被っておりました。そもそも魔族の神とやらを滅さねば、この世に未来もないとのお話し。であれば我が一族の行く末のためにも、竜王様方のお考えに異論はございません。……だな、メラリア?」
未来の猫精族の長である少女、メラリアも「はい」と答えた。
「メラリアも異論はありません。そしてレイド殿。魔神と戦うのであれば、こちらをお持ちください」
メラリアは白い布で包まれた細長い物を抱えており、それをこちらに手渡してきた。
布を解けば、現れたのは。
「神竜帝剣リ・シャングリラ……!」
神竜皇剣リ・エデンと対になるように生み出された聖剣。
かつて剣魔ヴァーゼルが持ち、魔族の力に浸食されていたものの、奴の手を離れた今は元の力を取り戻している。
「この剣は前に、レイド殿から管理を託された品。しかし此度の戦には必要となりましょう。……リ・エデンの時とは違い、今度は確かに持ち出しました」
「メラリア……ありがとう」
急な避難であまり余裕もなかっただろうに。
こちらを思って行動してくれたメラリアには感謝しかなかった。
「……聖剣が二本になったのはいい。でも魔滅の加護を発揮しているのはリ・エデンだけ。策を講じるといっても、竜の国の守りは具体的にどうするの」
ミルフィの冷静な指摘に、一同は黙り込んだ。
そうだ、問題はそこなのだ。
仮に魔神をリ・エデンで倒せたとしても、その頃には竜の国は魔霧に呑まれて滅びているかもしれない。
『ワシとしては、この神殿を活用しようと考えていた。竜の国に住まう皆を収容した後、出入り口や通気口を岩で崩し固め、魔力で蓋をする。そしてレイドらが魔神を討伐するまで籠城するといった寸法だ。とはいえ酸欠の恐れもある、あまり賢い方法とは言えぬのは承知している』
竜王の提案は魔霧を防ぐという意味では十分機能するように感じた。
しかし新生した魔族の手で、塞いだ出入り口を破壊されたら一巻の終わりだ。
他に何か策はないかと悩んでいれば、手を挙げたのは……アイルだった。
「そこは妾に任せよ。あの魔霧は魔族の魔力に近い性質を持つ。魔力の性質が近いなら相殺もできよう。現に猫精族の集落に魔霧が迫った際、炎で焼くことができた。それに竜の国は南北を巨大な渓谷で挟まれておる。ならば東西の出入り口を炎の壁で塞いで地表から迫る魔霧を防ぎ、上から降る分は炎で生じる気流を操作するなどでどうにかしてみせよう。この方法なら野良魔族も炎で阻める」
『そのような芸当……ええ、あなたなら可能でしょう。かつて竜の国を焼きかけたあなたなら。ですがそんな無茶をすれば』
「うむ、ルーナの危惧するように、妾の命が保たぬ。精霊同様、魔族にとって魔力は命と密接に繋がっているもの。魔力がなくなれば妾も死ぬ。だからこそ……レイド、妾が死ぬ前に魔神様を討ってこい。丸一日程度なら保たせてやる。二日以上かかるなら、竜王の提案した手法に切り替え、皆の命運を賭ける他ないがな」
アイルは自分が潰れかける前提の話しを淡々と行った。
これも彼女なりに覚悟ができた証拠といえるだろうか。
──それでも下手をすれば本当にアイルが死ぬ作戦だ。もっと他に手は……。
悩もうとすれば、アイルはこちらを見て心のうちを悟ったのか「迷うな」と力強く言った。
「今は時間も惜しい。この程度で悩まず、成すべきことを確実に成せ。妾とてかつて魔王軍にて、あのミカヅチと命がけで戦った身。その際に仲間の命を賭ける作戦を、そやつら自身から具申されたことなど山ほどある。仲間の覚悟を無駄にしないのも、上に立ち、先に進む者の務めであるぞ」
覚悟の乗ったアイルは普段からは考えられぬほどの覇気があった。
魔王軍の幹部だったアイルの格というものは、平時ではなく、こういった土壇場にあって初めて発揮されるものらしいとようやく実感する。
これは彼女に付き従う魔族の猛者も、きっとかつては大勢いただろう。
……そのように、感心していたところ。
「……えっ、誰?」
アイルのあまりの豹変に唖然とするミルフィが、そのように漏らしていた。
他の面々も目を丸くするどころではなく、アイルを見て黙り込んでいた。
しかしアイルは茶化すことなく毅然として「この地を守る砦である」と口にした。
──これはアイルを見直さなきゃいけないかもな。
『反撃と防衛の方針が固まったな。ではレイドは精鋭を率いて天界へ向かい、魔神を撃滅。ワシと猫精族の長老は種族の長として、ここで皆を落ち着かせつつ、カルミア様を守りながら帰りを……』
「竜王様、待ってください」
話しを遮った俺へと、竜王の視線が向く。
『……レイド?』
何を言い出すのかといった面持ちで、ルーナもこちらを向いた。
俺は意を決し、魔神ノルレルス撃退後から考えていた内容を口に出した。
