64話 竜の国の儀式
朝食を食べ終え、片付けた後。
俺たちは猫精族の集落を離れて外へと出ていた。
普段であればこのまま古竜たちの世話を行ったり、竜の国を出て必要な素材などを採集に……といったところであるものの、今日は違う。
今日は竜の国にとって非常に重要な儀式を執り行う日であると、前もってルーナから聞いていたからだ。
既に古竜たちの多くは竜の国の中央へと移動し、周囲に残るは警戒と見張りの任に就く古竜のみ、といった状態だ。
強靱にして最強格の種族である古竜の住処に悪意を持って踏み込む不届き者など、魔族が事実上滅んだ現在、ほぼいないと言っていいだろう。
しかしそれでも、儀式の妨げになる者が竜の国に入り込まぬよう、わざわざルーナの父である竜王直々の指示で、見張り役が各所に配置されることになったのだ。
これから行われる儀式の重要性が伝わってくるといったものである。
ルーナやロアナたちと一緒に移動した先、竜の国の中央には、古竜が円を描くような配置で座っていた。
古竜たちがこうして勢揃いしつつ、乱れなく並ぶ姿は、圧巻の一言に尽きた。
また、円の中央に座しているのは竜の国を統べる者……竜王アルバーンだ。
古竜の姿のルーナ同様、白銀の鱗で身を包むアルバーンは、こちらの到着を確認して雄々しき大角を生やした頭で頷く。
『うむ、これで全員揃ったようだな。それではこれより竜脈の儀を執り行う。皆の者……心を静め、我らが父祖たる神竜エーデル・グリラスに祈りを捧げよ』
竜王の声に応じ、その場にいた古竜の全員が頭を垂れた。
ルーナも古竜の姿で皆と同じようにしている。
さらには荒々しい性格であり、儀礼などには疎いように感じた若手古竜の纏め役であるガラードでさえ、静かに首を下げていた。
──竜の国に伝わる神竜、名前はエーデル・グリラスというのか。俺の先祖であるミカヅチと共に魔王と戦い、神竜皇剣リ・エデンに魔滅の加護を与えた存在……。
そのように思いつつ、俺も古竜たちに習って黙祷するようにして目を瞑る。
ロアナやミルフィも俺に続き、同様にしていた。
そうして十秒ほど経過した後、竜王が『皆の者、楽にせよ』と発した。
同時、竜王と同じく齢を重ねた古竜たち四体──彼らは竜王の相談役であり、竜の国における事実上の大臣のような存在である──が背に何かを担いで現れた。
ミカヅチ由来の知識ではあるが、あれは彼の故郷にあった神輿というものによく似ていた。
そして古竜四体がかりで運ぶほどに巨大な神輿の上に乗っているのは、一本の角だった。
表面上の独特の質感と曲がり方から、非常に古いものの、竜の角であると分かる。
だが何より凄まじいのは、その規格外とも言える大きさだった。
──角であの大きさなら、体の方は古竜を遥かに凌ぐ大きさだ。あの角はまさか……。
考えていると、傍らにいるルーナが小さな声で囁く。
『あれは神竜の角です。かつて魔王と戦った際、折れた一本であると聞いています』
「神竜のものか……」
竜の父祖と呼ばれるだけあり、神であるのと同時、非常に大きな竜だったのだろう。
それにミカヅチが生きていた時代に折れたものなら、遙か昔であるはず。
なのにああして綺麗に形を留めているとなれば、竜の国で大切に保管されてきたに違いない。
『数百年に一度、竜脈の儀はあの角を用いて行うそうです。私も見るのは初めてになります』
ルーナは神竜の角を見つめながらそう語る。
竜脈の儀。
聞くところによれば、それは竜の国直下に流れる巨大な魔力の流れ、即ち竜脈を活性化させるために行うものだという。
古竜は魔力の塊であるブレスの発射に、鱗や内臓の維持や成長など、生涯を魔力と共にすると言っても過言ではない種族だ。
常日頃より、獲物や大気中、果ては土地そのものから膨大な量の魔力を吸収している。
