山賊
キルデス帝国に存在する6大都市の1つファスラリ、その近くにはある山賊の集団がいる。
25人ほどのそれなりの山賊集団だ。
その山賊の頭の名前はデンス。
彼は特段強いというわけではない。
兵士の1人2人を倒せないわけではないが程度の低い討伐隊を組まれただけで滅ぶような、そんな山賊だ。
にも関わらず彼らは生き残っている。
それはひとえにデンスの用心深さのおかげである。
まず、デンスの部下は全員がほとんど同じ戦闘力を持っている。
これはデンスが誰が獲物を殺すかを調節しているからで、それによってナンバー2を作りにくくし裏切りが起きないようにしているのだ。
次にデンスは絶対に村を襲わない。
村を襲えば当然力は手に入るがその分兵士や冒険者に存在を知られてしまうからだ。
だがデンスの異常なまでの用心深さではそれだけにはとどまらない。
山賊にもかかわらずデンスの指揮する一団には規律がある。
無論兵士の規律ほど厳しい物ではない。
しかし破り過ぎた者は信用が置けないと思われて情報を漏らさないために殺される。
またデンスは獲物を見つけるとまずは注意深く観察することから始める。
人数、どのぐらいの財産を持っているか、逃がさないためにはどこで襲えばいいかなど。
この時に明らかに大金を持っていると思った者は襲わない。
というのも、それだけの大金を持っていれば護衛も腕が立つだろうし、自分たちの所業が問題になる可能性が高いからだ。
それが済むとデンスは矢を射かける。
そしてその矢をどのように対処するかで相手の強さを見極めるのだ。
そこまでやってやっとデンスは襲撃を仕掛ける。
それゆえにデンスが失敗したことは小さな失敗を両手の指の数ほどでしかなく、悪くても1人死ぬぐらいで抑えられるのだ。
無論そのやり方を臆病だと思う者は多いだろう。
だがその成功率ゆえに部下からの信頼も厚い。
*
その日デンスはいつも通り隠れ家の奥で強奪品の分配について考えていた。
(やはりこの金は山分けせずに念のために置いておくべきか。最近、あまり作物の出来が良くないらしいしな。)
いつも通りの細々として刺激がない、だが何とか満足できるような生活。
そうその時まではそうだった。ある一報がもたらされるまでは。
「頭、大変です!」
「どうした?兵士がやって来たか?」
「いえ、そうじゃありません。大物の獲物ですぜ、あれは。しかも護衛もいませんぜ。」
「落ち着いて話せ。何が言いたいのかよく分からん。」
「金髪の、金髪の少女がファスラリの方に向かっているんですぜ。しかも一緒にいるのは強そうでもない少年でさぁ。」
(金髪の少女か!?売ればこの稼業を続ける必要もなくなるだろうが……何かの罠か?一生遭遇しなくてもおかしくない相手が近くに、そして無防備にいるというのはあまりにも……。)
本来ならばあり得るはずのない状況。
それゆえにデンスも警戒しないわけにはいかない。
だが同時にこれまでにないチャンスである以上襲わないという選択肢も取りにくい。
「俺が観察するから具体的な場所を教えろ。あとそっちのお前は全員に襲撃の準備をして集まるように伝えろ。」
「承知!」
(これは神の授け物か、はたまた悪魔の誘惑か。どちらなのだろうな。)
*
「頭、あっちです。あの岩の近くに金髪の少女とガキがいます。」
「ああ、あそこか。ちょっと待ってろ。」
デンスは望遠鏡を取り出すと人影を覗き見た。
そこにいたのは紛れも無い金髪を持った美しい少女と黒髪の少年。
その2人はデンスに気付いた様子もなくゆっくりとファスラリの方へと歩いている。
まさに無防備という言葉が相応しいような状態。
しかしデンスには頭に引っ掛かるような感覚がする。
原因は全く分からないがこれまでの経験と勘が襲うべきではないと訴えているのだ。
