少女
(……吐きたい。アランとやらの顔面を何度も抉った時点でかなり気分が悪かったのですが、それを堪えながら拷問までやるとは。こんな事ならば自称神様に吐き気止めでも貰っておくべきでした。ですがひとまずは良しとしましょう。生きていくために必要であろう情報は得られたのですから。)
男に追いついてから暫くして、少年は小川にいた。
清らかな水が流れる実に普通の川だ。
……ただ一点を除けば。
心地よいせせらぎと共に川を流れるのは水だけではない。
そこには真っ赤な何かが混ざっていた。
それは血。
先程までは生き物だった者達の残滓だ。
どこまでも赤い血が川の流れに任せて糸のように流れる様はどこか幻想的でもあるが、それでも事実は変わらない。
少し前に男達が死んだという事実は。
少年は手や皮膚についた血を落とすと今度はナイフを水に浸し、そして近くの植物で丁寧にふき取る。
そこに現れたのは安物ではあるが銀色に輝くナイフ。
命を奪ったとはととも思えないような物だった。
どこか禍々しく見えてしまうという点以外はだが。
そして少年はナイフを奪った鞘に納め少女のいる方角へと足を向ける。
あまり気分が良さそうではないが、それでも到底人を殺したとは思えないような雰囲気だ。
「さて、ひとまず状況を整理しましょうか。まず今私がいる場所は大陸で最も東にある大国キルデス帝国の都市部から離れた田舎。そしてこの大陸には6つの大国といくつかの小国、都市国家や自由都市などがあると。それ以外の地域は色々と危険で近寄らないのが無難。勿論、国家に所属している領域でも十分に危険なようで、ただの村であっても敵対者を撃退するために武器を保持していることが多い。先程彼らがナイフを持っていたのももしもの時に使うためだとの事です。」
情報を聞き出した相手が単なる村人なので信憑性がどれほどのものかは疑わしい。
されどこの世界について何も知らない少年にとってみればそれで十分だ。
全ての情報が嘘ではないだろうし、それに情報を聞き出す相手は多ければ多いほど良いのだ。
それこそ知識人であっても全てを、例えば村の生活がどの様なものかを知っているわけではないのだから。
「そしてこれまた当然の事ながら村よりも都市の方が安全なそうですが……都市の外にいる人間が内部へと入り込む事はほとんど出来ないとは。都市内部の市民は身分証明書のような物を持っており、それがない場合は莫大な金を払うしかないとのこと。一応例外もあって何らかの組合に所属している者は通行可能だそうですが……そういった人たちは普通は身分証明書を持っているのでしょうね。そこにも例外が無いわけではないそうですが……まあひとまずは必要のない情報ですか。」
現代社会とは違い、この世界ではさながら関所か何かの様に通行の際に金銭を要求される。
それは少年にとっては頭では理解出来ても驚きに値する。
最も異世界に転生したという事実に比べれば大したことではないものでしかない。
「で、例の金髪の少女を捕まえようとした理由は……単純に莫大な金が手に入るからと。何でも金髪の人間は大国の1つであるタナトリア共和国以外では見かけることがまずない、非常に希少な存在で非合法で高く売れるとの事ですが……そんな存在が何故こんな所に、そして何故私と出会う事になったのでしょうか?」
少年にとっては意外な事にこの世界には奴隷が存在しない。
勿論非合法的な奴隷や農奴の様な者がいない訳ではないが、多くの国においては表向きは禁止されているのだ。
だが、それは善意からのものではない。
奴隷になるはずだった者を使い捨ての兵士にする事で軍事力を向上させたいだけなのだ。
それに単なる奴隷にするよりも希望を持たせてあげた方が何かと生産性が上がるからだ。
しかし金髪の人間の話になると事態は変わる。
その希少性ゆえに彼らは王侯貴族の下で奴隷以下の、さながらペットの様な扱いを受けることが多いのだ。
勿論彼らも一応ではあるが人権は保障されている。
