74話 魔神の力
三人の昼食を手に、俺が湖に向かおうとした、少し前。
竜の国では、天空からとんでもない魔力を感じると大騒ぎになっていた。
竜王の迅速な指示で猫精族や古竜の子供たちに卵など、非戦闘員は速やかに安全な避難場所まで逃れていった。
さらに動ける古竜を総動員し、大魔力の集まる場所、即ち湖へと向かうに至った。
当然、俺もリ・エデンを帯剣し、ルーナの背に飛び乗る。
『こんな魔力……これでは!』
「一体一体がヴァーゼル並みかもな。それが数百体か……」
状況の把握も大事だが、湖にはロアナ、ミルフィ、カルミアの三人がいるはず。
三人の救出もと考えた矢先、ルーナの背から見えたのは天を覆う、漆黒の翼を持った黒い騎士の群れ。
翼の形状は蝙蝠めいた魔族と異なり、鳥の翼のようでもあった。
色が白ければ美しかったのだろうが、これでは禍々しさしか感じられない。
次いで現れたのは水の巨竜。
天に舞い上がった途端に古竜から『あれは水精霊の姫君の!』と歓声が上がった。
だが直後に撃破され、ほぼ同時に黒騎士が宙で跪く。
何事かと見ていれば……後はもう、語るまでもないだろう。
尋常ならざる気配と魔力。
恐らくはカルミアと同じ神族。
それが配下を伴ってやって来たとなれば、位置からしても目的はカルミアだ。
急いでルーナに向かってもらえば、ミルフィが全てを賭けたといった表情でカルミアを助けに入っていた。
……ミルフィはかつて、故郷と水精霊の一族を失い、育ての親同然のお爺さんも亡くした。
だからこそ、普段無表情に見えても、ミルフィも有事の際は竜の国や皆を守れるようにと、日々修行を積んでいるのは知っていた。
俺が竜の国を、ここも故郷だと思うように。
ミルフィも同じように思っていることを俺は、俺たちは知っていた。
だからこそミルフィは故郷に住む仲間を、家族を、カルミアを守ろうと必死なのだろう。
……そんな子だからこそ、俺もミルフィを守りたい。
こんなところで決して死なせはしない。
ただその一心のみで俺はルーナから飛び降りた、着陸してもらっていては間に合わない。
されどこのままでは飛び降り自殺に等しく、人間の体は素で樹木数本分の高さからの落下に耐えられるようにはできていない。
だからこそミカヅチの記憶から引き出し、密かに練習を重ねていた技術、魔力操作を解放する。
竜が臨戦態勢に入ると魔力で全身を硬化させるように、人間も体内に流れる魔力によって身体能力を飛躍的に向上させられる。
ならば体内の魔力を総動員し、状況に応じて重点的に肉体を強化する部分を選べるとすれば。
戦闘において大いに有用であるし、ミカヅチは技術としてそれを可能にしており、俺もつい最近ながら鍛錬の末にそれを習得できていた。
全ては一族や戦闘にまつわる知識を、ミカヅチが欠かさずに継承してくれたお陰だ。
神竜皇剣リ・エデンを引き抜き、神族の青年からミルフィを庇う直前。
足腰を魔力で強化し、落下の衝撃に耐え、体勢を崩さずに適切な姿勢で赫槍の穂先を受け止めた。
全身を衝撃が駆け巡るが、強化された足腰は赫槍の一撃にも耐えきり、ミルフィは辛うじて無事だった。
「君、その剣は……!」
「ミルフィから、離れろ!」
青年の声を無視し「レイド!」と呼ぶカルミアへ、俺は声を張り上げた。
「カルミア! ミルフィとロアナを連れて逃げるんだ!」
こくりと頷いたカルミア。
俺が青年を押さえ込んでいるうち、三人は降下してきた若い古竜の背に逃れた。
『おう! お前は竜の国へ戻れ! 三人のお嬢様方を頼むぜ!』
『任されました、ガラードの兄貴!』
ガラードの声を受け、若い古竜がカルミアたちを連れて空へ戻る。
しかし神族の青年が「馬鹿め」と呟けば、黒騎士たちが一斉に若い古竜に殺到する。
