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76話 アイルの決意

 魔神ノルレルスの放った漆黒の霧──便宜上、魔霧と呼ぶことになった──は次々に周辺の土地を呑み込み、拡大しつつあるらしい。

 しかもノルレルスの言葉通り、動植物を魔族へと変貌させつつあるのだと、命がけで偵察に向かった古竜の一体が教えてくれた。

 ただし魔霧というのは空気よりも重たい物質らしく、地表に溜まり、広がり続けている。

 故に空中では溜まらず、あまり効果を発揮しないようで、偵察に出た古竜が無事に戻ってきたのもそういう理由であった。

 また、それを鑑みて天から魔霧が降りつつあるとはいえ、空中を移動する分なら問題ないと判明した後。

 ガラードたち若い古竜や、前に俺がテイムしたグリフォンたちにより、故郷へと戻った猫精族も竜の国へ運ばれてきて、一命を取り留めるに至る。

 魔霧は猫精族の集落の付近にまで至っていたようで、ガラードたちが全力で飛んでいなければ今頃、故郷にいた猫精族たちは全滅していたそうだ。

 さらに事情を乗せたルーナの咆吼を聞きつけた神竜帝国のフェイたち空竜も、どうにか竜の国へと避難してきた。

 ……神竜帝国の一部は既に魔霧に侵されていたと、フェイたちから聞いた。

 ここまでの一連の流れが、魔神ノルレルス襲来から翌日の早朝までの出来事である。

 竜の国の全員が不眠不休で働き、晩を過ごしたため、皆も疲労の色が濃い。

 それでも覇気を発して皆を鼓舞し続けたのが、竜の国の統治者である竜王アルバーンだった。

 彼は避難が一段落ついた後、朝日を背に、皆を呼び集めた。


『皆の者、まずはよくぞ生き延びてくれた。この有事に際し、種族を超え、多くの同胞を失わずに済んでいるのは何よりの僥倖である。……事情は全員が知っていると思うが、改めて共有する。今回の惨事を引き起こしたのは神族の一柱、魔神ノルレルス。奴は魔霧で世界中を覆い尽くし、滅ぼさんと画策している。正真正銘、世界が滅亡の危機に瀕している訳だ。たった一柱の神がその気になっただけでな』


 竜王は続ける。

 今、竜の国は神竜皇剣リ・エデンから発せられる魔滅の加護により守られていると。

 竜の国から一歩でも出れば、ノルレルスの配下である魔族と化してしまうと。

 また、ノルレルスは魔族化と語ったものの、魔霧に触れた動植物は理性をなくしてしまうようで、それはどちらかといえば魔物化に近いと。

 何から何まで最悪であるが……俺には分かる。

 語り続ける竜王は状況を明かしつつも整理し、皆のパニックを防ぐために動いているように見えるが、知られれば真にパニックを引き起こしてしまう事象については伏せていると。

 それは……神竜皇剣リ・エデンの魔力切れだ。

 リ・エデンの魔力は無尽蔵ではない。

 かつての魔王との戦い、ミカヅチが命を落とした大きな理由はリ・エデンの内蔵魔力切れだ。

 そうなってはリ・エデンも魔滅の加護を維持できず、ミカヅチは魔王討伐を諦め、命と引き換えに魔王を封印する他なかった。

 ……竜の国を覆い尽くすほどに巨大な魔滅の加護による結界の維持で、リ・エデンの魔力はジリジリと減り続けている。

 このままでは……間違いなく十日も保たない。

 加えて竜王はカルミアの引き渡しについても伏せており、あの場にいた面々以外は口外厳禁との箝口令も敷いていた。

 これもカルミアの身の安全を考えれば当然だ。

 考えたくもないが、恐れから暴走した一部の面々が、勝手にカルミアをノルレルスに引き渡そうと動く恐れもあったからだ。

 諸々の情報共有を済ませた後、竜王は『しかし!』と声を大にする。


『我らは最後の最後まで諦めぬ。古竜の誇りに賭けて、命を、世界を繋ぐことを、我らの勝利としてみせる! 猫精族には悪いが、どうか付き合ってほしい。ここで共に暮らした兄弟同然の仲の者として』


