血塗れた村
日が空高くに昇った頃になってようやく少年は目覚めた。
体には僅かながらに疲れも残っているが眠気は感じない。
目覚めたばかりだというのに目はしっかりと開いており、意識はしっかりとしている。
(さて、昨日色々な事があったお陰で少し疲れているようですね。ですがこの程度ならば問題ないでしょう。……そう言えば昨日の少女、シャルロットは何処に行ったのでしょうか?)
少年がそんな事を考えている間に後ろからゆっくりと忍び寄る人影が1つ。
その動きにはどこか生気が感じられない。
そして少年の後ろに立つと……普通に声を掛けた。
「おはようございます。」
「ああ、もう起きていましたか。おはようございます。」
(……びっくりしました。まさか後ろから忍び寄られているのに気が付かないとは。相手が転生者であれば即お陀仏してしまうところでした。気を付けなくては。)
そんな事を考えながらシャルロットの様子に注意するとシャルロットが持ってきた得体のしれない物へと目が留まった。
それはまるでキウイのような見た目をしていて大きさもそう変わらないがその色はまさかの紫色。
地球で暮らしてきた少年にとっては見るからに怪しい代物だ。
「……その手に持っている物は何です?果物ですか?」
「スクアートという果物、だと思います。昔これを見たような気がしたのですが……1つ食べてみます?」
「ではお願いします。ここ最近何も食べていなかったので」
「はいどうぞ。ところで名前を教えてはくれませんか?まだ教えて貰っていなかったと思うのですが……。」
(ああ、そうでした。まだ言っていなかったですね。……前世の名前はこの世界では違和感があり過ぎるような気がします。シャルロットという名前から判断するに……ヨーロッパ風の偽名を使うべきでしょう。ただ、考え過ぎるのは不自然なので思いついた名前で妥協するしかありませんが。)
少年はそのような事を考えているとは悟られないよう時間を稼ぐためにスクアートの皮をむいて一口齧った。
次の瞬間少年の口元に広がるのは圧倒的なまでの苦み。
確かに果物と言うだけあって甘みが全くないわけではないが、まるでゴーヤに砂糖を入れたような味だ。
少年は苦い表情を浮かべそうになりながらも必死にこらえて何事もなかったかのように声を発する。
「ああ、名前を言うのを忘れていましたね。アドルフです。よろしくお願いします。」
「はい、こちらこそ。」
そしてシャルロットへと答えた瞬間、アドルフと名乗った少年はスクアートを丸ごと食べるとそのまま呑み込んだ。
先程とは比べ物にならない苦みが口元に広がるがアドルフはそれを堪えて咳き込む。
無理してまで食べる必要はあまりなかったが残す気にもならなかったのだ。
「……そう言えば紫色のスクアートはまだ食べごろではないのでしたっけ。」
「……先に言ってくださいよ、それ。これが普通なのだと思って思いっ切り食べてしまいましたよ?」
暫くしてアドルフが咳き込むのを止めると急に真顔になってシャルロットの方へと向いた。
思わずシャルロットも真剣な眼差しでアドルフを見つめ、それを見てアドルフは口を開いた。
「シャルロットさん。この村の近くで襲われたと言っていましたがその村が何処にあるのか教えて貰えないでしょうか?この付近で記憶が途絶えたはずなので何か手掛かりがないか聞いてみたいのですが。」
(本当は知っていますがここは嘘を言っておいた方が良いでしょう。拷問で聞き出したという事を聞けば心証が悪くなるでしょうし。それに昨日の夜どこで何をしていたのかという事はバレない方が良いですから。)
シャルロットが教えた結果どうなるか、そして教えなければどうなるかを考えている間にもアドルフは笑みを浮かべながら考える。
それはまるで仮面を被ったかのように鮮やかで、それ故にシャルロットは気付かない。
目の前のアドルフと名乗る者がどのような人物か。
そしてその事に気が付かないままシャルロットは結論を出した。
アドルフに村の場所を教えるという事に。
自分を助けた人物の些細な頼みを聞かないというのは明らかに怪しまれる行動で避けるべきだと思ったのだ。
「……はい。この道を左に行けばたどり着くと思います。」
「そうですか。特に準備をすることもないですし行きましょうか。」