(……確かに金髪だな。そしてガキの方は……これといった特徴はないか。持ち物は大きめのリュックサックとガキが持っているショートソード。そんなところか。見た目で判断するのは良くないとはいえ、2人とも碌な装備を持っていないな。そして周りには人影がない。これは多少怪しくても賭けるだけの価値があるか?いや、待て。冷静に考えろ。それが俺の取り柄なのだから。)
(まず、あの金髪の少女が強いという事はないだろう。もしそうならば話題にならないはずがない。そしてあのガキの年齢で強い奴はもちろんいる。だがそうであるならばあの装備は不自然だ。もしそこまでの実力者であるならば装備を疎かにする愚を知っているはず。仮に袋の中に隠しているとしても……連れが金髪である以上常に警戒しなくてはならないはずだからありないな。そしてただの山賊を釣るのに金髪の少女を使うというのはあまりにもおかしい。つまり……襲撃するべきだな。だが……。)
怪しいところはあるとはいえ、デンスが普段警戒する点は全てクリアされている。
つまり間違いなく襲撃を行うべきなのだが……どれだけ理論で考えようとも何故か一抹の不安を消す事は出来ない。
そしてその不安げな様子は部下にも伝わった。
「頭、どうしますか?まさかこのまま見逃すので?」
「……全員に対象を囲むようにして配置に着け。男の方は殺しても構わん。女は生け捕りを狙え。ただし危険だと思ったならばすぐに逃げろ。」
「了解。早く配置に着け、てめえら。」
(これで良かったのだろうか。いや、今さら考えても仕方あるまい。今はどのようにすればより確実になるかだけを考えるべきだ。)
デンスの体を一陣の風が吹き抜け服がはためく。
デンスがそれに目をつぶった一瞬、ほんの一瞬の間に少年がデンスの方をちらりと見た。
そこには僅かながら、しかしはっきりと笑みが含まれていた。
*
山賊がいるにもかかわらずのんびりと道を歩いていた2人、それは当然の事ながらアドルフとシャルロットだった。
2人の少年少女が碌な武器も持たずに悠々と歩く様子は山賊にとってはいいカモに思えるだろう。
だがそれは事実とは少し異なる。
アドルフは山賊に見つかりやすいようにわざと開けた道を選んだのだ。
もしも山賊と出会うつもりがないというのであれば少し脇に逸れれば良いだけの話なのだから。
(本当に山賊がいるとは。武器の実戦での練習相手は決まりましたね。あとは山賊の強さがどれくらいか、それが問題となりますか。そこまで大規模な山賊集団ではないようですから自分よりは強くないとは思うのですが……。しかし、武器が安物のナイフとショートソードというのは不味いかもしれませんね。出来るならばましな武器を奪いたいところです。)
アドルフがそんなことを考えているとシャルロットが近くに寄ってきた。
最初にあった頃とは違い肌にも生気が戻ってきているうえに美しさも増していて、長い髪を揺らしながら歩く様を見れば誰もが振り向かざるを得ないだろう。
それはこの世界だけでなく現代社会でも同じと思われる。
ただ、残念な事にアドルフはあまりそこには興味がないのだが。
「アドルフさん。先ほどから考え込んでいるようですが何故ですか?今考えるべきことはないと思うのですが?」
「ああ、伝え忘れていましたね。どうやら山賊に見つかったようです。数は2、30人ぐらいでしょうか。」
「2、30人!早く逃げましょう!」
「多分もう手遅れですね。おそらくですが囲まれています。」
「本当……なのですか。……ところでそれにしては冷静過ぎませんか?」
「そう……ですね。感覚が麻痺しているわけでもないのですがあまり焦ってはいません。何故なんでしょう?」
(我ながらこうも嘘がすらすらと出て来るとは驚きです。実際のところはあの村でかなり力を得たから山賊を倒す分には問題ないと思うのですけれどね。シャルロットを守りきれるかどうかは知りませんが。でもこれで生き残ってくれるというのならば面白いですね。少し、興味が湧くかもしれません。)