『げぇっ……⁉』
低く悲鳴を上げた若い古竜。
だが、黒騎士たちの剣は届かなかった。
何故なら……深い臙脂色の大柄な古竜が、黒騎士の行く手を阻むように飛来したからだ。
『俺も混ぜろや!』
「ガラード!」
ガラードの顎は瞬きの間に黒騎士二騎を真っ二つにして消失させ、ブレスを牽制として放つ。
ひらりと黒騎士たちに躱されるものの、ガラードは動じない。
『魔族相手にも躱されたんだ。的が小さきゃ……後は力業だッ!』
ブレスの回避で体勢を崩した黒騎士たちを、ガラードは自慢の爪で引き裂いて塵に変えた。
その隙にカルミアたちを乗せた若い古竜は逃れ、なお追い縋ろうとする黒騎士たちを、ガラードが阻む。
『なんだなんだぁ? 魔力は尋常じゃねーけど、全員が魔力でできた木偶じゃねーか。肉体ですらねぇ、となると……』
ガラードは楽しげに言いつつ、神族の青年へ視線を向けた。
『お前がこいつらを操っているって寸法だ。どんなに魔力が強かろうと、操られてばかりの人形じゃあ……肉体派の古竜サマには敵わねーなァッ! 動きが杜撰だぜ!』
ガラードの言う通り、よく見れば黒騎士たちの動きは直線的だ。
操られているという表現も間違ってはいないように思える。
思えるけれど……。
『ガハハハハハッ! さあ! どうしたどうしたァ! この程度かよ、神族の配下ってのは! もっとこの俺を愉しませてみろよさぁ!」
──言動が完全に悪役のそれだ! 物語に出てくる悪い奴!
実際、ガラードは神族の配下を蹴散らしているので、神話によっては悪役確定だ。
とはいえ……今この場で、善悪をこれ以上考えている暇はない。
何せ目の前には正真正銘の神族が立っているのだから。
神族の青年は赫槍を跳ね上げ、その勢いで、剣身で穂先を押さえていたこちらの体が宙に浮く。
地に足が付いていなければ回避に難がある、生じた隙に冷や汗が垂れる。
石突をこちらの胴へ叩き込まんと振られ、咄嗟にリ・エデンを防御に回す。
空を裂く音が轟き、火花が散るが、振られたはずの赫槍が弾かれたように離れていく。
今の様子から、何が起こったのか理解した。
「魔滅の加護が機能している……?」
先ほどミルフィを庇った際にも赫槍とリ・エデンとの間で火花が散ったが、正確にはその後、両者が接触している間も散り続けていた。
衝突の瞬間以降も発揮されるリ・エデンの能力、それも光を伴ったものとなれば、もう魔滅の加護以外に考えられない。
まさか、目の前の神は……。
「あなたは、魔族の神なのか……?」
魔滅の加護は魔族を滅するための権能、神竜による祝福。
ならば魔族の創造主である神にもその力は届き、反応するのが道理ではないのか。
何せ神竜の力も、れっきとした神の力であるのだから。
問いかけに対し、青年は「そうだよ」と涼しげに応じた。
「名乗り遅れたね。僕は魔の神、魔神ノルレルス。そういう君の剣は神竜エーデル・グリラスの力が籠もっているね? 昔、一時天界でも話題になったよ。堅物のエーデルが人間風情に力を分け与えたって。まさか時を超え、彼の力がこんな形で僕に牙を剥くとは。さっきは少し驚かされた。けど……」
青年、もとい魔神ノルレルスは中性的な、場合によっては少女のようにも見える顔に影を宿し、体から漆黒の魔力を発した。
……魔王やヴァーゼルには悪いが、同じ魔の力でも文字通りに次元が違う。
無限に等しい魔力を持っていると感じられた魔王でさえ、魔力の濃さでいえば、ノルレルスより遥かに薄く思えてしまう。
……魔神ノルレルス、その名は確かに俺も知っている。
魔に類する者を創造した神。
この世を裏側から支える者を生み出した存在。
魔に類する者とは何かと幼い頃に疑問に思い、あの時は「そうか、魔物か」などと思ったものだが……。