*
村に近づくにつれてだんだんと木々が少なくなり光が木々の間から差し込み道を照らす。
道も次第に綺麗になり始め2人は悠々と足を進める。
そして村まであと数十メートルというところになってシャルロットが足を止めた。
「あそこが村です。アドルフさん、私は村に行きたくないのでここで留まっていようと思うのですが……」
「ああ、確かに昨日のような事があったのではそれも当然ですね。私一人で行きましょう。……ところで村にしては静か過ぎませんか?何の物音も聞こえてこないのですが。」
「言われてみれば……」
「ちょっと様子を見てきます。」
僅かに言葉を交わした後アドルフは村へと向かって足を進めだした。
だがアドルフの胸中にあるのは村の住人と出会った時にどうするのかではなく、今から何をしなければならないか、それだけだ。
何故ならば村の住人はほとんど全員がもうこの世にいないのだから。
暫くしてアドルフは村へと足を踏み入れた。
だがやはりと言うべきか。
誰も見当たらない。
その上、物音すらもしない。
しかしそれはアドルフにとっては当たり前の事だ。
念のために近くの家の中も確認して回りおかしな事がないかを確認する。
凄まじい臭いが鼻をつくが、昨日踏み入れた時と比べてアドルフの目には違和感は感じられなかった。
どの死体にも動いた形跡はなくそのままに残されている。
唯一変わった点は血と死体も固まっているという事。
ただそれだけだ。
ある程度見終わった所でアドルフは苦笑を浮かべると村の門へと向かう。
そして今度は慌てたような表情を作るとシャルロットの方へと全力で走っていった。
*
アドルフが村を見に行ってから数分が経過した。
その間シャルロットはずっと村の近くの茂みに隠れていた。
アドルフが村人に金髪の人間の価値という物を聞き、その結果裏切られるのではないかという不安のみを考えそれ以外には何も考えてすらいなかった。
実際にはアドルフはその事を知った上で動いているわけだがその事をシャルロットが知る由もない。
しばらくしてシャルロットの目にアドルフが向かってくる様が見えた。
一瞬、シャルロットはアドルフが金髪の人間の価値を知り少女が逃げる前に慌てて捕まえに来ようと思ったのではないかと疑い、逃げようとしたが直ぐにそうではないという事に気付く。
アドルフの目には金銭欲など映っておらず、ただただ焦りのみが映っているように思えた。
「……誰もいませんでした。いや、いないというよりは……」
「何があったのですか?」
「住民は皆殺しにされていました。生存者はおそらくいないでしょう。」
(皆殺し?村の住民全員を?いったい誰が。どうやって。)
シャルロットの頭を疑問符が駆け巡るがどう考えても事実が分かるはずがない。
ただただ時間のみが過ぎ去り、そして暫くしてその様子を見ていたアドルフが口を開いた。
「……誰がやったのかは分かりませんが(私がやりましたが)、ある意味では幸運ですね。シャルロットさんが襲われる可能性がなくなりましたから。」
そう。
何人もの人間が死んだ事は間違いないがそれが意味するのはシャルロットに危険が及ぶ可能性が低くなるという事だ。
つまりシャルロットにとってこれはある意味では最も望ましい状況である事には違いない。
だが偶然にしてはあまりにも出来過ぎているような気がしてシャルロットの頭には再び疑問符が浮かぶ。
「長居は無用でしょう。殺した者が戻ってくるかもしれませんから。あまりするべきではない事ですが武器やお金の回収はしておきたいのです。……手伝ってくれますか?」
アドルフにとってはその事は当然ながらあまり好ましくない事だ。
別にシャルロットがその事に気付いたからといってアドルフの下を逃げ出す事はないのだが、そうは言っても必要以上に怖がらせる必要はない。
それ故にアドルフは話題を変えた。
より陰惨でそして現実的な向き合わなければならない物へと。
(ああ、死者の物を漁るというのは死者に対する冒涜なのだと思う。でも、それで自分が生きられるというならば、それで地獄のような運命から解放されるというならば、今からしなければならない行動は間違っているのだろうか。その答えは誰も知らないし一生分かることなどないのだろう。でもこの世界においてそのようなことは日常茶飯事に行われている。私が分かることはそれだけ。)
