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69話 案内と湖

 カルミアが竜の国に降ってきて二日目。

 食堂にて上機嫌に朝食を食べるカルミアを眺めていると、そろりそろりとした足取りでアイルが現れた。

 カルミアを目にした際、一瞬だけ引き返す素振りを見せたものの、直後に小さく腹を鳴らして食堂に入ってきたのだ。

 神族への恐れよりも空腹が勝ったのは、ある意味で豪胆と言えるだろうか。

 また、カルミアは俺の視線から誰かが来たのを悟ったようで、アイルの方へと振り向いた。


「おはよ! ええと……アイルだっけ?」


「えっ、はっ……オ、オハヨウゴザイマス……」


 挙動不審気味に挨拶しつつ、カクカクと手を振るアイル。

 そんなに神族が苦手かと思っていると、カルミアがアイルへと手招きする。


「こっちに来て一緒に食べましょ? 昨日あまり話せなかった分、お話ししたいから」


「そ、それは……」


 口籠もるアイルに、カルミアは少しだけ悲しげにしつつ、


「……もしかして、嫌?」


「そんっ、そんなことはっ!」


 あるだろう、と俺は心の中で思ってしまった。

 多分、カルミアをご機嫌斜めにすると滅されるなどと思っての誤魔化しだ。

 ……実際、魔族の力の源でもあった魔王は魔滅の加護、即ち神の力が宿った神竜皇剣リ・エデンにより追い詰められ、封印されたのだ。

 共に暮らす仲とはいえ、神自体がアイルのトラウマになっていてもなんら不思議ではない。

 ただしそれらを知らないカルミアはアイルの誤魔化しを真に受け、安堵していた。


「そう、よかった。二日目にして同居人に嫌われたら私も悲しいから」


「うむうむ、それも道理ではある。では……失礼して……」


 普段なら無遠慮にどの席にでも座り込むアイルが、カルミアの正面側へとちょこんと座り込む。

 挙動不審なアイルに周囲の猫精族も諸々を察したのか苦笑いし、普段との差に、俺も吹き出しそうになってしまった。

 周囲の反応に対し、アイルは顔を赤くする。


「レ、レイド! 笑うな貴様っ! 仕方がないだろう……色々とっ!」


「分かる、分かるって。色々とな」


 宥めてみると、アイルは「貴様らは分かっておらんからそんな能天気な態度でいられるのだ……。全く、あれほどの力を向けられた時の恐ろしさときたら。今でも鳥肌が立つわ」とため息交じりに呟いた。