 竜王の誠心誠意の頼みに、猫精族たちから反対する者は一人として出なかった。

 一方で湧く者もいなかった。

 ただその場にいた全員が、竜王の情と覚悟、竜の国を背負う気概を思い、頷くのみだった。

 それから集会は解散となり、各々が散ってゆく。

 俺は彼らを見届けてから、今後の方針を練るべく、予定通りにルーナたちと合流しようと考えていた。

 場所は竜王の神殿だ。

 ……ただ、解散したはずの場の端、一人ぽつんと立ち尽くしている人物がいた。 

 かつての魔族の生き残り、アイルである。

 彼女は珍しく、あまり浮かない表情をしていた。


「アイル、どうかしたのか? そんな顔して」


「……レイドか。妾は……そうだな、少し困ってしまっていた」


「困るって、何がだ?」


 こんなふうにアイルが弱腰で悩みを吐露するのも珍しい。

 問いかければ「色々だ」とアイルは答えた。


「心の中の整理がな。……かつての妾なら、魔神様の降臨も、世界が魔霧に呑まれる件も、素直に喜べたであろう。遂に妾たち魔族の時代が来たと。だが、なんだろうな。世界が滅びるとか、魔族がうんぬんではないのだ、この思いは。……どうしたものか、あまり気分の良いものではないな。……保たぬのだろう? この結界、魔滅の加護、長くは」


 こちらの腰ベルトから下がる、鞘に収まったリ・エデンを眺めつつ、アイルは言葉を途切れさせるようにして話す。

 俺は周囲に自分たち以外、誰もいないと確認してから、アイルの問いに答えた。


「……その通りだ。長くは保たない。ノルレルスの設けた十日の期限を待たずしてリ・エデンの魔力は切れる」


「そうか……そうであろうな。……レイドはその、妾を詰らぬのか? 我ら魔族を生み出し、我らが信仰してきた神が、この世を滅ぼそうとしていることについては」


「そんなことしないさ。アイルがやっている訳じゃないだろう」


「……だろうな、レイドらしいわ」


 どこか感傷的な様子のアイルは、続ける。

「妾はこの地に来て、どうやらおかしくなったようだ。魔族以外の命はなんとも思わなかった妾が、猫精族らと暮らし、悪くないと思うなどと。……昨晩、妾はガラードと共に猫精族の里へ向かい、仕方なく奴らを救出した。妾は元々魔族故に、魔霧に侵されぬ。だから魔霧を無視し、際どかった猫精族たちを救出したものだが。……そうしたら奴ら、妾になんと言ったと思う?」


「……ありがとう、じゃないのか?」


 まさかその場でアイルを責めたのではあるまい、と思い聞けば、アイルは「そうだ」と言う。

「奴らは妾に感謝さえしていた。……おかしな奴らだ、魔神様は妾たちの神であるのに。一人として貴様の神なら貴様がどうにかせよとも言わぬ。……レイドよ。もし貴様らがもっと小賢しく、感情的な魔族のような生き物であったなら、妾とてこうも無駄な罪悪感を抱かなかったであろう。己の古巣のみならず、信仰してきた神をも裏切ろうとは考えなかったであろう……」

 アイルはそれからしばらく黙ってから、


「……なんてな。すまぬ、妾らしくないことを言った。だが、誰かに聞いてほしかったのだ。貴様らに与している時点で己の神を裏切っているに等しくはあったが、それでも」


「アイル……」


 彼女も変わったなと、こうして話していると思わざるを得なかった。

 敵だったけれど不思議と憎めない性格で、変な妄想癖持ちで、自由奔放な奴で……。

 今やこうして、一緒に竜の国で暮らす仲間となっていた。

 アイルは天を見上げ、手のひらで炎を燃やし、頭上へと放った。

 炎は天の暗雲を突き抜け、その向こうで弾けたのか、薄らと光った。


「これは決別だ。魔王様が滅びた際、魔滅の加護から逃れられた時点で、妾は純粋な魔族といった心ではなかったのだろうが。それでも、改めて……妾は己の神と決別する。そして最後まで、ここの者らを支えるとしよう。最低限、これまで行ってきた食っちゃ寝生活の分は働かねばなるまい」


「それ、一応は気にしていたのか……」


 少し意外だったと思いつつ聞けば、アイルは「ま、まぁな……」と曖昧に答えた。


「ついでにここで何も働かねば、あるいは魔神様の間者ではないかと疑われよう。それも妾の望むところではない」


 ようやく出てきたアイルらしい言葉に、頬が緩む思いだった。


「ならアイル。こう言っちゃなんだけどさ。前に魔王やヴァーゼルを倒した時みたいに……もう一度、一緒に頑張ろう」


 手を差しのばすと、アイルは首筋のテイムの紋章を撫でてから俺の手を取った。


「今の言葉も、ただ従えと言えば妾には十分であったのに。おかしな奴だ、貴様もここの連中も。本当の本当にな……」


 そう語るアイルの表情にはもう、淀んだ気配は微塵もなかった。


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