転生してしまった
鳥のさえずる音と木の葉の揺れる音が辺りに響き渡る中、男、いや男だった少年は身を起こした。
頭をはっきりさせるために大きく首を横に振ると何度かまばたきして、辺りをゆっくりと見渡すと合点がいったかのように手をポンと叩く。
「よもや本当に転生するとは……。まだ少し信じられませんね。転生という事が起こり得るという事もそうですが……何よりもその理由がゲームとは。それもただのゲームではなく転生者同士を殺し合わせるゲームとは……はっきり言って脱帽ですね。流石は超常的存在です。考える事が違います。」
少年は笑みを浮かべながらそんな事を呟くと今度は自分自身へと目を向ける。
その目に移ったのは明らかに若返った体、そして少年の着たことがないような服だった。
タグは付いていないため材料までは良く分からないが、いわゆる村人Bの夏の服装とでも言うべきこの世界においてはごく普通の服装だ。
湿っているほかには特に違和感は感じられなかった。
少年は興味深げにその服を見つめると今度は大地へと視線を向ける。
大地はまるで雨でも降っていたかのように湿っていた。
しかし少年はその事を気にする事もなく辺りを見渡すとある一点で目を留めた。
そしてそこに生えていた一輪の花へと手を伸ばす。
「これは……見たことがない花ですね。おしべが9本あるとは。前世になかったとは言い切れませんが……そんな珍しい物に直ぐに出会うとも考えにくい。やはり転生したのですか。」
少年が手に取った花は薄いピンクの如何にも普通な感じの花だった。
おしべがやたら多い事を除いては。
少年はその事を再確認すると暫く花を手で弄んだ後に一枚ずつ花びらを千切り、その構造を興味深げに見ると地面へと置く。
そしてゆっくりと立ち上がると体に付いた雑草を気だるげに払った。
次に一度大きく伸びをすると目を瞑り暫くの間じっとしていたかと思うと、今度は突然大きく目を見開いて笑みを浮かべた。
「さて、既にゲームは始まっています。まずは当面の指針を決めなければいけませんが……最初にすべき事は情報集めですね。あの自称神……面倒ですから神で良いですか。神は異世界で他の転生者と殺し合えと言っていました。異世界を名乗る以上この世界には一定の広さがあると考えても良いでしょう。という事は直ぐに他の転生者と出会う可能性は少ない。つまり暫くの間は転生者に対してあまり警戒しなくてもいいという事です。そしてそれまでにある程度この世界について知っておけば有利になるかもしれません。要するに時間を無駄にしている暇はありませんね。まずは動きましょうか。」
少年は急速に脳を回転させると独り言を呟いた。
転生する前の独り言とは違い答えを望まない、自らを突き動かすためだけの独り言だ。
到底転生されたばかりとは思えない冷静さだが、それすら出来ないのであれば歴史にほとんど名を残していない少年がこのゲームには選ばれる事はなかっただろう。
何故ならばこれは普通ではない、自らの命を賭けて戦う異様なゲームなのだから。
そして少年は歩き始めた。
満足した笑みを浮かべながらどこへともなく一歩、また一歩と進み始める。
顔も知らない転生者を倒すため、そのために情報を集めるため、そして何よりも自らの目的を達成するために。
*
少年が歩き始めて一時間。
少年は未だに森の中を歩いていた。
鬱蒼としてあまり変わり映えはしない。
当然の如く誰とも会うわけがなく、ただただ単調な風景、ではなく前世とは全く植生が異なる興味深い景色を見ながら歩いていた。
勿論、他の事にも注意しながらではあるが。
「異世界ってこんな感じなのですか。なるほどなるほど。地球とは全く違うという事だけは分かりました。いつまで経っても人と出会わない場合は植物を食べなければなりませんが……毒性があるかどうかの判断が出来ない以上あまり好ましくないと。」
当然の事ながら人間には生きる上で絶対に必要な物がいくつかある。
そしてそれはいくら強くなろうが関係のない事だ。
その一つが水。
だがこれは川を見つけたり雨水を飲んだりすることで何ともなる事だ。
しかし食の方はどうにもならない。
水よりもタイムリミットは長いが、動物と出会いそしてさらにそれを仕留めなければ肉は手に入らず、植物の方はどれが食べられるのかも分からないのだ。
もしも砂漠などに転生させられたものならば、それこそ転生者どころか人と出会う前にひっそりと息絶える事だろう。
その事を理解しているからこそ少年はさらに進み続け……暫くして他の場所よりも明らかに明るい場所が目に入ってきた。
それが意味することはそこは木が少ない、つまりは森の外や人によってある程度利用された場所である可能性が高いという事だ。
それに気が付いた少年はやや急ぎ足でその場所へと向かい……十分に近づいたところで少し残念そうな、そして少し嬉しそうな表情を浮かべた。
そこは森の外ではなく中だったのだ。
だがただ単に森の中だったわけではない。
少年が歩いてきた道のりと直角に一本の道が、ほとんど獣道のような物ではあるが一本の道があったのだ。
決して前世の道路のように整備された物ではないが道であることに変わりはない。
「これは僥倖。あまり使われていないようですが、この道を辿っていけばいずれは人と出会う事になるでしょう。ん?これは……。」
感慨深げに少年は道を見回すと一か所に視線を止めた。
それは道に付いていた足跡。
草がぼうぼうでほとんど使われていないはずの道であるというのに、やけにくっきりした足跡と踏みしだかれた雑草がそこにはあった。
「……左から来て右の方へと向かっていると。しかもほとんど足跡の形が崩れていない事から判断すると最近、それも数分前に数人がここを通り過ぎたようですね。さてはて、これは例の自称神の思し召しとやらなのかそれともそうではないのか。ま、どちらでも良い事ですか。情報集めのためには人に……これは?」
そこまで考えたところで少年は道にある者がある事に気付いた。
少年が目を向けた先にあったのは一枚の円状の金属製の物、すなわち硬貨だ。
何処の世界であろうとも余程古い文明でなければ間違いなく生きるためには必要なお金だ。
色と触感から判断するに材質は銅のようだ。
前世の物とは違い正確な円を描いているわけではないが、それでも明らかに加工されており表には紋章のようなレリーフがあった。
少年はこびりついていた泥を落としてじっくりとそのレリーフを見つめると裏返す。
そこに在ったのは髭を生やした中年の男の肖像だ。
冠のような物を被っており、刻まれただけだというのにどことなく威厳があるように感じられる。
「ふむ。硬貨が落ちているとは。彫られているのは君主か、もしくは偉人といったところですが……硬貨を落とすほど急いでいたという事は追い付くにはかなり急ぐ必要がありそうです。ここは1つ運試しでもしてどうするか決めましょうか。人が描かれている方を表として……。」
そして少年は硬貨を空高くへと指で弾いた。
硬貨は煌めきながら宙を舞い……寸分の狂いもなく少年の手元へと落ちてくる。
少年はそれを右手で掴み取り目の前で手を開くと……そこには中年の男の肖像が、つまり硬貨は表を向いていたのだ。
少年はそれを確認して笑みを浮かべると足跡を追い始めた。
その選択が何をもたらすことになるかはまだ誰も分からない。