 一体なんのことかさっぱりといった様子のカルミアは「……?」と目を丸くする。

 その時、部屋の奥、キッチンの方から人影が現れた。


「……アイル。食事、取りに来て」


 やって来たエプロン姿のミルフィは、アイルへと不機嫌そうに促した。

 一方のアイルはどこか救われたような面持ちで「それでは神前より失礼して……」と、そそくさと立ち上がろうとした。

 けれどミルフィもアイルの様子から何か悟ったようで、


「……やっぱりいい。そのままでいて」


「まっ、待てミルフィ⁉ 貴様、分かって言っておるな……⁉」


「……なんの話かさっぱりだけど、カルミアの話し相手になってあげて」


 ミルフィは再びキッチンへと戻っていく。

 明らかに確信犯である。

 なお、この場から脱出する口実を失ったアイルは静かに項垂れ、カルミアはアイルの言動が面白かったのか、くすくすと笑っていた。


 朝食を終え、猫精族の集落の前にある小池にて。

 ロアナやミルフィも伴い、今日は昨日考えた通りに竜の国の外側、つまりは近辺をカルミアに案内しようとルーナたちと合流したところ。


『おや、今日はアイルも一緒なのですね』


 ルーナは大層驚いた様子であった。

 昨日のアイルを見ていた以上、ルーナの驚きも道理だ。

 実際、俺もアイルについては何か理由をつけて今日も一緒に行動しないだろうと思っていた。

 けれど……アイルにはアイルなりに、逃げられない理由があったのだ。


「アイル! その翼や尻尾って本物? 飛べるの?」


「当然、飛べはする。尻尾も魔族の特徴であるから本物だ……」


「へぇ……!」


 様々なものに興味を示すカルミアは、現在アイルの体に興味津々だ。

 アイルが逃げられなかった理由というのがこれで、朝食の時からカルミアに張り付かれてしまい、離れる機会を失っていたためだ。

 神族の恐ろしさを知るアイルは抵抗などせず、されるがままである。

 それにカルミアの発言でふと思ったが、魔族について古竜並みの魔力量以外の特徴として共通していたのは、背から生える翼と尻尾だ。

 唯一その特徴を持たなかったのは、元人間のヴァーゼルのみだったと記憶している。

 カルミアがアイルの尾を突つけば、アイルは「ひゃぅ⁉」と変な動きで飛び跳ねた。


「くっ、これは新手の攻め⁉ 平時であれば嬉しいところだが……神族相手にやられても不思議とあまり嬉しくは……⁉」


 訂正、動きと共に話している内容まで変だった。

 最近落ち着いていたので忘れていたものの、アイルは大分高度な趣味の持ち主だった。

 ロアナ以外にカルミアにも変な影響が出ないことを祈りつつ、尻尾が弱点なのかと頭の片隅に入れておく。


『騒いでいるところ悪いけどよ、行くならさっさと行こうぜ。ここでのんびりしていたら日が暮れちまうよ』


 ガラードの一声に、アイルにじゃれついていたカルミアは「分かったわ」と返事をする。

 それにガラードがああ言ったのにも理由がある。

 昨日はカルミアが空で気絶した都合上、今日は歩いて行こうといった方針で纏まったためだ。

 飛んで行くならあっという間だが、歩いて行く以上は時間がかかる、そういう話でもある。

 ただし、神族でありつつ、あまり体力のなさそうなカルミアを延々と歩かせるのもどうかということで、


『ほら、乗れよ神様』


「ふふっ、ありがとうね。じゃあ遠慮なく」


 しゃがみ込んだガラードの背の上にカルミアがちょこんと座り込む。

 当然、今日のカルミアは猫精族たちから足のサイズに合ったブーツを借り、履いていた。


『他のお嬢様方は乗らなくていいのか?』


「あたしは大丈夫! 体力付けなきゃだもん!」


「……私は疲れたら乗る」


 元気いっぱいのロアナに、マイペースな返事のミルフィ。

 アイルについては「遠慮しておくかの……最近、運動不足だし……」と言い訳気味に断った。

 ようやくカルミアから解放されたと言わんばかりである。


『それでは、行きましょうかね』


 ルーナの声が出発の合図となり、竜の国近辺の案内兼散策が始まった。

 俺も治癒水薬の素材集めなどで竜の国から出る場合があるものの、実は竜の国近辺は人間目線から言えばかなり安全……などということは決してない。

 相変わらず俺のテイムしたグリフォンたちが縄張りを持ち、竜の国の周囲を守っているものの、今もごく稀に大型の魔物が迷い込んでくることがあるのだ。

 安全圏である竜の国から出てしまえば、そのような魔物に襲われない保証はどこにもない。

