62話 神々の死闘
【お知らせ】
本作「神竜帝国のドラゴンテイマー」の2巻が11月15日に発売となります!
発売中の1巻と共に、2巻もよろしくお願いします!
神代、それはこの世に生きとし生ける人型種族全てが生まれるより遙か以前、神々のみが存在していた古の時代。
その時代より神々の住まう地としてあり続けたのが蒼穹に浮かぶ聖域、天界である。
雲海の中、浮かぶ巨大な孤島には、白磁色の柱で支えられた巨大な城が聳えていた。
天界の各所には葉を淡く輝かせる木々が点在し、水路には清い水が流れ、滝のように地へと降り注いでゆく。
幻想的とも形容できる空間の中、万物の創造主たる神々らは自由気ままに過ごし、時にその役割を果たして地上へと自らの被造物を生み落としていった。
天界は人の世のような汚れや穢れ、暴力や謀略とは無縁の楽園であり、永い永い時を、ただ神々と共に刻むのみであった。
そう、とある一柱の神が反旗を翻し、瞬く間に天界を……大半の神々を黒の魔で呑むまでは。
この世のものとは思えぬ精緻さで築かれた城は焼け落ち、今や瓦礫の山と化している。
突き抜けるようだった蒼穹は人血の如き赤黒さで塗り潰され、木々は燃えて灰を撒き、清らかだった水は枯れ尽くしていた。
今や天界に残る神々は少なく、その場に人間がいたならば、誰もが神々の時代の終焉を感じずにはいられなかっただろう。
……しかしながら、その滅びに抗う一柱の神が在った。
『オオオオオオオオオオ!』
銀の牙の並ぶ顎を開いて咆吼を轟かせ、深紅の炎に揺れる大気を裂き、巨躯が宙に踊り出る。
その神は宝玉の如き月光色の鱗を纏い、舞い散る火の粉の中、二対四枚の翼をはためかせた。
砕けた天界の石畳を強靱な四肢で踏みしめ、大樹の如き尾をゆらりと振るう姿は、平時ならば誰もが吐息を漏らすほどの精悍さと美しさ、何より力強さを秘めていた。
されどその翡翠の瞳は今や怒りと覚悟に燃え、視界に映るかつての友にして怨敵を、確実に滅ぼさんと照っている。
『魔神ノルレルスッ! 貴様という奴はどこまで……どこまでッ! 破壊の限りを尽くしたところで貴様の願望は決して叶わぬぞ!』
気高き怒りは万人どころか万物が震えて砕けるほどの圧を伴い、魔神ノルレルスと呼ばれた青年へと叩き付けられる。
しかし彼は少し長めの黒髪を揺らし、こともなげに爆炎の中から姿を見せる。
炎の中にあってもなお輝く赫々の瞳は、その輝きよりも、触れてはならぬおぞましさと死を感じさせる気配に満ちていた。
体の線は細く、少女と見紛うほどに中性的な顔立ちではあるものの、その表情は不思議と乾いた印象を抱かせる。
黒を基調とした衣服には血色の装飾が入り、手にした赫槍には闇色の力が蠢き、神々の血肉と魂をさらに食らわんと疼いていた。
ノルレルスは口角を小さく持ち上げ、薄暗い笑みを浮かべる。
「いいや、叶うともさ。他の有象無象の神々を殺せば、要らぬ仁義とやらに魅入られた君が出てくるのは必定。そうなれば君を慕う彼女も出て来ざるを得まい。そうだろう? 竜の父祖たる神……神竜エーデル・グリラス」
ノルレルスの言に、エーデルは唸り声を増した。
確かに奴の言う通りになるだろうと、確信めいた予感があったからだ。
だが、そう易々と叶えてやる訳にもいかなかった。
『……だからどうしたと言うのだ。あやつが来る前に。貴様を魂ごと、粉微塵にしてしまえばよいだけの話だッ!』
エーデルは口元に淡い月光色の魔力を溜め込み、ノルレルスを狙う。
竜の祖にして神たる神竜エーデル・グリラスのブレスは、最早古竜のそれを上回り、一撃で数多の大山を更地にして余りあるほど。
下手をすれば天界ごと消し飛ぶ威力。
文字通りの天災であるが、エーデルは躊躇なくそれを放った。
何せ相手は多くの神々をなぎ払い天界を滅ぼしつつある、魔に属する者の頂点たる、魔神なのだから。
手加減できる道理は一切なかった。
……その、神竜の名に恥じぬ、滅びそのものである月光を、
「最早この程度とは。残念だよ、我が古き友よ」
ノルレルスは赫槍の一振りで起動を変え、真上へと弾き上げてしまった。
直後、天界より彼方、巨大な太陽が咲くように光と衝撃が解き放たれた。
弾かれたエーデルのブレスの余波は、既に半壊していた天界を叩き、瓦礫の山を増やしていく。
その光景を一通り見守った後、衝撃波と突風が凪いだところで、ノルレルスが「何故」と静かに口を開く。
「何故、君は僕に抗う。力をこの程度に落とした末、得られるはずだった未来すら投げ捨てて。君は……どうして彼女にそこまで肩入れする」
ノルレルスはエーデルへと、ゆっくりと歩みを進めていく。
「弱き者は強き者の糧となる。それは僕ら神々がこの世に敷いた揺るがざる決まりごとだ。であるのに君は、君らは敢えてその決まりに逆らおうと言うのかい?」
『……』
「何より何故……君らは僕を裏切ったんだ」
これまで余裕かつ殲滅以外の意思と感情を見せなかったノルレルスの瞳に、一筋の悲しみと憐憫の色が混じったのを、エーデルは逃さずに感じ取った。
倒すべき敵ながら、かつての友から感じてしまった、どうしようもない思い。
生来宿っている竜特有の機敏な交感能力について、エーデルが生涯で唯一恨んだ瞬間であった。
彼は翡翠色の瞳を一瞬閉じ、友への思いを覚悟に変え、力強く見開いて吠える。
『それは……我らの営みが邪悪のそれと、愛を欠く行いであったと恥じ、悟ったからだ。他の神も同様の思いだった!』
「ハッ……! だから消し去ってやったのさ。実に愚かだ。神族の未来を、行く末を、不確定な未来に託そうなどと……!」
あくまで己を拒むエーデルの言葉に、ノルレルスは犬歯を剥いて叫ぶ。
これ以上の会話は不要、それを悟ったノルレルスが相棒である赫槍を鋭く構えたところで、
「しかしそれを成し得るのが愛なのです」
黒煙を上げ続けていた爆炎が消え、暴風が止み、赤黒い空から黄金の光が一筋落ちてくる。
エーデルの傍らに射したその光は、陽光のような暖かさを孕み、細く儚い人影となる。
「そして我らが滅びようとも……それでも。私は子の味方です」
揺るがぬ口調で語るその者に、ノルレルスは狂犬めいた笑みを浮かべた。
「ようやく出てきたね。永く待っていた、この時を……この瞬間をっ!」
現れた人影へと、神速を以って迫るノルレルスに、決して通すまいと立ち塞がるエーデル。
「退け、エーデル! 彼女をこの場へ引きずり出した時点で君の役割は終わっている!」
『黙れノルレルス! 我の全身全霊を賭けて、魂を擦り切らせても! 貴様を阻んでくれる!』
魔の神と竜の神、その死闘を見守る黄金の光の主。
その者は自身の腹を一度、小さく撫で、魂を削り合う彼らの行く末を見守っていた。