当然シャルロットの頭はアドルフの狙い通りパンク寸前に陥った。
そこには先程の疑問について考える余地などありはしない。
「……分かりました。それでどの家を調べれば……。」
「そうですね。出来ればあちら側の家を調べて欲しいのですが……。」
事態は全てアドルフの思うがままに進んでいく。
それが良いか悪いかは別として。
*
暫くしてシャルロットは一軒の家の前に立っていた。
見た目は普通の家と変わらない。
木や漆喰などで造られた、簡素とは言え住む分にはあまり問題のない家だ。
だがその中からは人のいる気配が感じられず、どことなく異臭が漂っているような気もする。
そしてシャルロットがその家を開けた瞬間、強烈な異臭が辺りへと解き放たれた。
それは血の臭いと死体の臭いが混ざっている筆舌に尽くしがたい臭い。
胃袋が宙返りし、何かが込み上げてくるような気分に襲われるが何とか押さえつける。
入り口には何もない。
だが一歩踏み出すにつれてそのえも言われぬ不快感は増していく。
シャルロットが家の奥へと入り込むとその先には1つの寝台が見えた。
そしてその上で年老いた老婆が眠っているかのように思えた。
もっともその周りには血が飛び散っており、永遠に目が覚めることはないと思われるが。
(これが死体……。一体誰がこんなことをしたのだろう。殺された人たちはもっと長生き出来ただろうに。ただ死体が苦しみの表情を張り付けていないというのは救いだけれども。もしこれが夜ではなく昼間に行われたならば……これ以上は考えてはだめ!私には耐えられないだろうから。)
シャルロットは手が恐怖で震えるなか、血で染まった金袋に手を伸ばす。
ああ、その罪悪感を何と言い表せば良いのだろうか。
まるで背中に何人もの人間が血まみれの身体でもたれ掛かってきたかのように重い。
そして固まった血の感覚は手から離れようとしない。
それも生きるためには必要な事と脳に言い聞かせようとするがそれでも手の形をした何かがまとわりついてくるような、そんなどうしようもない感覚がする。
だがそれでもシャルロットは必要な物を回収した。
それはいくら死体と言えども、その死体が自分とは全くかかわりのない人物の物だったからに他ならない。
もしそれが知人で会ったならば、例えその知人というのがシャルロットを飼っていた者であったとしても耐えきれなかっただろう。
時間を掛けて外に出て来たシャルロットを真っ青な空から燦燦と太陽が照らすが、それとて家の中で見た陰惨な光景を全くかき消してはくれない。
むしろその光景がはっきりと浮かび上がってくるのだ。
それは奪われる側でしかなく、奪う側の気持ちを知らない少女にとってはあまりにも残酷すぎる光景だった。
シャルロットの頭の中を罪悪感とそれに対する言い訳が駆け回る。
自分が生き残るにはこうするしかないのだと。
この村の人々全員が自分の敵である可能性は高かったのだと。
この世界では他者を思いやった者ほど死ぬのだと。
だがそれでも不快感は拭い去ることが出来ない。
体のあちこちを不快感が這いずり回り現実を直視することもままならない。
そして徐々に気が遠くなり……後ろから支えられた。
「村の外まで連れて行った方がいいですか?相当気分がすぐれないようですが。」
気が付くと後ろにはアドルフがいた。
まるでタイミングを見計らったかのように完璧でそして気配さえも感じさせずにそこに立っていた。
だが、別に何もしていなかったというわけではないようだ。
アドルフの横には既に硬貨の詰まった袋があるのだから。
「すみません。お役に立てなくて。」
「いや、こちらこそすみませんでした。私一人でやるべきだったのでしょう。ひとまず村の外に出てはどうでしょうか?何かがあった時に直ぐにシャルロットさんの所に行くのは難しいので周囲の警戒はしてもらいたいですが。」
アドルフの顔には優し気な笑みが浮かんでいる。
それは誰でも受け入れてくれるような優し気な笑みだ。
しかし、しかしだ。
周りには死体が溢れているというのに他人を気遣う余裕があり、そして偽りか真かを判断するのは難しいが笑みを浮かべている。
それは果たして普通と言えるのだろうか?