ただ、そんな物は周囲が黙認してしまえば何の意味もなさない。
少年は当然その様な事までは知らない。
だが、希少な人間と出会うなどという偶然が転生してすぐに起こるなどとは到底思えなかった。
つまり少年はこれが偶然ではない、たとえば神のような存在、というか神に仕組まれた事だと思ったのだ。
「ま、何にせよ好都合ですね。情報を手に入れることも出来ますし、最悪売るという選択肢もない訳ではないのですから。」
*
しばらくして少年は少女がいた広場へと辿り着いた。
少年が男を追いかけて別の場所へ行った時とは全く違わず、その場には生き絶えた村人の死体、そして手足を縛られたまま気絶している少女がいた。
少年が少女へと近づくと目に少女の有り様がはっきりと映った。
黄金の様に輝いているが乱れた金髪、ボロボロの服、薄汚れた体……。
まさに奴隷であったかのように悲惨な有様だが、もしも身だしなみが整っていれば絶世の美少女ではないかと少年でさえも思わずにはいられなかった。
ただ、残念な事に少年はその事自体にはあまり興味はなかったのだが。
少年はほとんど動揺もせずに少女の身体を優しく持ち上げると、辺りを見渡して苦笑を浮かべるとその場を後にした。
後に残るは誰にも知られる事なく死んだ数名の村人の死体とその周りに飛び散った血のみ。
*
1時間が経過した頃、少女は僅かに身動ぎをした。
そして頭がぼんやりとしている中ゆっくりと目を開ける。
最初に目に入ってきたのは当然のごとく光。
その眩しさゆえにもう一度目をつぶってしまう。
そしてもう一度目を開けるとそこには1人の少年がいた。
黒髪黒眼で容姿は中の上ぐらい、質素な服を着ている。
年齢は16歳ほどで優しげな、それでいてどこか楽しそうな笑みを浮かべている。
そして何故か違和感を感じさせる、少女の目にはそのように映ったのだ。
「おや、気が付いたようですね。気分はどうですか?」
(気分、何故そんなことを聞くのだろう。私は……うっ、頭が痛い。でも気を失う前に何か大変な目にあったような……。……この少年が助けてくれたのだろうか?)
少女は混乱した頭で必死に考えようとするが、忘れ去りたい記憶が一気にフラッシュバックする。
当然のごとく頭に痛みが走るが、だがそれでも少女は答えらしきものを見出した。
「ふむ、やはり疲れているようですね。まあ災難でしたね。襲われるとは。」
襲われる、その一言で少女の記憶は完全に繋がった。
自分は男達に追われ、捕まり、そして気を失ったのだと。
だがその記憶には少年の姿はない。
当然の如くこの少年が何者で、そして何が目的でこの場にいるのかという疑問が頭をもたげる。
「ああ、あの連中には(土に)お還りいただきましたよ。少々手荒だったので身体に血が付着してしまいました。」
少女が考えていると少年の口から想定内ではあるが意外な発言が飛び出した。
思わず少年の服に目をやると確かに袖に血が付着している。
そして少年の目を見てもその目には何の動揺もなかった。
少女には少年が嘘をついてないないように思われたのだ。
だが少女には理解できなかった。
少年が自分を助けたのかもしれない。
しかしだとすれば少年が一体何を目的としているのかが全く分からないのだ。
少女を売る事が目的ならば拘束を取る必要はなかった。
少女を殺す事が目的ならば目覚めを待つ必要はなかった。
少女を犯す事が目的ならば会話を交わす必要はなかった。
そしてそれ以外の目的ならば少年に利があるとはとても思えないのだ。
それ故に少女には分からない。
少年が何故ここにいるかが。
「疑っているようですね。まあ自分もあそこまで上手くいくとは思っていませんでしたから気持ちは分かりますけれども。」
少女がそんな事を考えていると少年は微妙にずれた事を言った。
どうやら少年は、少女が疑問に思ったのは少年の目的ではなく男達を追い払うという行為だと思ったらしい。