「シャルロットさんも戦う準備はしてください。ただのナイフでもないよりはマシでしょう。死にたくなければ容赦などせずに死ぬ気で刺してください。」
「……はい。出来る限り。」
「出来る限りですか。そこは断言してほしかったのですが。」
「すいません……。」
「いえ、こちらが言い過ぎました。ですが、生き残りたいのであれば何をするにしても躊躇だけはしないでください。あなたの命はあなただけの物であって私の物ではありません。ましてや山賊の物でもありません。私たちはあなたから命を奪う事は出来ますが、それを唯一守れるのはあなた自身以外の何物でもないのですから。」
(さて、こうは言ったものの躊躇をしないというのは難しいでしょう。今はそれをどうにかすることは不可能ですから戦力外、もとい足手まといと考えるべきでしょうね。ならば長期戦は避けるべきと見ました。強くなったとはいえ数の暴力から守ることなど出来ないのですから、1人に多くの時間を掛けることは出来ませんね。今の自分の武器はショートソード1本とナイフが10本程。数こそあるものの質はからっきし。出来れば山賊から武器を奪いたいところですが……この数ではそれもままならないでしょう。相手の残り人数が少なくなるまではなるべく手持ちで戦った方が良いと。そして目指すは徹底した雑魚狩り。1対1で負ける可能性はあまり高くないでしょうが、自分と戦える相手がいるならば時間を稼がれないようにしなくては。自分よりも強かった場合はどうしようもないですが。まあその時は置き去りにして逃げるしかありませんね。あくまで今の所はですが。)
アドルフがそのような事を考えている間にも山賊はじわじわと円を縮めていく。
そして2人の目の前に姿が現れる直前になって止まった。
アドルフとシャルロットの動きもピタリと止まり、暫しの間静寂が流れる。
突如、ひゅっという風切り音と共に近くの藪から矢が放たれた。
その矢はアドルフの頭目掛けて一直線に飛び……あわやというところでカンという乾いた音共にアドルフのナイフによって弾かれた。
トスっという軽い音と共に矢は地面へと突き刺さる。
「……アドルフさん、大丈夫ですか?今のは一体?。」
「矢ですね。しかし1発だけとは面白、いえどこか恐ろしいですね。」
(しかし自分が矢の動きを見切ることが出来るとは驚きましたね。これは想像以上に戦えるのかもしれません。でも演技の仮面が少し剥がれてしまったというのはいただけませんね。いずれ直さなくては。)
アドルフはシャルロットの問いかけに答える一方で器用に全く異なる事を考える。
山賊に襲われているという危機的状況にもかかわらずだ。
それはまるで……既に山賊たちに対する興味を失っているかのようにも思える。
勿論その事に山賊たちは気付かない。
いつも通りの、いやいつも以上の報酬が得られると信じているだけだ。
矢が放たれてから束の間の静寂が流れ遂に藪の中から山賊達が姿を現した。
まず初めに出てきたのは頭であるデンス。
手には大振りのナイフを持ちその目は一切の慢心なく獲物を捕らえている。
そしてその後を追うように次々と弓使いを除く27名が2人の周りを囲むように立ち並んだ。
「おい、お前ら。分かっているな、金髪は生け捕りだ。」
「分かりやした。おい、そこのガキ。早いとこ降伏すれば痛い目を見ずに済むぜ。まあ死ぬことに代わりはないがな!ハハハッ。」
山賊たちの下品な笑い声が辺りに響き渡る。
思いがけない好機に恵まれてデンス以外は高揚しているのだ。
だがそれはアドルフにとってみれば実に都合のいいことだ。
相手が油断しきっているということなのだから。
「降伏します。せめて命だけは助けてください。」
突如アドルフはそう言いだした。
それはシャルロットにとっても、また山賊たちにとっても当然の事ながら想定外。
勿論、この時点で降伏を選ばない者がいないわけではない。
いないわけではないがにこやかな笑みを浮かべて降伏する人間が何処にいるというのだろうか?