今さっきの問答の通り、ノルレルスは魔族を生み出した魔族の神だったのだ。
しかもこの世を裏側から支える者……捉えようによってはこの世の裏側は地底だ。
つまりは地底に住まう魔族を生み出したと、遠回しに神話として伝えられていたのだ。
この場で理解したところで、詮無い内容ではあるが。
「神竜の力があろうと、所詮は人間。僕らの主神もどうして古竜や君みたいな奴らに神族の命運を託す真似をしたのか。ナンセンスすぎて理解に苦しむ」
「主神、だって?」
なら竜脈の儀でカルミアを竜の国への贈り物扱いで送り出したのは神々の主、主神であるのか。
主神……女神トリテレイア。
この名はどの国の神話にも現れるとされる、世界共通で認識されている神々の君主。
主神の送り出した神族の少女を、魔族の神が狙う構図。
となればカルミアは最初から、ノルレルスの魔の手から逃れるべく竜の国へ送られてきた可能性が高い。
記憶喪失の原因は不明であるものの、大まかに状況を理解できたのはありがたかった。
後は……。
「この窮地を脱して、今後の方針を考えるだけだな……!」
「無駄な抵抗はよした方が賢い。君の力でどう僕に立ち向かう? それにね……僕も君を逃す気はないんだ。あがけば苦しむだけだよ」
「何……?」
「当然だろう? 魔王殺しの英雄、皇竜騎士レイド・ドライセン。君が僕の可愛い魔族たちを葬ってくれたお陰で、諸事情により僕は困りに困ってしまった。お陰で直接出向いて諸々を済ませるほどになってしまったのさ、こうやってね」
ノルレルスは「やれやれ」と首を横に振った。
奴の語る諸事情とやらは気になるが……言われてみれば、そもそもノルレルスに目を付けられるのは当然だ。
「魔族を創造したあなたからすれば、俺は子の仇同然か」
「子の仇? いいや、それは人間の感性が過ぎるね。そんな君には、ゆっくりと僕ら神々の事情も語り聞かせてあげたいけれど……残念。今は時間がない」
ノルレルスは大地から漆黒の魔力を吹き上げ、深紅の稲妻を纏いながら、赫槍を構えた。
隙を見せれば……あるいは見せずとも一撃で命を奪われる予感。
呼吸で肩が上下するだけでも隙になるのではという感覚。
奴以外の存在が視界から消えたと思ってしまうほどの圧。
一挙手一投足を見逃すまいと、瞬きすらしたくない。
かつて戦ったヴァーゼルはなんだったのかと、そこまで考えてしまった。
──でも、奴が扱うものが闇に類する力ならば。どうにか夜刀神を当てれば、あるいは……!
夜刀神は闇の竜、もしくは闇の力を空間ごと封じるための封印奥義だ。
されど今の俺にはミカヅチほどの魔力はなく、ヴァーゼルに決定打を与えたほどの夜刀神も単身では一度しか起動できない。
……空間ごと封印せず、前にアイルに放った蒼天軻遇突智のように、単なる属性の力を封じる封印術として扱えば……何度かの起動は可能となる。
しかしそんな甘い考えでは一瞬で命を散らされるだろう。
焦らずタイミングを見計らい、一息の攻防に全てを賭ける……そんな覚悟を固めた際。
『レイド!』
上空にて数ばかりの黒騎士たちを粗方片付けたルーナが、ノルレルスの頭上からブレスを放つ。
ノルレルスは姿勢をそのままに、闇の魔力を帳のようにしてルーナのブレスを逸らした。
古竜のブレスを動かず対処するその姿、正に規格外。
──それでも魔力は乱れた。機会は今、この時に!
「封印術・奥義──夜刀神!」
ありったけの魔力を消費して魔法陣を二重展開。
全身の隅々から魔力を搾り取って夜刀神を起動し、リ・エデンの刃に封印の力を込める。
だが、まだだ。
──ヴァーゼルと戦ってから、ミカヅチに多くを託されてから。俺も成長している!