「実を言うと私は記憶喪失でして。それでぼうっとしているとあなたが追いかけられているのが見え、それを追いかけてみたらあなたが捕まっていたので彼らを撃退したのです。どう見ても悪人でしたからね。それで助けた代わりに色々と教えてもらいたいのですよ。」
やはり少女には少年の言葉には偽りはないように思えた。
だが同時にそこには得体の知れない違和感があるようにも感じられた。
まるで少年が真実を述べながら同時に嘘をついているかのように。
しかし少女にとっては少年が嘘を付いているのかどうかはどうでも良い事だ。
仮に少年が嘘をついていてそれを暴いたとしてもその先には何もないのだから。
それで少年との関係を悪くする意味などどこにもない。
少女にとって最も重要なのは生き延びる事。
それ以外の事は些細な事に過ぎない。
そしてその為に少女が取り得る選択肢はたったの二つ。
少年から逃げるか、それとも少年と共に行動するかだ。
「どうしましたか?随分と悩んでいるようですが。」
流石に少女が長々と黙り込んでいるのが不思議に思ったようで少年は声を掛けてきた。
だが、まさか本人の前であなたを疑っているという訳にも行かない。
それ故に少女の思考はさらなる混乱へと向かい始めた。
少女が頭を抱えだしたのを見て少年は苦笑を浮かべる。
少年にしてみれば気遣ったつもりが余計に混乱している様子なのだから当然だろう。
最もその眼差しには何か別の物が含まれていたのだが。
「せめて名前だけでも教えてくれませんか。どう呼ぶべきか分からないので。」
「……シャルロット。」
少女が名前を口にすると少年は困った顔をやめて僅かながらの笑みを浮かべた。
それは正に自然な、というのが相応しい笑みだった。
だが少女が疑い過ぎているせいか、その笑みには何か安堵とは別の物が混じっているようにも思われてしまった。
しかし一度話し出してしまった以上、会話を拒む気にもなれない。
まるで流れ出した水が止まらないかのように。
「なるほど良い名前ですね。ところであなたは何故追われていたのですか?」
「私は……私は強いて言うならば非合法の奴隷でした。誘拐されたあと貴族に売られ何とかして逃げ出したのですが、近くの村まで来た時に先程の連中に見つかって……金髪が珍しいからか追い回されたのです。」
悩んだ挙句、少女は少年を信用する事に決めた。
何故ならば味方なしには今後生き延びる事が出来るようには思えなかったからだ。
ただし、完全に信用するわけではない。
それ故に嘘を混ぜたのだ。
少女を村人が追いかけた理由に莫大なお金が得られるという利点があったという事を。
しかし少女は知らない。
少年が記憶喪失だという事は異世界から来たという事を考慮すれば完全な嘘ともいい難いが、既に第三者の口から情報を手に入れているという事に。
だが少年はその事をおくびにも出さずに自然な笑みを浮かべる。
まるで何も知らない純粋な人間であるかのように。
「そうですか。奴隷にされるとは災難でしたね。ところであなたはこれからどうするつもりなのですか?私は行く当てがない、というか記憶がないので出来ればどこか近くの村まで案内をしてもらいたいのですが。」
人がいる所へと向かおうとする。
それは生きる上で当然の行動だろう。
しかし少女にとっては人という人が敵なのだから他人と出会うという事は避けるべき事なのだ。
それ故に少女には簡単には答えられない。
無論その事を少年は承知している。
承知しているからこそあたかも知らないかの様に振る舞ったのだ。
本当に記憶喪失であると思わせる為に。
「ああ、村や都市に行くのが怖いのですか?とは言え、このまま何もしないわけにもいきませんのでひとまず生きる上で必要な知識を教えてくださいませんか?」
情報を得る事、それは譲歩……などではなく少年の目的そのものだ。
だが少女はそうとは知らない。
勿論、教える事が不利益という訳でもないのだが。
異世界からの転生者と少女の出会いが何をもたらす事になるのかを知る者はまだいない。