裏を返せば住んでいる土地の魔力が弱ることは、古竜の衰退を意味するのだ。
故に数百年に一度の周期で、竜脈が弱まっているとその代の竜王が判断した場合、執り行われるのが竜脈の儀であるそうだ。
ただ、気になるのはあの神竜の角がどのように使われるのかだ。
四体の古竜は神竜の角を竜王の前に運び、静かに降ろす。
次いで、竜王は巨躯の全てを輝かせるほどに、体内から莫大な量の魔力を発し、天高くへと光の柱を立ち昇らせた。
途端、神竜の角がそれに呼応するようにして月光色の輝きを発し、光の柱を更に煌めかせた。
「綺麗……!」
ロアナが思わずそう呟き、ミルフィも見入るようにして眼前の光景に釘付けになっていた。
この世のものとは思えぬ清廉さを感じる光、正に神竜の輝きだった。
竜王はその身に神竜の魂を降ろしているかのようにさえ感じられる。
しかし、驚くのはここからだった。
天へと昇った一筋の光が、雲の向こうから返されるように、雨となって竜の国全体へ降り注ぎ始めたのだ。
光の雨が優しく竜の国を照らしながら、土に、岩に、崖に、木々に、水に吸収されていく。
この世界の神秘を感じる光景に、俺自身も周囲の古竜たちも言葉を失っていた。
ただ満足げに頷くのは角を運んできた四体の古竜のみで、年齢から察するに、恐らくは前回の竜脈の儀を見ていたのだろう。
今回の竜脈の儀の成功を感じ取ったといったところだろうか。
……そうして、一瞬にも永劫にも思われた光の雨が止んだ後。
ルーナは再び俺の耳元で囁く。
『竜の国の竜脈は無事に活性化した様子ですが……レイド、まだ動いてはなりません。この竜脈の儀には続きがあります』
「そうなのか?」
こちらの問いに、ルーナは『はい』と応じた。
『人間が十五歳、成人とされる歳を迎えた際、天からスキルを授かる場合があるように。この竜脈の儀にも、最後に天から贈り物があるとされているのです。それは竜の国を護るための武具であったり、古竜も楽しめる酒であったり。過去にはスキルのような能力を授かる者さえいたそうです』
「そうか。それを見届けようと、まだ皆動かないんだな」
古竜たちは天を見つめ、何が起こるのかと待ち構えていた。
俺も同じように天を見上げ、何か降ってくるのかと待っていると、
「……流星?」
天から細い光が降ってくるのが見えた。
ルーナからの説明を聞いた今では、恐らくあれが贈り物であると察せられた。
しかしその光は凄まじい速度で、目測ではあるものの、古竜の飛翔速度を上回る速さで地上へと向かってくる。
『こいつぁ……! 皆、離れろ!』
ガラードの一声で、光の落下地点付近にいた古竜たちが左右に捌ける。
直後、光は地上へと落下し、凄まじい衝撃と砂煙を生じさせるものと思われたが……。
如何なる超常の力か、あれほど加速していた流星は地上付近で、不自然と感じるほど瞬く間に減速した。
結果、地表に浮かんだまま、光が制止するに至る。
「これが、贈り物……?」
制止していた光はゆっくりと地面へ降り、纏う光を減じさせてゆく。
そうやって光の中から現れた贈り物は……なんと、横たわる少女であった。
溶かした黄金のように輝く髪。
肌は雪のように白い。
年頃は恐らく、ロアナと、人間換算したルーナの中間ほどであろうか。
十代の前半ほどに感じられた。
閉じられた目には長く艶やかな睫毛が伸び、形の良い唇からは安らかな寝息が聞こえてくる。
衣服は白を基調としたワンピースのように見え、シンプルながら質感の良い品だ。
……と、驚きのあまり少女をまじまじと見つめてしまったが、それは周囲の皆も同様だった。
『なっ……なんだこりゃ? 人間の……娘か?』
呆気に取られた様子であったが、遂に声を発したのはガラードだ。
恐る恐るといった面持ちで少女に近寄る。
『息はある。多分、眠っているか気絶しているだけだろうが……』