しかしシャルロットの頭にはそれを考えるだけの余裕もない。
ただただ自らの行った行動に対する責任に押しつぶされそうになり脳内はまるで迷路のようにこんがらがっていた。
まるで狂った機械のように頭の中をひたすらに同じ疑問が流れ続ける。
そしてこの村に留まり続ける事に耐え切れずまるで夢遊病者かのようにフラフラとしながら村の外へと向かって行った。
*
(悪くない。感想としてはそれに尽きます。得た物はそれなりのお金と武器。流石にハルバードや槍はありませんでしたが、片手剣が1本とナイフが数十本、あとは衣服と食料といったところでしょうか。さらにはただの薬だけでなくご丁寧に毒薬までありました。今後使えるかもしれません。)
*
アドルフとシャルロットが立ち去ってから数時間後。
誰もいないはずの村に少年と少女が佇んでいた。
2人とも白髪の青と緑のオッドアイで夕陽を浴びて佇んでいる有様は1枚の絵になる。
その容姿から見るに恐らくは双子。
身長や顔立ちまで似ている。
ただ、2人の顔に浮かんでいるのは絶望。
それもおよそ人間の物だとは思われないほどの、それこそ奈落のどん底にいるかのような絶望だ。
瞳には一片の光さえもなく無限の虚無が広がり、見るだけで深い絶望感を感じてしまうほどの絶望がそこにはあった。
獣に追われた挙句道に迷って森で一夜を明かして疲れ果てた2人が帰ってきた時、そこにあったのは誰1人として生きていない廃墟と化してしまった村だった。
そこにある物はもはや使われる事のないであろう数々の日用品と家、そして死体。
死臭が辺りに漂いもはや数日前の面影が完全になくなってしまっている。
唯一の救いは死者が1人を除いて苦痛の表情を浮かべていない事。
だからといって絶望感が消えるわけではないがもしも全員が絶望や恐怖といった表情を浮かべていたならば……ただでさえ決壊寸前の2人がどうなるかは想像に難くない。
絶望で声さえ出せない双子の兄はしばらくして膝から崩れ落ちた。
もはやそこには生気はほとんど感じることは出来ない。
ただただ虚ろな目で目の前にある光景を見つめる事しか出来ないのだ。
だが彼は幸運だった。
彼にとって一番大事な者だけはまだ残されていたのだから。
彼が守るべき者は彼の近くにずっといたのだから。
虚ろな目で眼前の光景を見つめる彼の背中に何か温かい物が触れた。
それは妹の手。
妹は目の前の光景には耐えきれず、安心感を求めるためにいつも連れ添っている兄へと無意識に手を伸ばしたのだった。
救いを求める頼りない、そして絶望に満ちた手。
されどそれは廃人へとなりかけていた兄を現実に引き戻すには十分だった。
その手は彼に何を切り捨て、何を守らなければならないかを教えてくれたのだから。
兄は妹をしっかりと抱きしめその体温をしっかりと感じながら、目から悲しみを取り去り怒りの感情を露わにした。
それは正に烈火の如き激情。
何もかも焼き尽くさなければ止まらないような異常なまでの復讐心。
「いつか、いつかこの借りは必ず返してやる!たとえ相手が化け物であろうとも!」
アドルフは知らない。
自らの行動が復讐心の塊を生み出したことに。
そして少年もまた知らない。
アドルフに復讐するとはどういう事であるか。
主人公の名前にはあまり政的な意図は含んでいません。