 さらに古竜たちは空を自由自在に舞える翼を持ち、悪路や崖さえ踏破可能な強靱な四肢を持つが、人間はそうはいかない。

 前に体力自慢の猫精族の若者でさえ登るのに失敗したような、崩れやすい崖すら各所にある。

 竜の国は南北を巨大な渓谷に挟まれる形で存在している都合上、その外側は事実上の山や崖であり、それらは決して過ごしやすい場所ではないのだ。

 ということで、立ち入ってはいけない場所をカルミアに伝えるのも、今日の目的であるのだが、


「む……虫っ⁉ レイド! 虫! なんかでっかい虫がいるわ!」


 森に入った途端、カルミアはガラードの背で騒ぎ始めた。

 高所に続いて虫も苦手とは、神竜帝国の都会暮らしの貴族令嬢のようだと少し思ってしまった。


「でっかい虫って……」


 ──まあ、確かに人間の腕でも一抱えはある甲虫だけれど。

 騒ぐカルミアが指しているのは、ヨロイムシという生き物で、ミカヅチの記憶でちらっと見えた東洋のカブトムシを大きくしたような漆黒の甲虫である。

 芋虫のような生理的嫌悪感のある外見ではなく、甲殻の各所が尖っていてどこかかっこよさすら感じられる見た目なので、神竜帝国の子供たちの人気者でもあった。

 しかも餌は樹液でかつ、どんな木の樹液もよく食べるので、スペースさえあれば飼いやすい。

 ヨロイムシはノソノソと動きつつ、ガラードの巨躯に気付いて茂みの中へと隠れてしまった。

 カルミアは安心した様子で一息つく。


「あんなに大きな虫がいるなんて。ちょっと驚いたわ」


『安心しろっての。もし飛んで来てもカルミアに届く前に俺が噛み裂いて終わりだ』


「あれ飛ぶの⁉ あんな大きさで⁉」


 驚愕するカルミアに応じたのは、ロアナだった。


「うん! 結構速く飛ぶよ? ……懐かしいなぁ。あたしが小さい頃は故郷の里でも皆で育てて、誰が一番大きくできるか競争したから。でも育てていた途中で飛んで逃げられた子もいたっけ……」


「ロアナ、女の子なのに……。猫精族って逞しいのね……」


 カルミアはどこか遠い目になってしまった。

 そんな彼女に、ミルフィの鋭い指摘が飛ぶ。


「……あの程度で驚いていたら外出できない。魔物はもっと大きく、危ない」


「私、竜の国に引き籠もって暮らそうかな……」


 出かける前の威勢はどこへやら、カルミアはさらに遠い目になってしまった。


「まあまあ。今後もカルミアが一人で竜の国の外に行くことはないと思うから。安心してくれ」


 それから俺たちはまた歩き出し、カルミアに各所について説明をしていった。

 この崖は崩れやすいとか、この洞窟は中が迷路状だから絶対に入るなとか。

 その末、ひとまず昼時なので休憩しようといった運びとなった。

 休憩所として選んだ先は竜の国の南側にある湖のほとりだ。

 ここは古竜たちも水浴びに訪れる場所で、前に俺も彼らに乗せてもらって付いて来つつ、端っこで魚釣りをしていた。

 この場所は、そんな憩いの場であるのだが……。

 木々を抜けて湖の光景を目にした際、ルーナが『これは』と目を細めた。

 彼女の気持ちは俺にもよく分かった。

 湖のほとりは巨大な脚跡で踏み荒らされ、魚の気配はなく、泥で濁っていた。

 木々もそれなりにへし折れて倒れ、酷い有様である。


「こんな濁り、ある程度経てば沈下するか、湖流で下の川へと流されていくはずだ。でも……」


『湖をこんなふうにした奴がまだ近くにいるな。この微かな匂い……なんの魔物だ?』


 ガラードは鼻を鳴らして周囲を見回し、警戒する。


『レイドの配置したグリフォンの縄張りを抜けてここまで入り込むとは。どうやって』


 ルーナも光を纏って古竜の姿に戻った。

 俺はゆっくりと残っている脚跡に近付く。

 脚の大きさは古竜並み、特徴的な蹄の跡もある。

 ──どこかで見た気がする、かなり前だ……。

 そうやって考えた末、修行をしていた頃、ウォーレンス大樹海で見たと思い至った。

 しかも魔物は湖に入ったのだと濁った水面が教えてくれている。

 おまけに空中でも陸上でも戦えるグリフォンの縄張りを抜けて来られる種類……。

 ここまで考えて、ここに潜む魔物の正体について見当をつけた。

 同時、現在の時期も脳裏をよぎった。

 ──まだ肌寒いけれど、じきに暖かな春が来る時期だ……まずいぞ!


「皆、湖から離れるんだ!」


 俺がそう言った途端、皆は森の茂みの方へと戻っていく。

 自分も湖のほとりに残った足跡から全力で離れた瞬間、濁った水面が爆ぜ、巨躯が姿を現した。


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