その成果を今、発揮する時。
「神竜帝国式・竜騎士戦剣術──竜爪一閃!」
竜が翼爪を獲物へ叩き込むかの如き神速の突き技。
ミカヅチが得意としていた剣技の一つにして、刃に封印術を纏わせることで、貫いた相手を確実に倒す一撃必殺と化す。
さらにリ・エデンの魔力を利用し、全身を強化して速度を増加。
決死の思いで放ったこの一撃は間違いなく、人間の出せる限界速度を上回って、猫精族をも凌駕するだろう。
全てを賭けた一撃は、確かに隙の見えたノルレルスの防御の動きを超越した……かに思えた。
「全く、ただの竜飼い如きがそんなに力むものじゃない」
「……っ⁉」
リ・エデンの剣先がノルレルスを捉えたかに見えた時、奴はぽん、と俺の肩に手を置いていた。
完全な空振り、手応えが全くなかった。
いつの間にか真横に移動していた奴は、こちらの耳元で囁く。
「神殺しがこの程度で成せるなら、とっくの昔に神の座は人間に引き渡されているともさ」
「くっ……!」
──全魔力を込めた一撃が外れた。何が起こった? 単なる素早い動きとは違う。まるで最初からそこにいたかのような……!
リ・エデンの刃から夜刀神の魔力が急速に失われていく。
それでも、このままやられる訳にはいかない。
──せめてもの意地を見せてやる。
「神竜帝国式・竜騎士戦闘術──竜翼輪舞!」
竜の翼を描く軌道での回し蹴りを、体を捻って至近距離から叩き込む。
余裕を見せるノルレルスは回避もせず、片手で渾身の一撃を受け止めた。
「戯れもこの程度にしようか。あの子も追わなきゃだし、そろそろ終わりに……」
線の細い外見にそぐわぬ化け物じみた膂力。
ノルレルスに受け止められた足がミシリと嫌な音を立てそうになる。
激痛に顔を顰めたものの、そこで奴の動きが止まった。
「……何?」
思わず喉奥から声が漏れた。
見ればノルレルスは口から一筋、赤い滴を垂れ流していたからだ。
ノルレルスは手で滴を拭って確認するが、数度、血混じりの咳を吐いた。
「あの剣に、エーデルの加護には触れてはいない。何故だ……?」
瞠目するノルレルス。
訳の分からぬままノルレルスの胴を蹴って奴から距離を取れば、奴は再び吐血した。
それを見て、一つの確信を得た。
──魔滅の加護……そうか! 俺は夜刀神を放つ前、リ・エデンの魔力で肉体を強化していた。だから魔滅の加護が俺の肉体経由でノルレルスに伝わったんだ。
奴も同時にそれを悟ったのか、血を拭いながらリ・エデンを睨んだ。
「チッ……! あれの魔力を間接的に受けるだけでもこのザマとは、今の僕では……。でもね。あの男の子孫、その剣を扱えるのは君のみのはず。君を殺せば全て解決する!」
「まさかミカヅチを知って……⁉」
……問いかけ自体が、隙を晒す悪手だった。
そのように認識した時にはもう、ノルレルスは俺の懐に入り込んでいた。
先ほど夜刀神を躱された際と同じだ、あまりにも速すぎる。
一体これは……。
「神の片腕の代償が人間の命とは。なんとも締まらないけれど、じきに壊れる器だ。大盤振る舞いってことにしようじゃないか」
ノルレルスは俺の胸元に手を押し当て、放った。
「闇に瞬く星と成れ──アステロイド!」
ノルレルスの手が輝いたと思った瞬間、爆発的な衝撃が全身を駆け巡った。
何が、何が起こったのかが分からない。
天地が回っている、否、そもそも体はどうなっているのか。
意識が、感覚すらも遠くなっていく。
地に叩きつけられ、視界が暗くなっていく中、ノルレルスが俺の胸に当てていた左手を、自身の赫槍の穂先で切り落とすのが見えた。
──腕を……そ、うか。魔滅の、加護が……腕を伝って、体に届くのを、防ぐため……に……。
しかも落ちてゆく左手は赤黒く塗れている。
──あれは、俺の血……なのか? だとしたら、もう……。
そこまでを考えるので精一杯だった。
五感が消えていく中、最期に。
『……イド! レイド!』
ルーナが悲鳴にも似た声で、俺を呼んでいるのが聞こえた。
──ごめん、ルーナ。俺は……。




