決意
山賊の頭領が死ぬ数分前……
シャルロットは山賊の頭領、デンスに捕まり首筋にナイフの刃を当てられていた。
ヒンヤリとした刃が恐怖を煽る。
だが、シャルロットにとってはそれは些細な事だった。
胸中の大半を占めるのは恐怖ではなく諦め。
それもどうしようもないほどの諦めだ。
(ああ、結局私はこうなるのだな。金髪だから捕まってそして売られる。それ故に助けようとする者がいてもその人の足を引っ張ってしまい、その人もまた敵となってしまう。つまり最期まで孤独な生を送るしかない。アドルフさんも一応助けてはくれたけど結局は私のせいで死ぬ。)
そんな事をシャルロットは考えていた。
それは幼少から自らの意思を奪われてきたシャルロットにとっては当然の思考なのだろう。
ただただ自らを無力だと思い込み全てに絶望する、どうしようもない思考だ。
そしてシャルロットはアドルフもまた、シャルロットを守ろうとして死んでいった人物達と同じ結末を迎えるのだと思っていた。
「それだけですか?」
「はっ?」
「いや、だからそれだけですか、と聞いているのです。人質に取ってどうしようというのですか?まさかそれで私が止まるとでも?」
しかしシャルロットにとってアドルフの答えは全く想定外の物だった。
死を選ぶわけでもなく、さりとてシャルロットを犠牲にするわけでもない。
いや、ある意味では見捨てているのだがそれは保身のためなどではない。
シャルロットのためでも山賊のためでも社会のためでもなく、ただ自らのためのみに行動する。
ただそれだけなのだ。
しかしそこにはそれ以外の目的の何も含まれていない。
もちろん、これまでのシャルロットに対する行動を鑑みるに偽善が含まれていないわけではないのだろう。
だがその偽善は社会のための偽善などではなく自らの目的のための偽善、すなわちその一部なのだ。
それはシャルロットには異様に、そして羨ましく思えた。
何にも縛られることなく自らの意志を貫く、それはシャルロットにとってはどれほど憧れようとも不可能な物だった。
生まれた時点で自由などほとんど得られない事が確定したのだから。
そんな事をシャルロットが考えている間にもアドルフは山賊を次々に殺した。
アドルフの周りにはもはや動けない山賊が群がり、他の山賊も動くことが出来ない。
そんな中アドルフは至極冷静に言葉を紡いだ。
「交渉をしましょう。私としてもその少女を殺されるのは少々不本意なのです。ですのでその少女の命と、あなた方全員の命の交換という事で手を打ちませんか?」
「なんだと?ふざけているのか!」
「いえいえ、そういうわけでもないのですが。お互い損は避けたいでしょう?何も命を捨てることはないんじゃないですか?」
アドルフがその発言を本心から言ったのかはシャルロットには分からない。
ただ一つ分かる事はそれが嘘であれ本当であれ、アドルフはシャルロットのためではなくあくまで自らのために言葉を発したという事だ。
そして……シャルロットの胸中に変化が生まれだした。
自分はこのまま自らの意志を示す事なく死んで良いものなのかと。
しかし当然の事ながら考えている間だけ時間が止まる、何てことはない。
シャルロットが気付いた時には山賊達は頭領を除いて誰一人として地面に立つ者はいなかった。
そしてその間にも状況は変わり続ける。
「……生きたいのであれば先ほどの問いかけの時に逃げるべきだったと思いますよ?まあ全員が逃げ出せば1人づつ殺していくつもりでしたけれど。ああ、そうそう。1つだけ聞いておきたいことが。あなたは生きたいのですか、それとも死にたいのですか?」
「どういう意味だ?それに答えたからといって何かあるとでもいうのか?」
「そういうわけでもないです。もう1度聞きます。あなたは生きるつもりがあるのですか?」
突然、アドルフが頭領へと矛盾した事を言い出した。
答えても何も変わらないとアドルフ自身が言っているのに答えを求めているのだ。
それは当然の事ながらシャルロットにもおかしく思われアドルフを見つめ……気付いてしまった。
アドルフが頭にではなくシャルロットに視線を向けているという事に。
シャルロットは完全に理解した。
アドルフは頭領を生かす気などはなく、そして同時にシャルロットがどうなろうがあまり気にしないと。
だからシャルロットが生きるかどうかはシャルロット自身が決めろと言っているのだと。
次の瞬間、シャルロットの脳内に走馬灯のようにこれまでの記憶が蘇る。
物心ついた頃に自由を奪われ、そして長い間何一つとして自らの意志を押し通す事が出来なかったという事が。
生きているという事を一度も感じられなかったという事が。
そしてシャルロットの胸中に生まれた変化は収束を迎え始める。
ただ1つの願望、生を甘受したいという願望へと。
脳に異常なまでのストレスが掛かり心臓はバクバクと音を立て始める。
しかしそれでもシャルロットは意識を手放そうとは思わなかった。
それはこれが自分にとって最後に残されたチャンスだという事が分かっていたからだ。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸ほどの希望であっても紛れもなく自らの意志の自由を掴み取る最後のチャンスだと。
もはやシャルロットには躊躇いはなかった。
渾身の力を振り絞ってシャルロットはナイフを握る。
それは、とてもこれから人を殺そうとするようには思えないほどぎこちない物だった。
しかしシャルロットがナイフを握った事は事実。
そしてナイフは……大きく振りかぶられて頭領の腹部へと向かって行く。
アドルフに気を取られていた頭領が気付いた時には既に手遅れだった。
ナイフはか弱い少女の手によって刺されたとは思えないほど深く刺さり頭に重傷を負わせる。
シャルロットは真っ赤な血が服を濡らし、頭領のナイフを持っている方の手は力なく下がっていくのを感じた。
そしてアドルフの投げたナイフも頭領の胸に刺さり山賊は後ろへとのけ反った。
しかし……
ドスッ
その音が聞こえるや否やシャルロットの脇腹に激痛が走った。
ほんの一瞬の出来事だったにもかかわらずその痛みはこれまでシャルロットが受けたどの痛みよりも激しく、そして鋭い。
だがそれだけでは頭領は終わろうとはしなかった。
痛みを抑えて何とか渾身の力を込めてナイフを握りシャルロットを殺そうとする。
だが襲われる側のシャルロットが持っていた感情は恐怖だけではない。
そこには山賊の頭領に対する憧れも混じっている。
なぜなら頭領は死ぬ間際でありながらも全力で、正に自らの存在の全てを賭けてシャルロットを殺そうとしているからだ。
それもまた意志を奪われ続けた少女にとってみれば憧れに値する物なのだ。
しかしそんな事を山賊の頭領が知る由もないし、また知ったところで些細な問題だ。
ふらつきながらも今度は胸へとナイフを突き刺そうとし……。
「させませんよ。」
アドルフがそう言った次の瞬間、目の前にいた山賊の頭領は足で蹴飛ばされた。
その瞬間にシャルロットの胸中を安堵と憧れが巡る。
しかしそこが限界だった。
シャルロットの瞼は力なく下がり眠りへと誘われる。
だがたとえそれで死ぬとしてもシャルロットは満足していた。
最期に自らの意志に従う事が出来たのだから。