「カルミアも一緒に、天界に連れて行きたいんです」
これには竜王も驚いたのか『なっ……!』と首を持ち上げた。
「レイド殿! 何を仰られます、それではカルミア様を差し出すようなものでは……!」
信じられぬといった面持ちのメラリア。
俺は「聞いてくれ」と続けた。
「信じられないかもしれないけれど、俺が一度魔神ノルレルスに倒された時。夢で女性の神族と会ったんだ。でもその夢はただの夢じゃなく、神族の女性は精神側から魔力を渡して俺の肉体を治癒してくれた。……でなきゃあの時、胸を貫かれた俺は死んでいた」
『なるほど。それであの時、レイドは無事に目覚めたのですね。ノルレルスも言っていました。神竜の魔力以外にあの女の魔力も混じっている……と。つまりはその女性の神族のことを指していた訳ですね』
ルーナの補足説明に、その場にいた全員がどこか納得しつつある様子を見せる。
所詮は夢の話と片付けられぬようにするため、客観的な説明は非常にありがたかった。
「夢の中で言われたんだ。時が来たらあの子を天界に連れてきてほしいと。あの人の言っていたあの子っていうのは間違いなくカルミアだ。……しかもあの方自身、顔立ちがカルミアによく似ていて、何故かミカヅチの記憶でも垣間見えた人だった」
俺の発言に、その場にいた全員が多かれ少なかれ衝撃を受けているのが分かった。
カルミアに似ている神族が、記憶のないカルミアを求めており、なおかつミカヅチも知っていた。
……ここにいる全員も自分同様、不思議な縁を感じているのではないだろうか。
「罠である可能性も捨てきれぬが……いいや。罠ならレイドの命をわざわざ救わぬか」
アイルの推察に「同感だ」と返す。
「それと彼女の言っていた、時が来たらって発言について。……それがいつかは分からない。世界が後十日で滅ぶ以上、その時を探っている暇もない。でもカルミアをもう一度、天界に連れてきてほしいと望んでいたのは確かだ。カルミアの記憶を、なんの神様でどうして魔神に狙われているかを知るためにも。カルミアも一緒に来てほしいんだ」
カルミアの方を向けば、彼女は「レイド……」と揺れる瞳でただ俺を見つめていた。
しかし数秒の後、カルミアは拳を握りしめ「行くわ」と告げた。
「そろそろ私だって、自分の正体を知りたい。どんな使命があるのか。何を成すべきなのか。……同じ神族として、魔神ノルレルスを止めたいもの。必ず少しでも力になるわ」
決意を固めたカルミアをこれ以上止めようとする者は、この場にいなかった。
それにカルミアを連れてノルレルスに挑むものの、勝算が皆無という訳でもない。
ノルレルスは何度か気になる言葉を発していた。
──あれの魔力を間接的に受けるだけでもこのザマとは、今の僕では……。
──神の片腕の代償が人間の命とは。なんとも締まらないけれど、じきに壊れる器だ。大盤振る舞いってことにしようじゃないか。
あれらは両者とも、自身の体に関する内容だ。
思えば世界全体を人質に取って十日の期限を設けたというのも些か不自然というか、神族とはいえ少女一人を手にするのにそこまでするのか、という違和感もある。
……察するに、ノルレルス自身は──あの強さでこう考えたくもないが──万全からはほど遠く、不調なのではないだろうか。
それ故に、あれほどの力を持ちつつ、腕の一本を犠牲にしてでも確実に俺を葬ろうとしていたのかもしれない。
ならばまだ付け入る隙はあるはず。
現に魔滅の加護については、俺の肉体を通じてリ・エデンの魔力を間接的に受けただけでも吐血していた。
加えて、天界の事情はよく知らないが、この世の全てが神族の被造物であるなら、全てを己の力で呑もうとするノルレルスを他の神族が許すものだろうか。
奴の語ったように、この世界自体が神々の思い出の数々だとすれば。
人間的な感性での推察になるが、今頃天界ではノルレルスが他の神々に袋叩きにされていてもおかしくはないように思える。
それらを合算して考えれば……まだ勝機は残っていると感じるし、そう信じたい。
『カルミア様を連れて行くとすれば、この方をお守りする手勢も必要になる。となれば反撃の戦力は、竜の国の防衛に回す最低限の者以外、全てを投入するべきであろう。ここについてはワシから古竜の皆へ伝えるものとする。決行もリ・エデンの魔力残量も鑑み、迅速に行うべきと考え、正午としたい。異論ある者がいれば遠慮なく述べよ』
竜王は一人一人の顔を眺め、異論がないことを確認した。
『なければワシの方で話を進める。……戦士たちよ。短くはあるが、しばし体を休めるがいい』
そのような竜王の言葉を最後にして、会議は幕引きとなった。