そして山賊たちの頭にクエスチョンマークが浮かんだ瞬間アドルフの両手から2本のナイフが投擲された。
完璧に山賊たちの虚をつくタイミングで投げられたナイフは誰にも認識されることすらなく2人の山賊の胸元を抉る。
深々と刺さったナイフからどこか幻想的なまでの赤々とした血が流れ出したのを見て山賊はようやく事態を認識する。
仲間の死という出来事が現実に起こったのだと。
「……ヘンシェル?おいヘンシェル!」
山賊の1人は倒れた仲間に呼びかけるがそれは戦闘中にすべきことではない。
ましてやアドルフの前では。
山賊の全員が動こうと武器を握りしめようとしている間にアドルフはその山賊の首を掻き切る。
だが山賊とて素人ではない。
その頃には全員が武器を構えアドルフの近くにいた二人は同時に切りかかった。
伊達に仲間をやっているのではないことを証明するようなまるで舞踊のように息の合った、本人たちにとっては生涯最高の一撃。
しかしそれはアドルフに届かない。
アドルフは殺したばかりの山賊の血が噴き出すや否や正面から切りかかってきた山賊をショートソードで一瞬で斬り裂く。
そして後ろから切りかかってきた山賊の一撃を左手にナイフを掴んで受け止めると腹部に強烈な蹴りを加えた。
アドルフが強者ゆえに出来る芸当ではあるがされた側としてはたまったものではない。
普通の何倍も強力な一撃を喰らった山賊は悶絶する。
だがそれだけではアドルフは止まらない。
瞬時に近くにいた山賊に素早くナイフを投げつける。
その一撃を何とか山賊は受け止めたがアドルフへと剣を振りかざそうとした瞬間その山賊は自らの身体に異変があることに気付いた。
腹部に受け止めたはずのナイフが刺さっているのだ。
にもかかわらず山賊の目に映るのは刺し殺せる距離にはいないアドルフ。
山賊はその事実を理解できず……地へと崩れ落ちた。
だがたとえ彼が理解していなくても彼の腹部にナイフが刺さっているという事は否定できない事実。
山賊は最後まで自分が何故死んだのかを知ることはなかった。
もっとも、答えは極めて単純だったのだが。
アドルフは受け止められること前提で2本投擲していた。
それだけの話。
そしてアドルフは再び動こうとした次の瞬間のけ反った。
次の瞬間、先程まで顔があった場所を通り過ぎたのは1本の矢。
最初に弓を放った山賊が再び弓を放ったのだ。
アドルフはすかさずナイフを投擲し射手の右手を貫くが、その一瞬は山賊たちがアドルフの危険さを完全に認識し距離を取るには十分だった。
全員が数歩下がりアドルフの様子を窺う。
「フフッ、そんなに距離を取ってどうしたのですか?先ほどまでは何やら面白そうな事を言っていたと思うのですが……。」
「そこまでだ。動けばこの少女の命はない。」
アドルフは山賊の様子をみて挑発しようとしたがそれは頭の一言で阻まれる。
頭はアドルフが部下を殺していた間、1人冷静にシャルロットの方へと近づいていたのだ。
山賊にとって絶対である頭。
その自信に満ちた声を聞いて山賊たちの顔に余裕が戻り再び邪悪な笑みが浮かび始める。
彼らは所詮は虎の威を借るキツネ以外の何物でもない。
しかしてそれはある意味では最も賢い生き方で、そして損をすることが少ない生き方だ。
そう、本来ならば。
「それだけですか?」
「はっ?」
「いや、だからそれだけですか、と聞いているのです。人質に取ってどうしようというのですか?まさかその程度で私が止まるとでも?」
しかして目の前にいるのはいわゆる一般人とは程遠い人間。
心底不思議そうな顔と口調と共に吐き出された言葉は山賊たちに重い違和感を与えた。
この少年は自分たちのような生易しいものではない。
もっと別の恐ろしい何かだと。
「じゃあ行きますね。」
その一言と共にアドルフは1番近くにいた山賊の下まで一気に距離を詰める。
慌てて山賊も剣で迎え撃つがアドルフはいとも簡単にその山賊の剣を弾き飛ばし、獣のように強引に胸を突き刺した。
別に山賊が力を込めていなかったわけではない。
ただ単純にそこにはこの世界特有の圧倒的な力の差があったのだ。
強者と弱者という絶対的な差が。
山賊が倒れると同時にアドルフは山賊を踏み台にして前に踏み出す。
