プロローグ
2025年6月4日20:42分
僕、山野直気(20)は人を殺してしまった。
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僕が幼稚園に上がった頃、父が亡くなった。
家に帰る為夜道を歩いていた所、飲酒運転をしていた車に衝突されたらしい。
正直僕は幼かったこともあり、父のことは薄ぼんやりとしか覚えていない。
・・・いや、もしかすると覚えていないのではなく、ただ忘れたかっただけなのかもしれない。
しかし、僕を寝かしつけた後、1人声をなんとか抑えながら泣いていた母さんの姿だけは鮮明に覚えている。子供ながらにこれは忘れちゃいけないと思った。
父が亡くなってから母さんは女手一つで僕を育ててくれた。昔から器量の悪かった僕だが、「少しでも楽をさせてあげたい」という気持ちからひたすら勉強をし、県立の工業高校に進学した。
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その後高校を無事卒業し、隣町のとある工場に就職することにした。この会社は社員用の寮があり、そこらのアパートより安い値段で住むことが出来る。
これならば母さんの負担を減らすこともできるし、会社とものすごく近いので遅刻の心配もしなくていい!いい事尽くめじゃないか!
「母さんのことは気にしないで自分の好きなように生きていいんだよ?そんな理由で仕事選んだらあんた、私が死んだ後絶対後悔するよ?」
・・・と言っていたが、後悔なんてする筈が無い。何せこれが僕の好きな生き方なんだから。
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先程も言ったが僕はあまり器用が良くない。球技では狙って得点が入った事はないし、50メートル走ではスタートで絶対転びそうになってタイムは15秒前後。
ダンスの授業でも先生に「なんでそんなカクカクしてるんだ?」と言わせる始末。ではせめて勉強はどうかと言われると学年で下から数える方が圧倒的に早いくらいで、テスト前でもなんでもない日ですら2時間勉強してもこの程度だった。
そんな僕が工場で働くということで、不安は勿論あったが、とはいえ同じ作業を毎日やっていたらそのうち慣れていくだろう。そんな気楽な気持ちで臨んだのだが、現実は異なっていた。
確かに同じ作業は多いのだがその数が多い。しかし一つ覚えたらそれでいいという訳ではなく、同時にいくつも機械の扱い方を覚えなくてはいけなかった。
さらに、新しい製品を作るとなった時、また新しく覚えることが増えるのだ。
就職をし1年がたった頃・・・
仕事が覚えられない事、面倒な上司との飲み会、メモも取らないくせに同じ失敗質問をしてくる後輩などといったストレスが段々と、そして着々と募っていった。
母さんからの月に1回送られてくる手紙に初めのうちは一喜一憂したものだがストレスが溜まるのと比例してそれすらも面倒くさくなってきてしまっていた。
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ある日、会社の同僚がストレスが溜まってきている僕を見かねて声をかけてくれた。
「お前大丈夫か?なんかすごい顔してんぞ?嫌な事は酒でも飲んでパーっと忘れちまえよ」
酒か・・・二十歳の誕生日に実家に帰省し、その時に初めて飲んだが、どうやら僕はアルコールに弱いらしく、度数3%のチューハイ1缶でぶっ倒れ、その間の記憶が飛んだことがある。
それからもう酒は飲まない、そう決めていたのだが・・・
"ストレスを忘れられる"
そのことが頭から離れず、仕事終わりに度数が5%の酒を買ってしまった。
そして2缶めに手を伸ばした辺りから僕の記憶は途絶えた。
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ーーー痛い。頭は酒のせいだとして、なんで全身が痛いんだ?・・・駄目だ、また記憶が飛んでる。やっぱり飲むんじゃなかったな。
朦朧とする意識の中、酒を飲んだ後悔に苛まれていたが、突如聞こえたサイレンの音によって別の感情に染め上げられた。
顔を上げた先に広がっていたもの。それはひしゃげた僕の車、そして追突されたのであろう相手の車がドアから血を流しながら横転している光景だった。
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僕はひとまず病院で治療を受けた後、留置所で数日を過ごし、ついに判決が出された。酩酊運転をしたことによる危険運転致死傷罪で懲役10年とのことだった。
刑期中、月に一度母からの手紙が送られてきた。自分の近況や体調に気をつけてといったどうという事はないありふれた文。
仕事をしている時は面倒でしかなくなっていたものなのに、涙が止まらなかった。
しっかり罪を償ってから母さんに会いに行こう。その後今まで出来なかった親孝行を目一杯してあげたい。
そう思いながら9年が経過した頃、母さんからの手紙がぱったり止んだ。
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投獄されてから10年が経過し、釈放された僕は脇目もふらず一目散に自宅へと向かった。
会ったらまず謝ろう、そしてもう一度母さんの為に生きるんだ!
1時間程かけ、ようやく自宅の前にたどり着いたのだが、そこには無数の張り紙が玄関の扉に貼られていた。
『犯罪者が』『死刑望む』など、悪いのは僕とはいえ、心ない誹謗中傷が書き貼られていた。
母さんはこんな所に10年も暮らしてたのか?それとももしかすると別の所に引っ越してしまっているのかも知れない。寧ろそうであってほしい。
そんなことを思っていると、聴き馴染みのある声が聞こえてきた。
「おいお前もしかして直気か?そうか出てきたんだな・・・」
それは昔からお世話になっていた隣の家のおじさんだった。
僕はおじさんに母さんの事を聞いてみた。その瞬間おじさんは顔が歪め、目を逸らした。
そして何か言いにくそうに口を噤み、ようやくその口を開いた。そして・・・僕はこの質問を後悔することになる。
「・・・お袋さん亡くなったよ。1年ほど前だったか?急に自宅で倒れてな、俺が気づいて病院に連れてったんだが遅かった。医者に聞いたんだが数年前から心臓の痛みを訴えていたらしい」
ーーーは?・・・死んだ?母さんが?
心臓の痛みってなんだよ手紙でもそんな事書いてなかったじゃないか。
「・・・なんで・・・その時に教えてくれなかったんですか?知ってたら・・・こんな気持ちで帰って・・・・・・なんで?」
僕はその場から逃げるように走り去った。何かに縋り付きたくなり、友達や会社の同僚に電話をしたが、誰も繋がらない。
・・・そりゃそうだよな、誰だって殺人犯と繋がっていたくは無い。
それだけの事を僕は・・・
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僕は何か目的を見つけた訳でもなく只々街を彷徨っていた。
思っていたのは母さんの事。
結局迷惑を掛けるだけかけた上死に目にも会わないなんて、親不孝なんてものじゃ無いな。
・・・・・・なんで僕生きてんだろ?人を殺して母さんもいない人生を歩んで何になるんだ?今の僕に何が残っている?
・・・何も無い。・・・母さんが言ってた後悔ってこの事か?だとしたら・・・もう・・・
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生きていく気力が歩を進めるのと一緒に消え失せていた時、背中に痛みが滲んでいくの感じた。
「えっ?・・・刺され・・・・・・あぁそうか・・・」
背後を振り返った僕が見たのは1人の女性と僕の血を受け赤く染まった包丁だった。
彼女は"僕のせい"でとか"〜君もうすぐ行くから"などと呟いていた。
なる程、もしかすると僕が殺してしまった人の彼女か何かなのかも知らない。
であればこれも仕方がない。・・・これは罰だ。
彼女が逃げ去った後、僕は他に伏した。
これで終わる・・・やっと・・・来世とかほんとにあるのかな?・・・だとしたら・・・今度は人を・・
・守・・・・・・
こうして山野直気の人生は幕を閉じた
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