『ですが、この気配は一体……』
これも古竜の鋭い直感によるものなのだろうか。
ルーナは少女を見てどこか困惑しているようだった。
『待て、ルーナにガラード。その者……否、その御方に安易に近寄ってはならぬ』
竜王の言葉に従い、ルーナとガラードは数歩退いた。
直後、竜王は少女の側へと座り込む。
そうして少女の身をじっと見つめ、何かを感じているようだった。
『……うむ、うむ。この尋常ならざる、天地を感じさせるほどの魔力を秘めた肉体……。恐らくではあるが、この方は神族である。皆の者、敬意を持って接するように』
竜王の言葉を聞いた古竜たちの間に、ざわめきが駆け抜ける。
『神族、つまりは正真正銘の神様か……!』
『竜の国に神が降臨なされたとなれば、神竜様が降臨なされて以来の出来事だ』
『竜の国への贈り物が神様って……どういうことなんだ』
古竜たちが口々に語る中、竜王はこちらを見て『レイド』と俺を呼んだ。
『すまぬがこの方を猫精族の集落へ。いつまでも地に寝かせていてよい方ではない。ワシが人間の姿になって運びたいところだが、力加減が難しいのと、この件については早急に話し合いをせねばならん』
竜王が目配せした先には、神竜の角を運んできた四体の古竜がいた。
彼らと話し合い、この少女の今後について決めたいといったところだろう。
「分かりました。それでは俺が運びます」
『レイドなら心配ないと思うが、くれぐれも丁重に頼む。神々の意図は分からぬが、古の時代、神族に無礼を働き滅ぼされた種族もあると聞く。どうか頼んだぞ』
そのように言い残し、竜王は四体の古竜と共に去っていく。
俺はしゃがみ込み、両手を少女の肩と膝の下へと差し込むようにして抱き上げた。
少女の表情は穏やかで、動かしても起きるようなことはなかった。
……そうやって至近距離で少女を見つめた際、閃光が頭を抜けたような感覚に陥った。
唐突ながら、しかしある程度はっきりと、今朝見た夢を思い出したのだ。
誰かに何かを話されていたような、まるで何かを訴えられていたかのような夢。
ただし声も顔立ちも、あちら側とこちら側を何か薄い膜のようなもので隔てられていたせいで、上手く認識できなかった。
とはいえ声音からして、やはりあの人は女性であったと思う。
そして……どうしようもないほどに確信めいたことが一つ。
何故そう分かるのかが分からない。
けれどその人の顔立ちは間違いなく、この少女とよく似ていた。
場合によってはこの子が夢に出てきた女性であるかもしれない。
だからこそあの夢の記憶が、今この場で明るく蘇ったのだろう。
ただ、あの顔立ちと朧気な輪郭は、今抱えている少女がもっと大人びた際の姿であるような……そんな気がしてならない。
自らのこの考えすら、何から何まで不思議だ。
それでも己の中の勘が、あれは決してただの夢ではないと語っている。
加えてこの子によく似た顔を、夢以外のどこかで見た気がするのだ。
一体どこで見たのか……霞をかき分けるような思考ながら、それは案外すぐに分かった。
「そうだ、ミカヅチの記憶……!」
俺の祖先にして神竜皇剣リ・エデンのかつての所有者。
ミカヅチは俺がヴァーゼルを倒す際、魔力と一緒に剣技や一族に関する知識を授けてくれた。
その際、ごく一部ではあるものの、ミカヅチ個人としての記憶も流れ込んできたのだ。
そこでかつてのヴァーゼルの姿を見たように、この子に似た顔も一瞬だけ薄らと垣間見たと気付いて、背筋に戦慄が走った。
──まさか、まだあるのか? 魔王や魔族と同様、ミカヅチの頃から続く何かの因縁や宿命が。
断ち切って解決したと思ったものが、まだ続いているかもしれないという、恐れにも似た感覚。
俺はルーナに声をかけられるまでの間、少女を見たまま立ち尽くしていた。