そして双子の山賊の斬撃を右へ左へと躱し、双子が視界に既に遺体と変わり果てた仲間を捉えて一瞬注意を逸らしてしまうとすかさず左手に持ったナイフを使って双子の頸動脈を掻き切った。
双子の山賊から大量の血が溢れ辺りを塗らすがやはりそれでもアドルフは止まらない。
向かってきた山賊3人に対しナイフを右手に持ち替えると1人目の足を素早く払い、2人目の剣が突き出される前に懐に入り込むと胸元にナイフを突き刺しその山賊を3人目に向かって突き飛ばした。
そして3人目の動きが死体で止まるや否や起き上がろうとしていた1人目の心臓にナイフを突き立てた。
山賊が襲撃を仕掛けてからただの数分。
たったそれだけで仲間の3分の1ほどが死に、何人かは怪我を負っている。
それもたった1人の手によってだ。
しかも山賊である彼らですら殺す時は多少は躊躇するというのに殺人をいとも容易く、そして平然と行っている相手に対する恐怖が段々と湧き上がってくる。
1人2人と段々と顔に怯えの色が浮かび始めたのだ。
だが、それでも仲間を殺された怒りや頭に対する信頼で何とか逃げ出しそうになるのをこらえる。
しかしそれはあくまでもギリギリの状態でしかない。
あと1人、あと1人殺されれば決壊するようなその程度の物。
アドルフは膠着状態に陥ったことを理解して辺りの様子を窺う。
周りの誰もが声を発さないという異常な状況の中でも冷静に、ただひたすらに思考する。
にこやかな笑顔をしているせいでそうは見えないのだが。
(生きているのは17人程。そのうち2人は重傷……いや、ナイフを刺しましたがギリギリ生きている山賊もいますか。でも放っておいても問題はなさそうですね。ここまでのペースからするとこのまま普通に戦えば問題なく勝てるでしょう。頭の強さは分かりませんが、人質を取りに来たのだから手に負えないという事はないでしょう。ただ、人質、シャルロットをどうするべきでしょうか。先ほど言った言葉通り殺されてもどうってことはないと言えばないのですが……出来れば信頼できる相手は欲しいのですよ。とはいえ人質に取られてる以上確実に助けられる手段などありませんね。やはり最後は彼ら自身に決めさせるしかありませんか。)
「交渉をしましょう。私としてもその少女を殺されるのは少々不本意なのです。ですのでその少女の命と、あなた方全員の命の交換という事で手を打ちませんか?」
「なんだと?ふざけているのか!」
「いえいえ、そういうわけでもないのですが。お互い損は避けたいでしょう?何も命を捨てることはないんじゃないですか?」
頭は先程から繰り広げられていた異様な戦闘でも動じてはいなかった。
確かにアドルフは強い。
山賊全員で畳みかけても勝てないほどには。
だがそれでも人間だ。
人質を取っている以上、いくらどうでもいいと口では言っていてもどこかに交渉の余地があるのではと思っていたのだ。
だがそもそも前提が間違っていたとしたら?
アドルフが本当に人質に対してほとんど関心を持っていなかったとしたら?
「解答しないということで返事はノーと捉えておきますよ。しかしそうですね。この場には邪魔物が多い。これでは碌に話し合いもできません。」
言っている事はまともだが何かが違う。
山賊達は皆そう思った。
どこか言っている意味を捉え間違えている気がして、そして根本的に目の前にいる少年を見誤っている気がしてじわじわと違和感が湧き上がってくる。
「ああ、今なら選んでもいいですよ、死ぬか去るか。命を奪えないのは残念ですが交渉の邪魔をされるのはなお面倒です。死にたいというならば遠慮なく殺させていただきますが。」
アドルフは言葉を紡ぐ。
ただひたすらに冷静に、そしてそれが至極当たり前であるかのように。
遂に山賊たちは気付いた。
違和感の正体に。
アドルフは戦闘をしているというのにおびえているわけでも興奮しているわけでもないのだ。
戦闘に慣れているわけでもないのにただそれを当然の事として受け止めている。
山賊である自分たちでも普通は殺す時に何らかの気持ちが浮かぶ。
多少の憐憫や同情、歓喜や憤怒、嫌悪や不快感など。
だがアドルフはそのどれも山賊に対して向けていない。
そこにあるのは物に対しての感情と同程度の物。
しいて言うならば不快なのだろうが、それとて山賊の命を奪うことにではなく処理することにに時間を食うことに対しての物だ。
「早く逃げろ!こいつは勝てるような相手じゃない!」
山賊の一人が不意にそう言った。
恐怖で顔が強張り声を震わせながらの発言ではあったが狭いスペースに集った全員に聞こえた。
そしてその山賊が脇目もふらずに逃げ出すと1人、2人と少しずつ後ろに下がり、やがてそれはあとずさりから後歩きへ、そしてダッシュへと変わった。
17人いた山賊は一気に減り始める。
「逃げるな!人数では勝っているんだぞ!それに人質だっているんだぞ!」
残っていた山賊の一人が逃げていく者に声を投げかける。
だがそれは虚しく響くだけだ。
誰も注意を向けようとさえしない。
ただ敵である一人を除いては。
突然男の体を激痛が襲った。
そして腹部に刺さった何かが引き抜かれ血が溢れだす。
男が意識を失いつつも顔を正面に向けるとそこにはやはりアドルフがいた。
先ほどと何も変わらぬ表情、そして観察してくるような瞳のまま。
男がゆっくりと崩れ落ちるとアドルフは辺りを見渡した。
「逃げないと判断したのですからちゃんと死を持ってそれを補わなければね。さて残ったのは合計で3名、ああ1人は死にますか。というわけで邪魔なのはあなたですね。弓使いさん。」
アドルフはそう言うなり手元に持っていたナイフを藪に向かって投擲した。
その一撃は怪我を負いながらも矢をつがえようとしていた男に寸分の狂いもなく向かい、そして心臓へと突き刺された。
胸から温かい血が流れ落ち衣服を濡らす。
だがそれでも男は弓をつがえようと手を伸ばし……そして絶命した。
この場で動く者はアドルフ、頭、そして捕まったままのシャルロットのみ。
ただ静寂が辺りに満ちる。
それを破ったのは当然のごとくアドルフだった。
「ああ、ナイフが切れてしまいましたか。まあ交渉の準備は整いました。では始めましょうか。」
先ほどと変わらぬ冷静な表情、口調のままアドルフは語りかけた。
その声はどこまでも無慈悲でそして何よりも恐ろしく聞こえた。
だがこの状況においても未だに笑みが崩れようとはしないという事は只純粋にそれ以上に恐ろしく思える。
頭は唾液を飲みこむと異様な状態にさらされ続けたことで乾いた唇をなめた。
そこにあるのは異様なまでの緊張感。
そして圧倒的恐怖。立っている事さえ嫌になってくる。
まるで今すぐに自分の胸にナイフを突き刺したいような、そんな感覚だ。
(何なんだこいつは!人質を取っているというのに気にせずに殺し始めるとは!……いや、一旦落ち着こう。交渉するということは人質に一定の価値を認めているということだ。でなければまとめて殺されているはず。だが本人の命と比べるならば皆無に等しいといったところか。さて俺が勝ち取らなければいけない条件はまずは自身の命の保証。だがどうやって勝ち取ればいいのだ?仮にこの女と交換で自分の命を保証してもらったとしてもそれに意味はない。約束を破られて追いつかれ殺されるだけだ。つまりこの女を手放してはならない。だとするならば……)
「この女の命はどうでもいいんだろ?ならばアジトの場所を教える代わりにこの女をもらっていくというのではどうだ?」
「なるほど、そう来ましたか。金をあげる代わりに自分の命を保証しろと。人質に固執するのは約束を破りにくくするためですか。悪い提案ではないですね。」
「じゃあ……」
「ですが今アジトの場所を聞くのも拷問して聞き出すのもそう変わらないでしょう?もしかしたら逃げていった連中がアジトから逃げる用意をしているのかもしれませんが、その時はその時です。」
アドルフはそう答えると微かに笑った。
「生きたいのであれば先ほどの問いかけの時に逃げるべきだったと思いますよ?まあ全員が逃げ出せば一人づつ殺していくつもりでしたけれど。ああ、そうそう。一つだけ聞いておきたいことが。あなたは生きたいのですか、それとも死にたいのですか?」
「どういう意味だ?それに答えたからといって何かあるとでもいうのか?」
「そういうわけでもないです。もう一度聞きます。あなたは生きるつもりがあるのですか?」
(こいつは何を言っているんだ?生きるか死にたいかならば生きたいに決まっているだろう?だがそんなことを聞く意味はなんだ?この場にいるのは自分とこいつだけだから他の者に話しかけているということはないだろう……まさか人質か!)
突然、なんの前触れもなく頭の腹部にナイフが突き刺さった。
アドルフが投げたわけではない。
そのナイフの柄を握っていたのは……シャルロットだった。
「面白い!ならばやるだけやってみるとしましょうかね!」
シャルロットと頭には力の差があるため致命傷にはなり得ない。
だがアドルフがそこに生まれた隙を見逃すわけが無い。
懐に隠し持っていたナイフを取り出すと素早く投擲する。
ナイフは真っすぐに頭へと向かい……見事に胸部へと吸い込まれていった。
(クソッ、しくじった。奴がナイフを隠し持っていたのもそうだが人質に刺されるとは。ここまでの重傷を負ってしまえばもはや自分は助からないだろう。致命傷でなくても逃がしてはくれまい。ならば、ならば人質だけでも殺してやろう。それでこの男にどれぐらい衝撃を与えられるかは分からないがやらないよりはましだ。恨むならばこの男と行動を共にしていたことを恨むんだな。まあいずれにしても金髪である以上は死を避けれなかったとは思うが。)
頭のナイフがシャルロットへと振り下ろされる。
ナイフは煌めきと共に胸部へと向かい……頭の手元が狂った。
シャルロットの腹部へとナイフは突き刺さりしっかりと抉る。
だがそれは致命傷には成り得ない。
(なぜ眩暈がするのだ!出血によるものにしては突然すぎる!……これは毒か?クソッ、頭が回らん!だがまだこの女を殺せるはず……)
「させませんよ。」
頭が再びナイフを握ろうとした瞬間横合いから鋭い蹴りが飛ばされた。
言うまでもなくその犯人はアドルフだ。
頭の手は空を切り、頭の体は数回横に転がり藪へとぶつかったところで止まった。
その拍子に頭の腹部からナイフが滑り落ち、あっという間に血が大地を満たしていく。
その速さはまるで蜥蜴が地を這いずり回るかのようだ。
「村で見つけた物の中に明らかに怪しげな薬があったので塗ってみたのですが正解だったようですね。割と即効性も高いようですし今後も使えるかもしれません。とはいえこれだけでは心もとないのも事実。この世界の事を知らない身としてはあるに越したことはありませんからね。……しかし毒薬なんて一体何に使ったのでしょうか。」
(何なんだこいつは!この場に及んでもほとんど俺の事を気にしないとは。それにこの世界の事を知らないとはどういうことだ?山に籠っていたというわけでもあるまいし。)
アドルフが独り言をブツブツといいながら頭の方へと近づいてくる。
しっかりとした足取りだがその一方で頭の事は既に眼中にない。
ただただ、注意するべき相手でも何でもなく精々お試し用といったところか。
それが頭にとっては恐ろしく思われる。
いわゆる殺人狂のようではなく、また一般人のようにも思えない。
そして感情が無いというわけでもない。
だがそれでも何かがおかしいのだ。
「ああ、まだ生きていたのですか。もう死んでもいいですよ。アジトの場所は後でそこらへんに転がっているお仲間に聞きますから。」
事も無げにアドルフはそう言うと頭の首元にナイフを近づけた。
ナイフの切っ先に付いた生暖かい血液が頭の首元を濡らし頭の恐怖心を煽る。
だが頭とて何もせずに死のうとは思わない。
既に生きることは諦めているが最後に浮かんだ疑問を解決したいのだ。
「……。何者、ゴフッ。何なんだ貴様は!どうしてそこまで自然体でいられるのだ!どうして平然と人質を見捨てるようなことが出来る!常軌を逸しているとしか思えん!この化け物が!」
「どうしてもこうしても分かり切ったことでは?ただそれが私にとってやるだけの価値が無い事だから、それだけです。そして私は正気ですよ?それ以上でもそれ以下でもありません。それにあなたは化け物と言いますが私はただ信念に従っているだけですよ?」
そしてアドルフが一瞬手を動かすと銀色の煌めきの後を追うように頭の首からも赤々とした血が噴き出した。
頭の手からだんだんと力が抜け落ちていく。
そこにはもはや山賊を率いていたころの威厳はない。
ただ顔に恐怖だけを張り付けて彼は死んだ。
Q 作者のネーミングセンスの低さはどうにかならないのでしょうか?
A 無理です。